第二章 式神遣いの少女 〈7〉
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午前0時。白鹿モードのしのぶが紀里香を乗せて、2階の部屋の窓から駆けだすと、市の中心部にある坐浜グランドホテルの屋上へ舞い降りた。ランドマークをになう高層ビルだ。
なにも悪魔の活動時間は夜にかぎったことではないが、日中よりも夜陰に乗じる方が悪事を働きやすいのは自明である。今のところ遠隔型監視式神・聴駆追烏やドクロ杖に悪魔の反応はない。
「しかし、なんだよその服は?」
あきれる白鹿へベーグルクッションをかかえた紀里香が起伏にとぼしい胸を張った。
「決まってるでしょ。乗馬服よ。私こう見えても流鏑馬とか馬術競技とか得意なんだから」
紀里香は乗馬用のヘルメットから長靴までバッチリと着こんでいた。殺風景な灰色の屋上に場違いなくらい凛々(りり)しい。
ただ「こう見えても」と云われても、どう見えたら流鏑馬や馬術競技が得意かどうかわかるのか、しのぶには判然としない。
「決まってるでしょ?」
紀里香がもう一度云った。とっとと褒めなさいよ、と催促している。
「いやまあ、たしかに似あっちゃいるけど」
「でしょう? スタイルいいからなに着ても似あうのよ」
気をよくした紀里香が自画自賛した。
(胸なき子のくせに)
などと云って自ら地雷をふむ愚を犯すしのぶではない。
一分の隙もなく乗馬服を着こなす紀里香だが、乗馬服の胸ポケットやすそ、長靴のふちにクリップのついたステンレス製のシャープペンシルがびっしりと留められている点が、いささか奇異である。
高校の制服も同様なので、巷では文房具マニアのカワイすぎる女子高生と噂されているが、彼女は文房具マニアではない。シャープペンシルは各種式神を取りそろえた〈武装〉なのだ。
ふつう陰陽師が式神を使役する時は「式を打つ」と云って呪符(あるいは形代)を用いる。ひらたく云うと、お札とかを使う。
しかし、紀里香は呪符を圧縮し、0.3mmの芯へと加工し、0.5mmのシャープペンシルに装填している。紀里香独自の技術である。
「そう云えば、流鏑馬って、昔より危険だって知ってる?」
「いいや」
紀里香の言葉に白鹿のしのぶが頭をふった。
「サラブレッドみたいな今の馬って、スピードがですぎるのよ。もともと日本在来種の馬って、そんなに速くもなければ、ずんぐりむっくりしてて背も低いし。今のあんたくらいかな?」
「そうなんだ?」
白鹿モードのしのぶは、ふつうの鹿より体が大きいため〈白馬鹿〉などと揶揄されることもあるが(もちろん、そんなことを云うのは紀里香くらいだが)サラブレッドほど大きくはない。
「戦国時代の騎馬隊で20km/hくらいだとか。ママチャリで走るオバサンよりちょっと速いかな? って感じ」
「そんなにおそいの?」
時代劇の映画なんかを想像して、印象のちがうことにしのぶは苦笑した。白鹿モードのしのぶなら散歩感覚ででるスピードである。
「だから今と昔の流鏑馬じゃ、ママチャリとバイクくらい差があるの。まあ私は、全速力のサラブレッドの上からでも的をはずしたことはないけど」
「……とどのつまりは自慢かよ」
しのぶが嘆息した。のどかのアホな会話につきあわされるのもめんどうくさいが、紀里香の学を衒う自慢話も相当にうっとうしい。
「そうだ。今度あんたで馬術大会でよっか? 絶対ウケるし、優勝まちがいないし」
「アホか」
「なんでよ? ブタが牧羊犬めざしたり、シマウマが競馬にでる映画があるんだから、鹿で馬術大会でてもおもしろくない? ハリウッドから映画化のオファーがくるのはまちがいないわね。私たち本人役ででれば一躍ハリウッドスターの仲間入りよ! 私なんてもう極東の宝石とかよばれちゃったりして」
紀里香が自分の妄想に照れた。
「あえてもう一度云うぞ。アホか。……白鹿の姿で世界中に恥をさらしてたまるか」
「なに云ってんの。あんたから恥をとったらなにがのこると云うの?」
「いや、いろいろのこるし! サッカーとか超うまいし!」
「他には?」
「モ、モヘナもおれのことやさしいって云ってくれるし」
「もう一声!」
「……」
「しょせん、あんたなんてその程度の男よ」
(のどかにも似たような追いこまれ方をしたような……)
しのぶが哀しい気分でヤレヤレと首をふった。




