第一章 ドクロ杖の少女〈1〉
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赤い満月が神無月の夜を所在なさげに照らしていた。
「ね、ちょっと、どこつれてくつもり? ホテルとかってあっちじゃ……」
不夜城とよぶにはもの足りない地方都市の小さなネオン街からはずれた暗い路地裏で、家出少女が不安げにたずねた。
そんな少女の肩をだいた20代後半とおぼしきスーツ姿の男性がやさしい声で答えた。
「心配することはないよ。なにもホテルじゃなくたって、キモチイイことはできるだろう?」
(……一緒にキモチイイことしてくれたら5万円払うよ)
アヤシイ言葉に乗った家出少女が、どんどん人気のない森林公園へ歩を進めていく男に、ようやく不信感をいだいた。
「ちょっと! 私、シャワーも浴びずに外でなんてヤダよ」
「なにを云っているんだ、キミは?」
ききかえす男に家出少女は妄想を先走らせたことを羞恥したが、耳元でささやかれた言葉に慄然とした。
「これから殺されるオマエが、シャワーなんか浴びてどうすんだよ?」
男の手が家出少女の口をふさぎ、体をはがいじめした。男の口調が野卑なものへと変わる。
「キモチイイことをかんちがいしてたみてえだな、エロガキ。オレがキモチイイのは人を殺して魂精をうばうことさ。眠らせて殺す方がラクっちやラクだが、恐怖と苦痛にのたうちまわる姿を見ねえと殺した気がしねえんだよ」
家出少女は男をふりほどこうと抵抗を試みたが、強い力で押さえつけられた上半身は微動だにしなかった。かかとですねや足を蹴っても平然としている。あきらかに常軌を逸していた。ふつうではない。
「たっぷり時間をかけて殺してやるから、せいぜいステキなあえぎ声を聞かせてく……」
「そこまで、どーん!」
場ちがいなほど明るい女のコの声とともに、男と家出少女の身体がうしろから突き倒された。
突然のことに男は受け身もとれず、結果として家出少女をかばうかたちで顔面を地べたのアスファルトへ打ちつけた。
「なっ、だれだ!?」
アスファルトに尻もちをついたまま向きなおるスーツ姿の男と家出少女を睥睨していたのは、世にも奇妙なとりあわせだった。
赤い満月の光を浴びて立っていたのは大きな白い鹿だった。男たちを突き倒したのは人でも車でもバイクでもなくコイツだ。
「……シカ?」
家出少女が究極的想定外の光景にあ然とした。夢だとしてもシュールすぎる。
そして白い鹿のかたわらに中学生くらいの愛くるしい女のコが立っていた。
マイヨ・グランペール(ピンクの水玉模様)のウインドブレーカーにふわりとしたオレンジのミニスカート。
紺とターコイズブルーのしましまストッキングにフェイクファーのもこもこがついた金色のバスケットシューズ。
ぬばたまの長い黒髪を左側頭部にゆわえたその姿は、いささかサイケデリックで目がチカチカするものの似あっていなくもない。
しかし、なぜか女のコは左手に小さなベーグルクッションをかかえていて、右手にはブキミな杖をたずさえていた。
弓なりにゆるく湾曲した赤黒い杖だった。
杖の先端には漆を何度も塗りかさねたかのような実寸大の黒いドクロが乗っていた。
ドクロの落ちくぼんだ眼窩が赤い燐光を放ち、あごがカタカタと鳴っている。愛くるしい少女にはまるっと似つかわしくないアイテムである。
ドクロ杖の少女がタコ踊りのような意味不明のポージングをしながら云った。
「月の光に導かれ、闇にうごめく悪魔を滅し……えっと、つづきなんだっけ?」
「知るか」
小首をかしげるドクロ杖の少女に、白い鹿がハッキリとした日本語で答えた。
「え~、さっきお兄ちゃんと一緒に考えたじゃん」
お兄ちゃんとよばれた白い鹿がめんどうくさそうに云った。
「おまえがひとりでぶつぶつ云ってただけだろ?」
「忘れちゃうといけないから、おぼえといてって云ったじゃん」
「わかった、と云ったおぼえはない」
「ひっど~い! せっかくカッチョイイ決めゼリフ考えたと思ったのにのに」
「ものの数分で忘れるような決めゼリフなんてつくるなよ。て云うか、決めゼリフとかいらないし。中二病か、おまえは?」
「あ~、知らないんだ? 決めゼリフがあるとないとじゃ、気あいの入り方がぜんぜん変わるんだよ!」
「あくまで個人の感想だろうがっ!」
いきなりでてきて意味不明の云いあいをはじめた謎の少女と白い鹿に、スーツ姿の男が立ち上がりながら誰何した。
「だれだ、てめえら?」
「だから、今それを云おうとしてたんじゃん。ささっ! 月の光に導かれ、とっととおうちへ帰んなさい! ……て、これもさっきとちがくない? ようするに、のどかの名は魔葬少女のど……痛ったっ!」
ドクロ杖の少女の決めゼリフとやらをみなまで云わせず、白い鹿が鼻面でドクロ杖の少女の頭をこづいた。
「も~、お兄ちゃん! せっかくの見せ場なのに、舌かんじゃったじゃん」
白い鹿が少女の言葉を無視して、スーツ姿の男をにらみつけた。
「おまえ、悪魔だな」