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第二十三話 凶喜なぞ、何処にも無い

 これまた仕組みはとんと分からぬが、舞台の上で行われる闘士の会話は会場中に筒抜けであると言うことを、陽向も以前観戦していた自身の所属する階級の死合において理解していた。

 後々客観的に考えると、中々にしてこれも恥ずかしいものが多少なりとも込み上げてくるが、闘技場という大衆娯楽を盛り上げる一因を担っていると言われてしまえばこれも致し方あるまい。

 故に当然の如く、此度の当人(・・)である彼と彼女の会話をも、この場で拝聴することが叶うのであった。

 腰元より剣を抜き、いっそ芸術作品であるどこぞの彫像にも負けぬほど洗練された造形美を醸し出す姿で――アガットは彼の目の前で無手にて立つベアトリスへと、霜凪(しもなぎ)のような穏やかな口調で言の葉を紡いでいた。

 その表情には既に、先の緊張も強張りも見受けられない。


「此処まで、来ましたよ」

「…………」


 アガットとベアトリス。

 こうして美男美女が向かい合う様を見ていると、正しくそれは舞台劇のワンシーンであるかのようだ。

 されど、口を開くのは毅然とした主演男優のみ。黒と白で構成された姫君は、無言無表情のまま佇むのみ。

 艶やかな黒髪をシニョンに纏め、黒曜石すらも敵わぬ黒紅に輝く眼のままで。その視線の先には、一体何が映るのであろうかも不明。

 つまり、これは一方通行の求愛行動――とまでは往かずとも、何処か悲しげに感じてしまう光景に感じられた。


「僕はやっと、此処まで――こうして貴女に対峙する権利を得ることが出来ました」

「…………」

「当然、貴女は僕になど微塵の興味も抱いていないことでしょう」

「…………」

「だから、たった一度の死合の中で――僕がどれほど貴女に焦がれ、どれほど貴女の闘技に()がれ、どれほど貴女の在り方に()がれたとしても……それだけでは決して、貴女に届くことは無く。これだけではまるで、貴女に理解して貰うことなど出来ないことでしょう」


 未だ、ベアトリスは一言すらも紡がない。(さなが)ら、無機質なまま蝸角(かかく)を流し見打ち捨てるかのように。矮小な世界には、興味を抱きすらせぬとばかりに。

 そしてそれを理解し、納得すらいているかのような柔らかさを含んだ苦笑と共に、アガットは――こう、続けていた。


「でも、良いのですよ。僕は只、こうして貴女の前に立ちたかった。たまたま貴女の闘技をこの目にする機会に恵まれて、そうして貴女と()(まみ)えたいという一身の情熱のままに、此処まで上り詰めてしまいました」

「…………」

「その結果、何とか今日の機会に恵まれて、貴女の瞳の中に一瞬でも映ることが出来――いや、本当はそれすらも未だ適っていないのかもしれませんね」

「…………」

「それでも、こうしてみたかった。この場所に――例え玉響(たまゆら)の刻であろうとも、貴女とこうしてみたかった。ただ、それだけなのですよ」


 アガットはそう言って、満足そうに――少しだけ寂しそうに、晏然(あんぜん)と微笑んだ。

 届かぬ天に恋焦がれ、決して手に入らぬもので解っているとしても、諦めきれずにいた。騎士団での地位を捨て、泥に塗れて、今やっとのことで指の端を掠め――もしかすると、それすらも糸遊(いとゆう)の如き夢幻なのかもしれない。

 故にこれが単なる恋心のようなものとは相違するものであるかと言うことは、陽向には解らない。自身が全ても(なげう)ってまで他者に恋焦がれたことも、明確な目標を持ったことも陽向の人生においては、あちら側(・・・・)において未経験であったのだから。

 ――ただ、彼のそのような気持ちすらも無駄であったなどとは、陽向には到底思えない。

 だからこそ、そんなアガットの想いが欠片でも届いたのか否かは未だ不明であるが――次の瞬間、当のベアトリスが緩やかに艶やかな唇を開いていた。


「……私は、今日この時までアンタの顔すら知らなかった」

「ははっ、仕方ありませんよ。第九階級闘士だ何だと言っても、頂点に坐わす貴女から見れば有象無象に過ぎないのですから」

「自分の知らない人に其処まで想われてるだなんて、考えたことも無かった」

「それもまた、当然のことでしょう。言ってみれば私も、数多(あまた)に存在する貴女の信奉者の一人でしかないのです。信奉者はたった一人の演者に恋焦がれていても、演者から信奉者一人一人のことまで把握するなどいっそ不可能です。なので、お気になさらずに」

「アンタは……それで良いわけ?」

「一瞬でも、貴女の瞳に映ることが出来たのであれば――と、先の先までは本当に思っていたのですけれどね」


 刹那――ほんの少しばかり躊躇う様な仕種を見せたアガットは、一気呵成に吐き出した。

 その貌には、既に柔らかさを排斥した様にすら見受けられた。其処には無理矢理に、削ぎ落としたかと錯覚するほどの苛烈さと覚悟が相乗している。


「もし、叶うのであれば貴女の――第十階級闘士ベアトリス・ディミトゥラ・カサヴィディスの全力を、この身で受けることが出来るのであれば……と」

「私の全力……アンタ、自分が何言ってんのか分かってるの?」

「無論。僭越ながら、真――僭越ながら。願い申し上げます……どうかッ!」

「そっか、私がそうしちゃった(・・・・・・・)のか……いいよ」


 ぬるり、と――。

 不明瞭な妖艶さをも携えて、ベアトリスは返答した。


「おいで、聖騎士――その悪夢から解放してあげる」

「――感謝の至りに、御座います」


 ――決定した。

 命運が、決まった。

 ゴング寸前、臨界間近――、


『よっしゃァァアアア! いいか! いいよな! いいよね! いいだろ! 俺っちも皆も、最早我慢の限界だァ! 始めェェエエエエエエエエ!』


 こうして開闢の鐘は、高らかに鳴り響いた。

 陽向は目の前の祭典へと、更に神経を集中させる。両者の一挙手一投足をも見逃さんとばかりに。

 ――初手は、純白の騎士アガットよりであった。

 彼は叫ぶ――悲哀のように、念願のように。慟哭のように――そして何より、歓喜のように。


「偉大なるガイア――原初の力をこの身にッ!」


 その宣言と共に文字通り(・・・・)、アガットの身体が鎧ごと膨張(・・)する。幻覚とも思えるその様相であったが、確かに其処には自己の魔力を練り上げて、肉体を司る莫大なエネルギーへと変貌させていた。

 有り得ぬほどに、考えられぬほどに力の膨張を続けている。

 目も眩むほどの所業に息を呑む観客たちであろう――当然の如く、その例に漏れずに視線を固定させたまま呼吸すらも忘れてしまったかのように見入る陽向であったが、事態はそれだけに止まらず――。


「無限なるウラノス――天空の加護をこの背に!」


 陽向はアガットの背後より上空まで、無色不透明それでいて不可視(・・・)の壁を幻視する。

 そうして、悟る――今の己では、あれには何も通らない(・・・・・・・・・)。それほどまでに、何に用いるのかも理解不能な重圧の権化。

 されど、彼の怒涛の展開はそれだけに終わりそうも無い。


「至高のゼウス――剣に引き裂く神雷を! 最たるアポロン――盾に不倒の陽炎を!」


 最早計測するのも馬鹿らしくなるほど莫大なまでに膨れ上がった剣には、バチバチと恐慌を煽るほどの音を撒き散らしながら、紛うこと無き天雷を纏う。

 左腕に装備されたタワーシールドには、受け止めるものを消し炭へと換えるであろう炎を纏い――あまりの温度に、盾の周囲の景色が歪んでみるほどでもあった。

 最後に、と――アガットは締め括るように、怒号を添えて吐き出した。


「剛なるポセイドン――我が両の脚に、豪撃と迅速を!」


 途端、爆発的で誰の目にも可視化が可能となるほどに濃密なエネルギーが、彼の足下より溢れ出す。

 そして、一歩踏み出すごとに地を揺らし風すらをも踏みつけにする程に、大地が揺らぐ。

 ――アガットは、ベアトリスへと告げる。


「これが、僕の全力です――行きますッ!」


 確固たる生命力と共に。

 未知なる超力と共に。

 神が与える裁きの雷と共に。

 何者も触れることの出来ない天の焔と共に。

 地に存在する全てを踏みつけにする覇道と共に。

 全身を力強く、清らかささえも内包するが儘に。


「ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 走る、走る、アガットは走る。

 この会場に居る誰しもが、きっと思ったことであろう。

 長く、永く恋焦がれた想いが、この一途なまでの力を生み出したのである、と。


「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 進む、進む、彼の者は進む。

 今現在進行形でこのアガットという男に、あらゆる観客は目も心も奪われていたことであろう。


「うぉぉおおおおォオオオオオぉおおおおおおおおォオオオオオオ!」


 叫ぶ、叫ぶ、男は叫ぶ。

 きっと、皆が皆――こう思っていたに違いない。

 これ程のモノを見せてくれたのだ、第十階級闘士が相手でももしかすると行くところまで行くのではないか。打倒最高峰と言う名の夢を、見せてくれるのではないのであろうか――と。


「うぉぉぉおおおおォオオオオオオぉおおおおお()()()()()()()!」


 ――されどそれは、全くの見当違いであり。

 悲しいかなこれは、決して敵わぬ夢物語でしか無く。

 これほどの力を――アガットと言う清廉なる騎士ほどの力を持っていたとしても、所詮(・・)その程度止まりとしか成れないということを、不幸にも陽向は悟ってしまっていた。

 きっとそれは、ベアトリスと同格以上である彼女(・・)に接する機会の過多により、嫌でも培わされてしまった底無しの測定能力のようなものであったのかもしれない。

 ――そうして、(アガット)の夢は終わりを告げる。

 ぽつり、と呟いた――(ベアトリス)の言の葉によって。


「ウォォオオオオオオオオオオぉおおおおベアトリ――」

「――喰い千切れ、【饕餮(とうてつ)】」


 ぱつん、と――。

 まるでテレビのスイッチを落したかのように、それは唐突に切り捨てられた。


『――えっ』


 拡声された進行役ですら、いつものテンションを忘却してしまったかのように、それ以上続けることは無かったのである。

 ――消えた、のだから。

 陽向の、観客たちの、司会者の――そしてベアトリスの前から、アガットという男が突然消え去ってしまった。

 一言、無感情にベアトリスが囁いた途端の事態である。

 姿が、声が、魔力が――何より先の先まで間違いなく其処に居た彼の存在(・・)が、この場から消え去ってしまっていたのだ。

 紛うこと無き消滅であり、間違いなく数多の人間の目の前で起こった消失なのである。

 理解不能理解不能、理解何て不明瞭。全く以ってわけも解らぬ終幕であるが、これも間違いなく一つの終わりの形であった。

 無言のまま、無音のまま。

 断末魔も、血飛沫も、打ち合う音も、肉の弾けも、骨の損壊も、生死の行方も一切知れず。

 何も無く、何も出来なかったと言わざるを得ないであろうか。敢えて表現するのであれば、アガットと言う人間の存在の簒奪であろうか。

 当然の如く、陽向にはたった今目の前で起こった現象の仕組みなど解らない。

 しかしながらその終わりの証拠に、ベアトリスが入場してきた白く磨かれた天の門のみが開かれ、彼女は役目は終わったとばかりに場内へと背を向けて静かに歩いて逝った。

 既に最早、忘却の彼方。

 これが頂点、これが至高。

 須臾(しゅゆ)の後、会場は第十階級の絶対的な力を目撃した観客たちの破裂せんばかりの歓声で埋め尽くされた。


「ゴメン――アンタ程度(・・)が相手じゃ、私は全力なんて出すことすら出来ないの。本当に、ごめんなさい」


 門を潜る直前に、寂しげに顔を伏せて呟いたベアトリスのこの言葉を、観客席に存在するどれだけの人間が聞き取ったことであろうか。

 ――陽向は、思う。これは紛れも無くリュミエールの同類であろうとの確信に、改めて至ることとなった。

 程遠い。限り無く、遠く。永劫にすら近しい。

 だが、陽向は微塵も立ち止まる気は無い。己が止まるときは、この身が――この魂が天上の獄炎に苛まれる、そのときだけなのだから。丸焼きも火炙りも、絶対に御免だ。

 しかしながら、万が一にもサロンで彼女をからかわなくて本当に良かった――と。尻なぞ叩いた日には、腕ごと毟り取られていたに違いない。

 遊び心は、ほどほどに。好奇心は猫をも殺すとは、良く言ったものである。

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