第十六話 後、一歩
「――無様だな」
陽向は、ぽつり――と、呟いた。
視界が、ぱつり――と、遮断されたことは記憶している。
意識が、ぷつり――と、途切れたことも覚えている。
されど其処から先は乳白に濁り、思案の余地すら存在しない。
汚濁を鼓膜に塗り付けるかのような嗤い声と、引き裂かれた先には暗影しか観えぬが如き、怖気奔る――仄暗き奈落のような口。
牙は無く、覇気も無い。
――それでも、脳髄を汚泥が這い回るような不快感だけは、拭い去ることが出来ずにいる。
陽向が気付いた時には、戦場の外――見慣れぬ部屋へと移されていた。身を委ねるのは、清潔なベッドである。
見渡す限りで白を基調としたその部屋は、雪白のカーテンで幾重にも仕切られ――それは、微かに揺れていた。何処かに、空調でもあるのであろう。
この場所は、所謂医務室である。
以前陽向も説明くらいは耳にしていたが、実際に自身が世話になったのは初めてのことであった。
――陽向が覚醒後すぐに気付いたことは、紛れも無い喪失感であった。
理解した、理解させられた――理解せざるを得なかった。
存在していた物が、無くなるような空洞感。
所有していたものが、己の手より零れ落ちるかの如き虚無感。
それは、紛れも無く――疑いようが無いまでに、現実として陽向へと圧し掛かっていた。
ネロの力は陽向に及ばずとも、その命を賭した一世一代の呪法は確かに実を結んでいたのである。
太陽に恋焦がれた狂信者の祝詞、呪怨に塗れた失楽の喘ぎ。
見て貰えずとも良い、聴いて貰えずとも好い、声を掛けて貰えずとも善い――されど、だからこそ、陽向のことを許せなかったのでは無かろうか。
妄執の汚濁、恋慕の災厄――純然たる悪意。
それでも、陽向は彼の思考など、微塵も理解出来やしない。する気も無く、その思考の一片たりとも判りたくは無かった。
何故ならば、陽向はネロでは無いのだから。
あくまで今回の件に関して陽向は、紛うこと無き被害者であり――謂れの無い妄想の果てに、迷惑を被った側でしかない。
――狂気。
そうして自ら歓喜の下に命を差し出したネロの行為は――ただ、ただ……その一言に集約されていた。
そんな気が滅入るような思考を振り解くように、陽向はさらりと頭を振った。
思考を巡らせる陽向の前に設置させたカーテンは、脇で纏められその用途を満たしていない――つまりは、開かれている。
そして――ベットから身を起こす陽向の前に居たのは、三人の男たちであった。
「身体の方は……もう何ともないのか?」
「あぁ、問題無い」
そう、陽向の身を慮るように問うのは、三者の内の一人。
短く刈られた赤褐色の髪に小麦色の肌。
眼には野性的な雰囲気を携えながらも、その中には確かな穏やかさがが垣間見える。
陽向にも顔馴染であるその男は――紛れも無く、シュウ本人であった。
先に陽向の意識が覚醒した後、医務室の職員に面接を求める者が来ていると聞かされ許可を出したところ――取る物取らずに駆け付けたと言わんばかりの形相で、彼らは部屋へと飛び込んできた。
額の汗を袖口で軽く拭ったシュウは、心底安堵したかのように大きく息を吐いた。
「……ったく、肝を冷やしたぜ」
「心配、してくれたのか?」
「当ったり前だろ! 途中までは、ヒナタ余裕過ぎるだろってカンジだったのによ……最後は、マジで焦ったぜ」
「済まなかった――君たちにも心労を掛けてしまったか」
表情を曇らすシュウへとそう言って、陽向は残る二人へと視線を向けた。
すると、その片割れ――神経質なまでにきちりと七と三に分けられた金髪と丸眼鏡が特徴的な、エルネストが陽向へと口を開く。
「それは、そうだよ。試合が決まったと思った瞬間に、ヒナタ――君も、脱力したように地面へと墜ちて行ったからね」
「おや、それほどまでに唐突であったか……」
「うん、驚くほど何の前触れも無く――いや、前触れはあったのかもしれないね」
「それは、ネロ――私の試合相手であった男の事か?」
「あぁ……ヒナタの一撃喰らって勝負アリだったはずなのに、いきなり笑いながら自分の首を切り落としたのだから……。凄惨過ぎて、忘れようにも忘れられないよ」
「あれは――私も、その……驚いた」
「それで、その直後にヒナタも墜落だろう? 君が魔力のコントロールを失敗したり、スキルの操作をミスしたりするとは到底思えないからね」
「あぁ、不遜な物言いかもしれぬが、あの程度の――それほど消耗もしていない、勝負が着いた戦闘の後でのミスなど、犯すつもりも犯したつもりも無い」
「そうだろうね――でも、たからこそ、あの結果は十分以上に異常な光景に思えたのさ」
「異常……か」
「まぁ、そのようなわけで……正直、僕としても生きた心地がしなかったよ」
呆れたように吐き出したエルネストであったが、陽向の眼には安堵しているように見えた。
そうして、最後の一人――彼が待ってましたとばかりに、ベッドに腰を掛ける陽向の背を大きく叩いた。
その背に伝わる、力強くも暖かな衝撃に――陽向は、思わず苦笑してしまう。
大柄な体躯に、綺麗に剃りあげたスキンヘドと傷だらけの顔。口から除く歯は、まるで肉食獣の牙だ。
筋骨隆々な肉体は、その身に纏った衣服程度に大人しく収まらぬとばかりに、存在感を主張している。
そして全身からは彼の度量の深さが見て取れる、熊のような大男――バレットであった。
「だから、オメェらは心配しすぎなんだよ! 見ろ! オレが言った通り――ヒナタの奴、こうしてピンピンしてるじゃねェか!」
「御蔭様で、既に身体に不調は無いさ」
「そうだろそうだろ!? あの程度でテメェがくたばるたァ、微塵も思わねェからな」
「私も随分と、買い被られてしまっているようだな」
「今更何言ってやがんでェ! ヒナタ、テメェはオレらン中じゃ一番の出世頭だからなァ!」
「そう言ってくれるならば、これから先もますます無様は晒せないな」
「ったりめェだろヒナタ! ま、オレだっていつまでもこんなチンケな階級でウダウダしてるつもりなんか、更々ねェからな! 前にも言ったよな――すぐに追い付いてやるってよォ!」
「あぁ……待っているからな」
「ハッ! それまで精々くたばるんじゃねェぞ! オメェに土を付けるのは、このオレが最初だ!」
ある意味、宣戦布告にも似たその宣言に――陽向は淡く、バレットは豪快に笑い合った。
其処へ茶々を入れるかのようにエルネストがにたりと口を開く。
「そんなこと言って、ヒナタが落ちた瞬間――バレットもかなり焦ってたじゃないか? ん? その辺、どうなんだい?」
「ばっ! ばっかこの野郎! よ、余計なコト言うんじゃねェよ!」
そして慌てふためくバレットを前にして、祭りに便乗せんとばかりに――シュウも悪戯小僧の如き笑みを浮かべて、介入する。
「はははっ! 恥ずかしがらなくたっていいだろ、バレット?」
「は、ははは恥ずかしがってなんかいねェよ!」
「そう照れんなって、友達を心配することくらい当然のことだろ?」
「て、てれ、照れてねェっつってんだろ! ブッ飛ばすぞ、こ、この野郎ッ!」
「はいはい、じゃそう言うことにしておくか」
バレットが動揺し、シュウがからかい、エルネストが茶々を入れ――陽向が、それを眺めていた。
それは有るまじき、掛け替えのない瞬間。
己が命を賭して、勝利と言う名の果実を貪り合う闘士にとって――これほどまでに、穏やかな時間が存在するものであろうか。
肉体が酷使され、神経が摩耗し、精神が悲鳴を上げるこの界隈。
それでも、此処には確かにそんな光景が広がっていた。
力の喪失は如何ともし難い事実であるが、それでも陽向は前に進む脚を止めるつもりなどは毛頭無い。
仲間――そのように呼べる者たちが陽向には居るということを、改めて実感できたのであるから。
それでも、苛烈なる運命は――陽向と言う名の駒を手放してくれはしないようで……。
――そう。
それが、揺蕩う平穏を引き裂きに来るまでの、束の間であった。
「ま、何にせよ――ヒナタの無事が確認できてよかったわ」
「……だね。君の事だから、明日にも直ぐに鍛錬を始めるんだろうけど、念の為今日くらいは大人しくしておきなよ?」
「んなモン、喰って寝りゃ一発よ! もうこんなザマ晒すんじゃねェぞ!」
暖かな励ましを口々に掛けられ、それに陽向も返したとき、
「あぁ、承知した。私も、もう無様は――」
「無様だな――ヒナタぁ」
その声はまるで、陽光のように――陽向へと振り、落ちたのだった。
*
☞ ガ、ガガガガガガガ外害該慨ガイガガガガがが――
danger! danger! danger! danger! danger!
対抗――無し。
対処法――無し。
防御法――無し。
対策――該当するものがありません。
無為無為無為無為無為無為無為無為無為無為!
――衝撃と熱波と無慈悲と激情に備えて下さい。
┏〖 ひなた の すてぇたす 〗━
【力】3
【技】3
【耐】3
【体】3
【魔】3
【精】3
【知】3
【速】3
【運】3
┗
┏〖 ひなた の あびりてぃ 〗━
【三蔵】
環境適応性、知識・技術の吸収率、自己の成長性、
スキル・アビリティの発現率が極めて高い。
【四諦】
捻じ曲げ有られた運命は、好機と災禍を引き寄せる。
┗
┏〖 ひなた の すきる 〗━
なし
┗
☞ 覚悟は、宜しいですか?




