第十五話 残滓に溺れる
――何度も。
何度も、何度も、何度も。
何度も何度も何度も何度も――繰り返す。
己の内で、精神の胡地で、思考の災禍の傍らで――其れは、龍燈の如く揺らめいている。
脳髄を調律するような感覚、神経を奏でるような瓊音を乗せて。
はてさて、是は正しく玉虫色に淀みきった哀音か。
それとも、其れは如何にも漆桶に澄み渡る暁鐘か。
陽向の真髄を――己が深淵を彷徨い谺する清暉は、掴み取った瞬間に冥漠へと溶け逝くのだ。
さぁて、今宵は朧月――いつもは天真爛漫な玉兎すらも、恥ずかしげにその可憐な貌を隠している。
月天の守護は既に無く、飛輪の庇護も――この夜霧の中では、得られない。
――陽向は、思案する。
今まで当然のように、試合の際に陽向へと多大な貢献をしてくれていたアビリティが――動かない。
気分は紐無しバンジー、パラシュート抜きスカイダイビング、ボンベ不要のスキューバー。頼りが無いどころか、其れは死への行進と何ら変わり無い。
されど陽向にとって行うべきことは、ただ一つ――死合に勝利し、自分と言う名の駒を先へと進める。
只――ただ、それだけである。
掛け金は己が命、額は有り金全て――紛うこと無き一点賭け。敗北の後には、何も残らない。
それでも陽向は、歩みを止めるわけにはいかない――藍白の意識が、鉛白に染められ逝く前に。
不安はある、不満もある、不条理さえも骨身に沁みる。
嫌な予感は霜天の下に晒された素肌の如く、拭い去っても余寒染みた不快感は――陽向の意識の底へと、こびり付いて離れない。
拭っても、拭っても――拭い去ることなどは、出来なかった。
陽向は、歩き出す――己が求る、赫灼へと駆け上がる。
陽向は、墜ちて逝く――自身が気付かぬ、幽暗へと溺れて逝く。
試合前に生じる僅かな緊張と、何処か流れ作業にも似た妙な倦怠感を抱きながら、陽向は目前に開かれた蒼き門を潜り抜ける。
『ヒョー! 観客お前ら盛り上がってるかー! あぁ、いい――返事はイイ! いらない、結構、不必要ッ! 何故ならナゼなら……この期に及んで楽しめないヤツなんて、此処には相応しくないからな! わーってる! わぁってるってばお客サン! 観戦してるお前ら皆が、燃え上がるような熱気に感染してるってコトはよォオオオオ! オレも同じさワクワクだぜ! それじゃ――』
実況の声は、遥か彼方――あれだけの爆音にも拘らず、陽向の意識の在りかとは明確に遠方へと引き離されていた。
つまり、陽向の目に映るモノは――目の前の障害、ただ一つ。
故に、陽向の意識し得る存在は――目の前の男、ただ一人。
鮮やかな浅緑の髪を腰まで伸ばし、その腰元に存在している毛先付近を括っている。
鼻筋の通った顔は、高尚な芸術性を匂わせる彫像のようである。
その手の服飾に明るくない陽向ですら、男の身に纏う司祭の如き滑らかなローブは人目に上等なものであると理解できるほどであり――遠目であるものの、その実、毛羽立ちの一つも無いかのようであった。
宛ら、手に持つ杖は錫杖のよう。
肌艶良し、衣服も上等、佇まいも一人前。
――それでも、この男と相対した瞬間に陽向の髄を流れ出る不快感は、いずれより漏れ出ているのであろうか。
男の名を知ったのは、あの後の事であったことは記憶に新しい。そして、次なる試合相手だと言うことも。
まるで狂信者にも似た、渦のような執着を瞳へと秘めた男――ネロは、同時に穏やかな笑みを浮かべたまま、陽向へと緩やかに口を開いた。
「やぁ、……ヒナタ」
「…………」
「無視することは、無いじゃないか? 単なる挨拶だろ――返事くらいしろよ」
「……御機嫌よう、ネロ殿。本日は大変御日柄も良く、霞の掛かった月の様は――彼の地で微笑む女神の心遣いを感じられるな。今宵、このような環境で舞うことが出来ることには、非常に心躍る――そのダンスパートナーが、貴殿でなければ最高であったのにな」
「はい、御機嫌ようヒナタ殿。なぁんだ――やればできるじゃないか」
心底満足そうに頷くネロは、その表面に貼り付けた薄い笑みに濃厚な粘性を帯びさせ――陽向へとより濃い嫌悪感を植え付けていた。
その意趣返しというわけでは無いが――陽向は、依然として芒乎の如き不気味さを纏うネロへと、吐き出した。
「ふむ……今夜は、随分と落ち着いているのだな」
「ははっ、何言ってるの? 僕は、何時だって冷静沈着さ――分別のある大人だからね」
「分別のある大人とやらは、自身に湧き出た激情に容易く身を委ねることなどせぬと思うがな――冷静で数日前の事を、もう忘却したのか? だとしたら、随分と都合の良い脳みそを携えていることだな」
「うん? ……あぁ! その節は、どうも――僕も少しばかり感情が昂ってしまっただけだよ。誰だって、自分の大切なものが懸かっていれば……必死にもなるだろ?」
「あの醜態を少しばかりという言葉で片付ける、その面の皮の厚さには驚愕すら覚えるな」
「まぁまぁ……今日は此処に、わざわざ舌戦に来たわけじゃないだろ?」
「そうだな――承知した。逸早く、この茶番を終わらせるとしよう」
「あぁ……そうだね。終わらせよう、終わらせよう……終わる。くくっ……終わる……。くっくっくっ……そうだ、終わるんだよ……」
繰り返すように、言い聞かせるように――陽向の視線の先では、ネロが頻りにその言葉を反芻していた。
それはまるで、呪詛のように。
あれは恰も、祝福のように。
ネロが繰り返す言の葉は、陽向へと向けられたものか――それとも、彼自身へと馴染ませるように塗り込んでいるのか。
澗の彼方に位置する異端のように、陽向には凡そ理解できるものではなかった。
そして、此方は陽向にとってもお馴染みの――実況司会者の嬌声が、耳小骨へと届き来る。
『――ってなワケで! ボルテージ最高! テンション極限! エネルギー全快ッ! いいか野郎共!? 此処は何処だ!? そうッ――修羅舞う祭典、赦されざる煉獄の三丁目よォオオオオオオ! 命を削り合う生命の本質ッ! 生命を奪い合う背徳の禁忌ッ! その堪らないまでの生き様を観たいか!? 見たいか!? 視たいか!? ンンゥウウウウウウウ! オレは見たいィイイイイ! そうだッ! もう限界だッ! 殺し逢えェェエエエエエエ!』
――途端。
ふわり、と――陽向の視界に映るネロが、空中へと浮かび上がる。
そして上空――不可視の防壁が張り巡らされているであろう、月が微かに漂う様が見て取れる闘技場の上空ギリギリへと、ネロは飛び上がっていた。
陽向の遥か頭上より、ネロの声が掛かる。
「はっ、ははっ、はははははっ! どうだい? 驚いた? 吃驚した? まさかこの程度でビビって動けない……ワケないよね?」
嘲るネロを見上げて、陽向は静かに口遊む――それは零れる枯淡の如く、熱気交る空気へと滑らかに溶けて往く。
陽向は即座に、己のスキルを起動させたのであった。
「それ故に、私は謳う。それ故に、私は凪ぐ。それ故に、私は仰ぐ。微塵の残滓、穣の欠片。それ故に、私はその実を抉り取る。単に其れは、獄を舐った神託であろう――【天璽瑞宝・天津纏真】」
漲る活力、苛む激情。
無事スキルの発動を実感できた陽向は、その身で、その脚で――天を駆け上がる。
韋駄天の如き俊足で、傲慢に構えるネロへと迫るのだ。
その光景を網膜へと焼き付けられたネロは、引き裂けんばかりに初魄のように口を歪ませていた。
「良いね! 良いよ! やっぱスゴイわ、お前! それでこそ――甲斐があるってものさ!」
瞬間――風塵が、舞う。
一筋、二筋――何処からともなく、粘着く微風が身を弄る。
そのようにネロの周囲に展開される渦は、小型の竜巻であろうか。
「まさか、空まで追って来るとは思わなかったけど――コイツは中々、キくんじゃないかァ!?」
縦横無尽、猟犬の如く――切り刻む風力は、執拗なまでに陽向へと牙を剥く。
が、その程度――障害に非ず、配慮に及ばず。
陽向は身を捩り、空を蹴り、手にしたメイスで次々に撃ち滅ぼして逝く。
一歩、また一歩――陽向はネロへと、徐々へと接近する。
そうして陽向は、ネロへと問い掛けた。
「先の威勢は、もう品切れか。まさか、種が是だけと言うまいな?」
「まだまだァ! ちょんギレろォ!」
弾幕をばら撒きながら、陽向が射程に入るのを待っていたのか――舌なめずりをしたネロは、接近を許した空に立つ陽向の両隣へと巨大な刃を生み出していた。
そして其れは、双子のギロチンさもあらん――陽向へと、断罪の刃が迫り来る。
仄かに光る薄緑のそれは、容易く人の首を刎ね飛ばすことであろう。
されど――、
「ほんの、ほんの一時で構わない。私の為に、押し留めろ――【愛河】」
魔力を練り上げた陽向の両際に、白銀の防壁が出現する。
時は、一瞬――陽向にとって、その程度で十分だ。
そうして陽向は依然として不快な笑みを浮かべ続けるネロへと……投げつけた。
「――覚悟は良いか?」
「ヒッ、ヒヒヒッ! フヒッ! フフヒヒヒヒィ! 来いよヒナタァァアアアアア!」
陽向は手に持つ、小さな鉄塊の如きメイスを思い切り、想い斬り――振り下ろす。
べぐじゃぁあ、と――神経を苛む音がした。
「ギィイイヒィイイイイイイィガァアアアア!」
落ちて行く。
墜ちて往く。
そして、堕ちて逝く。
翼を捥がれた天使のように。
信仰を剥奪された、信奉者の如く。
形容し難い耳障りな悲鳴と共に、討ち潰された肩口を抱えて――陽向の下へと、ネロは墜ちて逝った。
これで終わり、是にて幕引き――観客も、実況も、陽向さえも、舞台の終劇を確信していた……はずなのに。
間際――ネロは陽向に、残していった。
最悪の呪詛を――彼の命と引き換えに。
地べたに衝突をする直前に、紅く染まったネロの口から吐き出された。
「ゲヒャッ! ゴ、ゴレ、これデぇ……オマエは終わリだ……ァ! グッ……ッアァ゛あ゛ア゛ァァアアアひゃはヒャヒャ――がっ!」
それは紛うこと無き、切断であった。
新たにネロが生み出したギロチンは、自身の首を刎ね飛ばし――それだけに止まらなかった。
その切断面より噴射する紅に交り、涅の靄が空に立つ陽向へと殺到した。
泣き別れした、首と肉体が地べたに打たれる音がする。
「くっ――これはッ!?」
躱し、薙ぎ払い――それでも尚、纏わり付くのだ。
それはどうしようもなく粘質で、其処までも悪意に満ちているように陽向には感じられた。
そして、纏わり付くそれは――陽向へと、溶け込んでしまった。
それは紛れも無く、ネロによる――陽向の為の、陽向だけの為に紡がれた呪詛の容。
不意打ちでもなく、奥の手ではなく、裏技でもない。
純然たる、純粋たる、透き通るまでに偏執的な――一人の命を賭した、陽向への呪いでしかない。
其れ故か――アビリティもスキルも、何も誰も陽向を守ってはくれなかった。
――溶け逝く悪意は、墜落へと誘う。
「な、んだ……ちか、ら……が……」
人に非ざるが如き空の闊歩は否定され、全身を抗い難い虚脱感に満たされてゆく陽向は――先のネロ同様に、地表へと墜落をして逝った。
……いつまでも、いつまでも。
悍ましく笑う男の声が、陽向の耳から離れてはくれない。
視界を覆う黒闇が陽向へと迫り――最後に、切り落とされた首と視線が絡みついてしまった。
*
☞ caution! caution! caution! caution!
防護――失敗。
拒絶――無効。
対抗――不能。
レジストできませんでした。
外的要因により、ステータスが変化します。
┏〖 ひなた の すてぇたす 〗━
【力】45 → 3
【技】50 → 3
【耐】5 → 3
【体】40 → 3
【魔】75 → 3
【精】100 → 3
【知】70 → 3
【速】60 → 3
【運】1 → 3
┗
☞ ステータスの変化及び外的要因により、
アビリティが消失しました。
┏〖 ひなた の あびりてぃ 〗━
【三蔵】
環境適応性、知識・技術の吸収率、自己の成長性、
スキル・アビリティの発現率が極めて高い。
【阿魔羅識】→【✖LOST!】
【阿羅漢】→【✖LOST!】
【陽慾恋利・日凛御殿】→【✖LOST!】
【四諦】
捻じ曲げ有られた運命は、好機と災禍を引き寄せる。
【飛輪の偏愛】→【✖LOST!】
【成劫】→【✖LOST!】
【韋駄天】→【✖LOST!】
【阿閦】→【✖LOST!】
┗
☞ アビリティの消失及び外的要因により、
スキルが消滅します。
┏〖 ひなた の すきる 〗━
【愛河】→【✖LOST!】
【天照武速・天津陽弧涅命】→【✖LOST!】
【天璽瑞宝・天津纏真】→【✖LOST!】
┗
☞ リザルトを終了します。




