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霧伏は悪魔、天使それから狭間一族の目をかいくぐり、入沢と事前に決めていた数か所の隠れ場所の一つにたどり着いた。服はボロボロであり、こびり付いた血は乾いていた。ここまで来るのにも、何体かの悪魔と天使を切り伏せていた。

扉を開けた霧伏は、中で入沢ときょうだいを見た。


「無事だったようね、霧伏」


あさぎや優輝の目からすれば、無事、と表現するにはいささかその恰好はボロボロであり、血だらけであった。とはいえ、霧伏はけろりとした様子でうなずき、ドン、とあさぎと優輝の腰かける椅子の反対側の机に腰を下ろした。そして、隣の入沢を見る。


「どこまで話した?」


「まだ、肝心の話には入っていないわ。悪魔とか、天使とか、あとは魔術とか、そっちのことをまずは話していたの」


そうじゃないと、これから話すことは理解できないもの、と入沢は言った。確かにそうだろうな、と霧伏は同意を示した。いきなり本題に入ったところで、理解できるはずもない。それに、どうせ説明するなら、霧伏にさせた方がいいだろう、と入沢が判断したことは想像に難くない。


「ねえ、ここは安全なの?私たちの両親やほかの街の人たちはどうなったの?」


それまでは黙って話を聞いていたあさぎだが、霧伏を見てそう言った。幾分落ち着きを取り戻しているようで、自分たち以外のことにも気が回る程度にはなっているようだった。

霧伏はじっと二人のきょうだいを見ると、静かに首を振った。


「おそらく、この街の多くの人間が悪魔にすり替わっているか、その餌や犠牲となっているだろう。それは、君らの両親も例外ではない。むしろ、彼らはすでに死んでいる」


酷なことを言っているのはわかっている。それでも、下手に隠すことは還って悪いことを招く。悪魔たちや陰陽師が彼女たちの両親を使う可能性は高いからだ。

その言葉に、あさぎと優輝はああ、と嘆き、互いの身体を抱きしめ合った。

一夜にして、幼なじみは悪魔に代わり、家を追われ、街さえこのような状況になっている。これがいっそ、悪い夢であってほしい、とあさぎは思った。けれど、これが夢でないことはよくわかっていた。


「早急に、君たちをこの街から出してやりたいところだが、そうもいかないようだな」


霧伏がそう言うと、入沢は少しだけ眉を動かし、どういうこと、と尋ねる。


「サタンか、神かは知らないが、広域の結界が張られている。いわば、この街は今、世界から隔離された状態にある」


エリサエルとの戦闘を終えた霧伏は試に街の外に出られるかどうかを試したが、不可能であった。

陰陽師にはこれほどの術は行使できない。となると、神に仕える大天使か神自身、もしくはサタンなどの力ある悪魔たちの仕業であろう。

何としても『運命の子ども』を逃がしたくはない、と言うことなのだろう。


「まったく、それじゃあ何、親玉倒さないと出ていけないわけ?」


「そういうことだ。それか、運命の子どもを敵に渡すか」


却下、と入沢が首を振ると、同感だ、と霧伏も返す。


「・・・・・・・・・・話が分からないわ。その『運命の子ども』が優輝なのはわかるけれど、どうしてこの子を天使や悪魔が狙っているの?優輝は、普通の男の子なのに」


あさぎがそう言い、震える勇気を見る。今も、こうして怯えている優輝に、特別な何かがあるとは思えない。悪魔や天使がそこまで血眼になって負うほどのものが。

霧伏は静かに優輝を見る。そして、机から降りると、静かに近づき、その額に手を差し伸べた。優輝はビクリ、と少し警戒するが、思ったよりも優しい手の暖かさに、すぐに警戒を解いた。無意識に、霧伏が自分に危害を加えるものではないことを知ったのかもしれない。

ふむ、と霧伏は言い、目を細めた。


「なるほどな。微弱であるが、確かに波動を感じる・・・・・・・・・・」


霧伏はそう言い、さて、と言う。


「事情を説明していこう。これは、神と悪魔のゲームだ。そう、遥か太古から繰り返されてきたゲームなのさ」


「ゲーム?」


あさぎが問うと、霧伏は頷く。


「ナザレのイエスは知っているな?」


「勿論、イエス・キリストよね」


その名前程度ならば、優輝も知っている。優輝が頷くと、霧伏はまた口を開いた。


「過去にも、現在の状況に似た争いが起こった。イエスの誕生に合わせ、悪魔はイエスを殺すため、ユダヤのヘロデ王に吹き込み、赤子の虐殺をおこなった。しかし、これは天使勢力の介入で失敗した。イエスの存在は、その後の世界の行く末を決める重大な要素の一つであり、両勢力が互いに争った。歴史や聖書では語られない、多くの戦いが繰り広げられた。

しかし、結果は天使勢力の勝利に終わった。しかし、この戦いは飽くまで前哨戦に過ぎなかった。

本当の戦いはそれからであった。有史以前より、いずれ訪れるアルマゲドン、最後の審判を両陣営は知っていた。アカーシャの書という本により、その存在を知っていた両陣営は、互いに最後に生き残ろう野は自分たちの精力と信じてやまなかった。彼らはそのために、アルマゲドンを乗り越え、その後の世界を支配するための『運命の子ども』を探し出した。アルマゲドンが迫った時、その子どもが生まれる、という予言を信じて」


「その予言、というものは本物なの?」


あさぎの問いに、霧伏はさぁ、と首を振る。


「俺自身、アカーシャの書を見たことがないからわからない。見たことがあるのは、サタンや神、それに一部の者たちだ。だが、アカーシャの書の紡ぎだす預言は、その都度的中してきた。そのため、それを信じる者は必然的に多かった。けれども、イエスの死後、2000年近く経っても、運命の子どもの誕生は確認されていなかった。その間に、預言を信じる者も少なくなり、天使と悪魔の争いも、最近では沈静化しているように思われていた」


しかし、と霧伏は一泊間を置き、話を続ける。


「つい数年前、預言がなされた。運命の子の誕生が。それを受け、両陣営と、それ以外の勢力も活動を始めた」


彼らは多くの地を探し回った。他陣営よりも早く、『運命の子ども』を見つけ、アルマゲドンを生き延びるために。


「でも、それが優輝だっていうの?そんなの、おかしいわッ」


「しかし、この状況が彼が運命の子どもであることを示している。現に、俺も彼の中に尋常ではない何かを感じる。今はまだ、目覚めていないだけだ。だが、その潜在的な力は悪魔や天使のソレとは違う」


その霧伏の言葉に驚いたのは、入沢であった。霧伏が冗談でこんなことを言う男だとは入沢は思っていない。おそらく、それが事実なのだ、とわかってしまった。


「君の弟の優輝の誕生日は、6月6日だね」


「・・・・・・・・・・それがどうかしたの?悪魔の子だって言いたいの?」


「いいや、だが、その日に優輝が生を受けた、と言うのはこの件とまるっきり無関係でもない、と言うことだよ」


ついでに生まれた時間も6時ちょうど、と言うことはきょうだいは知りえないことであった。

666の獣。聖書にも出てくる獣の数字。それが意味するものは、大きい。

悪魔の因子を備えている、と言っても過言ではない。彼はそうなるべくして生まれて来た存在なのだ。


「仮に悪魔が優輝を手に入れれば、正に彼は悪魔の子、いや、悪魔の王になるだろうな。天使が手に入れても、同じようなことになるだけ。どちらにせよ、両陣営にわたってしまったら、それはこの世界のバランスを崩すことになりかねない。人間の世は終わり、世界は混沌に戻る」


天使による独善的な世界、悪魔による闇の世界。そのどちらにも、人間の自由はない。人を家畜にするだけの世界が生まれる。それは霧伏の望む世界ではない。


「・・・・・・・・・・・・何となく、話は分かった。けれど、今の話も、あなたたちのこともまだ信じ切れない。あなたたちは何者なの、人間?それとも悪魔、天使?」


弟のことを聞き、より自分が守らないと、と言う意識が強まった様子である。あさぎのその思いの強さに、霧伏は感心した。人間とは愚かで醜いが、このような一面があるからこそ、美しい。それが、霧伏が人間に心底入れ込む最大の理由であった。


「いいだろう。こちらとて、そう簡単に信じてもらえるとも思っていないしな」


霧伏はそう言い、少女と少年を見た。


「俺の本当な名前はサマエルだ」


「サマエル・・・・・・・・・・・、確かそれって」


あさぎはそこまで天使とかに詳しいわけではないが、なんとなくその名前には聞き覚えがある。

確か、と記憶のどこ下にある知識を思い出すようにひねり、そして思い出す。


「確か、サタンと同一視されることもある天使の名前よね」


「ふん、人間の遺した記述から推察すれば、そうとられても仕方あるまいな」


自嘲気味に笑い、霧伏は言った。


「かつてはプロメテウス、ともよばれていた。人に知恵をもたらし、そのことで神や他の天使から疎まれたのさ」


アダムとイヴを楽園から追い出させるきっかけとなった蛇。知識の身を食べさせ、人間に生と苦しみを与えることとなったもの。

それこそが、霧伏の正体である。

サマエルは人の存在に入れ込んでおり、ヒトは天使や神の人形ではなく、生命として意志を持つべきである、と考えた。神や天使の独善的な考えを、サマエルはよしとはしなかった。天使たちの独善的な考えが、時として堕天使、悪魔を生み出していたこともあり、彼は神に懐疑的であった。

そんな彼は、神に背き、ヒトに知恵を与えた。

その結果、彼は天使としての力を失い、彼が入れ込んだヒトと同様の肉体を与えられた。

決して老化し死ぬことのない、永遠の地獄と奉仕を義務付けられて。

しかし、彼が神のために動くこともあれば、そうでないこともあった。結局のところ、彼は人間という種の保存のために動くのであって、神の手駒であるつもりはなかったのだ。


「すごいね。まるで本当の天使みたいだ」


優輝が言うと、霧伏は実際の天使に俺みたいなやつはいない、と苦笑いした。


「おかげで、こんな貧乏くじを引いているがね・・・・・・・・・・・」


「後悔はないの?だって、わざわざ神を敵に回してまで。あなたの地獄は、終わらないのに・・・・・・・・」


「それも、覚悟の上だ」


霧伏はそう言い切った。そこに、一切の後悔はなかった。


「私は元は人間よ」


次は私の番、と入沢が口を開いた。


「私も元は穴たちと同じ、普通の人間でね。でも、ある事件で悪魔とかかわって、その末に死んだのよ。それで、何の因果か、新しい生を与えられて、こいつとコンビを組まされた、ってわけ」


そう言った入沢は「まったくヤになるわ」と肩を竦めた。


「それでも、私ももう二度と、理不尽に死んでいく人の顔は見たくはないから」


そう言った彼女の顔には、一瞬ではあったが、哀しみが宿っていた。言葉にはしなかった、何かが彼女にもあったのだろう、それだけはあさぎたちもわかった。

あさぎたちは嘘を見抜く力はない。だから、彼らの言っていることが嘘かもしれない。見抜く力はない。

天使や悪魔のことも、もしかしたら嘘かもしれない。それでも、彼らを信じて見てもいいかもしれない、と二人は思い始めていた。

少なくとも、彼らは悪魔から自分たちを救ってくれた。襲い掛かる天使や陰陽師から守ってくれた。今は、それだけで十分であった。


「・・・・・・・・・わかった、あなたたちを信じる」


「ぼ、僕も」


二人がそう言うと、入沢はただ笑った。霧伏は静かに目を閉じただけであった。


「けど、約束して。絶対に、優輝を守るって。私のことはどうでもいいから、この子だけは助けて」


「お姉ちゃん!」


優輝の抗議の声を無視し、あさぎは二人を見る。


「命を賭してでも、この子だけは・・・・・・・・・・」


「誓おう。必ず守ると。優輝も、君もな」


「ちょっと、霧伏!」


霧伏の言葉に、入沢が抗議の声を上げた。霧伏はちらと、隣の入沢を見る。


「信頼には信頼で答えるべきであろう」


「だからって、それは・・・・・・・・・・・・」


霧伏のやろうとしていることを察知した入沢は抗議の視線を向けるが、諦めたように目を逸らし、わかったわよ、と不貞腐れた。

それをどういうこと、とあさぎが視線で問うと、入沢が口を開く。


「この馬鹿は今、ゲッシュというものを結ぼうとしているのよ」


「ゲッシュ?」


聞いたことのない言葉に、あさぎと優輝は首をかしげた。入沢はわかりやすいように、二人に言う。


「つまり、誓約よ。約束を守れない場合、誓約者は誓約者にとって最もきつい罰を受けるのよ」


ケルトにおける、いわゆる魔術的な誓約である。誓約により、力を得ることもあるが、それと引き換えに、誓約を守れなかった場合、誓約者には大きな禍が降りかかる、という恐るべきものである。

霧伏と言えども、誓約を守れなかった場合、死ぬこととてありうるのだ。そんなものを結ぶほど、彼の決意は固かった。

それを聞き、あさぎは「そんなつもりで言ったんじゃあ」と言うが、霧伏は構わない、と手を振る。


「どの道、それだけの覚悟が必要なのだ。生半可な気持ちで、俺はここにいるわけではない」


そう言うと、霧伏は腰の刀を抜き、跪く。まるで、騎士が主君に剣を奉げるように。まるで映画で見る騎士の誓約のように様になった霧伏の動きに、きょうだいはただただ、見入ってしまった。


「我が名はサマエル、我が剣と命を久留宮あさぎ、久留宮優輝に捧げる」


その時、あさぎと優輝は、胸の中に何かを感じた。


「パスが通ったようね」


そう言った彼女は、霧伏を見る。


「これで、逃げられなくなったわね、霧伏。完全に」


「ふん」


霧伏はそっけなく言い、入沢を見る。


「もし、俺がゲッシュで死んだとしても、お前は生き延びるだろう。もしものときは、頼むぞ」


「了解」


入沢はそう言い、肩を竦めた。さすがに、彼女までゲッシュを結ぶことはないようだ。

緊張の糸が切れたあさぎと優輝は、眠気を感じ始めてきた。今の出来事で、どこか安心を感じたために、眠気が急激に来たのだ。

霧伏はどうやらそのことを察知した様子で、「しばらく眠るといい」と言った。


「上で少し休みなさい」


事前に結界を張っているため、あさぎたちが寝るだけの時間は持つ計算だ。明日以降、寝れるかもわからないため、眠れるうちに寝たほうがいい、と霧伏が言う。

入沢もそうしたほうがいい、と進めるのであさぎと優輝はその言葉に従うことにした。




「ホント、無茶するわね」


二人が寝たことを確認して戻ってきた入沢がそう言うと、霧伏は静かに目線を彼女に向け、また目を閉じた。


「ま、そんなアンタだから、私は・・・・・・・・・」


そう言い、霧伏の背中から腕を回し、抱きしめた入沢は彼の顔を自分の方に向けて静かに口づけをした。

霧伏は、何も答えなかったが、静かに彼女に応えた。



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