夫は兄を愛していると思っていました
私は知っている。この結婚で私が愛されることはないということを。
愛する彼には、愛する人がいる。それも許されぬ愛だ。
だからこそ、私がそばにいてあげようと思っている。
私が、彼の愛を叶えてあげたいと思っている。
私は、愛する人たちが幸せならば、それでいいから。
私はシンシア。ヘイウッド伯爵家の長女だ。
このたび、私に縁談が申し込まれた。
相手は、兄ヴィンスの友人である、オスカー・スプリング伯爵令息だ。
本当に二人は仲が良くて、オスカーは毎日のように我が家を訪ねてきた。
妹の私が言うのもなんだが、兄は端麗な顔立ちをしている。
恋人の一人や二人はいるかと思いきや、女性と一緒にいるところを見たことがない。
いつもオスカーと一緒にいる。
そのオスカーも有名な美丈夫で、二人が並ぶと圧巻なのだ。
そんな私も、オスカーに惹かれている一人だ。
美しい顔立ちはもちろんだが、時折見せてくれる優しさにときめいてしまう。
兄と共に迷子の子をなだめる姿を見たり、夜会で人に酔ってしまい倒れそうになった時に支えてくれたことがある。
(こんな人が夫だったらいいのに……)
二十歳を迎えるというのに、恋人もいなければ婚約者もいない。
しかし、私に縁談の話が上がることはなかった。
三歳上の兄も独身なのに、先に婚約者が決まるのもなんだか気が引ける。
そう思うと、兄にお相手が現れるまでは、私にお話が来なくても納得だし、それでかまわないとも思っていた。
そんなある日、私は真実を耳にしてしまった。
この日もオスカーが兄を訪ねてきていた。
(オスカー様に、挨拶しようかな……)
そっと扉に近づいた、その時。
「ずっと、一緒にいたい」
兄の切なげな声がした。
「ああ、俺もだ」
オスカーの声もする。
(……え?)
扉をノックしようと挙げた手が止まる。
「お前も……同じ気持ちだったのか……」
兄の驚きの混じる声がした。
「このままだと、縁談がまとまってしまうんだ。俺は……嫌だ」
兄の切実な声だった。
「ああ、そうだな……」
オスカーも苦しげだった。オスカーの声は小さくて、もう聞き取れなかった。
私は、一歩、また一歩と後ずさる。
そして、向きを変えると部屋へとまっすぐ戻った。
「え?どういうこと?」
聞いた会話を整理する。
縁談が来ていて、まとまってしまうのが嫌だと兄は言っていた。
最近、兄の元に釣書が集まっているとは聞いている。
適齢期であることも、その要因だろう。父は積極的に動いていた。
そして、ずっと一緒にいたいという兄の言葉に俺もだと応えていたオスカー。
(も、もしかして……)
(そういう関係だったのーー!?)
いつも一緒にいるし、いつも会っているし、仲が良いなとは思っていたけど。
(そうか……二人は、愛し合っていたんだ)
二人とも、適齢期でもあるのに、伯爵家の嫡男なのに、恋人も婚約者もいない。
(そうか、ただならぬ愛だったのか……)
二人が結ばれることはない。一緒にいたい。それすらも叶えられないのだろうか。
私は、オスカー様のことが好きだが、兄のことも大好きだ。
大好きな二人の想いは、叶えてあげたい。
どうにかできないのだろうか。でも、この時の私には何も思いつかなかった。
数日後、父に呼び出された。
「シンシア、君に良い縁談が申し込まれたよ。私としても彼ならば君を託せると思っているが、どうかな?」
そう言って手渡された姿絵には、オスカー・スプリングの顔が描かれていた。
「お、オスカー様……ですか?」
そして、なぜかこの場に居合わせている兄の顔を窺う。兄はにっこりと微笑んでいた。
(なぜ?兄が愛する人を横取りしているのに……)
私が困惑していると、兄が近づいてきた。
「どうした?シンシア。オスカーはお勧めだぞ?全く知らない人じゃない。何度も会っているお前ならわかるだろう?あいつが良いやつだってことは」
それは、知っている。だって、私も好きだから。
でも、兄はそれでいいのだろうか。
私が返事を言いあぐねていると、父がさらに勧めてきた。
「スプリング伯爵令息でないならば、ほかのものにするが?今回が良いきっかけだからな。ほかにも縁談は用意できるぞ?スプリング伯爵令息は、ヴィンスからの推薦だ。ヴィンスの友人だし、何かあったらヴィンスに相談もできるだろう?君にとっても心強いと思うがね」
だからこそ良い縁談だと父は上機嫌だった。
(何かあったらお兄様に相談……。そうだわ、何もなくても私という接点があるんだわ)
私がオスカーと結婚することは、兄のためにもなる。そう確信した私は、この縁談を受けることにした。
結婚式も無事終わり、私はスプリング伯爵家の一員となった。
スプリング伯爵家の面々に温かく迎え入れられ、待遇の良さには驚いた。
オスカーの人柄を考えれば、その点を問題視する必要がないことはわかっていた。
だが、実際に受け入れてもらうまでは緊張していたんだと、改めて思った。
寝室のベッドに腰掛けていると、オスカーも隣にやってきた。
「何かあったら、遠慮なく言ってくれ。君はもうシンシア・スプリングなのだから」
すると、私の額に口づけが落とされた。
(ぴゃっ!)
なぜ?いや、妻だからか……。
結婚式でも形だけだろうがきちんと誓いも立て、誓いの口づけもした。
額に口づけされることくらいなんてことないはず。
それでも、愛されているのではと錯覚してしまいそうになるほどに、オスカーの表情は今までに見たことがないくらいに柔らかかった。
自然と倒されると、この夜は新妻らしく夫に愛された。
あれから一週間が経つが、ずっと待遇が良い。
使用人たちは丁寧に仕えてくれるし、ご両親も実の娘であるかのように接してくれる。
夫となったオスカーも初日と変わらず、ずっと優しい。
眉間のしわと言葉が少ないことは気になるが、それは彼の通常運転であることを私は知っている。
でも、態度がちゃんと優しい。エスコートしてくれるし、食事の時間は合わせてくれる。
寝室も一緒だし、毎朝目覚めると横にいる。
ただ、一つだけ。毎日兄との交流がある。
最初の三日間こそ兄を見ることがなかったが、以降は毎日スプリング邸に現れるようになった。
「やぁ、シンシア。元気にしてるかい?」
「お兄様。元気ですわ。会わなかったのは三日間だけですから……」
「三日というのは長いだろう?今までは毎日会えていたのだから」
「そう、ですけど……」
(そうか、お兄様は三日もオスカー様と会えていないんだわ)
「寂しい想いをさせてごめんなさい……」
「いや、私は君が幸せならそれでいいんだ。どうだい?ここでの暮らしは」
「大変良くしてくださってます。ありがたいです」
「そうだろう。オスカーの妻になったんだ。君が幸せになってなかったら私は許さないよ」
(!?)
その言葉は、私の心に呪いのように渦巻いた。
(そうだった。兄から奪ってしまったんだった)
「あ、お兄様。せっかくお越しになったのですから、オスカー様とお話になったらいかがですか?」
「ああ、そうだな。あいつからも話を聞かないと」
こうして、兄をオスカーの元に送り出した。
――幸せになってなかったら許さない。
オスカーの横にいる幸せを私が奪っている。だからこそ、オスカーの横で不幸でいることは許されないんだ。兄はきっと一緒にいるだけで幸せだったのだろうから。
気が沈む。
でもそんな姿は見せられない。笑顔でオスカーの横にいなければ。
それから毎日、兄が訪ねてくるようになった。
「やあ、シンシア。今日も我が妹は美しいな」
「お兄様、ごきげんよう。オスカー様でしたら、書斎にいらっしゃると思いますわ」
「ん?ああ、そうか、では行ってみるとしよう」
兄は私の頭をなでると、部屋を去って行った。
毎日、ここに足を運ぶ。私が結婚する前は、オスカーがヘイウッド邸に来ることが多かったのに。
(お兄様は、オスカー様が訪れにならないのを不安に思っているのかもしれないわ)
明日からは、オスカーに行ってもらうように促すことにした。
翌日、朝食を摂っているときに提案する。
「オスカー様。今日はヘイウッド邸に行かれてみてはいかがですか?」
「ヘイウッド邸に?何か用事でも?」
「え?」
(だって、お兄様に会うっていう用事があるじゃない)
「なぜ?」
本当になにも思い当たらないようだ。毎日兄にこちらに来てもらっているのが普通だったからか。それとも二人の中でそのような約束になっていたのか。
(兄にもオスカー様の愛はあることを示してあげないと寂しい想いをしていると思うのよね……あっ)
「私が帰る用事があるんです。一緒に行きませんか?」
「用事?今日でなければならないのか?」
「母に聞きたいことがあるのです」
「そうか、そういうことならば、行くとしよう」
ヘイウッド邸に着くと兄は目を輝かせ驚きを見せていた。
「シンシア!どうしたんだ?オスカーまでわざわざ」
「お母様に会いに来たのです。お兄様はオスカー様のお相手をお願いしてもよろしいですか?」
「はは、相手も何も友人だからな。久しぶりに母上が恋しくなったか?ゆっくりしていくといい。オスカーのことは任せろ」
こうして、オスカーは兄に連れられていった。
その背中を見送る。二人は笑顔だ。
(お兄様、うれしそう。よかった連れてきて……)
「シンシア、お帰りなさい。何かあったの?あなたまだ結婚して間もないわ」
母は抱きしめて迎えてくれた。
「スプリング邸の皆様はとてもよくしてくれていますし、特にこれといっては。ただ、お兄様が毎日お越しになるので、こちらからお伺いしたらどうかと思ったのですよ」
「毎日どこへ出かけていくのかと思ったら、あなたのところだったのね。やっとあなたが結婚して、ヴィンスに恋人でもできたかと思っていたのに……」
(いえ、お母様、私ではなくオスカー様に会いに来ているのですよ……)
でも、保守的な考えの母にはとてもじゃないが言えなかった。愛する人に会いに来ているとは。
「あの、お母様。お兄様を授かるまでに時間はかかりましたか?」
「え?」
「以前、お兄様とオスカー様が迷子の子を面倒見ているところを目撃したことがあるのですが、お二人ともとても優しいお顔をしていたものですから、子供が好きなのかなと思ったのです」
「それで、あなたは子供好きな夫のために早く子供が欲しいと?」
私はこくりと頷いた。
「そんなに心配することはないわ。天使はちゃんと降りる場所を選んで来てくれるから」
そう言って、母は私のおでこに口づけを落とした。
「夫人とはお話しできたか?」
「はい。オスカー様もお兄様とお話しできましたか?」
「ん?ああ」
帰り道、馬車の中で並んで座っている。
話しかけてくれてはいるが、窓の外を眺めているオスカー。
その窓に映る彼の顔は、眉間にしわが寄っている。
(お兄様との時間、短かったかしら……)
でも、私という繋がりがある以上、もう他人ではない。
その憂いを晴らしてあげようと決意した。
私は二人の愛のカモフラージュでいい。
私は大切にされていると思えている。
彼の妻という肩書きをもらい、一緒に暮らしている。
私は今、十分、幸せだわ。
その夜、寝室でオスカーを待つ。
「シンシア」
名前を呼ばれ、顔を上げると、オスカーに引き寄せられ額に口づけられた。
「オスカー様……」
意を決している私の表情は硬かった。いつものように微笑むことができなかった。
「シンシア?どうした?」
「あの、お伝えしておきたいことがあるんです」
「伝えておきたいこと?」
夫婦の時間の前に話すこととしては重い内容かも知れないが、二人きりで話せるのはこの時間しかない。
「私はオスカー様の妻になりました」
「ああ、そうだ」
「私たちが夫婦である限り、兄とオスカー様も家族です」
「ん?まあ、そういうことになるな」
「繋がっていられます」
「……」
「それに、私があなたとの子を産めば、兄と同じ血が流れるあなたとの子供を産むことができますわ。ですから、どうぞ。あなたの愛のために私を利用してください」
「シンシア……それって……」
「私、知ってますから。さ、寝ましょうか」
宙に浮いているオスカーの手には気づかぬふりをし、私は横になった。
翌朝、すっきりと目覚めた私と違い、目の下にクマを携えたオスカーがいる。
「おはようございます。オスカー様」
「ああ。あの、シンシア、昨日のことなんだが……」
「誰にも言いませんから大丈夫ですわ」
笑顔で答えた。
この日もヘイウッド邸へオスカーを連れて行く。兄に会うために。
◇◇◇
いったい、何が起こった。いや、何をいわれたんだ。
昨夜、妻に告げられた。
「私はオスカー様の妻になりました」
それはそうだ。私は初夜で告げた。
君はもうシンシア・スプリングだと。
しかし、次に言われたことがすぐに理解できなかった。
「私たちが夫婦である限り、兄とオスカー様も家族です。繋がっていられます」
婚姻が結ばれたのだ。友人ヴィンスとも書類上は兄弟となる。
あいつが義兄というのもなんだが、それでもいいと思えるほどあいつのことは気に入っている。
そして、最後の一言だ。
ヴィンスと同じ血が流れた俺の子を産むことができるから、シンシアを利用しろと?
全く理解できなかった。
整理しようにも、眠気からなのか頭が働かない。いや、眠気も飛ぶほど強烈なことを言われたような気がする。
この日も妻を愛して眠りにつくはずが、彼女に触れることができなかった。
そして、眠れぬ夜を過ごした。
今日もヘイウッド邸に向かうことになる。シンシアの提案では無下にできない。
いつものように、部屋ではヴィンスと二人きりだ。
「どうしたんだ?そのクマは……まさか、夜を明かしたんじゃなかろうな?」
ヴィンスの言葉にぎくりと体を震わせる。
その顔をチラリと覗けば、鬼のようであった。
「ち、違う。お前の考えているようなことじゃない!その逆だ」
「逆?」
「昨日は重ねてない」
「昨日は?」
「あ、いや」
「お前、俺の……!」
「ちょっ、ストップストップ!」
襲いかかるヴィンスを両手で押さえ止めながら、落ち着かせる。
落ち着いたところで、昨夜シンシアに告げられた内容を伝えた。
「これって、どういうことだか俺には……」
真面目に打ち明けた。すると、ヴィンスは、うつむきわなわなと震えだした。
「お前……それって……」
「ヴィンス?」
「意味をわかれよ馬鹿野郎! シンシアにちゃんと気持ち伝えたんだろうな?」
「え?」
そういえば、はっきりとは言葉にしていないか。
「伝えて、ないかもしれない」
「そりゃそうだろうな。ちゃんと愛されているとわかっていればそんな勘違いはしないだろう!?」
「え、勘違い?」
「シンシアとの結婚に、自分への愛がないと思っているんだろう。お前……シンシアが今、どんな気持ちでいるか……」
再びヴィンスが震え出すとつかみかかる。
「シンシアを……返せ。今すぐに」
「ヴィンス!?」
「離婚しろ」
胸ぐらを捕まれているため声が出せない。なんとか引き剥がすと息を整える。
「話が違うぞオスカー。お前にならシンシアを渡しても良いと思ったのに、言葉足らずにも限度があるぞ」
「ちゃんと伝えていたつもりだ」
「どうせお前のことだ。行動で示せば十分とでも思ったか?」
「……」
「そもそもお前は表情が乏しいんだよ。いつも機嫌悪そうなの!」
「え。そう思ってたのか?」
「俺は付き合いが長いから、喜怒哀楽はわかる」
ヴィンスはフンとふんぞり返っている。
「俺は、シンシアに嫌われてる?」
「んなわけあるか!お前との子供を産むっていってるんだろう?」
「普通に愛し合っているものだと……」
「でも、話を聞く限りシンシアにとっては義務感だよな。……やっぱり、返せ。俺のシンシアを返せー!」
「わっ!く、苦しい……す、すまん、幸せにするって約束だったな」
「そうだ!ほかの知らない男にくれてやるくらいならと思ったのに!」
二人で交わした約束というより契約だった。
シンシアに縁談が舞い込んでいると嘆いていたヴィンス。
重度のシスコンであるヴィンスにとって、シンシアの結婚だけは受け入れがたいことだった。
(こいつ、シンシア以上の女じゃなければ恋人にもしたくないし結婚なんてあり得ないとか言ってたな)
家族としてずっと一緒にいれるだけでいいと、ずっと一緒にいたいんだと言っていたヴィンスに、思わず俺もと本音を漏らしてしまったことから始まった。
俺は、ずっとシンシアが好きだった。友人であるヴィンスを訪ねてヘイウッド邸に来たときに、初めて見た。天使がいると思った。一目惚れだった。
それから、彼女に会いたいがためにヴィンスの元に通っていた。
ヴィンスとしても、ヘイウッド邸で会うことは都合が良かったんだろう。
妹の近くにいる時間を確保できていたから。
俺の気持ちを知ったヴィンスはある提案をしてきた。
「オスカー!お前がシンシアに縁談を申し込め。俺からも父上に推薦する。友人であるお前の方が良い。お前が良いやつだってことは知っているし、シンシアが不幸になることはないだろう。それに、いつでも会えるしな」
一番の障害はこの男だろうと思っていただけに、俺はすぐに行動に移した。
父に縁談を申し込みたい旨を伝えたら、スプリング家でも歓迎された。
いい年をして男友達とばかりつるんでいるものだから、跡継ぎとして心配なところだったらしい。
まるで以前から話が進んでいたかのように、縁談はトントン拍子にまとまった。
その後は夢のような毎日だった。
目の前には愛らしいシンシアがいる。大きな瞳とそこに影を落とすほどに長いまつげ、すっと通った鼻筋に、小ぶりだがぷっくりと熟れた唇。
本当はたくさん口づけしたいが、少しずつ距離を埋めるべく、数カ所にとどめている。
何より、大切にしなくてはという思いが強い。友人の愛する妹であり、俺がずっと恋い焦がれてきた女性なのだから。
◇◇◇
「今すぐに。離婚しろ」
お茶を共にどうかと誘いに、兄の部屋に近づくと、聞こえた声に愕然とした。
今回はすぐにきびすを返して、来た道を戻ろうと扉から離れた。
(離婚?お兄様はやっぱり不満があったのね……)
ピタリと立ち止まる。兄の思いを無下にはできない。
でも、初恋である彼と結婚できて、妻となって、うれしいという気持ちは簡単に手放せるものではなかった。
ガタガタと音が聞こえる。言い争うような声だった。
(どうしよう。ケンカになってしまったのかしら)
仲裁に入ろうかと、再び扉に近づいた。
「シンシアとお前の子供なんて可愛いに決まってる!それで我慢してやる……」
兄のとんでもない声が聞こえた。
(こ、子供!?)
そのことに関しては、自分も考えていたことだ。私と兄の血は繋がっているのだから、二人の子供を授かることができると。兄も、そう思っているのだろう。
少なくとも私にも端麗な兄と同じ血が流れているんだもの。
(きっと、可愛がってくれるわ。オスカー様との子供なら、可愛いに決まってるものね)
兄は、愛の結晶で我慢すると言っている。
兄のために、また、新たに決意するのだった。
◇◇◇
横で寝息をたてる妻を見る。
(愛らしい……彼女との子供なら、可愛いに決まっている……)
それは、ヴィンスの言葉だ。
胸元をつかまれ絞められた。息が止まらなくて良かったと思うほど力強かった。
呼吸を整えると、ヴィンスは何か思いついたのか、早く子供を作れと言い出した。
「シンシアも前向きなようだし、子供を作れ」
「は?」
「シンシアとお前の子なんて可愛いに決まってる!それで我慢してやる……」
「が、我慢って?」
「今シンシアを不幸だと思わせてることをチャラにしてやると言ってるんだ!」
「不幸……」
「言ったよな?――シンシアが幸せになってなかったら許さないと」
(本気だったのか……)
「だから、早く告白しろよ?誤解を解かないととんでもないことになるぞ」
「とんでもないこと?」
「いや、すでにとんでもないことになってるが……私は別にかまわないしな」
「え?」
「シンシアはそれでもそばにいてくれることに変わりはないからな」
ヴィンスは満足そうな笑みを浮かべていた。
「そうだ、女の子がいいな。シンシアに似た!」
(絶対、伯父馬鹿になるやつだ……)
「……いや、俺は男の子を希望する」
「なんでだよ。シンシアそっくりな天使がいいだろう?」
「それもあるが、一人っ子としては、跡継ぎは急務なんでね……」
「なるほど、それも一理ある」
ヴィンスは腕を組むと頷いている。
「俺もそろそろ考えるか。シンシアも嫁いだことだし、本腰を入れて妻を探すとするかな」
(こいつも嫡男である覚悟はあるんだな……)
子供を作れなんて言われたが、授かりものは思い通りにならない。
頬が上気した、すやすやと眠るシンシアを見つめる。
「あ!」
結局、あの言葉の意味を教えてもらうのを忘れていた。
(告白しろと言っていたか?)
彼女の勘違いとはなんなのか、俺がいつもと変わらぬ夜を終えてしまったことで、余計にこじらせることになった。
シンシアの小さな口元にスープが運ばれていく。
やはり今日もとても愛らしい。
「いかがいたしましたか?」
じっと見つめてしまった。その視線がシンシアに気づかれた。
「あ、いや」
慌てて目をそらす。
「オスカー様。本日はどのようなご予定ですか?」
「予定?」
「はい。今日はスプリング邸ですか?それともヘイウッド邸ですか?」
「なにがだ?」
「お兄様とお会いするのはどちらになりますか?」
なぜ、ヴィンスと会うことになっているのかわからない。
「ヴィンスと会う約束などないが?」
「そうなのですか?毎日お会いしていますし、毎日会う約束になっているのだと思っていました」
確かに毎日会っているが、それはヴィンスがシンシアに会うためである。
(これが、勘違いってことか?)
「ヴィンスは、君のことが心配なんだろう?」
(幸せであるかの確認のためだからな)
ふと料理から視線をあげると、目を丸くし固まっているシンシアがいる。
「どうした?」
「いえ……」
シンシアは料理に視線を移すと、スープをすくった。
◇◇◇
毎日会う約束をしていたわけではなかった。
でも、兄と毎日会っていたのは、私が警戒されていたからだった。
――君のことが心配なんだろう。
(きっと、お兄様は、オスカー様の心が私に移るのを恐れているのだわ)
次にお会いした時には、きちんとお伝えしなければ。
私を利用してかまわないのだと。私は二人の幸せを望んでいると。
この日は兄がスプリング邸に来た。
「やあ、シンシア。昨日はよく眠れたかい?」
「ええ。いつも眠れていますよ?」
「そうか」
兄は微笑むと私の首元を指でなぞり、頬に口づけを落とした。
(そういうのは、妹にするもんじゃないわ)
それでも、美しい兄を目の前にすれば、多少心はときめいた。
そして、いつもならば兄をオスカーの元に送り出すのだが、今日はその前に伝えなければならないことがある。
「あの、お兄様。お話ししたいことがあるのですが……」
「どうした?二人きりの方がいいか?」
私の様子に首を傾げている。よほど深刻な顔をしていたのかもしれない。
配慮をありがたく受け取り、ガゼボへと案内した。
「何かあったのか?」
「いえ、何かあったわけではありません。そのお兄様に心配いただく必要はないのですとお伝えしたくて」
「心配?」
「はい。私は、お兄様の幸せを望んでいます。オスカー様の幸せも望んでいるのです。ですから、そのために、私を利用していただいてかまいません」
「……」
兄は言葉を失っていた。
「子供も産みますわ。私たちと血の繋がったオスカー様との子供を」
兄は、今度は口をあんぐりと開けている。
「ですから、私のことはお気にせず。二人の幸せが私の幸せですので」
兄は、目も見開いていた。
「では、シンシアの幸せは?君はオスカーと結婚して、幸せではないと?」
「それは……」
本当のことは言えなかった。オスカー様と結婚できて幸せだだなんて、兄を裏切るようで言えない。兄の犠牲をもって、私が幸せになっているなんて言えなかった。
私は口をつぐむ。
すると、兄は強く拳を握るとわなわなと震えだした。
「え?……お、お兄様?」
私の問いかけも無視し、兄はすくっと立ち上がるとずんずんと屋敷内へと消えていった。
「え?」
何が起こったかわからなかった私は、慌てて兄を追いかけた。
◇◇◇
「オスカー!どこにいる!?」
執務室で仕事をしていたオスカーは顔を覗かせた。
「ここだ、ヴィンス。今日も来てたのか?」
ずんずんと進み続けるヴィンスはいつものごとくオスカーの胸ぐらをつかむ。
「俺は言ったよな?今すぐ告白しろと!何も伝わってないじゃないか!」
ヴィンスの怒りに、オスカーは顔を青くする。
「昨日の今日では……。ちゃんと愛をもって接しているが?」
「そういう問題じゃない。確かに早く子供作れとはいったが、その前にちゃんと伝わらなきゃ意味がないだろ!」
あんなところに痕を残しやがってとブツブツうなっている。
シンシアの首元には愛の証が残っていた。
「そもそも、シンシアのためになってない!もういい!連れて帰る!」
「え!?」
くるっと向きを変えたヴィンスは、再びずんずんと歩き始めた。
「ちょっと、待ってくれ!」
オスカーはヴィンスを追いかけた。
その先にはこちらに向かってくるシンシアがいる。
「お兄様~。急にどうしたのです?」
ヴィンスはシンシアを正面からぎゅっと受け止め抱きしめると、手を握った。
「シンシア。申し訳なかった。ヘイウッドに戻るぞ」
「え?私もですか?」
握られた手を引っ張られたことで、一緒に帰ると受け取ったシンシア。
「お前の気持ちを考えずすまなかった。あいつとの結婚生活を続けることはないぞ。俺とあいつで契約したことだからな」
(契約?結婚が?)
どおりで、展開が早かった訳だ。縁談の話が持ち込まれたことも、婚姻を結ぶまでも。
そして、二人が満足そうだったことも。
(私は、本当に二人の愛のために結婚させられたのだわ!)
「君が無理しているのならば、あいつの横にいることはない。帰ろう」
ヴィンスはシンシアを引っ張る。
しかし、シンシアは足を踏ん張り、その場にとどまった。
「シンシア?」
「いえ、お兄様。私は、無理などしていません。お二人の愛のためならば……私はお二人の愛のカモフラージュのためならば、結婚生活を続ける覚悟でございます!!」
あたりは一瞬にして静まりかえる。
ヴィンスはゆっくりと片手を添えて、頭を抱えた。
「……え?」
そこに、間の抜けた、オスカーの声が響き渡った。
その場に居合わせて使用人は驚きで声を失っている。
しかし、それはシンシアが大声を出していたことにだ。
内容に関しては、やはりそういう仲だったのかと納得したような様子であった。
ヴィンスはやれやれと首を振ると、シンシアに寄り添う。
「お前……ほんと、何してんの?」
ヴィンスは冷ややかな視線をオスカーに向ける。
「本当に何も伝えてなかったんだな」
シンシアを支える腕に力を込める。
「俺から誤解を解くのは簡単だが、そういう問題じゃないだろう?」
そう言うなり、ヴィンスはシンシアの顔を覗き込む。
「シンシア。俺はお前の幸せを一番に願っている。妹を大切に思う兄としてな」
シンシアはヴィンスの目を見つめ返すと、その言葉に聞き入る。
「オスカーのことは大切な友人だ。そしてその友人にならシンシアを渡しても良いって思ったんだが……」
今度はオスカーを見据える。
「随分と……不器用にもほどがある」
「……」
「……」
オスカーもシンシアも、ヴィンスの言葉を待つ。
「今までは面倒だったからな。噂もそのまま利用させてもらっていたんだが。そのおかげで女性に追い回されることも、お前に近づいて俺たちに取り入ろうとする連中も減ったしな」
「え?」
(私に近づく人が少なかったのって、お兄様たちのせいだったの?)
言われてみれば、シンシアには友人らしい友人もいなかった。
「だから噂に関しては放置していたんだ。だが、愛しい妹の俺への勘違いだけは不満があるもんでね」
すると、ヴィンスはシンシアの耳に口を寄せる。
「俺が好きなのは女性だよ、シンシア。君が自慢できるような人を妻に迎えるよう努めるとしよう」
「え?」
シンシアが反応するのと同時に、壁になっている使用人たちが息を呑む気配がした。
「俺は帰るから、ちゃんと自分で訂正しろオスカー。シンシア、見切りをつけたならばすぐにでも迎えに来るぞ。俺はいつでも受け入れるからな」
そう言い残し、ヴィンスは帰っていった。
「……」
「……」
残された二人は、無言で見つめ合う。
「あの、シンシア……」
ようやくオスカーは口を開いた。
「俺とヴィンスが、その、恋仲だと思っていたのか?」
「……はい」
シンシアはゆっくり頷くと、その勘違いの恥ずかしさから、真っ赤な顔を両手で覆った。
考えてみれば、オスカーがシンシアの発言を理解できなかったのは、その前提が間違っていたからだ。
シンシアは兄を愛している人の妻になったと思っていたのだ。
そして、兄が愛する人の妻になったとも思っていた。
どこか一線を引いた様子だったことも、やっと腑に落ちる。
――早く告白しろ。
ヴィンスのアドバイスは全くもってそのとおりだった。
自分が、正しい想いをシンシアに伝えていれば、彼女の誤解は解けていたかもしれないのに。どんな気持ちで、新婚生活を過ごしていたのだろうかと思うと、やるせなかった。
「シンシア。俺は大切なことを伝えていなかった」
シンシアは両手をゆっくりと下げると、顔を見せる。
オスカーはそのシンシアの手を握った。
「初めて見かけたときから、君のことが好きだ」
シンシアは息を呑む。
「毎日のようにヘイウッド邸に行っていたのは、君に会いたかったからだ」
「お兄様に会いに来ていたんじゃなかったんですか?」
「もちろんヴィンスに会いに行っていたが、目的は君だ」
シンシアは目をぱちくりとさせる。
「では、結婚後、お兄様がスプリング邸に来ていたのは?」
「それも、君に会いたかったからだ」
「え!?」
「ヴィンスは君を溺愛しているからな」
兄は随分と振るまいがスマートだと思っていたが、あれがいわゆる溺愛というやつなのかと、シンシアは理解した。
「だから、提案されたんだ。シンシアと結婚しないか?と。見知らぬ誰かより俺の方がましだったらしい」
困ったように笑うオスカーにシンシアは首を傾げる。
「だが、ヴィンスをがっかりさせてしまったな。俺の不甲斐なさのせいで、君に悲しい思いをさせてしまった」
「え?」
「夫の愛はほかにあると思っていたんだろう?」
「それは……勘違いした私が……」
「いや、俺がしっかり伝えなかったのが悪い」
オスカーは首を振る。
「シンシア。俺は君を愛してる。俺の妻になってくれないか?」
「……オスカー様」
「これなら誤解などなかっただろう?」
シンシアはこくりと頷く。
「シンシア。俺の妻になったことは後悔していないか?」
「とんでもございません」
シンシアは首を振る。
「初恋の人のお嫁さんになれたんです。これ以上のことはありません」
シンシアは、満面の笑みで応えた。
◇◇◇
「やあ、シンシア。君は今日も美しいな」
「お兄様、とても素敵ですわ」
ヴィンスに優しく抱きしめられるシンシア。
「そのように甘い言葉はお義姉様だけにお伝えくださいませ」
「いや、シンシアだけは許可を得ているから良いんだよ」
ヴィンスはシンシアの額に口づけを落とす。
この日はヴィンスの結婚式だった。
花嫁はヴィンスの隣で美しく咲いている。
「ヴィンスが誰かのものになってしまうが、良いのか?」
「お兄様が選んだ方ですから間違いないと思うの。きっと今、お兄様は世界一幸せな花婿ですわ」
「信頼がすごいな。ヴィンスが君の兄で良かったよ。とてもじゃないが勝てない」
「何を言っているんですか?あなたを夫に持つ私は、世界一幸せな妻なのですよ?」
オスカーを見上げたシンシアは、本当の夫婦になったあの日のように、満面の笑みを浮かべた。
お読みいただきありがとうございました。
シンシアの盛大な勘違いに最後までお付き合いいただき感謝です。
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