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寿命を授けられてありがとう

作者: 十夢
掲載日:2025/11/05

寿命、健康、人々が願うことには……

頑張った20年

 今日は、結婚記念日。結婚式を挙げた日から20年が経過した日。そして、今日からまた21年目のシーズンが開始する。

 結婚式を挙げた日には、必ず毎年、その挙式を頂いた神社にお礼参りに行っている。始めの頃は、コッソリと一人だけで参拝をしたものだった。

 結婚生活に慣れて来て、嫁の立場にも遠慮が無くなった来た頃に、ふとしたことから、夫婦で揃ってお参りするようになった。

「お参りに来れなくなったら、この結婚は終わってると思っているから」

そう言うと、彼はビックリしたらしい。

「えっ?」

と。


約束

 結婚式では参列者並びに神前で誓いの言葉を述べる。その誓いの言葉の一つ一つを覚えているわけでもなく、ただ、誓いを約束したことだけは忘れない。

 誓いの言葉を声に出して約束してしまった以上は、反古にするわけにも行かないのだから、それなりの努力は続ける。

 結婚をしていると毎日、それなりにさまざまな出来事が起こる。何しろ何もかもが全部、新しいのだから。新生活とはこのことかと、納得させられる日々。毎日が手探りだ。

 結婚するまでは、結婚後の生活など予想はつかないが、結婚後も同じく予想はつかない。



21年目を迎えるにあたり

 神前にご報告することは、これまでの感謝と頑張ったこと。神々への祝福。そして、現在の心境のこと。

 結婚して丸20年が経った日。この日の自分に浮かんできたことは?


「寿命を授けてくださりありがとうございます」


と言う言葉。

 人間は生まれてくると言う。それには、ただ、偶然がある訳でもなく、何かに寿命を授かるのだと自分は想う。それを与えた者たちがどこに居て、何者なのかは良しとしよう。それでも自分は、寿命を授けてもらったことに感謝する。その寿命がどうであれ、与えられたことが奇跡だと。そう想うほどに、寿命を授けられたことだけが充分なことになっている。


寿命の長短

 人間は、それぞれの寿命に長短を見るのかもしれず、そこにまた、一喜一憂をするのかもしれない。そうしてどのような長さであれ寿命の限りを生きて行く。もしかしたら、最初から寿命を教えられていたら、人間はもっと生きやすいのかもしれない。でも実際は、それを教えてくれる何かと出会う間もなく人間は人生を終えるのかもしれない。

 自分は、眠る前に「寿命を教えてくれ」と願ってみた。その日の終わり、夜眠る時に。そうすると何処からともなく聞こえる気がする。教えてくれる声が。自分は、その声によると91歳のようだ。これを長いと言うのか、短いと言うのか。

 


ゴールの仮設定

 91歳。

これを一人の人生のゴールだと仮設定してみよう。もしも、現在の自分の年齢が48歳なら、後43回、1年間を体験できるとする。

 1年は、確実に1年毎に毎年違う一年だ。それは、これまでの48回が証明してくれている。一度として同じ1年間を体験したことは無かった。毎年が新しい1年間。その時に、予想をしてみたって意味はない。思い通りにならないのが世の常で、そこが楽しみで生きている。

 予想できない43回。予想もできなかった48回。これまでもそうして頑張って来た。後はただ、頑張るだけ。

 この先どんなことが起こっても、自分がやったこと、やらなかったことだけが返ってくるのみ。それを自分自身で受け取る日々。そうして自分自身をより知って行く。自分は、かつて、何者であったか?


有り難い

”人間は何かをすれば、感謝を求めるけれど

 感謝をされることは、有り難い事

 人の為に何かをすれば感謝をされる事が、「当たり前」だなんて、思って良い事じゃない”


”人間は他人を見てイライラしたり、怒ったりする

 そこで他人にイライラしない者たちは、そこで他人を見ていない

 そこで見るのは、自身の課題として見ている

 「何かがうまくいっていない、それは何だろうか?」と

 これまでの自らの言動に理由を探る旅

 それは出来なかったことを探る旅ではない

 突き詰めれば必ず行き当たる誠の真実”


結末を知る人

 何はともあれ結末は……

 ”必ず丸く収まるようになって行く”

それが行き着く人生だ。

 なぜ、そのように言えるのか? 

 それこそがこれまでの人生だったのだ。この事は、振り返り、現在の人生と照らし合わせて見ると良い。どこにも寸分違わずに如実に浮かび上がって来る。楽しみも喜びも。悲しかったことも苦しみも。何もかもが、狂いなく送られた日々。これを見れば、この先のことも何も憂いなく見えて来る。

 苦しみがやって来ても、自分は、きっと耐えるだろう。それが受け入れることだ。悲しみがやって来ても、ただ、自分は、感動して涙する。この世には、これほどまでにも悲しい事があったのだと。喜びも楽しみも、楽しんで授かろう。それが、自分に授けられた喜び楽しみであるのなら。

 ただ、ただ、自分はシンプルにあろう。

 元気な自分で居る事。

 心も体も。

その時は、体の調子や不具合は関係がないのだと。体が病でも元気に居ることは出来るだろう。体が動かなくても心から元気で居る事は出来るだろう。

 人間は「健康」を願うけれど、それは「状態」を願う事。この世は、「無常」が真理・真実なのならば、健康を願っても叶わない。それは、賢い人たちなら分かるだろう。

 健康を願うより、元気である事。元気は、自分から湧き出て来るものだから、他に頼る必要がなく、それこそ、健康な事。体の「運動」に頼った元気では、老いれば通用しなくなる。体が病めば通用しなくなる元気で。

 それよりももっと根本的な事。根っこのこと。元気は、自らの浄化作用。自らを労り、大切にして、愛し続けて行く事。その愛は、自愛であって、自我愛とはまた違う愛。


自我愛からの目覚め

 自我愛では自分しか愛せない。他の者の所為にする。そこには、愛は存在しない。それは、愛とは呼べないアイ(eye)。

 そこから目を覚ます慧眼の愛。慈愛の愛。愛する者たちの愛。一人ではなくなる他者のeye。目が開く者の愛。

 

 どうか誰もこの世界で孤独になりませんように。誰もが届く真実のeye。目を覚ます。

授けられたことに感謝する

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