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夫にビッチ認定された夫人は本物のビッチになろうとしたのになぜかイケメン公爵令息の看護人になりました

掲載日:2025/11/04

第1話


 伯爵令嬢パトリシア・ユニアージュはあまりに美しかった。


 銀に彩られたビスクドールのような彼女は大勢の令嬢に妬まれた。だからパトリシアは“可愛い顔した淫売”だの“天使の面をした毒婦”だのと散々言われたのである。しかし実際のパトリシアは肺に病があり、男遊びをするなど到底できる少女ではなかった。幼い頃から入退院を繰り返し、たまに出る社交界では悪い噂を流される日々。さらに最先端技術の手術を受けたことで、伯爵家は貧しくなってしまった。


 そんな時、次男を婿に取っていずれ爵位を譲ってくれれば資金援助をしてくれるというアポリック子爵家が現れた。その次男とはオスニエルと言う冴えない風貌の馬鹿な男であった。しかしユニアージュ伯爵家は喜んでその話を受けた。これで今後、娘の病が再発しても安心して魔道医療を受けられる――両親はそれだけを考えていた。


 結婚式の夜、パトリシアはオスニエルの部屋へ呼ばれた。恥ずかしさと嬉しさで一杯になった彼女は夢心地のままやってきた。なぜなら、男性と寝るのはこれが初めてだったのである。しかし部屋に入りなり、オスニエルは言った。


「パトリシア。俺と寝たいなら、初めての振りをしろよ」


 オスニエルは濁った目で、パトリシアを睨んでいた――


「え……? ど、どういうことですか……?」

「チッ、そういう下手くそな演技はいらないんだよ。お前は色々な男と散々寝てきたんだろうが。だから俺としている時に、変な癖を出すなって言ってるんだ」


 その言葉にパトリシアは消えたくなった。夫となったはずのこの人も悪い噂を信じている――味方じゃないんだ、と落胆したのだ。彼女が悲しさのあまり口も利けずにいると、オスニエルは苛立ち始めた。


「何黙っているんだ! 淫売の癖に! そんなに俺とするのが嫌か!」

「わ、私は……淫売などではありません……。ずっと体が弱くて……入院ばかりしておりました……。男の方と寝るのは……初めてです……」


 悲しさのあまり、涙が溢れてきていた。

 初めての相手が自分を軽蔑している――その事実が辛い。

 しかしオスニエルはその泣き顔を見ると、枕を彼女に叩き付けた。


「嘘だ嘘だ嘘だッ! 俺を騙そうとするなあッ! 俺はお前とは義務的な行為しかしないぞ! 処女の愛人を作って、そいつを大事にするんだあッ!」

「そんな……そんなの酷いです……――」

「うるさいッ! 男遊びの激しいお前なんてお飾りの妻なんだよッ!」

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第2話


 そう言ってオスニエルは激しく地団太を踏む。まるで子供の癇癪みたいだわ、とパトリシアは困惑する。しかし彼に言わせたままにしておいては身の潔白を晴らすことはできない。だから子供そのものの彼に、優しく語って聞かせた。


「オスニエル様、本当なんです……。私は肺が弱くて、魔道と医療を組み合わせた最先端技術である手術と言うものを受けました……。そんな病弱な私がどうやって男遊びをするのでしょうか……?」

「手術だぁ!? 嘘を吐くんじゃない!」


 ついにオスニエルはパトリシアの肩を掴んで揺すった。すると彼女はこほこほと咳をして、苦しそうに喘ぐ。それが彼の神経をさらに逆撫でた。


「勿体ぶるな、アバズレッ! さっさと裸になるがいいッ!」


 ブチブチッ……と音がしてパトリシアの胸のボタンが飛んだ。

 オスニエルが無理矢理、彼女の服を引き裂いたのだ。

 そして彼女の小さな胸が露わになる――


 そこには痛々しい手術跡がくっきりと刻まれていた。


「な、なんだ……その汚い傷跡は……!?」


 オスニエルはパトリシアから手を離して後退る。一方、彼女は怒りのあまり絶句していた。汚い? 汚いですって? これは私を長年苦しめた病気から救ってくれた手術の跡よ! 彼女は手術跡を汚いと言われ、悔し涙を流していた。


「な、何だ……!? 何を泣いている……!? 俺は悪くないぞ……!?」

「うぅ……ふっ……くぅぅ……オスニエル様は酷いです……――」

「き、貴様ッ! 旦那様に口答えする気かッ!?」


 その言葉にパトリシアは我慢の限界を迎えた。


「誰が、誰が旦那様よッ! あなたなんて夫だと思わないわッ! そんなに私をアバズレだの淫売だの決め付けたいなら、本当にそうなってやるわよッ! あなたはあなたで勝手に愛人を作ればいいわッ! 私だって愛人を作ってやるんだからッ!」


 そう叫ぶと、パトリシアはオスニエルの部屋を出ていった。それから彼女は一晩中泣き続け、そして決意したのである。今夜にでもパーティへ出向いて、男を作ってやるわ。そして胸の傷は見せずに交わって、処女を捨ててやる。あんな最低な夫に初めてを捧げるなんて絶対に嫌! この計画、必ず達成してやる!


 そして彼女は侍女を呼ぶと、今夜のパーティの準備を始めたのだ。

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第3話


 夜のパーティ会場をパトリシアは歩いていく。彼女は今までは控えめな装いをしていた。しかし今回は侍女に頼んで飛び切り美しく装わせた。それは功を奏し、彼女が歩くたびに殿方が振り返る――パトリシアはこのパーティで最も美しい花であった。


 パトリシアは男を物色していた。女を囲んで下ネタを言う男、怒鳴り声を上げながら討論する男、次々と令嬢を口説く男……どれを取っても自分の初めてを捧げるには納得いかない男ばかりである。


 そんな中、部屋の隅で話し込んでいる男達がいた。そっと聞き耳を立てていると、どうやら魔道医療の話をしているようだ。それはかなり難しい話題でパトリシアには付いていけなかったが、耳を欹てて必死に聞く。


「ですから聖骸にはエリクサー以上の効果が……」

「しかしあのアークドラゴンには抗体があり……」


 飲めないお酒を舐めながら、二人の会話をじっと聞く。

 するとその会話が急に途切れてしまった。


「お嬢さん、いかがなされました?」

「ひゃっ……!?」


 会話をしていた長身の男が微笑んでこちらを窺っている。

 もうひとりの太った男もにこにこと微笑んでいた。


「あ、ああ……あのう……私は……――」


 パトリシアは顔を赤く染め、そして現実を知った。自分は男慣れしていなさ過ぎる。こんな自分がどうやって殿方をベッドに誘えばいいのだろうか。この状況すらどうしていいのか分からないのに――狼狽えた彼女は口からの出まかせを語った。


「えっと、私は……伯爵令嬢なのですが、実は看護人に憧れていて……。それでお二人の話しを興味深く聞いていたのです……」


 その言葉に二人は顔を見合わせた。


「ほう、看護人に憧れていると」

「しかも伯爵令嬢であると」

「は、はい……! その通りです……!」


 パトリシアは何度も頷く。正しくは夫人であるのに、伯爵令嬢と言ってしまっていることにも気付いていない。すると二人の男性は顔を見合わせたのち、こう言った。


「お嬢さん、良かったら看護人の真似事をしてみませんか?」

「え……? 看護人の真似事……?」


 二人は頷いて、語り出した。


「王家の血を引く公爵令息がいるのですが、手術を怖がっていましてね」

「あなたにその彼を説得していただきたいのです。看護人の振りをして――」


 その頼みにパトリシアは驚きを隠せなかった。

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第4話


 さらに詳しく話を聞くと、今までは男爵令嬢が看護人を務めていたらしいが、手術を勧めたことで喧嘩してしまったという。そのため、パトリシアに看護人の振りをして説得してほしいとのことだった。


 それにしても、公爵令息ともあろうお方が手術が怖いなんて――パトリシアは少しだけ優越感を持ち、すぐにそれを否定した。確かに自分も始めのうちは胸を裂くと言われて酷く怖がったのだ。しかしその手術の成功率はどの程度なのだろうか。物凄く低かったら説得は難しい。


「え、ええっと……その手術で彼の病は治るのですか……?」

「百パーセント治ります。ただ心の問題なのです」

「ただし手術を受けないと、手遅れになります」

「まあ……! そうなんですの……!」


 パトリシアは一も二もなく頷いた。

 そんな彼女に二人の男は感謝し、自己紹介をした。

 二人共、有名な魔道医療の医者であり、彼女は目を瞠る。


「それでは、公爵家へは話を通しておきます。あなたはあくまでも看護人として振る舞って下さい。その中で、あのお方を説得するのです」

「は、はあ……――」


 私に看護人の振りができるかしら……。大変なことを引き受けてしまったわ……。そう思っても後の祭りである。そして後日、二人の医者から手紙が届き、指定された曜日に公爵家へ通うこととなった。パトリシアは最初は臆していたが、徐々に気が大きくなっていた。なんとしても公爵令息を救って見せる、だって私は病気を克服した先輩だもの、そう思っていた。

 しかし――


「おい、パトリシア! どこへ行く気だ!」


 夫のオスニエルに立ち阻まれ、パトリシアは正直に話した。


「看護人として公爵家へ仕事へ行くのです……。どいてくれますか……?」

「お前が看護人? 相手は誰だ?」

「公爵家の令息だそうです……」

「なにぃ? 男相手だと!? そんなの浮気に発展するかもしれないだろうが! 許さんぞ! 仕方ないから、俺も付いて行ってやる!」

「えっ……ええっ……!?」


 そう言ってオスニエルは準備を始めた。そんな勝手なことはできないわ、と文句を言うが相手は聞いてくれない。そして彼は勝手に馬車に乗ると、絶対に動かんぞと座り込んでしまった。先行き不安になったパトリシアは憂鬱な気持ちのまま馬車へ乗ったのだった。

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第5話


 パトリシアは苦悩していた。

 入口でオスニエアルが門番と揉めたのだ。


「だから俺は看護人の夫だ! この女が浮気しないかどうか、見張るのだ!」

「困りますよ……! 看護人の女性しか通すなと言われています……!」

「うるさいッ! さっさと中へ入れろ! 公爵令息に話を通せ!」


 そして三十分ほど待ち、二人は公爵家へ入れたのだった。両親の公爵や公爵夫人の挨拶は一切ない。豪華な室内を通り、直ちに公爵令息の部屋へ通される。その広々とした部屋に入るや否やパトリシアは緊張のあまり体が強張った。


「ふう……やっと来たか……」


 煌びやかな部屋の奥で、車輪の音がした。

 すると車椅子に乗った金髪碧眼の美青年が現れた。

 彼の美しさは驚くべきほどで、神話の登場人物を思わせる。


「初めまして、僕はサディアスだ。君達はパトリシアと……誰だい?」

「俺はパトリシアの夫のオスニエルです」

「ああ、オスニエルか」


 サディアスは少々小馬鹿にした笑みを浮かべた。


「今度の看護人は伯爵令嬢だって聞いていたけど、夫人だったんだね?」

「も、申し訳ありません……。私が言い間違えたのです……」

「そうです! こいつは浮気者のアバズレ女なのです! こうやって独身の振りをするから、俺が付いてきました!」


 その言葉にサディアスは目を見開いた。パトリシアはこの場から消え去りたくなった。まさか公爵令息相手にそんなことを言うなんて――


「ふうん……まあいいけどね。それより、足の処置をしてほしいんだけど」

「足の処置と言いますと、どのような感じでしょうか……?」

「僕が指示するから、君はその通りに薬を塗ってくれ」


 そして処置が始まったのだが、オスニエルがことごとく邪魔をした。


「パトリシアッ!? お前、サディアス様の足に欲情しているなッ!?」

「おいおいッ! 夫の目の前で男の肌に触れる気かぁッ!?」

「貴様ッ! いつまで足を撫でている気だッ!?」


 その発言についにサディアスは口を挟んだ。


「うるさいなぁ。これは処置なんだよ? 君の夫は何なんだい?」

「も、申し訳ありません……! サディアス様……!」

「フンッ! この女がアバズレなのが悪いのです! 俺は何も悪くない!」


 開き直ったオスニエルにパトリシアは頭が痛くなった。

 するとサディアスは腕を組んでこう尋ねた。


「君達、本当に夫婦かい? この男に付き纏われている訳じゃないよね?」

「何だと……!? 言って良い事と悪い事がありますよ……!?」

「ねぇ、パトリシア。君はこんな男と寝たのかい?」


 サディアスはオスニエルを無視し、パトリシアに話しかける。

 彼女は顔を青ざめさせながら、本当のことを語った。


「い、いいえ……私達は寝てなどいません……。夫は私を淫売だと決め付け、私の胸にある手術跡を見て、汚いと言いました……」

「何だって……? 君は手術を……――」


 サディアスは驚いた様子を見せ、考え込んだ。

 そしてオスニエルに向かうと、こう言ったのである。


「このパトリシアのどこが淫売なんだい? どう見ても可憐な乙女じゃないか。そんなことも分からないなんて、君はもしかして童貞かい? あ、答えなくていいよ。その顔を見てれば分かるしね。顔も頭も飛び切り悪い君のことだから、きっとパトリシアの噂でも信じて、“処女が相手じゃなきゃ嫌だ!”って子供みたいに駄々をこねたんだろう? あーあ、恥ずかしいね。こんな男は滅んでしまえばいい」

「なっ……なっ……何を……!?」


 サディアスは軽蔑の表情のまま続ける――

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第6話


「あれ? もしかして図星かな? しかも手術跡を汚いだなんて、デリカシーがまるでないね。君は手術がどれほど恐ろしくて、危険なものか知らないのかい? そもそも頭が足りてない君だから、手術の存在すら知らなかったんじゃない? それなのにうっかり罵ってしまい後悔してる……そんなところだろう?」


 オスニエルは何も言えずに顔を赤くしている。

 やはり図星なのかしら……とパトリシアは思った。


「それで君はパトリシが処女かもしれないと思い直し、すり寄るつもりになった。だから仕事にまで付いてきて見苦しい嫉妬を見せたんだね。はあぁ、処女かどうかで女性を判断する男って最低だね。その上、手の平返しだ。最低の中の最低過ぎるよ。まっとうな男なら潔く謝まるのに、それすらしていない様子だし……そろそろ離婚を切り出されるんじゃない? 覚悟しておいたら?」

「うっ……うぅ……うるさいうるさいうるさいッ! 俺は帰るぞッ!」


 オスニエルはわなわなと肩を震わせ、部屋を出た。

 取り残されたパトリシアはおろおろと辺りを見渡す。


「さて、邪魔者はいなくなったね。処置を続けてくれ」

「は、はい……サディアス様……」


 パトリシアは指示通り薬を塗りながら考えた。さっきの夫への罵りを聞いた時、はっきり言って気持ちが晴れた。自分の言いたいことを何倍にもして言ってもらったような心地である。サディアスにお礼を言うべきか、それとも黙っているべきか……彼女が迷っていると相手が口を開いた。


「まさかさっきの悪口のお礼を言うつもりじゃないだろうね?」

「えっ……!? そ、そんな……!?」

「図星かな。淑女は罵りに対してお礼なんて言っちゃ駄目だよ」

「は、はい……! 言いません……!」


 パトリシアが頷くと、サディアスは目を見開き、そして笑った。


「ふふふ、君はおかしな子だね。あ、夫人だっけ?」


 可笑しそうに笑い続けるサディアスをパトリシアは眺める。この強気の公爵令息はなぜ手術を恐れているのだろう。彼ほど肝の座った人ならば、簡単に手術を受けるような気がする。きっと何か理由があるのだ――彼女は尋ねた。


「あのう、サディアス様……。どうして手術を拒んでいるのですか……?」


 その問いにサディアスは笑みを消し、深い溜息を吐いた。


「手術は絶対死なない訳じゃない。君も知っているだろう?」

「そうですが……サディアス様の場合は百パーセント成功すると……」

「それは医者の嘘だ。母上の時だって、医者はそう言っていた」

「母上……? 公爵夫人が手術をお受けになったのですか……?」


 そう問うと、サディアスは自嘲的に笑った。


「ああ、母上は医者の嘘を真に受けて、手術を受けた! そうして帰らぬ人となったんだ! 最後に母上が言った言葉は何だと思う!? “これで私は助かるのね、魔道医療に感謝しなきゃ”だったんだよ!? でも彼女はその所為で亡くなった!」

「そ、それは最近の話しですか……?」

「いいや、三年前の話しさ! でも僕の中では……――」


 そう言ってサディアスは項垂れた。その体からは負のオーラが立ち昇り、パトリシアは言葉を発せない。やがて“出ていってくれ”と言う呟きが聞こえ、彼女は一礼して退席した。やがて馬車で待っていたオスニエルと無言のまま帰宅をした。




 それから、オスニエルは浮気を始めた――




 女の香水の匂いをさせ、わざと首筋にキスマークを付けて帰宅する。パトリシアにその愛人のことを自慢げに語ったことさえある。そして両親がいない夜には、必ず愛人を家に呼んで嬌声を上げさせていた。


「なあ、パトリシアァ? お前は一体いつ愛人を作るんだぁ?」


 オスニエルの粘っこい笑みが目に焼き付いて離れない。

 パトリシアは徐々に追い詰められていった。

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第7話


「それで、まだ説得できていないのかね?」

「今のうちに手を打たないと、手遅れになる」


 パトリシアは二人の医者に呼び出され、早く説得するよう急かされていた。あれから何度かひとりでサディアスの元へ通ったが、手術の話をすると巧みに話題を変えられてしまうのだ。彼女は夫の浮気とサディアスの説得に挟まれて、憔悴していた。


「サディアス様はそんなに悪いのですか……?」

「ああ、君になら言ってもいいか。サディアス様は裂花病なんだよ」

「裂花病……? それは何ですか……?」

「ある魔物の種子が体の一部に寄生し、全身に広がっていく病気だ。サディアス様の場合は足に寄生したんだ。それで彼は歩くことができなくなった」

「この病の怖いところはその種子が全身に回った頃、花を咲かせるように肉が次々と割れていくことだ。体中の肉が花のように咲き乱れるから、裂花病というのだ」


 それを聞いたパトリシアは恐怖に震えた。

 あのサディアス様の肉体が、花開いたように――

 想像した途端、彼女の全身に堪えがたい悲しみが走った。


「わ、私……何としても説得します……! 頑張りますから……!」

「しかしどうやって?」

「彼は拒んでいるんだろう?」


 その言葉に彼女は頭を回転させた。どうやったら彼を説得できるのか。彼女はひとつだけ思い付いた。これはかなり馬鹿げた提案だが、やってみる価値はある。彼女は医者に願いを伝え――それは承諾された。




………………

…………

……




「へえ、君の夫はついに浮気を始めたのかい? 離婚してしまえば?」

「それは……したいのはやまやまなのですが……」

「どうして踏み止まっているんだい? あんなクソ亭主なのに」

「そ、そうですが……」


 パトリシアは薬を塗りながら、家庭の事情を話していた。特に夫の浮気が酷過ぎると話したのだが、サディアスはなんだか機嫌がいい。もしかしたら、普通に頼んでも手術を受けることを了承してくれるかもしれない。だから彼女は精一杯心を込めてお願いした。


「お願いです! サディアス様! 手術を受けて下さい!」


 その言葉にサディアスはジロリと睨みを利かせる。

 パトリシアはその視線に失敗したと思った。

 不機嫌そうな彼の答えは――


「そうだね。君が旦那と離婚してくれるならいいよ」

「え……?」

「そして僕と再婚するんだ。どうだい、パトリシア?」


 彼女はその言葉に茫然とした。

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第8話


「サディアス様……それは一体……――」


 パトリシアはおろおろと聞き返す。

 するとサディアスは溜息を吐いて答えた。


「冗談だよ。そんな訳ないだろう? 本気にしたかい?」

「い、いえ……分かっています……。申し訳ありませんでした……」

「謝る必要はないよ。それより、何の策もなしに僕を手術させられると思ったの?」


 サディアスは目を光らせてパトリシアを見る。一瞬、彼女は怯み、そして自分の計画を頭の中で反芻した。こんな方法なんかで彼を手術に向かわせることができるだろうか。でもこの計画によって彼が少しでも安心してくれたなら、勇気を持ってくれたなら、やる価値があると思う。彼女は唇を結び、申し出た。


「ひとつ、サディアス様が手術を受けてくれる方法を考えてきました」

「君が考えたのかい? 是非聞かせてくれるかな?」

「はい、それは私が先に手術を受けるという方法です――」


 その言葉にサディアスは目を大きく見開いた。


「君が手術を……!? どこか悪いのかい……!?」

「いいえ、私は前回の手術を終えて、ほとんど回復しました。今でも通院はしていますが、手術をする箇所はありません」

「それならなぜ手術するんだい……? まさか――」

「はい、手術が成功するということを証明するためだけに、サディアス様が受ける手術と同じ手術を受けます。そうしたら、サディアス様は安心でしょう?」

「そ、そんな……そんな馬鹿げたことを……!」


 そう叫んだきり、サディアスは言葉を失っていた。

 一方、パトリシアは真剣な面持ちで前を向いている。


「もう担当医の方からは了解を得ています。それほどサディアス様のご病気は恐ろしいものなのです。今すぐ手術しなければならないのですよ」


 黙り続けるサディアスにパトリシアは語りかける。


「どうか勇気を持って下さい、サディアス様! あなたが病に負けて、苦しむ姿を私は絶対に見たくないのです!」


 そう叫ぶと、サディアスがビクリと震えた。その目には激情が浮かんでおり、美しい顔を彩っている。パトリシアはそんな彼に思いが届くよう、ひたすら念じていた。どうか死なないで、生きてまた私とお話ししてほしい――そんな思いを彼女は強く抱いていた。


 その時、彼が笑った――


「は、はは……病に負けるか……。僕は何という弱虫だったんだ……」


 サディアスの目に光が宿っていた。

 パトリシアの胸に大きな希望が浮かぶ。


「分かった。手術を受けよう。君が先に手術を受ける必要はない――」

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第9話


 その言葉にパトリシアは震えた。


「サディアス様……! それは本当ですか……!?」

「ああ、本当だ。その代わり僕がさっき言ったこと、守ってくれるかい?」

「さっき言ったことって……離婚と再婚のことですか……?」

「その通りだ。僕は君を愛している。パトリシア、どうか結婚してほしい」


 サディアスはそう言ってパトリシアに手を差し伸べた。真摯に求婚する彼はあまりに格好良い。自分の顔が真っ赤に染まるのが分かる。こんな風に男性から愛情を持ってプロポーズされるなんて今まで一度もなかった――彼女は嬉しさのあまり泣き出していた。


「い、いいんですか……? 私なんかで……?」

「当たり前だろう。僕のことをここまで思ってくれる女性は他にいないよ」

「嬉しい……嬉しいです……! 必ず離婚しますから、待っていて下さい……!」


 そう言ってパトリシアはサディアスの手を握り締めたのである。




………………

…………

……




 サディアスの手術の日――

 パトリシアの両親は外泊をすると言って、家を空けた。するとオスニエルはいつも通り愛人を呼び出して、酒盛りを始めたのだった。しかし今日は特に酷かった。屋敷の居間でどんちゃん騒ぎをしたのである。


「ぎゃはははは! もっと酒を持ってこい、パトリシア!」

「ねぇねぇ、あなたの奥さんって処女なんでしょう!? 可哀想!」

「はは! あいつは一生愛人もできずに処女を腐らせるのさ! ざまぁみろ!」 


 オスニエルはパトリシアに給仕をさせ、愛人といちゃついていた。彼女はひたすら我慢し、低姿勢でもてなす。そして二人が盛り上がって体をまさぐり合った時、ついに彼女は隠れていた両親を呼んだ。


「――オスニエル君ッ!? これはどういうことだねッ!?」

「――まあ、愛人を作っていたなんて、信じられないわッ!」

「うっ……うわっ……!? お義父様……!? お義母様……!?」


 オスニエルは椅子から転げ落ち、愛人はキャアと叫んで逃げていった。

 伯爵はそんな彼の腕を掴んで起き上がらせると、厳しい口調で告げた。


「まだ爵位を与えていなくて正解だったな。君はこのまま実家に帰り給え。のちほど私がパトリシアのサイン入りの離婚届けを実家へ持っていこう」

「そ……そんな……お義父様……! 離婚だけは勘弁して下さい……!」

「駄目だ。これはもう決まったことだ。なあ、パトリシア?」


 そう言って伯爵は娘を見た。

 パトリシアも厳しい表情で頷く。


「ええ、その通りです」

「な、何だと……!? お前、パトリシア……俺を嵌めたな……!?」

「あなたが悪いんですよ。両親がいない日には愛人を呼ぶから」

「クソッ……クソクソクソッ……! 覚えてろよッ……!」


 そう叫ぶと、オスニエルは屋敷を出ていく。

 パトリシアの心に、なぜかその捨て台詞が残った。

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第10話


 その三日後、パトリシアは王都の病院を訪れていた。サディアスの手術は思っていた以上に簡単なもので、今では車椅子で中庭を散歩できるほどになっていた。手術後の彼は晴れ晴れとした顔をしていて、彼女まで心が晴れてくる。二人は明るい日が差す木々の隙間を進んでいった。


「それで、離婚はできたのかい?」

「今頃、父がオスニエル様の家に離婚届を持っていっていますわ」

「そうか。あの男が素直にサインするといいんだけどね――」


 そう言って溜息を吐くサディアスにパトリシアは尋ねた。


「それより、手術はどうでしたか? 大丈夫でしたか?」

「ああ、平気だった。それより、手術の時に夢を見たよ」

「夢ですか……? どんな夢です……?」


 するとサディアスは微笑んで語った。


「亡くなった母上が幸せに暮らしている夢だ。母上は僕の結婚の予定を知ると、喜んで涙を流してくれた。そして奥さんを大切にするのよ、二人で幸せになるのよ、と手を握ってくれたんだ。あまりに嬉しくて目覚めてから泣いてしまった」

「それは……素晴らしい夢ですね……」

「ああ、あれは本当に素晴らしい瞬間だった」


 パトリシアは少しだけ泣いて微笑み、サディアスもそれを見て笑っていた。




 その時、背後から忍び寄る男の存在に二人は少しも気付いていなかった。その男は酒の匂いをさせる体を揺らしながら、二人へと近付いていく。ただひとり、面会人と共に中庭を散歩していた患者がその男の異常さに気付いて声を上げた。


「おい! その手に持っているのはナイフじゃないか!?」

「うるさいッ! お前は黙っていろッ!」


 ナイフを持った男――オスニエルはパトリシアへ駆け寄った。

 そして彼女の首に腕を回すと、ナイフを突きつけて叫んだ。


「パトリシアッ! お前の所為だぁッ! 俺は親父に勘当されたんだッ! もうどこにも行く当てがない……お前を道連れに死んでやるッ!」


 その途端、中庭が騒然となった。

 人々は口々に悲鳴を上げ、逃げ惑う。


「きゃああああああッ! 誰かッ! 誰かッ! 女の人が捕まってるわ!」

「誰か、警備の兵士を呼べッ! 女の人がナイフを突きつけられているぞ!」


 そんな中、パトリシアは恐怖に震えていた。


「あ、ああ……そんな……やめて下さい……」

「やめるものかッ! お前は俺の妻だろッ!? 一緒に地獄へ落ちろッ!」


 そう叫ぶオスニエルの表情はまともではなかった。目が血走り、涎を垂らし、鬼の形相をしている。すぐ近くにサディアスはいるが、車椅子の彼が自分を助けることはできない。パトリシアは死を覚悟した。これまでの幸せも、これからの幸せも全部全部消えてしまう――しかしその時、鈍い音がしてオスニエルが倒れた。


「えっ……?」


 振り返ると、オスニエルは鼻から血を流して失神していた。

 すぐに横には血の付いた大きな庭石が落ちている。

 きっとこの石を顔面に喰らったに違いない――

 それを投げたのは――


「パトリシアはこの僕の妻だ。貴様のような下衆に命を奪われる理由はないね――」


 サディアスは怒りの表情を浮かべ、そう言い放った。

 パトリシアは泣き出して、自分の未来の夫へと抱き付く。

 そして彼は彼女を決して離しはしないと、強く抱き締めていた。


―END―

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