『戴冠式の前日』
『戴冠式の前日』はお世辞にも強いとはいえないカード。わたしが手に入れた時こそ一万円でおつりが返ってきたのに、現在では非常に高価になっていて美品一枚で新車一台買える。
「ソーサリー・スピリッツ」の世界観は魔法と剣と龍が飛び交うファンタジー。蒼空を舞う銀色の龍、草原を駆け抜ける騎士、学園で魔術を学ぶ魔法使い。王道ファンタジーを描いたイラストとフレーバーテキストはカードを手にしたプレイヤーを「ソーサリー・スピリッツ」に誘う。
しかし『戴冠式の前日』のテイストは王道から少しかけ離れていた。
天井から吊り下げられたシャンデリア、大理石のマントルピースに天蓋ベッドが備わった豪華な一室。窓辺からネグリジェ姿の少女がぼんやりとした顔で月を見上げている。
『日常はもう戻らない』
謎多きイラストと結びに添えられたフレーバーに心惹かれたプレイヤーは多い。妄想を掻き立てられる『戴冠式の前日』は数多あるカードの中でも群を抜いて人気だった。
わたしがこのカードの存在を知ったのは『もんもん』の常連の一人が持ってきた雑誌にて。「ソーサリー・スピリッツ」を取り上げた特集で人気投票第一位に選ばれていた。
初めてイラストを見た時はアレキシサイミアのわたしでも心の中で沸々と湧き上がるナニカがあった。それ以来、いつかお金が貯まったら買おうかなと頭の片隅に入れていた。
そんなわたしと『戴冠式の前日』との出会いは意外な形だった。
世界大会への出場を決めたわたしは前日まで『もんもん』で練習していた。帰ろうと荷物をまとめていると店長と賑やかな連中から「みんなからの餞別」と、わざわざアメリカから輸入して「ソーサリー・スピリッツ」の第一弾のパックをプレゼントしてくれたのだ。
突然のサプライズに驚きと感謝を並べつつ、みんなの前で開封した。さすがのわたしとて貴重な品を開ける時は手が震えた。
第一弾の目玉は『バルアールの琥珀龍』。当時は十万円で取引される名カード。おそらく周囲はそれが出ることを期待していたのだろう。
「あぁ、当たらなかったかぁ」
最後の一枚を見た店長がいの一番に声をあげる。その声に呼応するように周囲も落胆した。
ただ唯一わたしだけ、みんなが外れだと思ったカードに目を向けていた。それが『戴冠式の前日』だった。
家に帰って準備も済ませて、明日に向けて寝るわたし。周りに手伝ってもらって綿密な調整を重ねてきたデッキに不満はなかった。
なのに——なにを血迷ったのだろう。
必死に作り上げたデッキに『戴冠式の前日』を投入した。好みの言葉ではないけど運命を感じてしまった。
これを引き当てた瞬間、きっとわたしはこのカードと共に世界大会で大暴れする、なんて柄にもない妄想を抱いてしまった。