11. ヒナヒナコンビ 爆誕
天使の存在が肯定された。同時に神の存在も肯定されたわけだ。だったらわたしは神とやらに一言二言云いたいことがある。
なにが安息日だ。休みの日をもっと増やせ。たかだか一日の休日で一週間を凌げると思うな。
いろんなことが起きた一週間だった。よもや何が起きたかは説明するまでもない。天地創造だの禁断の果実の影響を受けないだのといわれたってわたしの日常は変わらない。今日でなんとか今週の授業が終わって帰るだけ。いつもなら昼食は外で適当に済ませるけど、今は天使が家に居着いている。
あっという間に真相を突き止めてから数日、アキハは今もなおわたしの部屋でゴロゴロしている。約束の一週間があるから居座ってもらって構わない。けどよっぽどあの拷問じみたマッサージが頭にきたのか、未だに口数は少ない。背後霊のように行動を共にすることがなくなったのは嬉しい一方、いい加減あの子の機嫌を直さないとならない。
手痛い出費だけど今日の昼は弁当にしよう。アキハの分の弁当も買って帰ろう。
ホームルームも終わって晴れて自由の身になったわたしは颯爽と教室を離れた。
「さて」
誰に云うまでもなく声が溢れた。駅の近くで買うとすると牛丼屋くらいしかない。まぁ、なんでも「おいしー」と喜んでくれるアキハなら好きそうだけど牛丼で機嫌を直すビジョンが想像できない。
うぅん、ここはやっぱりハンバーガー? でもあそこは高いし……パスタとかどうだろう。でも駅から遠いんだよなぁ、あそこの店。いろいろと面倒くさい。
たんたんたんとテンポよく階段を駆け降りようとすると「葵さん」と背後から名前を呼ばれる。突然声をかけられたものだから危うく階段を踏み外しそうになるも、なんとか華麗に着地。振り返れば学校のマドンナが立っていた。
いささか息があがっているだろうか。通りすがりの帰りの挨拶、というわけではなさそうだ。
「実はアキバオタクさんに相談したいことが——」
「わぁ! わー! わー!」
「え、どうしました?」
「アキバオタクなんて物騒な名前で呼ばないで!」
「でも葵さんはよく秋葉原に行くんですよね。なら間違いではないのでは?」
強く否定できなかった。が、事実であれ人前でアキバオタクなんて呼ばないでもらいたい。
こちとら四谷日奈子と話すだけで目立ってしまうのだ。変なあだ名でこれまで入念に作り上げてきた鳥越葵の設定を壊されたら目も当てられない。
非常に嫌な予感がする。わたしの直感は当たるんだ。特に面倒を目の当たりにすると頭の中でサイレンが鳴り響く。己が感情に頼れないわたしにとってこれほど頼れるものはない。
しかし今回はいつもと違う。なんたって相手があの四谷日奈子。ここらの連中とは違って一定の良識を弁えている彼女が無理難題を押し付けてくるわけがない。警戒せざるえない状況だ。
「で、相談って? わたしにできることなんて少ないよ」
「ありがとう! 私じゃどうしても手に負えなくて」
「ん?」
やっぱりわたしの直感は正しい。相談相手は勝手知ったる四谷日奈子ではなく別人だった。その子は彼女の中学校からの後輩で今年星宮に入学したそうだ。
「他に頼れる人がいると思うけど」
「いえ、これはもう最後の希望なんです。葵さん……いや、アキバオタクにしか頼めないんです!」
人に頼られるのも悪い気分じゃない。だとしてもアキバオタクにしか頼めない相談なんて穏やかなではなさそうだ。
件の後輩とは食堂で待ち合わせる手筈だそうだ。聞くところによれば中学の頃から「とある悩み」を抱えているそうで、相談された四谷が肇に相談するというややこしい過程を跨いでわたしが抜擢されたらしい。
ちなみに先日の嘘は速攻でバレたらしい。あの道化も全ては無駄になったわけで……あぁ、思い出すだけで胃がムカムカする。多分これは「怒り」というやつだろうか。
秀才は行動も早い。肇から妙案を授かった四谷は後輩の予定を押さえ、わたしを探した。
「葵さんならいてくれると思いました」と満面の笑みで語ってくれたが、「葵さんならいつでも暇だ」とも取れる。嬉しいのやら悲しいのやら。ある意味鳥越葵を最も理解してくれている。
「伊織ちゃん、おまたせ。協力な助っ人を連れてきたよ」
活気に満ちた食堂の中でただ一人、目立つ存在があった。両肩からおさげを流し、シンプルな黒縁の眼鏡をかけた女子生徒。伊織ちゃんと呼ばれた彼女は緊張した面持ちでぽつんと腰かけていた。
なるほど、四谷の忠告も頷ける。四谷曰く、彼女は田舎へのコンプレックスを抱えているそうで、あまり話題にしないでほしいと頼まれている。
誰にだって不用意に踏み込まれてほしくない領域はあるものだ。だって我々は年頃の女の子なのだから。
——尤も、わたしの場合は年齢も性格も関係ないけどね。
四谷に肩を叩かれた彼女はわたしの顔を見るや否や、あんぐりと口を開けている。
あれ、相談者ってあなたじゃないの? なのになぜ驚いて……
「もしかして、何も伝えてない?」
「あはは、急いでたから」
……この感じ、どこぞのバカとそっくり。あべこべカップルだと思っていれば、実のところは似たもの同士なのかもしれない。
ひとまず混乱する後輩を落ち着かせるため、いつものように感情を取り繕う。今は頼れることより優しさをアピールする方が賢明だろう。
「はじめまして。鳥越葵です。そんなに緊張しなくていいよ」
◇
「こ、小日向伊織といいます、日奈子センパイには中学の時からお世話になってて」
「『小日向』と『日奈子』でヒナヒナコンビなんですよ」
いつの日か一緒に食べられなかったカレーライスを口にしながら互いに自己紹介。言葉に狼狽はあれど会話がスムーズに進む。昼食を食べる雰囲気はさながら女子会だ。小日向は大人しい性格でどこぞのバカと同類ではなく安心。初対面の人間と会話を重ねるうちに小日向の表情も柔らかくなってきた。
「お二人は仲がいいんですか?」
相談事を聞き出そうとタイミングを窺っていると小日向の方から質問を投げられる。
——友達。そんな言葉をわたしたちの関係に当てはめていいのだろうか。四谷がどう思っているのかわからないし、わたしも他人と一定の距離を取ることを心がけている。本当の友達なら「四谷」と呼ぶのはおかしいだろう。別に関係にこだわりがあるわけでもないが、四谷日奈子を先輩と慕っている手間、わたしと四谷の隔たりを感じさせる言葉は避けるべきだろうか。
「よ……日奈子とは友達、だよ」
最近学んだ「天使の笑み」をぶつけてみる。コツは頬の筋肉を動かすだけでなく、目尻と眉を意識して動かすこと。優しくにこやかに、慈愛に満ちた表情。これに耐える人間なんて私だけだろう。
するとうまくいったのか、小日向が纏っていた緊張が解れ、心の奥深くで眠っていた笑みが現れた。
ただ、勝手に「日奈子」と名前呼びをしたことで四谷は怒っていないだろうか。恐る恐ると隣を見ると何故か彼女も笑顔だった。なんでだろう。
「葵とは気が合うの。信用できるから伊織も安心して」
うっ、身体がこそばゆい。ただでさえ苗字で呼ばれることが多い日常で名前で呼ばれると身体がむずむずしてくる。それになんだか熱ってきた。これも四谷なりの演技なのだろうが我慢できるだろうか。
身体の違和感を犠牲に昼食も終え、相談事を聞く流れになった。わたしの心なんて消耗アイテムに過ぎないのだ。
「お恥ずかしい話なのですが、探している人がいまして」
「ありゃ、それは大変だ。いつごろ出会ったの?」
「なんと説明したら院でしょう。なんせ面識ない相手ですから」
「んん? 芸能人? それともネットで出会った人?」
「あたしにとっては芸能人以上の存在です。世界中を探したって二人といない崇高な存在なんです。まるで『天使』のような!」
不意に飛び出した「天使」という単語に飲みかけていたジュースでむせてしまう。
それに天使と因縁があるのはわたしだけじゃない。『空色少女』の一件以降、天使やら幽霊やらで超常現象に敏感になってしまった子が一人。その子は苦い顔をしている。
崇高なお方、ねぇ。
なんだか心当たりが一件。もしかしてあの子、またやらかした? や、でもこの悩みは中学生の頃からと云ってたしアキハとは無関係……わたしと出会う前なら無関係とも言い切れない。
「えと、どうかしました?」
そういえばあの事件のことをこの子は知らないのかな。全生徒が目にしたとか聞いたけど……ま、今は四谷のトラウマを抉る時じゃない。
「なんでもない。それより話の続きをしよう。具体的に教えてくれるかな」
「すいません。えっと、端的にいうと……一目惚れの相手なんです」
少女の恋路にとやかく云うつもりはない。むしろ聞き手が感情を昂ぶらせて恋愛話を聞き出さねばならない。
でも今回はいつもと同じとはいかない恋模様。慎重に相手しないと墓穴を掘る羽目になる。
「今から三年前ですかね。その頃はまだ他県に住んでて、生まれて初めて東京に旅行しにきたんです。家族……えっとあたしと両親とそれから……お兄ちゃんで。せっかくの家族旅行だってのにお兄ちゃんに無理やりイベントに連れてこられたんです。会場は一面のコンクリート、歓声で地面がゆらゆら揺れて……これが都会なんだって衝撃的だったのは今でも覚えてます。でもそんな衝撃より、会場のスクリーンに写っていた同学年くらいの男の子がとってもハンサムでキラキラしてて、名前も声も知らないのに釘付けになってしまったんです。それが一目惚れの相手というわけで」
初恋を晒した乙女は顔を真っ赤にして黙ってしまった。初々しい反応にわたしまで恥ずかしくなってくる。本当はもっと情報がほしいところだが、少なからず相談事が彼女のコンプレックスと関係があるようだ。だから彼女から話し始めるまで、熱った身体が落ち着くまで待つことにした。
短い会話の中でも手がかりはいくつかあった。
東京でイベント。中学生くらいの男の子でも参加できるもの。会場が割れんばかりの熱狂。
それだけでも大きな判断材料になる。ここまではおそらく四谷も同じ意見。だからこそのアキバオタクの出番というやつなのだろう。
「日奈子はどう思う? ゲームのイベントかな」
「私もそう思って調べたんだけどさ……これ見て」
と、日奈子のスマホの画面を見てみる。
それは国内で開催されたゲームイベントを全て記録した個人ブログだった。三年前のイベントだとリンク切れを起こしているものも多いから、個人でまとめてくれるのは非常にありがたい。
「伊織がスクリーンで見た男の子って、要は大一番の勝負でメインステージにいたってことでしょう? でもさ、ここのブログを見てみても三年前のゲームイベントで決勝戦に進出したのは大人だけなんだよね」
四谷に促されるがまま一通り目を通してみるも、その通りだった。昨今のゲームの大会では公式が記事を作り、ネット上で公開しているケースが多い。そこで入賞者の顔写真と名前、もしくはハンドルネームが掲載されるのだ。
そのブログには無断転勤なのかは知らないけど、ご丁寧に一つずつ顔写真と名前が掲載されており、三年前に行われたゲーム大会では同年代の子は誰一人いなかった。
お手上げには早いが今の段階ではなにもできまい。
ちなみにわたしが「ソーサリー・スピリッツ」の世界大会に出場したのも三年前。予選はどうだったか覚えていないが決勝トーナメントでは確実に会場にスクリーンはあった。けど決勝トーナメントまで残った選手はわたしを喉いて全員成人男性。しかも外国人ばかり。だからあの大会は候補から外すことにしよう。
「お兄さんに訊けないかな」
やっぱり同行者から話を聞き出すのが先決だろう。お兄さんとコンプレックスは関係ないだろう。
けどわたしがそれを訊いた瞬間、隣の四谷の顔が曇った。返事を待たずとも、あれだけ警戒していた地雷を踏み抜いてしまったと気づいてしまった。
「お兄ちゃんは家族旅行から数ヶ月後に亡くなりました。あぁ、気にしないでください。そう考えるのは当然ですから」
「ん、わかった。会場の場所とかイベントの内容とかもわからない?」
「車で行きましたし当時は土地勘がなかったもので……すいません、あ、そういえばあの日、イベントが終わった後ショッピングしました」
「本当?」 これまで静観していた四谷が驚いた反応をしていた。
「あの時、お兄ちゃんに服を買ってもらったんです。東京で暮らし始めた兄が初めて買ってくれた、最初で最後の贈り物です」
うん、それは大きな手がかりだ。東京でイベントができて、尚且つショッピングができる場所。土地勘がなければ勘違いしている可能性もある。東京近郊の可能性だってあるんだ。
それならなんとかなりそう。それにこの手の話なら切り札もあるしね。
心なしか憂いを帯びた小日向を励まそうと一段と声を高くしてこう云った。
「なんとかなるかも。だから心配しないで」