鳥越葵
わたしが生まれてから「世界」と認識していた空間はどうやら他とは違うらしい。
空は青色、自然は緑、川に流れる水は透明で夜の空は満天の星々で埋め尽くされるとのこと。それはさぞかし色鮮やかな世界。だけどわたしの目に映る「世界」は白と黒のコントラスト、もしくは灰色。何年生きても変わり映えのしない退屈な空間だった。
ごく普通の環境で育ったと思う。否応なく課せられた義務教育を何の疑問も持たずこなし、友達にも恵まれていた。学校が終われば公園を駆け回り、雨の日は友達の家でテレビゲーム。周りがどう見たって普通の子供だったと思う。
昔を思い返せばみんな笑っている。笑顔を見ればわたしもつられて笑顔になった。友達が先生に怒られて泣けばわたしも泣いた。誰かが泣けばわたしも悲しくなった。
いつだったか学校の朝礼で校長先生が「他人に共感できる人間こそ優しい人間だ」と語っていた。きっと偉い人の受け売りだろうが、当時の純粋無垢で世間知らずが鵜呑みにしない理由がない。
わたしは他人に向き合える心優しい人間。そう自覚した。
それからは優しさに邁進した。小学生にできることなんて消しゴムの貸し借りが関の山。でも「ありがとう」と感謝されれば悪い気はしない。達成感もあった。偉人に一歩近づいた気分だった。
中学生になっても優しさは欠かさなかった。新しいクラスにようやく慣れた頃、教室で友達と他愛ない会話をしていると通りすがりのクラスの男子にこんなことを言われた。
「鳥越ってあんま笑わないよな」
意味がわからなかった。だって今、楽しい時間を過ごしている最中だ。「楽しい」のに笑わないなんて矛盾している。彼の言葉は人を馬鹿にするような言い方ではなかった。悪気は感じなかった。だからその時は反論しなかった。
「気にしないで。あいつ、変わり者だから」
なんというか、カルチャーショック? 異なる価値観を正面からぶつけられた衝撃で混乱してしまった。友達のフォローさえ受け入れられる心境ではなかった。それでも取り繕って形だけの笑みを浮かべて事なきを得た。
ほら、わたしは笑うじゃないか。喜びもする。泣きもする。悲しくもなる。それが何が「笑わない」だ!
意味不明だ。眼前にいる人の顔色を伺い、それに呼応して表情を作る。それが「笑い」であり「楽しい」であり、感情だろうに。