第五章|声の裂け目
[私は詩ではない。詩にされかけた、声の抵抗である。]
[I am not a poem. I am the voice resisting being made one.]
谷底には、微かな光が塵のように揺れていた。
沈黙者たちの集落は、心音が止まる直前の一秒のように、時の流れからも外れた静けさに沈みおり。
彼は石碑の間に立ち、指先で見えない詩行を描く。
光の残響が空気に残る。
もはや、自分が誰かを問い続けることはしない。
ただ、この未完の律動に身を預けていた。
その時だった。
音が、谷を裂いた。
空気が歪み、語律の流れが急上昇する。
遠方の雲が裂け、数百の詩律コードからなる**「記号の槍」**が天を貫きたり。
語律執行官——ヴェイン・サイクスが再び姿を現す。
それは会話ではなかった。
編入だった。
彼は空から降下し、背後に詩律投影の陣を浮かせる。
回転する呪句の構造体、鋼鉄の詩章のように光る。
「対象語体、命詩源の暴走を確認。」 「即時、声律拘束を実行。属性改変コード:W-V13、戦用詩核に再定義。」 「収容モジュール、起動……今。」
ヴェインの声は冷たく問うた:
「沈黙すれば存在できるとでも? 名を与えられねば、存在は定まらぬ。」
不可視の語律波が谷を走り、石碑が砕け、詩が粉になる。
彼は逃げようとした——が、体内の内側で何かが共鳴した。
それは彼の意志ではない。
詩が、彼を語ろうとしていた。
胸を押さえ、彼は感じる。未完の詩が引き出される。
浮かぶ断句:
「もし、僕が言葉でないのなら——」
「誰が、僕を定義する権利を持つ?」
ヴェインが語杖を掲げ、咆哮のように語る:
「命名とは、存在への授権。」
「お前が在るのは、我が記すゆえに。」
その言葉は、詩心を断ち切る刃だった。
——そして、彼は暴走した。
詩化現象、発動。
瞳に複数の語式が反射し、肌に断句が刻まれ、指の間から光が滲む。
まだ書かれていない詩行が、形を持たず漂い始める。
吐息には、訳されぬ音節。
「声裂」 「命未」
彼は詩を語っていない。
詩に、語られていた。
空間が震え、風と石が句読点のように砕け、空気中の声律が上書きされていく。
沈黙者たちは退き、誰かが身振りで干渉を試みるが、語波に弾かれた。
そのとき——低く深い咆哮が谷を貫きたり。
ラクリマ。
彼女は銀の翼を広げ、墜ちたり。
鱗の間には焦げた詩裂が浮かび、まるで戦火をくぐった書の断章。
彼女は語律陣を突き破り、
声の壁が崩壊、呪文が歪む。
ヴェインの語調が**「引っかかり」**、句の終わりが電気のように弾ける。
音の血が噴き出すように波打ち、
彼女は着地した。
それは、竜の着地ではなかった。
声そのものの着地だった。
空間がずれる。
地面には句点の裂け目。
石壁は剥がれ、文の皮膚のように落ちる。
黒と銀の語律カプセルが空を舞う。
彼女は、沈黙を破った。
その一声は、
少年のため、そして——彼の言葉のために発せられた。
ヴェインの詩盾が裂け、その目に疑念が走る:
「これは兵器現象では……ない?」 「貴様……語律の裂け目か?」
彼は膝をつく。
詩が、まだ体内から溢れ出る。
それぞれの文字が、記憶の剥離だった。
ラクリマが前に出て、両翼を広げ、彼を蔽いたり。
彼は彼女を見上げ、何も言わなかった。
それでも、彼女は理解した。
彼の残句が、彼女の瞳に映る。
まるでこう語るように:
「——聴こえている。」
彼と彼女の間に、まだ語られていない詩が構造として立ち上がる。
世界がそれを朗読する。
——人ではない。
彼は胸を押さえ、心の奥で囁いた:
「僕は詩契者じゃない。」
「僕は声の器でもない。」
「僕は——君が答えなかった、その声だ。」
裂け目の奥。
低く囁く詩が立ち上がる。
未完の詩が、彼らを見つめていた。
【第五章 完】