プロローグ
美しい少女だと思った。
それ以上に儚い少女だった。
すぐそこにいるのに、少しでも意識を逸らすとあっさりと見失ってしまいそうだと、そんなありえないイメージすら抱いた。
「……お前が聖女か?」
少女に問いかける。
この世界に彼女以外はいないとでも言うように、彼女の声も動きも何一つ見逃さないように意識を集中する。
少女はゆっくりと微笑んだ。
無邪気に。
本当に嬉しそうに。
蕩けるような微笑で。
その微笑みこそ、問いかけへの返答だった。
問いかけと言うよりは確認に近いものであった。
それでも、噂に聞く「聖女」と目の前の少女とのギャップに内心驚いた。
「そう言う貴方は魔王様、とお呼びすればよいかしら?」
甘く甘く、吸い込まれそうな声で問いを返された。
「……好きに呼べ」
出来る限り感情を押し殺して答える。
……俺が魔王、か。
似合わなさなに自分でも笑ってしまいそうになる。
何が魔王だ。所詮自分なんてただの殺人鬼。
魔王なんて大層なものじゃあない。
「これが魔王様? 想像していたのとずいぶん違うのね」
聖女の肩の上に、片翼の妖精が腰掛けながらこちらに視線を向ける。
「マリアトゥレシア、失礼な事を言ってはダメよ」
聖女が妖精を嗜めるように言う。
その妖精の名前を耳にして戦慄が走った。
黒竜マリアトゥレシア。
世界に数体のみ存在する竜種。
その一体。
聖女と黒竜の組み合わせなど、想定外にも程がある。
「ねぇ魔王様、少しお話ししませんか?」
聖女は小首を傾げながら問いかける。
「生憎、面白おかしくおしゃべりするようなたちではない」
睨みながら言うも、相手はまるで意に介さずくすくすと笑っている。
「聖域」
聖女がその魔法を口にした瞬間。
ーー落ちた。
そう感じた。
落下する浮遊感に体が包まれ、何処までも、何時迄も落ちていく感覚。
何も変わっていない筈なのに、明らかに今迄とは異なる世界。
いや、世界の中に別の世界が突如現れたかのような感覚。
異界と言っても過言では無い。
……これが聖女のみが使えると言う魔法《聖域》。
目の前にいるはずの聖女の存在がどこか希薄に感じる。
相手を正確に捉えられない。
厄介な魔法だな。
目の前にいるはずの相手に、こちらの手が届く気がしない。
近接戦闘において、致命的なハンデと言っていい。
そしておそらく、この魔法の効果は当然これだけではないだろう。
まだ何か仕掛けがあるに違いない。
この魔法に捉えられ生還した者はいない。そのため、どのような魔法なのか正確な情報は無い。
……本当に厄介な魔法だな。
「さぁ、これでゆっくりお話しできますね」
こちらの様子を気にした様子もなく聖女は語りかける。
「ひとつ、予言をして差し上げますわ」
無邪気さが消え、妖艶さを感じさせるような微笑みをはりつけながら、聖女はこちらに手を差し出した。
「はっ。占い師にでもなったつもりか?」
嘲るように答えながら、相手の動きに細心の注意を払う。
しかし聖女はそんな態度にこそ一層笑みを深め、
「貴方は必ずこの手をとる、と」
迷い無く断言した。
それは、歴史に語られることのない2人の出会いの一幕。