第三十八話:月華の届かぬ暗闘 其の二
ドラクエ3が買いたいです。
でもその前にスイッチ買わないと。
リキュール・デュアル。
その出生は不明であり、五年前にナーベリックの紹介により『鎖の狩人』の門戸を叩いた。
僅か五年で南武流を豪級まで修め、一年前に『鎖の狩人』の幹部の椅子に座った。
しかし、彼が幹部の椅子に座った理由はそれだけではない。
『鎖の狩人』には暗黙の了解がある。
それは、勝者が全てを手に入れる事。
勝者が敗者の全てを喰らい、強者を作る。
この弱肉強食の理念こそが『鎖の狩人』を帝国北部最大の裏組織にした大きな要因だ。
簡単な話、出世したければ上司を殺せということだ。
ただし組織の秩序と商売だけは守る為、任務中の仲間割れは連帯責任の処刑という方法で潰した。
しかし、それ以外では互いの寝首を掻く日常が続いてしまう為、メンバーの殆どは互いの素性を殆ど知らない。
さて、そんなリキュールだが、彼自身も例に漏れず幹部の椅子に座っていた人間を一年前に殺している。
殺された元幹部は、帝国貴族の出身だった。
素行不良に見合わぬ魔術の才能があり、自らの兄と後継者争いの後に敗れ裏の世界に足を踏み入れた。
豪級魔術を巧みに操る魔力量と資質、帝都の武術大会で成績を残すほどの帝国式剣術。
如何にリキュールと言えど、この男を殺して幹部の椅子に座ることは不可能だった。
たった一つの要因を除いて。
特異魔術『幻影術』
所謂幻を生み出すその魔術を隠していたリキュールは、時が来たとばかりに男を殺した。
才能に溢れた男も、その特異には勝てなかった。
『幻影術』は今回の誘拐事件でも大いに使われた。
裏路地に入った子供に『幻影術』を掛け、フェゼイル商会の準備した馬車に乗せる。
この単純な作業で、彼等は帝国北部の地で何度も誘拐を繰り返した。
『幻影術』は、ユークリストの特異魔術とは違い戦闘に於いてその効力を十二分に発揮する代物であり、体格差・経験値等も考えるならば彼の勝ち目は万に一つもない。
そもそも声変わりすらしていない児童と、二十歳間近の子供を殺し合わそうなんて度台馬鹿げた話である。
正しそれは、彼がただの八歳児であったのならーーーーーの話である。
ーー
『幻影』
その言葉を皮切りに、俺の視界に映る世界が揺れた。
「ッ……なんだこれ?」
ん?何だ今の?こいつ何しやがったんだ?
リキュールが何かを呟いたと思ったら、俺の視界が歪んだぞ!
毒か?魔術か?それか、何か致命傷を喰らってしまったのか!?
自分の身に何が起きたのか全く分からない。
ていうか、あんだけ有利だったくせにこいつまだ隠し球があんのかよ!!
こっちは殆ど手札を使い切ったっていうのに……
どうする?まずは、自分が何をされたのか確認するべきだよな。
でも『おい、俺の体に何をしたんだ!?』と聞いて素直に教えてくれる相手じゃないよな。
ロキの『鑑定』も時間が掛るし、確実とは言えない。
くっそ、どうすんだよ………このまま何もしなかったら。
マジで死ぬぞ!? 俺!!
目の眩みを少しでも和らげる為、魔撃棒を持っている左手を額に手を当てる。
歪んでいる視界の中でも抽象的なイメージを逃さない為、リキュールが居た方向を睨みつけている。
しかし正直に言って、今襲われたら一溜まりも無いだろう。
『反響探査』
『ユークリスト、気をしっかり持つんじゃ!彼奴は動いとらん、未だ正面じゃ!』
『ロキもあるじをまもるよー!!』
「あ、ああ!わかった、ありがとうノート!」
この窮地とも呼べる場面で、仕事をしたのはノートだった。
ぼんじりと知識だけが取り柄の駄鳥じゃないって事か。
ノートからの情報を頼りに、俺は真っ正面に魔術銃を構え直す。
ロキも野生の勘なのか何なのか、とにかく俺よりも先に真正面に構えていた。
「…………」
しばしの、ほんの僅かの沈黙。
歪んでいた視界が、徐々にクリアになっていく。
歪みは徐々に人型に、袖の広い洋風チャイナ服を着た道化師がその姿を現す。
ただ、違う点が一つだけある。
決定的に違う点が一つだけ。
いや、一つという言葉が適切かどうか……
歪みが消えた視界の先に居たリキュールは、二人だった。
寸分違わぬ人間が二人並んで、同じようなニタリ顔で此方を見ている。
は?分身?
『それじゃ、公演の始まりだ。』
「ッ……!!ロキ、ノート構えろ!」
まだ頭の整理がついていない俺の掛け声と同時に、二人のリキュールが地面を蹴り出した。
先程と変わりない、身軽なフットワークで此方に肉薄してくる。
ああ!!まだこっちは何もわかってねえのに!!
さっきのあいつの言葉を思い出せ。
呟いていたのは『幻影』の言葉、そして更にこの現象は………
この現象を俺は知っている、見たことはないけど。
アレは確か、地下室に籠っていた時のことだ。
自分の特異魔術の可能性を広げることに少しばかりの限界を感じた俺は、他の特異魔術について調べていた。
単純な興味もあったし、何より知っていたらそれを使う敵や魔獣に出会した時に対応できると考えたからだ。
地下室内の資料には、過去に特異魔術に適性のあった公爵家の人間の情報があった。
特異魔術を系統別に分けた、フローチャートのようなもの。
それぞれの魔術の特性や、その詳細などが書かれた資料が多数置かれていた。
その中にあったんだ。
こう、視界が歪むやつが。
魔術に掛ると同時に対象者の視界を歪めるやつがあったんだ。
……あ、あれだ。
確か……『幻影術』だったか……?
ああ、そうだ、それだ!
そんで、これはその第一段階の『幻影』だ。
簡単な幻を作り出すとか、何とかだった気がする。
仕組みが簡単だが、汎用性の高い魔術だ。
『幻影術』を破る方法は二つ、真っ正面から打ち破る事と慣れだ。
そんで、今の俺には両方とも無理な話である。
しかし、相手は分身だ。
分身ということは、どちらかが偽物でどちらかが本物だ。
つまり、確率は50:50って事だ。
こうなったら、行き当たりばったりで勝負を仕掛けるしかないだろ。
だけど当てたところで、こいつに避けられたら終わりだが。
余計なことを考えるな。
今は出来ることだけに集中するんだ。
「ロキとノートは右の奴を! 俺は左だ!」
『わかったー!』
『うむ!!』
俺の指示に従い、従魔の二人は右の奴に向かっていった。
『変身ー怒大熊ー』
『風槍』
ロキはその姿を『変身』の魔術で怒大熊に変えた。
ノートは風魔術の『風槍』で向かってくるリキュールに放つ。
魔術銃『火弾』
もちろん、俺も左側から壁伝いに迫ってきているリキュールに向けて『火弾』を撃ち出した。
そして、怒大熊になったロキの鋭爪が。
ノートの放った『風槍』の一閃が。
俺の魔術銃から放った『火弾』の猛威が。
それぞれに相対したリキュールの身体を貫通し、その存在は腕で煙を薙いだように消失した。
当然のことだが、血も吹き出ていない。
二体とも、幻だった。
「ッ……!!本体は何処だ?」
咄嗟の判断、というよりも条件反射だった。
本物を探す為に部屋中を振り返った。
次の瞬間。
「こっちだよ……」
「ッ………!!」
ほんの少し、僅か5メートルほどの後方からその声が聞こえた。
これにも、もちろん条件反射で振り向いた。
そして、身体の前で腕をクロスさせて防御の姿勢をとる。
そんな事とは関係なく、俺に向けられた悪意はやってくる。
「ぐぁっ……!!」
リキュールの鞭打は呻りを上げ、俺の脇腹を切り裂いた。
公爵家の子息用に作られた上等品が、水に濡れたトイレットペーパーのようにアッサリと。
当然、その下にある八歳児ボディにも浅い切り傷を作り、地面に鮮血の弧が描かれた。
「はあ、はあ……!」
緊張による発汗と浅い呼吸。
『ユーリ、大丈夫か?』
『あるじーいたいいたい?』
『大丈夫、だから警戒を怠るな。』
従魔達の心配も他所に、リキュールへの警戒を緩ませない。
正直、めちゃくちゃ痛い。
自分の脇腹から、血が流れ出ているのを肌で感じている。
無くなっちゃいけない物が、自分の中から出てる実感がある。
こういう時の止血って焼けば良いのかな?
焼灼だっけ?アレはアレで気絶するぐらい痛いだろ。
「けはは、どうだ?痛えだろ? 今のをこれから時間を掛けてゆーっくり続けてやるからな。」
ニヒルに笑いながら、リキュールは再度口を開く。
悪戯をする前の子供の様に、舌を出した。
『幻影』
視界が歪む。
最初とは違い歪みは浅いが、看破できるほどじゃない。
再び目の前に、リキュール達が現れた。
恐らく、此処が俺にとっての土俵際であり崖っぷちであり正念場だ。
この窮地を抜ける打開策は、未だ見つからない。
しかし悪意はやってくる。
「ッ……次はどっちだよ?」
『ユーリ!ワシ等はどうする!?』
さっきと同じ方法だったら、また同じ結果になる。
何か対策を立てないといけない。
「ロキはそのまま、右から来る奴の対処!」
『うん! わかったー!!』
「ノート、お前は制空権を取れ。」
『よし、任せい!』
俺の指示に従った従魔二人。
『ノート、さっきの魔法同時に何本出せる?』
『威力は落ちるが四本が限界じゃ。それ以上はコントロールが効かん。』
次の会話を念話にするのは、ネタバレを防ぐ為。
抽象的な指示は、それを聞いている人間の想像力を無駄に掻き立てる。
『よし、それじゃあ2・2で分けろ。そんで左右から来るアイツらにぶつけろ。』
『ユーリはどうするんじゃ?』
『俺は、一発だけ撃ってから本物を探す。』
簡易的な指示で、簡易的な作戦会議を終わらせる。
「内緒話は終わったかぁ!? なら行くぜえエエ!!」
再び駆け出すリキュール。
先程よりも直線的に此方へ向かってくる。
もう一度、ロキの鋭爪とノートの『風槍』が奴等を迎え撃つ。
『うおー!』
『ふぬっ…!!』
ロキの一撃、鋭爪がリキュールに迫る。
リキュールは、それを去なすように軽々と身体を捻って避けた。
その先、待ち構えていた『風槍』に身体を打ち抜かれ煙のように消えた。
右は、幻。
『土弾』
左側のリキュールに向けて『土弾』を撃ち出す。
ここで、俺の視界からリキュールの姿を切る。
影で隠れている本物が居るかもしれないから、周囲を警戒する。
『ユーリ! そっちが本物じゃ!!』
「ッ……ーー」
ノートからの念話が飛んでくる。
さっきのが本物!?
直ぐさま振り向いて防御態勢をとるーーー
「がっ……!!」
飛んできたのは拳、捕らえたのは俺の右頬。
例の如くその勢いから吹き飛ばされ、地面を転がり、近くの壁に打ち付けられる。
「がはっ…がはっ…!」
また呼吸が乱れる。
「ほら、ほらほらほらほらほらぁああ!!避けろ避けろ!! じゃねえと次は身体に穴が空くぜぇえ!!」
鞭打を警戒していたら距離を詰めて殴打が飛んできた。
抵抗の出来ない後出しジャンケンを喰らってる気分だ。
未だ、此方からの攻勢には出れていない。
何か決定的な突破口を作らないと、このまま嬲り殺しにされるぞ。
ー
度重なるリキュールの攻撃に、俺の身体はズタボロ雑巾のようになっていた。
手を空ける為、魔撃棒はノートの『異空間収納の中にしまった。
服と身体には複数の切り傷、避ける為に地面を転がった時に出来た土汚れ。
浅い切り傷が複数作られ、肉汁が漏れた焼小籠包みたいに血が出ている。
身体と顔に痣も出来た、未来のハイパーグレートスペシャルイケメンが台無しだ。
リキュールの動きは鈍ることを知らないようで、寧ろ俺が衰退していくのを見る度に動きのキレが増している気がする。
実際、こいつの戦い方は理に叶っている。
持ち前の身体能力と南武流武術、そしてそれを十二分に発揮する為の『幻影術』。
元々、不和不規則の闘法で相手のリズムを崩して戦う事が得意な南武流だが、そこに『幻影術』を組み合わせる事でかなりの相乗効果を出している。
かなり、なんて言葉が生易しく聞こえるほど、かなりだ。
こいつと真面に戦えるのは、公爵家の人間でも筆頭騎士ぐらいだろう。
言わずもがな、俺は足下にも及ばない。
「だーかーら、次はこっちだよぉお!」
まただ、リキュールの動きを目で追っている時に死角から現れやがる。
何度目になるのか、無駄な抵抗だとわかっていても防御の姿勢をとる。
ーそれが何の為になるんだよー
「!………ぐぁあ!」
一瞬の硬直。
その所為でリキュールの蹴撃をモロに喰らい、再び壁に打ち付けられる結果となった。
ああ、なんでだよ。
もう腹を決めたはずだろうが。
ここでやり切らねえと、マジで死ぬんだぞ。
俺だけじゃない、スティアだって従魔達も、他の子供だって全員だ。
なのに、またかよ……
怖くて身体が動かねえのかよ。
動けよ俺の身体、反応しろよ俺の本能。
ー立ち上がってどうするんだ?ー
地面に這い蹲りながら、そんな考えが頭に浮かぶ。
何度目になるかもわからない、口の中に砂が入っても苦になってない。
あいつと戦うんだよ。
勝てなくても、ワグやアルマン達が来るまで耐えれば何とかなるんだ。
ここで俺が立ち上がらないと、他の多くの人間が絶望を味わうことになるんだ。
ー知らない人間の為に命をかける?いつからそんな高尚な人間になったんだ?ー
高尚な人間なんて目指してない。
ただ俺は、ぐっすり眠りたいだけだ。
助けられなかった人の顔を浮かべて、死んだ人間の顔を浮かべて眠るのが嫌なんだ。
というか、そんなんじゃ満足に眠れない。
こちとらPTSDの前科があるんだ。
ーならこのまま無抵抗で嬲り殺しにされるか?ー
殺されるなんて御免だ。
前にも言っただろ、死ぬんだったら醜いぐらいなまでに抵抗するって。
ーだったら早くやれよ?あ、そうだ、それが出来ねえから今こうして地面に這い蹲ってんだよな?ー
それは、きっと誘惑に似た何かなんだろう。
もしくは本能か、それとも本性とも呼ぶべき者なのか。
これは、きっと前世の俺だろう。
堕落的な生活の中で、盲目的な希望を持っていたあの頃の俺だ。
もうすぐ大学を卒業するって時だったのに、就活も何もしていなかった。
もちろん、貯金も計画も何も無い。
ただ、漫然と目の前に出された餌を貪る家畜のように過ごし。
海に溺れる寸前だってのにきっと大丈夫、なんて根拠のない自信だけがあった。
無知な若者の言語化できない無敵感を身に纏って、惰性を謳歌していたあの頃の俺。
そんな俺が耳元で囁いている。
ーなあ、逃げろよ?そんでまた地下室に籠ろうぜ。大丈夫、実家が太いんだから金には困らねえよ。ー
地下室に籠ってどうするんだよ。
そんな場所にスティアは居ないし、そんな俺の所からはワグだって居なくなるだろ。
ーはっ、スティアの事なんて気にするなよ。元々は成り行きで始めたボランティアみたいなもんだろ?ワグにしたってそうだ、帝国じゃ珍しかったからだ。お前は、そうやって自分の異世界ライフを特別な物にする為に、目新しい物を自分の周りに置いてきたんだよ。レアカードを集める子供みたいにさー
俺の中の嫌な部分を捲られたような気分だ。
それほどまでに、自分に向けられた言葉は鋭く心に突き刺さった。
俺は、自分の異世界ライフを特別にしたかったのか?
だから、ワグやスティアを自分の専属侍従にしたのか?
まるで、コレクションするみたいに。
確かに、自由気ままに生きていければ良いとは考えていたが、スティアやワグに降り注ぐ問題事からは何が何でも守るつもりだった。
それは決して、ゲーム感覚のお遊びだったわけじゃないと断言できる。
ーだったら、この体たらくは何だよ?『助ける』『守る』なんて正義の味方ぶっちゃいるが、結局はこの様だ。お前は、口だけの男なんだよ。語るモノだけ一丁前で、行動が伴わない堕落者。なあ、逃げろよ?大丈夫、誰もお前を責めねえから。だってお前は公爵家の末っ子だぜ、きっとパパが守ってくれるさー
うるせえ、黙れよ。
そんな事、俺が俺自身を許せなくなる。
ーはっ、この期に及んで自尊心が大事か!? そんなモノよりも自分の命の方が大事だろ!?ー
俺は、一回死んでるんだぞ。
まあ、死因は知らないけど。
それでも、訳もわからずこの世界にやってきた。
俺のことを家族だと思って接してくれる人が居る反面で、俺はその人達のことを他人だとも思っている。
自分の命の使い方なんてわからない、知りたくもない。
そんな俺が自尊心を無くしてしまえば、この先どうやって生きていけば良いかわからねえだろ!?
ーそんなのは生きていたらの話だ!死ねば命を使うどうこうじゃねえんだよ!ー
だとしてもだ、俺は逃げない。
逃げたくないんだよ。
漫然な理由かもしれない。
幼稚な理由かもしれない。
それでも、逃げたくないんだ。
ーなあ、やめろよ。本当に死ぬぜ……今度は、転生なんてしないぞー
わかってるよ。
お前だって死にたくないし、簡単に彼等を見捨てたくないんだよな。
これは所謂、天使と悪魔の囁きってヤツかもな。
地面を踏みしめ、ゆっくり立ち上がる。
恐怖で重くなっている両肩を、それ撥ね除ける勇気で支える。
震える指先も、鈍痛が走る傷口も、痛くない怖くないと自分に言い聞かせる。
俺はやらないといけない。
俺の目の前には、相も変わらず無傷で壮健なリキュールが鞭を肩に掛けて待っていた。
満身創痍、思案投首な俺の様子をニヤけ面で此方を眺め、既に勝ち誇っているようだ。
ホント、こいつの顔を見る度にイライラするな。
「なあ、そろそろ限界が近づいてきて、今ならリアルにイメージできるんじゃねえか?テメエが死ぬ瞬間ってヤツがよ?」
「ああ、俺の勝つイメージが頭の中にビンビンきてるよ……」
もちろん、そんなモノは無い。
しかし、口上戦ってヤツは何でもありだ。
相手の思考や行動に影響するモノなら何だって言ってやる。
「けっ、ならそいつを見せて貰おうじゃねえか!?」
少しだけ苛立ちを感じさせる声色で、変わらずリキュールが此方に迫って来た。
『幻影』は無し、魔力的な問題かそれとも既に必要ないと判断したのかわからないが、俺にとっては良い兆候だ。
頭をフル回転させろ、ここで最善を選択するんだ。
そんな俺の思考とは別にリキュールは迫ってくる。
此方の体力だのなんだのが諸々低下している所為で、さっきよりも早く感じるのは気のせいだろうか。
くそ、何か、何か無いのかよ。
視界に、ふと映ったモノがあった。
ーーーあれだ。
「!」
『っ……ユーリ!!』
『あるじー?』
身体が反応した俺は、リキュールに背を向けて走り出していた。
俺の名誉の為に言っておこう。
これは逃走でも、戦略的撤退でもない。
俺が向かっている先にあるモノは、扉だ。
この地下空間と繋がっている別の部屋に繋がる扉。
そこで、リキュールを迎え撃つ。
いや、これは戦略的撤退かもしれない。
うん、そうだ、怪我の所為で禄に頭が回ってない。
もちろん、そんな事をしてリキュールが追ってこなかったら如何するのかとも考えた。
しかし、あいつは必ず俺を追ってくる。
戦闘狂だからだ、生死の狭間で興奮する性的趣向を持った異常者だからだ。
ああいうヤツは、危険が高まったシチュエーションほど燃え上がって足を踏み入れるんだ。
それは、これまでの戦闘でも見えてきた数少ない事実だ。
「あー……そっち行っちゃう?」
落胆したような、驚いたような。
そう言ったリキュールの声は、俺には届いていなかった。
ただ真っ直ぐ、扉に向けて駆けていた。
扉との距離が近づいてくる、リキュールが俺を追ってくる気配はない。
あれ、可笑しいな、あいつなら必ず追ってくると思ったのに。
何か読み違えたか、それとも…………
あいつが追ってこない理由が、この扉の先にあるのか?
扉が開く。
そこには、醜悪と凄惨と邪悪に満ちた光景が広がっていた。
ーー
最初は、匂いだった。
臭くて酸っぱくて、鼻の穴から入って腹の中から根こそぎ何かを引っこ抜こうとする醜臭。
次は、足だ。
部屋に入った瞬間に何かを踏んだ、ぬちょっとした感触が纏わり付いている。
最後が、目だ。
目の前に最悪の光景が広がっている。
部屋の至る所に血がこびり付き、明らかに惨殺されたであろう肉片が付近に散らばっている。
それらが人だった事は、服と見受けられる布切れを見れば明らかだ。
狂乱科学者の実験所と説明されても納得がいく。
死を生み出す為に用意された部屋と言っても過言じゃない。
四肢だけじゃない、生首も転がっている。
というか、これって全部……嘘だろ。
呼吸が浅くなり、動悸が激しくなっている。
目の前の光景が、あまりに悲惨だったからだ。
異臭を嗅げば涙が出ると聞いた事があるが、これはそんなレベルの話じゃない。
子供の死体だ。
山のように積まれた子供の死体と、湖のように広がる子供の血。
虚ろで無機質な瞳が、無情にも此方に何かを訴えている。
この場で何があったのか、そんなの容易に想像できるほどの惨状が目の前にある。
真面な死体が一つも無いなんて考えるのは、異常な事だろうか。
無情に肉が千切られ、無造作に投げ捨てられている。
苦痛と恐怖と醜悪を煮詰めたような。
そんな、どうしようもない現実がそこにあった。
「………なんだよ…これ……?」
さっきの自己問答が生温いと感じるほど、眼前に突きつけられるドス黒い現実。
今すぐに鼻を摘まんで逃げ出したいほどの異臭は、目の前の光景をフィクションではないと裏付ける。
頭が眩む、真っ当な思考が出来ない。
「うっ……おぇえええ!!」
突然、込み上げてきた吐き気を両手で押さえ込もうとしたが、胃酸の濁流を塞き止める事は出来なかった。
思わず両膝を地面に着いた俺は、胃の中が空になるのを待つしかなかった。
せめて身体の中だけは空にしたい、精神的にはグチャグチャなんだから。
だって、こんな、こんなのって………
『ユーリ、何があったんじゃ!?』
『あるじーどうしたのー?』
俺の様子を慮った従魔の二人が此方へ駆け寄る。
不幸中の幸いか何かなのか、リキュールからの追撃はない。
「ッ……来るなぁあ!!」
そんな二人に向けて、若干怒鳴る様に大声を上げる。
当然、驚いた二人はその足を止めた。
こんな光景、二人に見せちゃいけない。
『なっ……なぜじゃ?』
「……何でもだ!」
魔術銃を持った右手で口元を拭いながら、シャッターを閉めるようにノートとの会話を強引に終わらせる。
何故なんて、そんなの説明できるわけがないから。
「……うぇ……」
汚臭に耐えきれず思わず目が眩み、近くにあった壁に手をついて自分を支える。
さっき出し切ったはずなのに、これ以上何が出るというのか。
ん?何だ?
立ち上がろうとした足に何かが触れた。
小さく、それでも確かに存在しているそれは、俺の見覚えのある品だった。
俺は忘れていた、これを見るまで記憶の隅に置いていた。
あれは、ただの社交辞令のつもりだったんだ。
どうせ、大丈夫だろうと高を括っていた。
その言葉の重みがどれほどなのか、全く理解していなかった。
落とした視線の先に、体積の八割方が血に濡れた人形が横たわっていた。
布の中に綿を詰め、その切れ端を切った貼ったで髪や目を表現している。
簡素で粗雑だが、誰かが愛を込めたであろう事だけはわかる。
母親が愛情を込めて作ったのだろうーーー
二人の娘の為に。
ー……お兄ちゃんが、お姉ちゃんをみつけるの?ー
「あ……あ、あぁああああああ!!」
悲鳴に似た叫び声を上げた俺は足の力が抜けたように尻餅をつき、吐瀉物が混じった血溜まりの中を後退し、近くにある壁で漸く止まった。
鳩尾が胸焼けしたみたいに熱くなり、火山が噴火でもするかのように腹の底から何かが込み上げて来た。
俺は自分の口を手で塞ぎ込み、必死に抵抗する事しか出来なかった。
「うぐっ……!!」
ダメだ、出すんじゃねえ、絶対に出すな!
醜臭に耐えきれず嘔吐した、さっきのとは訳が違うんだ!
今ここで出してしまえば、俺はもう立ち直れなくなってしまう。
きっと……いや、絶対に立ち直れない。
掌に吐瀉物が当たる感触がヤケに気持ち悪い。
これを、ここから胃の中に戻すんだ。
そう、ゆっくり、ゆっくりとだ。
食道をとおして、胃の中に戻すんだ。
ゴクリ、喉の奥を感触が喉に残る、最悪だ。
次は深呼吸だ。
大きく吸って、大きく吐き出す。
「はあ、はあ、はあ……」
ゆっくり、ゆっくりやろうと努めるが、呼吸は速く浅い。
心臓も、俺の思いに反して次第に大きくなっていく。
静まれ、静まるんだ、こんな事で動揺して如何すんだよ!
わかってた事だろ、こんな人権の概念すらない世界なら何だってあり得るんだよ。
こんな事日常茶飯事な人間だって居る、俺が今まで見てきた綺麗な光景なんて、この世界のほんの一部分に過ぎないんだ!!
だから、これは特別な光景じゃない。
だから俺の心臓、どうか落ち着いてくれ。
「あーあ、見ちゃったか……餌場。」
「……は?」
観念したとでも言いたいような声色、しかしそこには一切の悪気はない。
寧ろ、取調室で自らの犯行を得意げに語る犯罪者のように聞こえる。
そこから部屋に入り、リキュールは信じられないような事を口から発した。
えさ?
何言ってんだ、こいつ?
「あー『従魔術』だっけ?それを使うヤツが一人居てな。そいつが連れてる従魔が腹空かすとこれが全く、首を撥ねられたみたいに動かねえんだよ。しかも食費が馬鹿みたいに嵩むし、あれを養うだけでどこぞの領地の運営費とどうこう……ってナーベリックのヤツが言ってたな。まあとにかく、ただ飯を喰わせるだけでも金が掛るって話だよ。」
なんとなくだが、その話のオチが容易く想像できた。
やめろ、それ以上言うな。
それを言葉にした瞬間、目の前の出来事が現実になってしまう。
俺の頭の中で済んでいた事が、凄惨な惨劇に変わってしまう。
「だから、な?ガキ攫ってきて喰わせたんだよ。」
…………
「しかも、これがまた悪食の馬鹿食い家畜共でな。真面な飯を食いやしねえ。ありゃ、完全に小児性愛ババア趣味が移ったな。」
…………
この時か、俺の中の何かが死んだ。
「何で……こんな事出来るんだよ……?」
「あ?」
「お前は、これを見て……何とも思わねえのか?」
「あーそゆこと言うんだ。よりによって貴族のテメエが?」
ほんの少しだが、リキュールの声色に怒気が混じった。
「……なに?」
「この国の貴族だって東の奴隷や獣人の奴隷に同じような事をやってるって話だ。まあ、最近は国としての締め付けが厳しいなんて話は聞くが、それでも一世代前はこんな事日常茶飯事、今だって水面下でやってんだよ。これぐらいーーーー」
「ーーーふざけんな。やっちゃいけないんだよ、これだけはーーー」
「……は?」
今、俺の頭の中なのか心の中なのかを言語化するのは無理な話だ。
正直、自分でもどうなっているのか分からない。
でも、強烈な拒絶反応が出ているのは分かる。
まるでアナフィラキシーショックでも起こしたのか、それともゴキブリを見た時に感じる強烈な嫌悪感か。
今はただ、思いの丈を只管言葉にする事だけ。
これがよく言うところの『現代倫理ムーブ』ってヤツなのか?
ほら、『何でこんな事するんだー!』って悪者をボコボコにするヤツ。
俺はアレがあまり好きじゃない。
独善的だし、力を持っていたら何をしたら良いなんて悪者と大して変わらないだろ。
それにほら、いま俺ボコボコにされてる最中だから。
でも、こんなの間違ってる。
それだけはハッキリ言える。
「お前ら悪人が何処で何しようと勝手だ!勝手に人を殺して、勝手に路地裏で野垂れ死ねば良い!!
でも、これは違うだろ! これだけは! 子供が犠牲になるのは違うだろ!!
何でとか、どうしてとかの次元じゃねえんだよこの話は!!
たとえ時代が変わろうが人種が変わろうが世界が変わろうが、森羅万象古今東西やっちゃあいけねえってアウストラルピテクスの時代から決まってんだよ!!
この子達には家族が居るんだ!
お腹を痛めて産んでから、この子達の立った喋った笑ったで一喜一憂する親が居る!
この子達を守って慕って、一緒に育った兄妹が居るーーーーー」
声を上げる。
目の前にいる、無情の死を迎えた彼等の代わりに。
彼等が上げたであろう悲鳴と、助けを求める声の代わりに。
ある日突然、彼等を奪われた遺族の怒りの代わりに。
「家族が居るんだぞ……家族がッ……!!」
ーユーリ……ユーリ!ー
涙が、溢れ出してくる。
ああ、そうか、そうだよな……当然の事だったんだ。
だって……家族なんだから。
どうして、今の今まで忘れていたのだろう。
生きるのに必死だったから? 違う。
こんな非常時に、こんな最悪のど真ん中にいるのに。
何故か思い出すのは、彼女の事だ。
ーまた勝手にどっか行って、ほらお姉ちゃんと手を繋ぎましょー
死にそうになっているって時に、彼女の事を考えると何故か気持ちが落ち着いてしまう。
さっきまで激しかった動悸や心臓の動きも、次第に落ち着いていく。
ー大丈夫、何があってもお姉ちゃんが守ってあげるからー
靡く金の髪、揺れる蒼い瞳。
この八年間、いつも俺の手を引いて前を歩いてくれた。
ー大好きよユーリ、だから何処にも行かないでー
俺はその手を離したのに。
変わらずに、俺を愛してくれる。
今は、少し喧嘩気味かもしれないけど。
ここを生きて出なきゃいけない理由が、また一つ出来た。
絶対的な理由が……
しかも、逃げたいとか引き籠もりたいとかのマイナスな動機じゃない。
生きて、もう一度家族に会いたい。
ルルティアに会って、仲直りをしたい。
家族になりたい、心の底からそう思ってる。
「はっ、何をガキみてえに泣き出してんだよ? あ、てめえガキか……まあそんな事はどうでも良いや、なんか萎えたし……死ねよお前。」
俺の後ろで呆れたような声を上げたリキュールは、その手に持っている鞭を振り上げる。
壊れた玩具を捨てるような、もう俺への関心なんて無い事が声色から分かった。
そりゃそうだよな、此奴からすれば俺なんて玩具で遊ぶ単なる子供だ。
自分のさじ加減一つで、いつでも摘める雑草だったんだ。
だけど俺はもう死ねない、たった一つの理由だけど。
絶対に死ねないんだ。
『変形』
「ッ……!!」
鞭を振り上げたリキュール、その死角の地面に『変形』で棘を生やす。
棘は一直線にリキュールの腋下目掛け、糸を引いたように一閃を描いた。
棘が突き刺さる直前に気付いたリキュール、地面を蹴り飛ばし横っ飛びで回避した。
普通のヤツなら一撃入ってる所なんだけど、持ち前の身体能力って怖いよな。
しかし、それでも完全には回避できなかった。
空中に、服の切れ端が舞う。
地面に、少量の血が滴り落ちる。
「はっ……やっと、一撃入った。」
思わず口角が上がってしまう。
これまで散々、此奴からボコボコにされたからな。
まあ、複数の浅い切り傷と複数の痣の対価に浅い切り傷ってのは対等じゃないけど。
だけど、今の俺は最高に気分が良い。
このまま死んでも良いぐらいだ。
もちろん、これは嘘だ。
しかし、正直これは痛い出費でもある。
今回初めて、自分の魔力を使用した魔法を使った。
いや、此奴の足止めの為に『泥之園』を使ったな。
まあ何が言いたいかというと、俺の魔力量少ない問題についてだ。
以前、五歳の頃はほんの数回使う程度で魔力切れを起こしたが、あれから何度も使いまくって練度を上げた。
今では初級程度の魔力消費で簡単に使えるほどの魔術になった。
なら問題ないって思うかもしれないけど、それは『変形』させる物を馬鹿デカいおにぎり位のサイズに限定した時の話だ。
今回の『変形』は、その指定をこの部屋全体にした。
『変形』の魔法は、その指定物に魔力を通しただけでも相当の魔力を消費する事になる。
そのお陰で、大体1000前後の魔力を持って行かれた。
もうこの手は使えないな。
「ッ……クソ餓鬼がぁ!!」
「もしかして、それ一張羅だったのか? ならよかったよ、そんなダサい服この世から無くなった方が社会貢献できる。」
自分が傷ついた事がよっぽどお気に召さないのか、酷く顔を歪めて怒りが見て取れる。
ざまあみやがれいい気味だ、窮鼠猫を殺すってヤツだ。
まあ、実際には死んじゃいないけど。
実際には噛むだけど。
蹌踉めきながら、壁を支えにしながら立ち上がる。
服はズタズタだし、血やら吐瀉物が着いていたりで最悪だけど。
もう一度、魔術銃をリキュールに向けて構える。
「遊びは終わりだ! ぶっ殺してやる!!」
「うるせえな、黙れよ。俺は、家に帰らなきゃいけねえんだよ。」
俺の帰りを持っている人の元に帰る為に、俺は勝つ。
レーメンの丘の中の暗闘、第二幕が始まる。
ーー
ユークリストがリキュールと戦っている同時間帯。
丁度ユークリストが三人と別れた部屋の中でも戦闘は行われていた。
部屋の中には土煙が上がっている。
土煙が上がるほどの衝撃が、部屋の中に走った証拠だ。
パラパラ、と天井から土埃や破片が落ちる。
男は考えていた。
一秒でも早く目の前の相手を倒し、自らの主の元へ駆けつけるのだと。
そしてこの身を盾にして、悪意から主を守るのだと。
しかし、本能がそれを許さない。
自分にとって優先するべき事が、もう一つ増えたからだ。
目の前に居る女を主の元へ行かせてはならない。
延いては、主が大切にしている侍女の元へ行かせてはならない。
この女は、二人のとっての災厄のようなモノだ。
何があっても近づけてはいけない、喩えこの身を犠牲にしても。
土煙が少しずつ落ち着いていく。
自ずと中に居た不確かなシルエットが、その輪郭を帯びていく。
大柄な肉体を覆う鎧。
常人には片手で扱えないであろう大柄な片手剣と盾。
寒気が走る北部の地に似合わないスキンヘッド。
彫りの深い顔つき、他を圧倒するほどの目力。
しかし、今はその眼光も光を失いつつある。
地面に横たわり、頭に出来た傷から血が流れている。
アルマン・コールドウェル。
彼もまた、苦境に立たされていた。
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