第三十三話:赤茶髪の少女と蒼色髪の少女
二章のバトルフェーズ突入!!
話の時系列を、少しだけ戻そう。
『鎖の狩人』による領主館襲撃よりも、前の出来事だ。
夕暮れ差し掛かるレーメンの東区にある小道を、軽やかな歩調で闊歩している一人の少女がいた。
短い赤茶色の髪を靡かせ、大きな猫目気味の三角眼が薄らと細め、心なしか口角が上がっている。
彼女は、友人知人からミアと呼ばれている。
活発で行動力があり、友人想いな子供と近所では評判だった。
数年前、彼女の両親が亡くなるまでは。
彼女の両親はレーメン内でも指折りの冒険者をしていた。
父親が前衛の剣士として戦場を切り抜け、母親が『治癒術』を行使して夫を支える。
冒険者位階はAで『鳳凰の翼』というパーティを組んでいた。
おしどり夫婦ならぬ『レーメンの切り込み夫婦』と呼ばれ、北部を活動域としている冒険者にとっては憧れの的であり、彼女の家族を知らない者はレーメン内に居ないとされているぐらいだった。
また、冒険者業だけではなく父と母としても優れていた。
父親は、ミアに『力は自分の為ではなく他人の為に使うんだ』と教え。
母親は、ミアに『人に良いことをすれば、いつか自分にも返ってくる』と教えた。
ミアはそんな二人の教えをちゃんと聞いて、正義感の強い子供になった。
しかし、二年前の死怪鳥討伐に際した大型連携依頼にて前線に残された他の冒険者を助けに行く為、勇敢にも命を落とした。
当時、五歳だったミアを残して。
それ以降の彼女は、孤児院に引き取られた。
両親を亡くしたのは突然のことで、その事実を彼女は受け入れられないで居た。
その所為か孤児院内でも孤立し、彼女は居場所を直ぐに失った。
そんな彼女の元へ集まったのが近所の子供達だった。
オーウェンは、ミアの両親が贔屓していた飯屋の店主の息子。
カミーラは、ミアの家がよしなにしていた服飾職人の娘。
ゲイルは、ミアの母親が調薬に研究していた薬屋の息子。
元々互いの両親の縁により繋がった三人であったが、それぞれの存在がミアにとって掛け替えの無い物だったのは間違いないだろう。
そんな彼女の日常を変えたのは、他でもない半年前の出来事。
ゲイルの父親を助ける為『怒大熊』の胆嚢を求めて『ブレーメンの森』へ入った時。
仮面を被った冒険者、トーリックに出会ったことだ。
今日も今日とて、自分達の危機をトーリックに助けて貰ったミアだが。
その歩調は、いつもよりも軽やかで喜色に満ちている気がする。
そんな彼女が、東区にある孤児院に帰ろうとしていた時のことだ。
孤児院は東区の大通りから外れの方にあり、帰るには幾つか角を曲がり街道を利用する必要がある。
「………あれ、なにこれ?」
しかし、ミアは好奇心旺盛であり少しばかり行動力ある女の子。
ショートカットの為に建物と建物の間の小道を利用することが多々ある。
そんな例に漏れず、今回もその道を利用していた時のことだった。
いつもと同じ道なのにいつもと違う道に感じてしまったのは、ミアの高い魔力感度が理由だろう。
言語化できないその違和感が、彼女の足取りを止めるきっかけとなった。
普通なら、高い魔力感度を供えている人間なら、目の前に現れた赤信号を渡る真似なんてしない。
しかし、子供特有の傲慢さと好奇心の所為で彼女は更に足を進めてしまった。
それが、少女が最後に目撃された場所だった。
ーー
「ん……んん………?」
目が覚めた時、そこは薄暗い地下の牢屋のような場所に居た。
視界を開くのは、辺りに立てられている数本の松明のみ。
鉄格子で閉じ込められ、地面は所々岩が露出して、地面を刳り抜いたような仕上がりになっている。
あの小道に入った時から、どれくらいの時間が経ったのだろうか?
気になってはいるが、陽のはいらない此処ではそれを確かめる術はない。
あれ、何でこんな所に居るの……?
確か、孤児院に帰ろうとしていた時に……
ミアが思い出しているのは、ついさっきの出来事だ。
フェゼイル商会の跡取りとかいうチンピラに絡まれているところをトーリックに助けて貰い、孤児院に帰ろうとしていた時。
ここ最近は、人攫い騒動の所為で利用していなかった裏道を使って帰ろうとしていた時の事だ。
どうして、孤児院の神父に危険だからと言われていたその小道を利用したのかは分からない。
ただ、つい安全だと思ったからだ。
そこまで来て視界が霞んで、気づいたらミアはここに居た。
「ねえ、起きたみたいだよ……?」
そんな彼女の後ろから、子供の声が聞こえた。
その声に反応するように振り向いたミアの視線の先には、彼女と似たような年齢の子供達が十人程居た。
それぞれ着ている物は汚れ、服の端が破れている。
この子達が、自分と同じ立場に居るんだとミアは直ぐに分かった。
「……ここは?」
「「「………」」」
そんな彼女の問いに、子供達は答えてくれなかった。
いや、沈黙が答えになっていると考えた方が良いのだろう。
ミアは蹌踉めきながらも立ち上がり、自分の状態を手触りで確かめた。
少しだけ髪が短くなっている気がするが、今そんなことは問題じゃない。
行く手を阻んでいる鉄格子を掴んで、顔を目一杯近づけて辺りを見渡した。
しかし目の前に広い空間があるのと、そこから道がいくつかに分かれて続いているのが見えるだけで、それ以外は分からない。
「おーい!! 誰か! 誰かぁああ!!」
声が届くかもしれないと考えて叫んでみたが、それに答えてくれる人は居なかった。
何で、こんな事してるんだろう?
何で声なんて上げて助けを探してるんだろう……
誰も答えてくれないって分かってるのに……
そう考えるミアの胸中には、きっと亡くなった両親が関係しているのだろう。
ミアが助けを呼ぶ為に叫んでから、どれくらい経っただろう。
あれから、彼女は他の子供達から話を聞いていた。
全員皆同じ様に、いきなりここへ連れてこられたようだ。
普通に友達と遊び、その帰り道にいきなりだそうだ。
「最初は他の子も居たんだけど、怖い人達が来て連れて行っちゃったんだ……」
そう言ったのは、ミアよりも先に居た女の子。
年は彼女よりも一つか二つぐらい上の気がする。
どうやら、ここに居る子供達以外にも攫われた子供が居たらしい。
もしかしたら、ここ以外の場所にも彼女達みたいに捕らわれている子供が居るのかもしれない。
まあ、仮にそうだとしてもミアに出来ることは無いんだが。
いや、出来るかもしれない。
「みんな牢屋から下がって……」
ミアは近くに居た子供達に、牢屋から離れるように声をかけた。
子供達は困惑しながら、その言葉の真意を理解しないままに、その言葉通り行動した。
子供達を背に抱えたまま、ミアは自身の自由を阻んでいる鉄格子と向き合った。
足を肩幅以上に広げて、右の掌を真っ直ぐ鉄格子に向けた。
ふぅ、よし、集中するんだ。
レヴィアンナさんに教えて貰ったことを思い出すんだ。
今の自分には魔法がある、そう言い聞かせた。
この力でここから抜け出して、この子達を助けるんだ。
『風の精霊の加護を受け 風刃を成し 行く手を阻む敵を 切り倒さん』
『風之刃』
レヴィアンナから習った魔法の授業でミアが得意としているのは、火と風の魔法。
彼女自身は火属性魔法の方が好きだが、そっちの方はコントロールが不得意だ。
ミアの掌から放たれた『風之刃』は、一瞬の風切り音と風塵を上げて一直線に鉄格子へ向かった。
『火之球』のように他の方向に曲げることなくそのままガキンッ、と鈍い金属音と小さな砂煙を上げた。
洞窟内に反響する音を誰も聞いていないことを願い、子供達は砂煙が晴れるのを静かに待った。
砂煙が晴れるまでの時間は永遠に感じられる程で、焦らされる心中は不安でいっぱいだろう。
しかしその不安も報われてか、砂煙が晴れた先にあったのは二本の鉄棒が切断された鉄の檻だった。
「「「ッ………!!」」」
「すっすごぉい! 君、魔法が使えるの!?」
「もっもしかして、どこかの貴族様!?」
「やったぁ! これで外にーーー」
「!? うるさい!!」
不安の反動で驚嘆した他の子供が思わず声を上げた。
それを黙らせるように、ミアは抑え気味に怒鳴った。
大きな声が出せない分、とにかく皆を黙らせる顔を作って注意をした。
こんな所で騒いで近くに居る誰かに感づかれたらどうするんだ、と言いたげな顔でだ。
そんなミアの顔に何を怯えたのか、子供達は直ぐに黙った。
そんなに怖い顔だったのかな、と少しだけショックになったのは内緒だ。
しかし、これで逃げられるかもしれないのは事実だし。
なにより魔法が成功した事と、自分の力で誰かを助けられるかもしれないという達成感は、とても嬉しいことだ。
「とにかく、誰か手伝って……」
「「「う……うん。」」」
ミアは、後ろで静かになっている子供達を振り返り声をかけた。
鉄格子が切断できたとはいえ、まだ地面に突き刺さっている部分があるからそこを除かないと、外には出られない。
彼女の先導により、子供達数人の力を借りてなんとか鉄格子を取り除くことが出来た。
大人一人分だったらもう何本かは取り除く必要があったかもしれないが、子供のサイズ程度なら二本分ぐらいの横幅でなんとかなった。
「さっ、こっちへおいで……」
小さな声で、小さな子供に声をかけてその小さな手を引きながら、全員で檻の外に出た。
外に出られた安堵感からか、子供達は安心したように互いの顔を見合わせている。
ミアは反対に、周囲を見渡し自分達の状況を確認した。
誰かにそう教えられていたわけじゃないけど、そうするのが当然だと思ったから。
この勘の良さが、彼女が両親から受け継いだモノの一つなのだろう。
彼女達がいる部屋のような場所からいくつか道が枝分かれしている。
どの道を薄暗く先が見えず、どれが正解かも分からない。
でも、ただこの場に留まっていたら誰かに見つかってしまうかもしれない。
早く移動しないと、でもどっちに行けば良いの?
「ねっねえ、これからどうするの?」
「…………」
誰かがそう聞いてきたのを無視して、私は周囲を見渡した。
どっちの道が正解なの?早くしないと誰か来ちゃう!?
目の前に現れたいくつもの選択肢を前に、彼女は迷って居た。
きっと、あの男ならばこんな時に即決し、皆を救うのだろうと考えて。
その決断力で、今すぐ自分を助けに来て欲しいと一縷の願いも込めて。
「あれ、そういえばーーーーー」
悩んだ末に、ミアはあることに気づき他の子供達の方へ振り返った。
「私はどっちの道から運ばれてきたの?」
「えっと……それは……」
自分を運んできた人間は、当然出入り口から入って此処まで来たはずで、だからその道を辿ればきっと出口まで辿り着けるはずだ。
そう閃いたミアは、密かに自分自身を賞賛した。
あんな仮面を被った男がいなくても自分一人で切り抜けることが出来るんだ、と。
そんなミアに質問された子の一人が、彼女の奥にある道の方を指さした。
その道は他の道と比べると、少しだけ広く道が整っているように見えた。
あっちの方向へ進めばここから逃げ出せるかも、そんな期待で彼女の胸が膨らんだ。
「それじゃあ、皆こっちに行くわよ……!」
首筋に汗を浮かべながらも、彼女は子供達を率いて一歩を踏み出した。
ジリジリと出口に近づいていくその歩調は、思った以上に重い物だった。
足を踏み出す度に、身体に付けられた重しが増えていくような感覚だ。
踏み込んでも踏み込んでも出口との距離が縮まらない感覚に、もどかしさを感じている。
さっき自分が見て確認した距離よりも長くなっているのではないか、と感じてしまう程だ。
しかし同時に、出口に近づいていくに連れて少しずつ緊張の鎖が解けていく感覚もあった。
自由に向かって自分は足を進めているのだと、自分に言い聞かせた。
『よし、このままいける』『もう少しでここから出れるんだ』という考えが彼女の頭に芽生え始めた時。
「ーーーあら、こんな所に鼠ちゃんがいるわぁ?」
その声が、子供達を再度絶望の淵に堕とした。
停まりかけた心臓を動かすように、その声が発せられた先に首を曲げた。
どうか勘違いであってくれ、今のはただの幻聴であってくれ。
その願いに答えたのが、悪魔と仏のどちらなのかは直ぐに分かった。
自分の目の前に、巨漢のマダムが杖をついて立っていたのだから。
黒のレースのドレスと純白のファーコートに身を包み、口元と指の先に鮮血の痕跡が残っている。
そして、その後ろから二組の赤黒い閃光が此方を覗き込んでいる。
その姿を認識した瞬間、ミアはマダムと子供達の間に自分の身体を割り込んだ。
一瞬の判断でそれが出来たのは遺伝なのか、はたまた彼女自身の性質の所為か。
「みんな、早く後ろに下がって!!」
「あっらぁ、ダメじゃない檻の中から出ちゃあ……イケない子にはお仕置きしちゃうわよぉ……」
勢いよく上げられたミアの声に我を取り戻した子供達は、直ぐに後退した。
そんな様子を見ていたマダムも声を荒げるなんて事をせずに、赤ん坊の悪戯を諫めるような軽やかな口調で舌舐めずりをすると薄ら笑みを浮かべた。
薄暗い洞窟の中でいきなり醜優を同居させたような巨漢のマダムと鉢合わせた日には、己の最期を悟るだろう。
その分、自分の役割を全う出来たミアは立派だった。
しかし、それが仇となった
咄嗟の反応で、マダムに対して掌を向けたミア。
もちろん、目の前に現れた化け物的な女を撃退する為だ。
同時に『火之球』の詠唱を開始した。
この距離ならば当たると踏んだのだろう。
それと同時に己の腹を抉るような衝撃が、ミアをそのまま横に吹っ飛ばした。
マダムが持ち合わせていた杖で、ミアのことを殴ったのだ。
「がっ……!かはっ……!?」
呼吸が止まり、自分の身に何が起こったのか分からなかった。
ただ、横っ腹の衝撃を抑える為に蹲ることしか出来なかった。
口を目一杯開けて呼吸しようとするが、思うように呼吸できない。
自分に何があったのか、目を大きく見開いて確認しようとするが出来ない。
「私……野蛮な子は好きじゃないのよね……子供は純粋で純朴で純情であるべきよ。貴方のような不純な子供は子供じゃない……いきなり会った人に攻性魔術を構えるなんて……一体親にどんな教育を受けたらそんな子供になるのかしらねぇ?」
マダムから放たれた汚物を見るような言葉は、ミアの精神に横っ腹の衝撃以上のモノを与えた。
一体、誰がそんな戯れ言を言っているのだと……
言葉に出来ない苦念を噛み殺し、鋭い三角眼で一心にマダムを睨み付けた。
「あらあら、なんて野蛮なのぉ……?だから急な計画変更は嫌だったのよ。あの野蛮な男が馬鹿なことしなければ、こんな手間が掛かること無かったのに……こんな獣畜生の血で私のお召し物が汚れたらどうするのよ?」
マダムの優雅な口調に暗闇が掛かり、何かを思い出したように爪を噛んだ。
そして、自身の持っていた杖を大きく振り上げた。
これから自分が痛めつけられる未来を想像したミアは、ただ助けを願った。
その相手が誰かはここ半年の彼女を見ていれば直ぐに分かる。
しかし、その思いが届く前に杖は振り下ろされた。
「おいおい、そいつは無しにしてくれよ……スポンサー様が怒っちまうぜ?」
自分達が向かっていた暗闇から声が届いたと同時に、ミアの目の前で杖がピタリと停まった。
マダムはその声の発せられた先を振り向くと、目を大きくに見開いて顔を喜色に歪めた。
ミアの目の前で止められている杖の奥。
子供達が向かおうとしていた道の奥から二人の男が現れた。
一人は顔にピエロメイクのような涙のタトゥーを彫って、ゆったりとした上着を着ている青年。
『鎖の狩人』が幹部、リキュール・デュアル。
もう一人は、全身を覆うローブのシルエットしか認識出来ない人影。
『鎖の狩人』が幹部、ナーベリック。
そして、ナーベリックはその腋に子供を一人抱えている。
「いや、離して!!」
「そんなことしても意味ないですから、大人しくして下さい。」
ミアはその子の事を知っていた。
ナーベリックに抱えられている蒼髪の女の子。
というか、あれほど特徴的な髪色をしている子を忘れるわけが無い。
ユークリスト・スノウ・グリバーの侍女をしているスティアという女の子だ。
目一杯涙を溜め込んでナーベリックの腋で暴れているが、彼はそれを意に返していないようだ。
「ミィスタァアア!! さあ! 早く、早くその子を私に渡しなさぁい!!」
「ひっ……いやぁ!!」
待ち焦がれた恋人が目の前に現れたように狂喜乱舞し、禁断症状の出ている薬物中毒患者のように発狂しているマダムのそれは、とても気味が悪く醜悪だ。
先程まで少女を撲殺しようしていた事なんてすっかり忘れて、スティアを抱えているナーベリックに詰め寄った。
そんなスティアは、狼狽して酷く拒絶している。
「嫌です、お断りします……」
ナーベリックは、詰め寄るマダムをヒラッと避けた。
それを見て、餌をチラつかされたライオンのように唸るマダム。
「貴方に今渡してしまえば遊んでしまうことは目に見えています。お楽しみは帰ってからに取っておいて、今は自分の仕事に集中して下さい。ご褒美は、それからです。」
「ぐぬぬっ……仕方ありませんわね…それなら、貴方との約束を果たすのもその後、ということで良いかしら?」
「ええ、構いませんよ。私は気が長い方なので。」
「ぬふふ……そうと決まれば直ぐに終わらせるわぁ!!あと一日もすれば開通すると思うから、それまで待っててねぇ!」
ナーベリックに説得されたマダムは、上機嫌にその場を後にした。
「全く、リキュールさん。貴方が勝手なことをするから、計画が崩れたではありませんか……あと一日待ってこの子を攫い、脱出する予定だったのに……此処が感づかれたらどうするつもりですか? 彼女を見て下さい、完全にハイになってますよ。」
「あぁ? んなこたぁ、あっちで娼婦とヤッてるあの阿呆に言うんだな!?あの野郎が勝手なことをヌかすからこうなったんだ。俺はただ、叶えてやっただけだぜ。スポンサーの気を損ねるなってアンタがいつも言ってたことだろぉ?」
嵐を退けたような気怠さを感じ、ナーベリックが呆れた様子で隣に立っていたリキュールに言及した。
どうやら、昨夜の誘拐や襲撃はこの男が首謀したモノらしい。
しかし、当のリキュールも全く悪びれる様子も無く耳の穴に小指を突っ込んで聞く耳を持っていない。
かく言うナーベリックの方も、あまりこの事態を重く受け止めている様子が無いのは、その軽やかな口調から汲み取れる。
リキュールの言っているスポンサーとはグライムのことだ。
詳しく言うなら、グライムの親のマルチェンが経営しているフェゼイル商会のことだが。
『鎖の狩人』は既存の商会などを隠れ蓑に活動を進めている。
それも大規模は商会では無く、中小規模の商会や零細商会を隠れ蓑にしている。
「さてと………」
そんなやり取りを終え、ナーベリックは牢から逃げ出した子供達に視線を向けた。
その場に立ち尽くしていた子供達は、先程のやり取りを見ていた。
各人、恐怖で頭がいっぱいな様子で、泣き出す者もいる。
自分達が何をされるか、想像しても想像がつかないのだろう。
しかし、そんな予想とは裏腹にローブの下から覗ける口元は快活に笑っているように見えた。
「ささっ、子供達は牢の方に戻って下さい。早く寝ないと、あの豚頭人みたいなおばさんに食べられちゃいますよ!」
手をパンパンと叩いて、子供を寝かしつけるように牢屋へ促すナーベリックの様子に子供達は戸惑いながらも従った。
先程体験した恐怖とのギャップが、子供達を従順にさせたのだろう。
「ああ、その子も運んで下さいね。」
そう言ったナーベリックが指差した先には、地面に蹲っているミアの姿が。
マダムに横っ腹を打たれてから時間が経っているが、未だに衝撃が残っているのか、その表情には苦悶が孕んでいた。
その言葉に従うように子供達は数人がかりでミアを起こして、牢の方へ戻っていった。
「さて、貴方も此方の方で大人しくしていて下さい……」
「………」
そして、ナーベリックに担がれていたスティアも牢の中へ入っていった。
「……絶対、ユークリスト様が来て助けてくれる。」
「ええ、そうだと良いですね……私も期待していますよ。」
スティアが睨みを利かせて言った言葉にも、ナーベリックは気軽に返した。
穴の空いた鉄格子を目の前に、子供達は元の場所に戻った。
ーー
鉄格子の中に戻されてからもミアは抜け出すことを考えていたが、どれだけ考えても一向に答えが出ることは無かった。
自身の行く手を阻んでいる鉄格子は今も変わらず切断されているが、ただそれだけ。
どうせ、此処から出てもまたあいつらに捕まるだけ。
先程のやり取りを見ていた者ならば、目の前で繰り返されていた狂気のキャッチボールを自分に投げられることの恐ろしさが分かるだろう。
あの場で自分達が正気を保っていられたのは、単に奴等の興味が互いに向いていたことが理由だ。
そんなミアだが、横っ腹に痛みは残っているものの何とか身動きが取れるようになっていた。
緊張状態の中で出ているアドレナリンが引いていつ痛みがぶり返しても可笑しくないのだが、ミアの興味はそんなことじゃない。
ミアの興味は、牢の隅で気丈に振る舞おうとしているスティアに向いていた。
ミアに限らず、牢にいた子供達の興味も。
しかし、誰もスティアの方へ行こうとはしなかった。
この緊張状態の中で、彼女の存在はあまりにも異質だったからだ。
まあ、見た目だけの話だが。
ミアはゆっくり立ち上がり、壁に手をつきながら恐る恐るスティアに近づいた。
自分に近づいた人影に気づいたスティアもまた、ミアに気づいた。
「あっ、ミアちゃん……も…居たんだ…」
スティアはミアのことに気づいていなかったらしい。
他人を気遣う余裕なんて無い自分が誘拐された状況下で、知っている人間が居たことに朗らかな安堵を覚えているようだ。
「……ここ良い?」
「……うん…」
横に空いているスペーズを指さしたミアの提案に、スティアは頷いて答えた。 砂屑が着かないように手で払ってあげるのは、スティアの優しさだろう。 「………」
「………」
座ったのは良いが何も話題が無い。
そんなことに気づいたミアは、気不味い沈黙に耐えていた。
同じ境遇にいる二人ではあるが、それ以外の共通点はない。
強いて言うなら、気味の悪い八歳児に巡り合わせたことが共通点ではあるが、それを知っているスティアには話す気が無い。
というより、主であり想い人であるユークリストに言わないよう指示されているのだ。
当然、純粋で純朴で純情であるスティアはこれに従った。
ユークリストの意向に逆らうことは最も重い罪だ、と彼女の幼心で認識しているのだろう。
もう一つの共通点というのであれば、互いに天涯孤独であるということだ。
スティアは自身の種族故の迫害を受け両親と離ればなれになり、ミアは二年前の大型連携依頼の際に両親を亡くしている。
そして、その後互いに掛け替えの無い縁に恵まれた。
「……その、身体とか、大丈夫なの?」
「……はい…ミアちゃんも身体痛くないですか?」
「私は……少しだけ痛むけど大丈夫……」
「そう、ですか・・・」
「……スティアも、残念だったね……こんな所に攫われて……」
会話の中に、互いを気遣っていることが窺える。
「きっと、誰も助けに来ない……」
しかし、ミアの方向性は少しだけ違った。
その言葉に反応するように、ゆっくりミアの顔を除いたスティア
「ーーーきっと、あのユークリストとかいう貴族だって来ないよ。」
ミアは幼心ながらに知っていた。
彼女の父は正義感溢れる人間だった。
弱きを助け強きを挫くことを信条として、平民孤児奴隷に関係なく笑顔を振りまく、そんな人だった。
彼女の母は慈愛に満ちた人だった。
正義感が強く勇敢な父が身体に傷を作っているのを見ると直ぐに治療し、通常ならお金を貰って施す『治癒術』による治療も無償で行っていた。
そんな両親に育てられたミアは、正義感の強い子供だった。
近所の子供がいじめられているのを見掛けたら、直ぐに飛び出して参戦するほどだ。
顔におっきな痣を作って帰ってきたミアを見て、父親は『どんな奴の戦ったのか?』と聞いてきた。
そして『次はこうすれば皆を守れるぞ』とまだ子供だったミアに喧嘩の方法を教えた。
母親は『どんな人を守ったのか?』と聞いて、『偉かったわね、でも女の子だから顔は大切にね。』と言いながら『治癒術』を施した。
父の情熱は心を、母の慈愛は肌を通じてミアに暖かさを与えた。
二人はミアを担いで、その手を引いて、頻繁にレーメンの街を歩いた。
自分が生きる世界がどんなモノか知って欲しい、と願いを込めて。
ミアは、幼いながらもこの二人の子供であることに誇りを持っていた。
何故なら、街中を歩いている両親に声をかける大人の顔が笑顔だったからだ。
『ああ、凄い人っていうのは、きっとこうやって人を笑顔に出来るんだ』と、幼い彼女はそう思った。
そんな両親が、いつも通り仕事に行ったはずなのに帰ってこなかった。
いつも通りの朝だった。
いつも通り母親がミアを起こし、ミアが父親を起こした。
父親がミアを担いで下の階に降り、皆で母親の料理を食べた。
いつも通りの料理だった。
少しだけ固いパンとミルクで作ったスープとサラダ。
ミアが『お肉が食べたい』と駄々を捏ねると、『帰ってきたら沢山食べような』と父親が言っていた。
だから、今夜のご飯か明日のご飯はお肉が出るんだと思って、ミアは少しだけ嬉しくなった。
いつも通り、近くに住んでいる老夫婦の家に預けられた。
ミアを預ける時、父親は喜哀が混じった顔で割れ物を扱うように繊細なハグをしてくれた。
母親は『行ってくるわ、私たちの宝物』と言って、私の額にキスをしてくれる。
これもいつも通りだった。
そして、両親は帰って来なかった。
なんでも、怪我をした人のところへ助けに行って帰って来れなくなったとか。
こうして、ミアのいつも通りが音を立てて崩れ落ちた。
それから一週間、ミアは自分の部屋に籠った。
食べ物は、近所の老夫婦が運んでくれた。
それから、偶にオーウェンやカミーラやゲイルが遊びに来てくれた。
しかし、彼女は悲しくてそれどころじゃなかった。
近所の大人達の話し声が聞こえてきた。
夫妻がが居なくなったミアの事をどうするかということだ。
みんな、夫妻から色々なことをして貰った人達だ。
欲しいと言った魔獣の素材を、格安の報酬で引き受けてあげた人。
息子がグレた時、間の仲裁に入って更生を手伝ってあげた人。
奥さんのお産の時、領都から医者を呼んであげた人。
子供の勉強の為、帝都にある学校へ推薦状を書いてあげた人。
その他にも、色々な人が私の今後について話し合っていた。
「そちらのほうでなんとか……?」
「うちは無理だよぉ、そんな余裕無いし。」
「それじゃあどうしようか?正直、何処も無理だよなぁ……」
「でも、あの二人にはお世話になったし……」
大人達が話し合っていたのは、ミアを盥回しにすることだけだった。
両親が人の為にやっていたことは結局何にもならなかったんだと、幼いながらに感じ取ってしまった。
その証拠に、回復役である両親が居なくなったことによってレーメンに滞在していた高ランク冒険者が街から逃げるように、軒並み離れることとなった。
そして、その責任も、死人である両親に向けられた。
先の獄妖狼騒動の際、冒険者組合の中に居た冒険者が蜘蛛の子を散らすように逃げて、一部の冒険者しか残らなかったのはこれが理由だ。
『治癒術』を扱える人間が戦場に居るから犯していたリスクも、夫妻が居なくなれば無謀な自殺行為になりかねないから。
どうして、怪我をした人のところへ行ったのだろう。
そんな人は放って置いて、私の元へ帰ってきて欲しかった。
結局、両親のしたことは無駄になったのだ。
そんな彼女にも、心配し気遣ってくれた友人のお陰で外を歩くまで回復することは出来た。
しかし、その根底には他人に対する不信感が根付いている。
それが今回、彼女の中の諦めを引き起した。
「……いいえ、ユークリスト様は来てくれます。」
だが、ここにもまた壮絶な経験の果てに自らの価値観を築いた者が一人。
スティアもまたその経験から、己が生きる上で大事にしている指標があるのだ。
まあ、彼女の場合は信奉に近いが……
その返答を受けて、少しだけ興味深そうに目を見開いたミア。
この状況で何を言っているのだ、と言いたげな非難も少しだけ混じっている。
「……どうして、そんなこと言えるの? あの子だって私たちと同じ子供なんだよ? この状況で来たって、彼奴らにやられるのは分かってるじゃない?」
ミアは至極真っ当な疑問をぶつけた。
如何に貴族とはいえ、この国の筆頭公爵家の三男だとはいえ、自分達と大して年の変わらない子供がこの状況を変えに助けに来たところで、一体何が変わるのだ、と。
そもそも、この場所がユークリストに分かるかも怪しい。
分かったところで、この場所まで辿り着けるか分からない。
この地下空間らしき場所は、幾重にも道が枝分かれして複雑な構造になっていると見受けられるからだ。
仮に辿り着けたところで、万が一の可能性を引き当ててこの場所に来られたとして、果たしてあの三人の猛追から逃げることが出来るのだろうか。
あの三人は別格だ。
それは、レヴィアンナに魔術を教えて貰っている経験からも言える。
ミアはレヴィアンナに魔術を教えて貰う傍らで、彼女に剣の指導を受けた。
本来レヴィアンナは剣を用いた戦闘をしないが、長い生の中でそれなりの経験を積んでいる彼女には基本的な習熟度ぐらいまで教えられる技術がある。
その訓練を経て彼女の腕前をある程度知っているミアでも、あの三人の内誰に勝てるか分からない。
それなのに、よりによって、あの貴族の子供が助けに来る?
親に恵まれ、金があり、自分の従者だっている。
そんな子供が自らこの地下道に足を踏み入れて此処に来る?
そんな不信感が、彼女の中にあった。
しかし、だからこそ解せなかった。
目の前の少女が、これまで以上に可憐に凜としているからだ。
周りの子供達とは違う。
他の子供達は互いに身を寄せ合い、自分に訪れる未来を想像して落ち込んでいる。
そして、その心の傷を互いに慰め合っている。
しかし、この少女はどうだろう?
土臭いこの地下牢で姿勢を正し、真っ直ぐに自分が来た入り口の方向を見つめている。
目元は、先程まで泣き腫らしていたことが窺えるが、今はそう見えない。
その目には、力が宿っている。
ああ、本当に信じているんだ……
この子は、自分の主が助けに来てくれることを信じているんだ。
その純粋さが、ミアには眩しく見えた。
嘗ての自分にも、こんな時があったのではないか。
「……なんで、そう思えるの?」
不思議だった。
この状況下で希望のみに浸れるスティアのことが、羨ましくもあり不思議だった。
だからこそ、当然の疑問を投げかけた。
自分が、嘗ての自分のようになれるかもしれない。
と、何かしらの希望があったのかもしれないからだ。
そんな疑問を投げかけられたスティアは、少しだけ考えた。
上を見て下を見て『うーん』と頭に手を当てて。
その光景だけ見れば、十分に可愛らしい女の子だ。
そして、クスリと笑った。
「ユークリスト様は自分のことを、俺って言ったり僕って言ったりするんです。ルルティア様やお勉強の先生から隠れる時は、僕って言ってお怠けさんになってしまうんですけど。アルマンさんやワグとの訓練では俺って言って、すっごく格好よくなるんです。そして私が攫われた時、ユークリスト様は『俺が必ず助ける』って言ったんですよ。
だから信じてます。ユークリスト様は、必ず私を助けに来るって。だから、私は泣いても、傷ついてもダメなんです。ユークリスト様が助けに来た時に、私が泣いてたり傷ついたりしてたら、ユークリスト様はもっと傷ついて自分を責めてしまいます。ユークリスト様は、自分が傷つくよりも私が傷つく方が嫌なんです。そして、私もユークリスト様に傷ついて欲しくないんです。すっごく優しくてすっごい格好いいユークリスト様だから、傷ついて欲しくないんです。」
そう言ったスティアの目尻には、薄らと涙が浮かんでいた。
話している内にユークリストのことを思い出してしまったのだろう。
スティアもこの三年間でユークリストの近くに居た人間の一人だ。
まあ、心配でユークリストの方から近くに居たという考え方もあるが。
それでも、ユークリストがスティアを見ていたように、スティアもまたユークリストを見ていたのだ。
そんなスティアにも発見があった。
一つは、彼が猫舌だということ。
そのおかげでスティアの料理レベルが少しだけ上がった。
二つは、先程言った彼自身の一人称についてだ。
前世の記憶では既に成人している彼と、現在の少年である彼を分ける一つの手段である一人称。
まあ、大して違いはないが……
本人は『僕』で行きたいと考えている。
そっちの方が雰囲気があって格好いいと想っているからだ。
しかし、たまに素が出る時がありその時に『俺』が漏れている。
それを、スティアは何度も聞いてきた。
そして、それを格好いいと想っている。
余談だが、三つ目は彼の意味不明な言い回しだ。
たまに、八歳児には似合わない言葉遣いで独り言を発している。
本人としては、洋画ごっこをしているつもりだ。
日系の顔つきじゃどれだけやっても現実を叩きつけられていたあんな事やこんな事を、密かにやっていたのだ。
先日の、というかトーリックの時の話し方は完全に黒服を着たエージェントのつもりだ。
そして、スティアはあまりこれが好きじゃない。
話は逸れたが、そんな話を受けたミアはというと呆気に取られている。
衝撃を受けたのは確かにそうだが、どうやら彼女が聞きたかった話じゃなかったらしい。
それもそうだろう、聞き手によっちゃ惚気話に近いものなのだから。
この非常事態にそんなの聞かされれば、怒りの一つや二つぐらい沸き上がるものだ。
しかし、ミアは違った。
ほんの少しだけ、薄らと口角を上げて微笑んだ。
そして頬は膨らみ、それは次第と膨れ上がっていった。
もうこれ以上は限界だろう、その辺りまで膨れ上がって。
「ぷっ、あははははっ!」
込み上げた笑いが溢れ出した。
こんな状況で非常識かもしれないが、彼女にとっては久しぶりに気持ちよく笑っているのだ。
こんなに笑ったのは、いつぶりだったろうか。
「ねえ、その話もっと聞かせてくれる?」
「ええ、良いですよ……!」
そう言われて、スティアの顔も明るくなった。
彼女も彼女で、緊張の糸が張り詰めていたのだろう。
それから、二人の少女は互いの親交を深めた。
互いに助けが来ることを信じて。
ーー
スティアとミアのお喋りは、かなり長く続いた。
というか、今も続いている。
話の内容は主に、スティアが公爵家の屋敷で過ごしてきた三年間の出来事と、ミアが普段友達とどう過ごしているのかと言うことだ。
スティアは普段の侍女業務から、ユークリストの供回りの話しやルルティアとのお茶会の話し。
ミアは幼馴染みの子供達とどう遊んでいるのか、レヴィアンナに教えて貰っている魔術の習熟度などだ。
「へぇ! スティアには特異魔術の適性があるの!?」
「うん! そうなの!」
現在二人は自信の魔法について話をしている。
初めはスティアの方が敬語だったのだが、ミアから『やめない?』と言われ普通の言葉遣いに戻った。
普通の、友達に話しかけるような言葉遣いに。
「あっ! これはユークリスト様に言っちゃダメって言われてるんだった!」
そんなスティアだが、心の警戒心というのが少し溶けて自信の特異魔法について触れてしまった。
ユークリストがこの事を口止めしているのは、スティアに掛かる不安を無くす為だ。
ただでさえ天翼人という希少な種族であるスティアに、特異魔法適性持ちという付加価値まで持たせたくはないという考えからだ。
まあ、良識的な人間ならば天翼人の種族適性を知っている事は普通なのだが、自分からあえて金を持っていると宣伝する人間になる必要はないと考えているのだろう。
「……秘密でお願いしますね?」
「うん、分かったわ!」
ジトッと上目遣い気味にお願いをするミアは、この殺風景な地下空間に咲く一輪の花の妖精を想わせる。
そんなスティアに対して快活に笑いながら応えるミアもまた、それを照らす太陽のような笑顔だった。
このように二人が話しに花を咲かせている間にも、時が進んでいった。
「それでね……」
次の瞬間だった。
ドッ……!!
っと、地下道内に音が響いた。
それは地下牢にいた子供達の耳にまで響いた。
「……なにがあったの……?」
「もしかしてさっきの人達が……」
そんな答えの出ない問答が地下牢内を行き来している。
もしかしたら、自分達の先はそれほど長くないのかもしれないと思い始めた時。
そして、全員が仄かに先程ミアが切断した鉄格子の方向を見た。
別に逃げ出そうなんて考えてのことではなかった。
ただ単に、目の前にある希望を確かめたかったのだ。
「ぎゃああぁぁ!!」
次に響いたのは汚い断末魔だった。
「ぐぎゃぁあ!」
「あぁああ!!」
それに連鎖するように断末魔が聞こえてきた。
それは次第に大きくなり、木霊する時間が延び、此方に近づいていることが分かる。
子供達の顔色は、次々と暗いモノになっていった。
死神の足音が人間の断末魔になって近づいてくるのだから、それも無理はない。
「……何があったんだろう?」
「分からないけど、誰かが地下に来たんじゃない?」
「………」
招かれざる客が地下に来たことで、スティアは少しだけ顔を明るくした。
もしかしたら、彼が来ているのではないかと思ったからだ。
同様に、ミアの顔も少しだけ明るくなった。
自分を助けに来た人が居るのではないかと思ったからだ。
地下室の中、子供達がそれぞれ違う反応を見せる中で高まるのは期待か不安か。
しかし不思議なことに、この異常事態とも言える状況下でもあの三人の姿が見えない。
こんな事態になっているのだから、真っ先にこの場に来ても可笑しくないのに何故なのか?
そのことが気味悪くあるが、子供達にとって重要なのは目の前の道から此方に来るのは誰かということだけ。
目の前の脅威など既に忘れ、暗闇から松明を持って駆けてくる英雄を待っているのだ。
そうして、子供達の耳に断末魔が途切れ途切れながらに届き続けた。
次第に大きくもなっているが、時たまに遠くなっている気もする。
それでも、子供達の期待が輪郭を帯びて暗闇の中から顔を出すのは時間の問題だった。
そして、それは来た。
「はあっ、くぁあ……!」
地面を引き摺る音と共に、人間の激しい呼吸音が聞こえてきた。
自分達の元へ駆けてくる人影を認識した子供達は、その顔に希望の色を浮かべた。
それは松明に照らされた光に当たり影を与えられ、次第に輪郭を帯びていった。
その人間にも事情があった。
突然襲撃を受け、命からがらの体でここまで逃げてきたのだ。
此処に来るまでも災難だったのに、今度は命を狙われようとしている。
折られた足を引き摺って、折られた腕で自分の身体を支えている。
「ッ……!! あいつは……」
「……まさか…」
ミアの方が先に気づき、それに続いてスティアも気づいた。
自分達が逃げるはずだった出口の先から現れたのは、男だった。
厳つい眼をした高身長の男のはずだが、今は全身を包帯で包んでいるような格好だ。
右足と対になる左腕に包帯を巻き、身体を支える杖を右手で着いて身体を壁際に立て掛けることで、なんとか立っている。
その暗闇から出てきたのは、グライムだった。
「クソッ、何でここがバレたんだよ!?」
頻りに後方を気にしながら悪態をついているグライムは、なんとも情けなく映って見える。。
いや、実際情けない。
「公爵家の連中にもバレねえって言ってたじゃねえかよ……!?」
どうやら、公爵家の騎士がこの地下まで迫っているらしい。
そのことを聞いた子供達は、希望で胸を膨らませた。
「ああ、ああ、こうなりゃ全部終わりだ……いや、終わらねえ、俺はこんなとこじゃ終わらねえ……もっと、もっと何か、すげえ事をやるんだよ……」
公爵家の追求から逃げてきたグライムは、とても憔悴している。
36時間勤務を終え、自宅でぐっすり眠ろうとした矢先に赤子の泣き声で起こされ、フルマラソンを走らされた医者ぐらい憔悴しきっている。
両の手で頭を抱え、血走った瞳孔は散乱し、今にもヤケを起こしそうな雰囲気だ。
しかし、無機質な地下室内を睨み付けてもその答えは返ってこない。
そして、焦点の合わない瞳孔が地下牢内に向けられた。
更にそして、それは暗がりの中で唯一色を放つ者に向けられた。
快晴を切り取った、蒼色髪の少女に。
それを見つけた瞬間、グライムの顔は恍惚としたものに変わった。
下品で薄気味悪くて気味が悪い、ゲスの極みと表現するに値する笑みを浮かべたグライムは、骨が折れた自身の身体を引き摺りながら地下牢に近づいていった。
グライムも中規模商会の跡継ぎとして、それなりの教育を受けてきた人間だ。
当然、自身の魔力運用の方法も知っている。
体中に魔力を巡回させ身体強化を施して、やっと人並みの速度で歩いているが、その速度が逆に子供達に恐怖を与えた。
「このっ、スティア下がってて!!」
身体が反応したミアは、直ぐに立ち上がってグライムを迎え撃とうとした。
「ぐっ……あぁああ!!」
「ッ……ミアちゃん!?」
しかし、そんなミアにも問題がある。
先程、というか随分前にマダム・ローズに打たれた横っ腹が痛み出したのだ。
初めは、興奮状態故にアドレナリンが出て痛みを抑えていた。
次が落ち着いたことによって、体内の魔力運用で痛みを抑えていたからだ。
身体強化を施すことによって、一種の身体機能を高めることによって痛覚を鈍感にする。
これは上級の魔剣士が応用としてやっていることだが、ミアはこれを無意識に行っていた。
まさに天性の才とでも呼ぶに値する絶技で痛みを凌いでいたミアだが、条件反射的に立ち上がったことによって緩和の糸が切れ、横っ腹の痛みがぶり返したのだ。
横っ腹を押さえながら倒れ込んだミア、それを心配して近づいたスティア。
しかし、痛みの原因が分かっていない二人にとって目の前で起きていることは、どうしようもない問題なのだ。
「おーじゃまーしまーす……」
そして、もう一つどうしようもない問題がここにも。
「「「きゃぁああああ!!?」」」
先程ミアが切断した鉄格子から、グライムが入ろうとしてきている。
ミアが切断したのは鉄格子二本分、子供がようやく通れる幅までだったことが幸いしてまだ入れていないが、既に地下牢内はパニックだ。
子供達は互いに身を寄せ合い、泣き叫びながら精一杯拒絶している。
「あのガキが来やがったからこんな事になったんだ!! だから、てめえを犯してあいつへの見せしめにしてやんだよぉ!?」
「ッ……!!」
そのガキが誰を指しているのかスティアには分かっている、しかし目の前に迫っている恐怖から逃れられないのも、また事実だった。
気丈に振る舞おうとしている、儚くも可憐に強くいようとしている。
しかし、目の前で倒れている友人が、たった今できたばかりの友人がある光景と重なった。
嘗て、友人を殺した教会の人間に……
目の前で殺されていく友人達を見て、ただ逃げ惑うことしか出来なかったあの頃。
確かに魔法が使えるが、今はそんなことが考えられる程冷静じゃない。
トラウマがフラッシュバックして、気丈で居る事なんてできない。
「あ……あ……」
前門のチンピラ相手に後門は無し、あの頃と同じようにパニックになった。
「その後はガキ全員の首を撥ねて、あのガキの前に並べてやる!!」
持っている杖を鉄格子に叩きつけて破壊を試み、奇声を上げながら発狂するグライムの様はスティアの中にあるトラウマを見事に掘り起こした。
しかし、今は違う。
今の彼女には、なによりも信頼できる人間が居る。
その男は、彼女に温かい食事を与えた。
寝る場所を与え、仕事を与えた。
そして、彼女に『家族』を与えた。
「犯す! 犯す、犯ぅうう!!」
気味の悪い掛け声と共に鉄格子は、変形し広げられていく。
その度にスティアの顔も恐怖に染まっていった。
泣いてはダメだと自分で言っておきながら、その目尻には薄らと涙が浮かんでいる。
それだけでも褒めるべきなのだが、それを評価して手を緩める糞野郎グライムではない。
「やめろぉ……やめろぉおお!!」
横っ腹を必死に抑えながら堪えるミアの慟哭も、周りの囲む地下層に吸われ何処にも届かない。
目一杯広げられた鉄格子は、漸く大の大人が一人通れるぐらいまで広がった。
全員の顔が絶望に染まった、先ずはスティアでその先は自分達の番だと……
気味の悪い笑みを浮かべたグライムが地下牢内に一歩足を踏み入れた。
「いや、いや……」
流石のスティアも顔を歪めた。
目の前に現れた悪魔に等しい存在が孕んでいる悪意が、全て自分に向かっているのだから当然だろう。
「さぁ、こっちへ来いよ。俺が可愛がってやる……!」
ズボンの股関節の部分に手を当ててベルトを弄っているグライムは、一歩また一歩とスティアの方へ近づいていく。
「いやぁ、助けて!! ユークリスト様ぁああ……!!」
力の限り叫んだスティアの様子はグライムの加虐心を擽ったようで、更に口角を上げた。
「てめぇ、俺のスティアに何してんだよ……?」
そんな声が聞こえたのと、グライムの身体が吹き飛んだのは、それから直ぐのことだった。
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