第三十一話:流水の如く火急
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俺が何故、トーリックの格好をしているのか説明した方が良いのか…
もしくは、目の前のチンピラから両刃刀を取り上げた方法を説明すれば良いのか…
まずは、トーリックの説明から行こう。
理由は単純、グライムは既にトーリックに対して苦手意識があるからだ。
自分が圧倒的に楽しんでいる時に、苦手な先生が廊下からこちらを見ていれば誰でも大人しくなるアレだよ。
既に苦手な記憶がある俺がいきなり目の前に現れれば、萎縮して本領の発揮も難しいと踏んだからだ。
直ぐにノートの『異空間収納』からトーリックの仮面を取り出して装着した。
まあ、俺としてはユークリストのまま出張っていっていちゃもんでも難癖でも付けて、フェゼイル商会の責任取らせて服を全部返品しようと思ってたんだけどさ。
服を全て返品する事とこの子供達の安全を天秤に掛けたら、圧倒的に子供達の安全が高いことに気づいて作戦変更した。
自分の中でかなり工夫したんだよ、どうしたら服の返品の方が重くなるのかなって。
叔父に説教されないとか、ルルティアに説教されないとか、フラムベリカに説教されないとか。
でも、その全てが軽いと分かってしまった。
悲しいことに、人一人が説教を喰らうことよりも子供達の安全が優先なのだ。
次が、グライムの両刃刀を取り上げた方法だけど……
「「「トーリックさん!!」」」
俺に気づいた子供達が俺の名前を叫んだから、それはまた後にしよう。
俺の存在に気づいた子供達は、その目尻に涙を浮かべ少しだけ笑っていた。
絶体絶命の瞬間に恩人的ポジションのトーリックが来たらそうなるだろうな。
さてさて、どうしたものか……
「てめぇは……!! 俺の剣を返しやがれ!!」
子供達同様に俺の存在に気づいたグライム。
あと、俺の後ろで浮いている両刃刀にも気づいたらしく、こっちまで唾を飛ばす勢いで叫んできた。
尖っている鼻が、更に鋭利になっている気がする。
グライムについていた取り巻きみたいなヤツも、俺の存在に気づいたらしい。
そういえば、あいつは前回喧嘩的なことをした時に遠巻きに見ていたヤツの一人だな。
もう一人の男は、相も変わらず壁にもたれ掛かって静観している。
それにしても、このグライムは典型的なチンピラキャラだよな。
金持ちのボンクラで、酒場の女の子にちょっかい掛けて、子供に乱暴する。
ホント碌でもないヤツ、こういう奴にはなりたくないな。
きっと、こいつの実家であるフェゼイル商会が元凶だろうな。
金があるから地元の領主とよろしくやって、虎の威を借る狐の如く威張り散らしてきたんだろう。
こういう奴がいるから中世の治安が悪いんだ。
いや、実家の財力にモノを言わせて政治家とよろしくやる連中なんて現代にもいたな。
………この時、俺はあることに気づいた。
目の前のチンピラ改めグライムが、自分の未来の姿かもしれないという事に。
このまま実家の威光の元勝手気ままにしていたら、こいつのようになってしまうのではないかと。
こいつのようにはなりたくない。
しかし、有る物は有るのだから使わないいともったいない。
自分の中で葛藤を抱えながらも、俺は目の前で切れ散らしているグライムに向けて口を開いた。
「まずは、お友達共々その子達から離れるんだ……」
「ふざけんな、このガキは俺をコケにしやがったんだぞ!! フェゼイル商会の跡取りであるこの俺を!!」
「フェゼイルだろうがアーセナルだか知らないが、大の大人が子供一人つかまえて両刃刀を振り上げる程ではないな……」
「こいつっ………くくっ、良いのかよ!?」
俺との問答に突破口を見いだせなかったグライムは、歯軋りをした後少し考えて薄気味悪い笑顔を浮かべ、笑った。
「俺の商会はこの街で一番だ! 街中にウチの看板を掛けた建物が並んでる! それに比べ、てめぇは単なる鍛冶族だ! 年中こいつらの側に居るわけじゃねえ、てめえの目の届かないところでこのガキ共が安全で居る保障なんてねえだろ!?」
こういう人種の人間は、何故こういう時にだけ頭がよく回るのだろう?
自分の勝ちを確信したように指を指し、若干舌を出して餌を欲しがる犬みたいに笑っている。
あっちには愛嬌があって、こっちには嫌悪感しかないけど。
「今なら、俺をコケにしたこのガキだけで許してやる!! でもてめえが拒否すんなら、俺は必ずこいつら全員に罰を下してやる!! てめぇの目が行き届かない時に、てめぇの耳までこいつらの悲鳴を聞かせてやるよ!!」
そんなクソ野郎からの提案は、今この場でミア一人を犠牲にするか、後々子供達全員を犠牲にするかだ。
最悪の二択だな、まさか異世界に転生してトロッコ問題にぶち当たるなんて思いもしなかった。
もうちょっとマシな異世界あるあるとか、あっても良いと思うんだけど。
やだよ、トロッコ問題ってめっちゃしんどいじゃん。
友達と机上の空論で話すのが面白いのであって、いざ対面して解決する問題じゃないよな。
地球温暖化の次に解決したくない問題だ。
だって、これどっち選んでも尾を引くし、現実的な選択しても俺が殺したみたいな空気になるじゃん。
しかもその出題者が、目の前のクソ野郎ときたもんだ。
スティアが俺の為に計画してくれた一日なのに、どうしてこうもイライラが溜まるのだろうか?
せっかく、スティアが計画してくれたのに。
「剣を渡して!!」
俺が考え込んでいる間にミアは既に結論を出したようだ。
自分がどんな目に遭うかも分からないのに、決意を固めたような目でほぼ即答だった。
それが俺には、少し悲しかった。
何が悲しくて自分を犠牲にするなんて決断を小さな子供に迫るんだ。
俺は別に正義感のある人間ってわけじゃない。
もしもミアの立場にアルマンとかが居たら間違いなくアルマンを選ぶ。
他にもどうでもいい大人なら、迷うことなくそっちを選ぶだろう。
反対に、ミアの立場にスティアやルルティアが居れば間違いなく五人を犠牲にする。
俺の第一のルールである『身近な人間は何をしても守る』に抵触することは、何が何でも阻止しないといけない。
それでも、これは違うって分かる。
そして、これは今回の俺ルールである『子供達を守る』に抵触している。
目の前のこいつをぶっ飛ばす、そんな大義名分が俺の目の前に降ってきた。
俺は一歩、また一歩と連中に向けて足を進めた。
決意を固めた俺だけど、かなり緊張している。
なんせ、真面な実戦になるかもしれないからな。
本邸での訓練に参加して模擬戦は何回か熟したことはあるけど、俺の敵意を持った相手とやるってのはあの時以来かな。
そう、三年前に人を殺したあの時から。
これは、俺の第一歩かもしれない。
あの時は、力不足の所為で相手を殺すことしか出来なかった。
今回は、もうそんなことはしない。
しっかり撃ち合って、無力化してやる。
だから、今回は魔術銃は使わない。
あれは威力調整が難しいし、殺傷能力が高いからな。
一発でも当たってしまえば、木っ端微塵になるだろうし後ろの子供達にも被害が行くだろうし。
二次被害が半端ないと思われる兵器は使わない。
俺は、腰に手を回し。
『敵を打ちのめす棍棒、その堅さは金剛』
精霊文字で刻まれた序文を読んだ。
これは、魔道具起動の合図の一つだ。
魔道具を起動する方法は二つ。
一つ目は、その魔道具に備え付けられた窪みに魔石を埋め込むこと。
知っての通り、魔石は魔力を内包している鉱石だ。
その品質な純度によって内包している魔力量に差異はあるが、嵌め込まれている魔力が尽きない限り魔道具の効果は継続する。
因みに、魔晶石は継続的に魔力を生み出す希少価値の高い鉱石だ。
その出所が分からない、市場価値の高い鉱石らしい。
俺の魔術銃のハンマー部分がそれだ。
そして、二つ目が術式に使われている序文を読むこと。
こうすれば、使用者が魔力を消費することなく魔道具を使用することが出来る。
精霊文字が使える人間は序文で起動させて、それ以外の購入した人間とかが魔石を使って起動させるとかの仕組みだな。
本来使用できない人間は魔石を供物に使用して、精霊文字を扱える人間は娯楽を提供した使用料的な何かだ、ってワクワク君が言ってた。
まあ、とにかく俺は魔道具を起動した。
最近作った魔道具の内の一つを。
外套から出てきた俺の手には、打撃用の武器が握られていた。
その形状は棍棒、八歳児が片手で振り回せる程の大きさだ。
柄には蒼色のラインが入って、その周りに精霊文字の術式が浮かび上がっている。
『魔撃棒』
対人接近戦用の俺専用の武器だ。
仕組みは至ってシンプルで、俺の任意でその形状を変えることが出来る。
具体的に言うなら、ミスリルの芯に描いた術式に反応して土の微精霊が鉱石を肉付けしてくれる。
形状を変えるだけなら俺の『錬金術』の『変形』で変えても良いんだけど、アレはアレで魔力消費があるから燃費が悪いんだ。
打撃を主とする武器だから、相手の生命を脅かすことはないと思う。
まあ、当たり所が悪ければ最悪はあり得るけどさ。
「てめぇ……なんだ、そりゃあ……!?
「君たち……」
戸惑いながら問いかけるグライムを無視して、俺は縋るようにこちらを見ている子供達に視線を向けた。
「目を瞑っていなさい……子供には、刺激が強すぎる。」
「「「ッ……!!」」」
「おい! 早く剣を寄越せ!!」
「おっおう!」
俺の言葉を皮切りに、子供達は思いっきり瞼を閉じた。
それと同時にグライムは後ろに居た取り巻きに檄を飛ばし、自らに剣を渡すように命令した。
俺の脚は止まらない、一つ一つ確実に地面を踏みしめて目の前のクソ野郎に近づいた。
頭の中にあるのは、最初に何処を殴るのかということだけ。
こいつの初撃を躱すとか、撃ち合うとかはどうでも良い。
とにかく、こいつに畏怖と衝撃を与えることが出来る一撃だけを考えた。
そうしなきゃ、足を進める度に自分の中で沸き上がる恐怖が目の前に来てしまうからだ。
トーリックという存在に対して恐怖を抱いているグライムと同様に、俺もまたその心臓の音から逃れることは出来なかった。
存在を主張するように、次第に音が大きくなっていくがそれらを過呼吸になるのではないかという勢いの深呼吸で押し殺す。
ああ、クソ、何で毎回こうもビビッてんだよ俺は……
でも足はもう止められねえし、こいつとかち合うのも時間の問題だ。
グライムの野郎なんだよその顔は、こっちはテメエ以上にビビってんだからな。
俺より何倍も身長が高いくせに、俺よりも二倍ぐらい年取ってるくせになんでそんな顔ができんだよ。
こっちの方が今すぐ泣き喚いて逃げ出したいぐらいなんだぞ。
頭の中では、全てが上手く行っている。
でも、それはあくまで頭の中での出来事だし、現実は上手く行かないものだと俺は知っている。
しかも、俺の場合はその可能性が著しく高いこともな。
自分のイメージした道筋から一歩でも逸れてしまえば、全てが瓦解してしまう。
ああ、なんでこんな所に居るんだろう。
今すぐ帰って、地下室で引き籠もりたい。
しかし、そんな俺の心の訴えなんて何処の空。
グライムとの距離は既に縮まってしまっている。
互いに足を進めることの出来ない距離まで来てしまっていた。
先程まで感じていたこいつとの身長差が、在り在りと目の前に現れた。
改めて、この状況に恐怖している。
「んぐっ……あぁああああああ!!」
歯を食い縛り、眉を顔のあちらこちらに霧散させながら顔を歪めたグライムが奇声を上げながら剣を振り上げ、戦いの口火が切られた。
右のから大振りの袈裟切りが、路地裏に差し込んだ木漏れ日を反射している鋭い刃が、俺の身体目掛けて襲いかかってきた。
自分よりも遙かに大きな身体はなたれたその一撃は、真っ当な八歳児に生涯をトラウマを与えるには十分な一撃だった。
当然俺も例外に漏れず、その光景に恐怖している。
現段階の俺は、手も足も動かず太刀打ちできない。
しかし、それは問題じゃない。
今の俺は、ただ口を動かせばいい。
『自由に空を旋回、悪意を刈り取る網を展開。』
その序文に反応して、俺の二つ目の魔道具が起動された。
俺の命目掛けて一直線に振り下ろされた両刃刀は、その軌道を変えて空中に絡め取られてしまった。
「なっ!!どういうことだ!!」
先程と同じ現象にあったグライムは、未だ理解が追いつかない様子で空中を見上げた。
そして、先程奪われた自身の両刃刀と今し方奪われた両刃刀の二本が俺の後ろで浮いているのを目撃した。
これが俺の二つ目の魔道具。
『魔囮』
形状は、石礫のような形の鉱石に翼のようなプロペラが付けられている。
この魔道具原理は、小型ドローンの様に空中を旋回できること。
風の微精霊から補助を受けた小型プロペラを使って、空中を旋回している。
空中を旋回と言っても、俺の意志で自由に出来るわけじゃない。
俺を中心に決まった軌道上を天体系みたいに旋回している、ってのが正しい表現だ。
まあ、それだけではこいつから二度も剣を奪い取ったことの説明にはならないけどな。
それは、この石礫の部分に使われている鉱石『ネオジライト』のお陰だ。
こいつの圧倒的磁力で、磁力が働く物を全て吸い取る。
元々磁力が高かったのに、数発の小型版『電撃』を喰らわしたら更に磁力が増した。
前世で、磁石に帯電させれば威力が上がるなんて物を読んだ気がして試してみたが、魔力が関わるとここまでになるのかという程の威力だ。
大人一人の握力から、子供の玩具を取り上げる様に奪い取ることが出来るんだからな。
アルマンに試したら、奪い取るまでは行かなくてもその軌道をいじることまでは出来た。
やっぱり、アルマンは優秀だな。
この魔囮については、洋画で電磁石を使っててんやわんやを起こす展開があったから、それを参考にした。
この世界でも鉄製品はあるから、ある程度の需要があると思ってたけどこんなに早く活躍するとはな。
さて、こうなれば勝負は決したも同然だ。
現段階の俺は恐怖心の所為で、まだ剣を持った相手と撃ち合うことは出来ない。
だったら、発想の転換で解決するしかない。
剣を持った相手とが無理なら、相手から剣を取り上げればいい。
「ふぐぅうっ……!!」
先ずは一撃。
戸惑っているグライムを他所に俺は、迷わず魔撃棒でその脛を打ち抜いた。
魔力で身体強化を施し、テニスボールを撃つように振り抜いた魔撃棒の先でゴッ、と鈍い音が響いた。
こいつの足の骨を折ったのだと、その触感を通じて理解できた。
無いんだ、魔撃棒を打ち付けた位置にその骨が。
ホント、最悪な気持ちだ。
足を折られたグライムは、その勢いで残った左足から地面に崩れ落ちた。
それに続いて俺は、蹌踉めきながら受け身を取る為に地面についた右手を。
その前腕部をゴルフのスイングのように撃ち抜き、またその鈍い返答を受けることになる。
「ぐぎゃぁああ!!」
支えを抜かれたグライムは苦痛塗れの慟哭を上げ、その勢いのまま地面に顔を打ち付けた。
僅か一瞬で地面に突っ伏して、いや、叩きつけられてしまったグライムは這い蹲ることになった。
「やっ、やめぇ……」
苦悶の表情で俺の方を見上げるグライムの目には、恐怖と悲痛と懇願が孕まれていた。
必要なことだと分かっている、第一こいつが仕掛けたことだ。
こういう奴は、悪巧みをする度にフラッシュバックしてしまう程のトラウマを植え付けるのが一番良いんだ。
この仮面を脳裏に焼き付けて、この仮面が瞼の裏に浮かんで、この仮面に襲われて眠りから目が覚める。
それほど強烈なトラウマを植え付けることが、必要なんだ。
じゃないと、見ていないところからいつか竹篦返しを喰らうことになる。
物語のお約束だ。
こういう奴は芽が出る前に、根の段階で掘り出して焼き尽くすことが絶対なんだ。
心を鬼にしろ、ただ目の前の肉塊を叩くことだけに専念するんだ。
必要なことなんだよ、俺が『子供達の安全』という目的を達する為には、これは必要なことなんだ。
そうだ、こういう時は成りきるんだ。
俺は合理的主義者で、自分の目的達成の為に、今目の前に居る害虫予備軍であるこいつを叩き潰す。
これは俺であって俺じゃない、トーリックが行うことなんだ。
そう思うことにした、兵士が市街戦で民間人を殺した時に上官命令だったと自分を納得させて慰めるように。
必要悪だと、自分を納得させるんだ。
そう考えた俺は、成りきる為にも台詞が必要だと考えた。
この場面で、こいつに畏怖を与える台詞が必要だと。
罪悪感で胸焼けしそうなこの状況下で、自分の中に別の誰かを作る必要があったからだ。
「……そういえばーーーーー」
悲痛と、涙と鼻水に塗れた顔で縋るように俺を見上げるグライムを見つめている中、俺の中にある考えが浮かんだ。
というか、初めてこいつを見た時に思ったことを再確認したって感じかな。
「初めて見た時から、気に入らなかったんだーーーーその鼻。」
「はがっ……!!」
俺は無機質な言葉を言い放った後、魔撃棒をグライムの顔面に目掛けて一直線に振り下ろした。
メシャッ、と気色の悪い音が鳴った気がした。
魔撃棒を持っている自分の腕が、思いのほかめり込んでいる気がする。
この気味の悪い仮面を被っていてよかったと、初めて思うよ。
自分がどんな顔をしているのか、自分が今誰に見られているのか考えないで済む。
自分の世界に浸って、自分の行いから目を背けて、自分が正義だと言い聞かせる。
その点から言えば、ノートに頼んでスティアをワグの元へ行かせたのは英断だったかもしれない。
こんな姿、スティアにだけは見られたくないからな。
この光景を彼女が見てしまったら、まるで、俺が一方的にこいつを痛めつけているように見えてしまう。
いや、実際一方的なんだけどさ。
グライムを殴りつけた自然の流れで二発目の体勢に移行した。
「ひゃ、はべ……」
鼻を殴りつけたと同時に歯も折れたグライムは、自分の血がこびり付いた魔撃棒を見上げ何か言葉を発したが、俺にはそれを聞き取る冷静さがなかった。
早く、終わってくれ。
俺がそう一瞬願ったからだろうか。
次の瞬間、それは来た。
「ッ………!!?」
俺の目の前を、既の所で擦っていったのだ。
一撃に満たない程の威力で放たれたそれは、噴火している俺を冷静にさせるのに十分だった。
だって、何をされたのか、何が俺の目の前を擦ったのか分からなかったからだ。
『今のは何だ?』この疑問が、俺を冷静にさせた。
目の前に這い蹲るクソ野郎の事なんて、どうでも良くなった。
「はーいはーい!そこまでそこまで。」
その声を発したのは、俺達の様子を最後尾で眺めていた男だ。
仮面の所為で視野が狭まり、日の当たらない路地裏という事もありその顔を拝むことは出来なかった。
警戒心がマックスにまで達している俺はその場から動かず、ただその男の動きにだけ細心の注意を払った。
何かあれば、直ぐに反応できるように。
自分の腕前を過信しているわけじゃないが、俺だってそこそこ戦いに精通しているつもりだ。
なんたって、公爵家のエリート教育を受けているんだからな。
騎士訓練の見学に始まり、アルマンズブートキャンプにワグとの接近戦訓練。
カイサルたちが帰ってきた時には訓練だって付けて貰っている。
そんな俺が、仮面で視野が狭かったとはいえ視認することすら許して貰えない攻撃を食らいそうになったんだ。
もしかしたら、此奴は手練れなのかもしれない。
「いやあ、良いもん見させて貰ったよ。アンタが噂に聞く冒険者トーリックだろ?ランクが低いくせにやけに顔が広いとか……良いねえ、良いよアンタ。だけどよ、そのまま続けちまえばそいつ死ぬぜ?」
「……こんな男と行動を共にしている、という事実だけでも碌でもない人間だが一応聞こう。どなたかな?」
自分の連れが今し方ボコボコにされたというのに、そいつの声色は喜色に染まっていた。
新しい玩具を楽しむ子供の様に、無邪気で弾むような口調だ。
「俺かい?俺はまあ、そこで這い蹲ってるヤツの顧客ってとこか?ーーーそう言やぁ鍛冶族ってのは実物主義だって聞いてたんだけどな……アンタ本当に鍛冶族か?」
突然向けられた強い興味と疑い。
こいつの言いたいことはわかる。
鍛冶族というのは、現実に存在する物だけを信じている種族だ。
目の前の岩山を切り取って己が巣を築き、それを鍛冶技術で加工することによって自分の価値を高める。
信じるのは自分の腕と酒だけ、そんな職人気質な思想が種族として根付いている。
そんな種族が目に見えることのない微精霊を頼った魔道具を是とするわけがない。
こいつ、グライムの取り巻きなんてやってるからただの馬鹿かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
ある一定水準の教育を受けていると考えた方が良いだろう。
となると、何処かの貴族か金持ちに知り合いが居てそこから知識を得たのか。
ひょっとすると、グライムよりも厄介な尻持ちが居るのかもしれない。
面倒くさいが、少しだけ慎重になる必要がありそうだ。
先程の攻撃手段も不明だし、自分から仕掛けるのは止めておこう。
だがしかし、俺はそんな指摘をされても良いように言い訳を考えている。
「私は人間族である母の元で育ったからな。その影響で多少国際的になっているんだ。」
「グロ?なんだそりゃ、まあ良い。それよりもそいつを回収してぇんだけど、抵抗すんなよ?」
この世界では、まだグローバルなんて言葉は一般化していないらしい。
まあそうだろうな、あっちの方でも文明がかなり発展しないと生まれない言葉だし。
男はグライムを指さしながらそう言って、取り巻きの一人であるガタイの良い男に視線で指示を出した。
しかし、この男粗野な言葉遣いに下町のちんぴらの様な素振りだが、なんとなくこちらの方に親近感なんかを抱いている気がするのは何故だろうか?
お前みたいな友達は、前世も合わせて居ないはずだが。
「壊れかけの玩具を持ち帰るのであれば、其方の方で修理もするんだな。もちろん次回会った時は、以前よりもマシになっていることを願うが……」
しかし、その提案はこちらとしても否とは言わない。
さっき、何もしないことを決めたし。
それに、攻撃手段も分からない方法で暴れられたら、この子達にも被害が出るかもしれない。
しかし、先程まで此奴をボコボコにしていた者の立場から言うのであれば『はいどうぞ』と易々渡すわけにはいかない。
それなりの強者感のある台詞が必要だったが、今は完全に成りきっているのでなんとか捻り出すことが出来た。
俺のそんな言葉を受けて、様子を窺っていた取り巻きが顔面を押さえて蹲っているグライム
の身体を担ぎ上げ、大通りとは反対方向へ進んでいった。
「じゃあな、冒険者トーリック。縁があれば、もしかしたらまた会うことになるかもな。」
男達が暗い路地裏に消えていく去り際、路地裏に差し込む陽の明かりが男の顔に当たった。
この仮面の所為で顔の全体像は視認することは出来なかったが、その男の特徴的なものは捉えることが出来た。
頬を伝う、涙のタトゥーが。
ーー
「ねえ、もう目を開けても良い……?」
「ああ、もう大丈夫だ。」
男達が去って数秒経った後、痺れを切らしたミアが口を開けた。
俺は直ぐにノートを呼びつけて、魔撃棒と魔囮を『異空間収納』にしまった。
子供達は恐る恐る目を開けて、俺の姿を確認した。
その次に、自分と同じ立場に居た友人達と顔を見合わせた。
「………ひぐっ…ぐす……」
緊張の糸が緩み、溜まらず嗚咽が漏れた。
「うわぁああああああ!!」
最初に泣き出したのはカミーラだった。
一目散にミアの方へ駆けていき、思いっきり抱きついた。
それに、ゲイルとオーウェンも続いた。
「ミアの馬鹿ぁ!めっっちゃ怖かったんだからぁ!!」
「そうだよぉ!!トーリックさんが来なかったらどうなってたのぉ!!」
「うがぁあああ、みんあ、みんなぁああ!!」
緊張の糸というのは張り詰めれば張り詰める程、その反動は大きい。
こんな年で命の危険に晒されるなんて、どれだけ怖い思いをしたのか想像も出来ない。
俺の中では、小学生の時に上級生に詰められた程度の事しか経験が無い。
アレも十分怖かったが、今のこの子達にとってはそんなことどうでも良いな。
「ごめん……私が、変なことしたから…」
泣き喚く友人達を見たミアも同様に緊張の糸が緩んだのか、いつもの溌剌として活力に満ちた目を伏せ、呟く様に謝った。
自分の行動で、友人達を危険に晒した事を悔いているのだろう。
俺に『火之球』をぶつけそうになった時は謝らなかったのにな……
やっぱり、友達は大事って事だよな。
「そうじゃない!!」
しかし、それにカミーラが反対した。
カミーラを形作っている優しい垂れ目を最大限つり上げて、今までの彼女らしくないと言えばらしくない大声で。
そんなことを言われたミアは、何が何だか分からないと言った感じで呆気に取られている。
自分がした行動が、間違いなく正しいと思っているのだろう。
「そうじゃない……ひぐっ…もぉ……わぁあああ!! 無事でよかったぁあああ!!」
何故そうじゃないのか?
その理由を話す前に、溢れ出した想いに逆らえなかったカミーラの絶叫が、木漏れ日差す路地裏に木霊した。
それに続く様に、ゲイルとオーウェンの声も。
自分達の生存を確かめる様に、その声は反響した。
その中心には、きょとん顔のミア。
まあ、これは大人が教えてやった方が良いかな。
俺はそんな様子を眺めながら、カミーラが何を伝えようとしていたのか悟った。
概ね、俺が最初に感じたことと相違はないが。
俺は抱き合って号泣している子供達に近づいた。
仮面の中にある俺の瞳と、ミアの特徴的な三角眼が交差した気がした。
「つまり、この子達は先程のチンピラが怖かったのではなく。君一人が名乗りを上げて、君一人が傷つけられるのが怖かったんだ。」
「………それは……」
俺の言葉を受けて、ミアは自分に群がっている友人達の顔を見た。
ゲイルとオーウェンは未だワンワンと泣き喚いているが、俺の言葉を聞き取っていたカミーラはうんうんと激しく頷いている。
やっぱりな。
もちろん、あのチンピラ達が怖かったってのもあるだろうが。
それよりも怖いのは、目の前で友人が命を失うことだった。
そりゃそうだよな、俺だって友人家族が目の前で命を落とすのを見るのは嫌だ。
それは、この世界の家族だって例外じゃない。
いや、寧ろその点から言えば、この世界の家族の方がいやかな。
現代日本に住んでいた頃、家族の命が失う時ってのは大体老衰だって相場が決まってた。
もちろん悲しいことだけど、旅立つ方も旅立たれる方もそれぞれに心の準備が出来る。
いきなり路上で他者からの悪意によって突然奪われる、そんなことはなかったからな。
でも、こっちの世界じゃそれがあり得る。
それに、ウチは軍家だからその傾向が顕著だ。
昨日笑顔で食卓を囲っていた人間が、次の日血塗れの布を被って帰ってくるなんて事はザラにある。
いや、帰ってくる事も珍しいな。
殆どの人間が、その事実だけを遺族に伝えられて何かの形をしたその人を傍らに置くだけ。
それがこの世界の常識だ。
ここに来て、人攫いというシビアな問題に直面してから、家族のことを考える様になった。
主に、ただいま絶賛絶縁気味になっているルルティアの事を考えているのだがな。
その所為だろうか、自分の犠牲にしようとしている目の前の少女に対して庇護欲を掻き立てられているかもしれない。
俺が近づいてきたのを感じた子供達は、そっとミアから離れた。
ミアは口をへの字にして俺をジッと見つめ、その頬を赤らめた。
もしかしたら、ミアはミアで怖かったのかもしれない。
俺は、この顔を見るまで少しだけお説教をしようと考えていた。
ほら、無鉄砲な主人公を諫める老人みたいにさ。
そんな感じでお灸を据えようと思ってたけど、この子はこの子なりに考えがあってあんな無茶をしたのかもしれない。
だったら、俺がその気持ちを上から説教するのは違うよな。
この子の気持ちを汲んで、尚且つこの子の無鉄砲さを助長しない言葉は何か。
うーん、大人相手ですら難しいのに子供相手となると更に難しいな。
そもそも、俺はあまりこういうのが得意じゃないんだよな。
しかし、今は良識ある大人の立場だ。
この子がしっかりとした人間になる様に、教えるべき事は教えないといけない。
よし、やけっぱちで行こう。
どうせ言葉なんて、人によって受け取り方が変わるもんだ。
こっちが深く考えるだけ無駄だ。
俺は、ゆっくりとミアに手を伸ばした。
ミアは俺が叩くと思ったのか、ばつが悪そうに目を瞑った。
そして涙が頬を伝う彼女の顔に、俺は思わず手を当ててしまった。
「よく頑張ったな、偉かったぞ。でも、もう少し自分を大切にするんだ。君が友人達を大切に思っている様に、友人達もまた、君を大切に思っている。」
「ッ………!!」
そう言うと、ミアの顔は瞬く間に赤くなった。
真面に言葉を発することなく、瞳孔が三角眼の中をビリヤードボールの様に、彼方此方に行き交っている。
きっとミアも、トーリックという存在で緊張の糸が切れたのだろう。
いつもはツンケンしているが、こういう所は子供らしいな。
「……あんたは………?」
「……ん?」
ボソッと、ミアが呟いたのを俺は聞き漏らさなかった。
「アンタは私のこと大切に思ってる?」
頬に宛てた俺の手を迎える様に首を傾けて、上目遣いでいじらしく質問するミアの様子は年相応の女の子の様に可愛らしく、薄らと頬が赤らみ、水平線に消えていく夕日の様な儚さもあった。
まっ、ウチのスティアの方が可愛いけどな。
しかし、大切に思ってる?か。
「まあ、そうだな……」
一応、この子達の安全確保が第一だからな。
大切に思っているのだろう。
そんなやり取りを終えて、俺は直ぐに大通りの方へ出た。
子供達のことを放っておくのもアレだと思ったんだけど、さっきのグライムの断末魔を聞いた人が駆けつけてきたからな。
子供達は彼等に任せ、俺はワグたちのもとへ向かった。
事の顛末を話した後、やけに機嫌の悪いスティアを相手するのに手間取ったけど。
きっと、お忍びデートだと思ってたのがバッチリ護衛付きだったのが気に入らなかったんだろう。
まあ、そんなこともあって収獲があったのか無いのか分からないレーメン探索は終わった。
ーー
「クソッ、クソッ、クソッタレェエエ!!」
路地裏の公開処刑が終わって数時間が経った。
鼻の潰れたグライムは、治療を終えたその身体で自室に備え付けられているを、片っ端から叩き割っていった。
顔中に包帯を巻いて、折れた片方の手を吊って、折れた片方の足を固定している。
自分を支える為に支給された松葉杖の様な形状の杖を振り回して、己の内に溜まった鬱憤を晴らしているところだ。
時には取引先の貴族から譲り受けた花瓶を、時には有名画家に描かせた絵画を。
彼に傷つけられた美術品達は、その永久の価値を一瞬で散らすことになった。
ベッドの上には、彼の為に呼ばれたと見える娼婦達が、その顔に怯えを残して蹲っていた。
「はあぁ、はあぁ、はあぁ……」
「……はあ、なあ、気は晴れたか?」
そんな彼に声を掛けたのは娼婦ではなく窓際に立っている男。
ピエロメイクに見立てたタトゥーが特徴的な青年。
リキュール・デュアル。
数時間前に頭のイカれた八歳児が変装した冒険者と鉢合わせたばかりだ。
先程の楽しそうな口調とは違い、溜息をついて退屈そうにしている。
「ふざっけんなよ! 何で俺がやられる前に助けに来ねえんだよ!? お陰でこんなになっちまったじゃねえか! ああ!?」
「そんなの、『治療術』を使える奴を呼びつけてやらせれば良いんじゃねえか?」
自分の折れた鼻を指さしながら、目を血走らせて訴えるグライムの様子にも興味の無さそうに答えるリキュール。
「そいつは二年前の大型連携依頼で死んだんだよ!」
「あら、そうなの?」
怪我をしている人間には治療が必要。
ならばこの世界での治療とは何なのか?
まず第一が、通常のアナログな方法による常識的な治療だ。
傷が出たらそれを洗い、包帯でそれを塞ぐ。
これにも場所によって治療の強弱はあるが、現代医療知識が十分に通じるだろう。
そして第二は魔術による治療だ。
『治療術』を使えば大抵の傷は治ってしまう。
折れた骨は元通りに治り、術者によっては失った細胞すらも再生する事が出来る。
第三は教会の神官による治療だ。
これは『神聖術』による病や病気などを専門にした治療が主だ。
『神聖術』は特異魔法の一種で、それに適性があるだけで行為神官の地位を用意される。
この世界にはもちろん治療薬などもあるが、それでも病というのは目に見えない凶器の様な物であり、肉眼での判別は出来ない。
突然身体を冒す毒や、潜伏期間が長く発覚した時には手遅れになっている病。
こういったモノを専門的に治療するのが、神官による治療だ。
因みに、現代的観点から発想されるポーションだが、ポーションはその希少さ故に市場には数えられる程度しか流通していない。
ポーションは『錬金術』の薬草番の様な『調薬術』に適性のある人間が作ることが出来る。
その希少さから、皇室治療団に重宝されているとか。
通常、規模の大きい街にはこういった手段を備えている者が必ず一人は控えているのが相場だが、レーメンの街は二年前に行われた死怪鳥の討伐クエストで『治療術』の使える魔導師を失っている。
だからグライムが、こんな継ぎ接ぎの様な顔をしているわけだが。
そんなグライムの様子にも全く興味の無いリキュール。
耳の中に小指を突っ込み、垢掃除をしている。
それを見てグライムも『クソッ』と歯軋りをして、自身の爪を噛み締めた。
「おい、もう一仕事だ!! あの生意気なトーリックを殺せ! ついでにあのガキもだ! この俺をコケにしやがって、ぜってぇぶっ殺してやる!!」
声高に怒鳴りつけ、今度はズリズリと足を引き摺りながらベッドの上に居る娼婦たちのもとへ向かった。
「キャッ…!!いやぁああ!!」
「うるせぇ!!黙ってろ!!」
娼婦を馬乗りにして蹂躙する様を、これまたリキュールは退屈そうに眺めた。
どうして、こんな男の側につかなくてはいけないのか?
どうして、計画を進めることなくこんな所で地団駄を踏んでいるのか?
自分が『鎖の狩人』の幹部である事に一種の誇りを持っている。
彼は、自分が今まで蔑ろにされてきた過去を払拭する為に暴力の世界に入ってきた。
そんな彼にとって、たかが貴族の子供、それも八歳の子供の顔色を窺いながら息を潜めているこの状況に苛立ちを覚えている。
今すぐ自分の能力で領主館に入って、件のガキの喉を掻き切る事など容易なのに。
そんな中、彼は暇つぶしの相手を見つけた。
それが冒険者トーリックだ。
下流階級以南の出身である彼にとって、平民の子供達の魔術教育に縁故を使う人間はとても親しみが湧いたのだ。
自分が嘗て差し伸べられなかった手を、こうして誰かが差し伸べていることに少しだけ興奮を覚えている。
子供の頃、路地裏の影から覗き込んだ大通りの舞台に出ていた英雄が、目の前に現れた気分に近かった。
先程、トーリックを初めて見た時、路地裏で佇まずに駆け寄って握手の一つでもしたかった。
しかし、彼もまた常識とはかけ離れた感性を持ち合わせている人間の一人であり、その愛情表現は歪であった。
興奮を隠しきれず、ついついつまみ食いそうになったが、既の所で止めることに成功した。
本能に勝る何かが、彼の中にあったからだ。
そして、そんな鬱憤が溜まりきっている彼にとって、グライムの命令は不本意であるが魅力的であった。
これについて彼は考えを巡らした。
自分達のスポンサー的立場に居るフェゼイル商会の意向を汲みながら、自分の欲望を満たせる方法を。
そして尚且つ、この街に居る自分達の同胞の怒りを買わない方法はないか。
『鎖の狩人』の状況はこうだ。
公爵家の騎士団を油断させる為、一週間以上は鳴りを潜めること。
今回の人攫いの、本当の目的である標的の確保をすること。
公爵家のお膝元であるこのレーメンの街で、『鎖の狩人』の確固とした拠点を築くこと。
どの目的も繊細な行動が求められる為、大胆な行動は禁物だ。
「ん……そうか、そうすれば良いのか……!」
リキュールが何かを思いついた様に、鋭く口角を上げた。
「うん、そうだ、こうやって……」
その呟きは、グライムに蹂躙されている娼婦の喘ぎ声に掻き消されてしまった。
「大丈夫、何かあれば俺の力を使えば問題ねえ……」
窓際から見える薄暗いレーメンの様子を見ながら笑うリキュールの顔は酷く歪みながらも、何処かプレゼントを心待ちにしている子供の様だった。
ーー
四日目の夜。
今日も今日とて公爵家騎士団とレーメンお抱え警備兵が街中をパトールしている。
俺はワグと共に東区にある建物の上で待機している。
どうして建物の上に居るのか。
それは、俺が作った三つ目の魔道具に起因している。
機会があれば、今度紹介する。
何故建物の上なのか。
それは見渡しも良いし、なによりちょっとした雰囲気があるからだ。
昼間の出来事はあまり良い気分じゃなかったから、綺麗な星空を見上げながら風に当たって気分転換がしたかったんだ。
そう、気分転換だ。
何で俺達がここに居るのか、それは人攫い組織からこの街を守る為。
なのに何故、その警戒中に気分転換なんて呑気なことを考えつくのか。
その矛盾を繋ぐ根拠こそが、油断だ。
公爵騎士団がこの街に着いてから三日間。
この街は以前の静寂と活気を取り戻しつつあった。
その中で誰もが考えただろう。
もうこの街は安全なんじゃないか?
俺だってそうだし、巡回中の騎士だって殆どが若手だ。
安心や慢心による油断があってもおかしくない。
それは突然来た。
『ユーリ! 北区方面で閃光弾が上がったぞ!!』
「南でも二発上がった……」
「申し上げます! 西区の方で賊捕縛の報告が入りました!!」
「今度はこちらです!!」
「北区の方から更に一発上がりました!!」
「報告が立て続けに続いています!!」
人攫い組織を捕縛した際に打ち上げる様に指示していた閃光弾が、レーメン彼方此方から空に打ち上げられた。
ありとあらゆる情報が錯綜しているこの東区は、一種のパニックが起きている。
当然俺も例に漏れず、冷静に装っているがその胸の内は穏やかではない。
やべえ、報告がどんどん来やがる。
ていうか、なんで三日間音沙汰無しだったのにこんな事が起きるんだよ!
連中はこの数ヶ月間その影すら見せなかったんだぞ。
そんな奴等が何故、鼠駆除業者から逃げる様に表に姿を出さないといけないんだ!?
おかしい、奴等の行動は明らかに矛盾している。
何故今なんだ?この三日間完璧に隠れていたってのに?
俺は喧噪の中で、只管思考に没頭した。
何故だ、どうしてこんなヤケクソな行動に出るんだ!?
派手な行動で俺達を惑わせて……
「くそっ、これは陽動だ!!」
考えが甘かった、影を見ることすら出来ない連中がただ息を潜めているわけがない。
だったら何処に本命が来るんだ!?
此処か?それとも……一体どこなんだ!?
考えを巡らせた。
これだけ派手に揺動しているんだ、奴等の本命が絶対何処かにある。
俺は本能的に件の子供達が住んでいる方向に駆け出した。
建物の屋根から屋根へ、とにかく飛び移っていった。
「ユークリスト、何処に行くんだ!」
『こっちに何かあるんじゃな!?』
「分からないけど、こっちに子供達の住んでいる家があるんだ!!」
俺に続いてワグとノート。
直ぐに子供たちのもとへ向かわないと、これが奴等との最初で最後の戦いになるんだと直感で分かっていた。
此処で取り逃がせば、後で取り返しのつかないことが起こりそうだ。
『あるじ!! あるじぃいい!!』
頭の中に、慟哭に近い悲鳴が響いた。
ロキの声だ。
俺はその場に立ち尽くした。
何で、ロキからこんな念話が届いたんだ。
いつもならどうって事ないし、軽く流して終わりだ。
こんな時にどうして……
『すちあが、すちあがぁあああ!!』
ああ、ああ、あああああああ。
「くそったれぇえええ!!」
『どうしたのじゃ、ユーリ!!』
「甘かった!! 俺達は勘違いしてたんだよ!!』
くそったれの馬鹿野郎。
何でこの事が頭になかったんだ。
確かに、俺はあの時あいつに言われたことがある。
『今後裏からの脅威は全て私が引き受けます』と
何でその言葉を鵜呑みにしたんだよ。
何を根拠にあんな奴を信じたんだよ!!
方向転換は早かった。
向かう先は、もちろん領主館だ。
くそ、くそくそくそくそくそぉおおお!!
馬鹿が、何でこんな事に気づかなかったんだよ。
何が囮になるだよ、何が俺に連中の目を集めるだよ。
自分にどれだけの価値があると思い込んでんだよ!!
あるだろ、連中が涎を垂らしながら手薬煉を引いて待ってた人物が。
「スティアァアア!!」
領主館が見えた。
いや、それよりも先にそこから上がっている煙が見えた。
それ見て俺は更に血相を変えて、身体能力強化を掛けて己を飛ばした。
領主館の扉から出てくる影が見えた。
一人はデカい身体を白いコートみたいな物で包んだ奴。
スカートがついてるから多分女だろう。
そして、もう一人は………
領主館の僅か上空から捕らえたその姿は……
忘れるわけがない、この三年間一時も忘れたことはない。
俺はある意味、此奴を倒す為にこれを作ったんだ。
今の俺が鍛錬する理由の源。
「ナァアベリックゥウウ!!」
忌々しきクソ野郎ナーベリック。
その剽軽とした態度と不可解な見た目から全く人物像が掴めないが、全身を包む黒いローブの影で薄ら笑いを浮かべていることは分かる。
こいつだけは…こいつだけはここで何とかしないとダメだ!!
でないと、いつか俺の人生に大きな災いをもたらす存在になる!
その姿を見た俺は、条件反射で腰に指していた魔術銃をその男に構えた。
当然そのハンマーはコッキング済みで、銃弾だって十分に装填されている。
これはこいつがまだ知らない情報だ、一瞬意表を突けば何とかなるかもしれない。
しかし……
「ユークリスト様ぁああ!!」
「グッ……クソ!!」
ナーベリックの腋に抱えられているスティアの声が、俺の中心にまで届いてきた。
その声は、俺の心臓を強く突き刺した。
この三年間、聞いたことの無い声だ。
この三年間、聞かないようにしてきた声だ。
今撃てば、スティアに当たってしまうかもしれない……
そう思った瞬間、引き金に指を掛けられなくなった。
ぐっ、くそ、何でだよ……
こんな時の為に準備してきたんじゃねえのかよ!?
何の為の三年間だったんだよ、あの子にした約束は何だったんだよ!?
俺に君を守らせて欲しい。
そう言ったんじゃねえのか!?
お前は自分で言ったことも守れないのかよ!?
自分のルール一つも守れないのかよ!?
スティアを抱えるナーベリックの姿が、ナーベリックの前を歩く女の姿が遠ざかっていく。
「ユークリスト様ぁ!! ユークリスト様ぁああ!!」
俺の名前を叫ぶスティアの声の一つ一つが俺を責めているように聞こえた。
当然だ、俺はあの子としたたった一つの約束すら守れなかったんだから。
煙上がる夜の街に溶けていく人影を、唇を噛み締めて睨み付ける。
「スティアァアア!!」
俺はその場に立ち尽くして叫ぶことしか出来なかった。
「必ず、必ず助けに行く!! 何があっても助けに行く!! 俺が絶対、君を助けに行く!!」
慰めにもならない言葉を並べる。
慟哭上がるレーメンの夜。
俺はまたも、自分の無力を思い知らされた。
書き溜めたかったんですが無理でした。
しかし、色々と整理できたのでもう安心です。
と、自分勝手に問題を起こして解決しています。
投稿すっぽかした無礼者を待っていてくれた皆様方に感謝しています。




