章閑話:オルトウェラの冬物語 其の四
五話構成になってしまいます。
その魔獣の名前は疫病蜘蛛。
突然変異で生まれた危険度SSSの魔獣だ。
対カイサル人材育成を諦めたナルカンは、もう一つの計画を始動した。
それが、魔獣兵器の作製だ。
化け物に対して人間を幾ら積んでも勝てないのは、火を見るよりも明らかだ
ならば此方も、化け物を育てよう。
化け物には、化け物をぶつけるのだ。
当時ナルカンの計画では、多数の強力な魔獣に首輪を形状をした魔術兵器を装着し、その行動を支配する事で、帝国内に点在する危険自然区域の至る所で場当たり的な大暴走を発生させる事だった。
その為にナルカンは『古の大森林』に軍の精鋭を派遣し、当時その存在だけでも悩みの種だった死怪蜘蛛の幼体を何匹か盗み出した。
その結果、『古の大憤怒』の名でナルカン史に刻まれた魔獣災害が起きた。
大量の自国民の死体と悲劇の上には、幼体の死怪蜘蛛が三体と、冒険者組合から買い取った大量の死怪蜘蛛の亡骸が残された。
魔獣の生態は、未だ全てが判明されていない。
例えば元獣種。
その強さは同ランクの魔獣のとは一線を隠し。
人では理解できないほどの知能を有し。
特異魔法を操る。
何故、元獣種が生まれるのか?
何故、元獣種には知恵があるのか?
何故、元獣種には特異魔法があるのか?
大陸中の学者達がその謎に囚われ、そこから抜け出せずにいる。
しかし、どうすれば魔獣が強くなるのか判明している。
その魔獣が生きた年月と、捕食したモノの保有魔力量だ。
その事実を元に、ナルカンの学者達はその幼体達に、高い魔力保有を誇る魔獣達を与えていった。
初めは、大量の死怪蜘蛛の死骸。
頭、胴体、脚、軍事用に回した部位以外は余す事無く幼体の腹の中に入った。
次に魔力保有量の高い魔獣の死骸。
冒険者組合や、Sランクパーティを始めとした高ランクのパーティに声を掛け、片っ端から買い占めていった。
軍を導入し魔獣狩りを行うなどして、餌を集めていった。
しかし、魔獣の死骸は同時にナンカンの国庫を減らす事になった。
冒険者組合から買い占めた死怪蜘蛛への出費。
魔獣の素材集めの為軍に費やした出費。
帝国の心臓を撃つ為に作られた兵器が、発射される前に自国の首を絞め始めたのだ。
悩んだ上層部は、幾重にも会議を重ねた。
国民や商会から取っている税金を増やすか。
国の宝物庫を開くか。
他国との貿易で利益を上げられる分野の開拓を進めるか。
それら全てが不可能だった。
既に『古の大憤怒』の被害を受けている国民から、これ以上税金を取る事は出来なかった。
ただでさえ商会への税金を減らす事で、辺境にあるナルカンまで流通路を通している。
税金を増やせば、商人が来なくなってしまい流通が止まってしまう。
国の宝物庫には、それぞれの王家を象徴する品々がある。
王家に名を連ねる家が一つでも否と言った途端、他の家も忽ち金庫を閉じた。
他国との貿易に関しては、『古の大森林』の森林族の国があるが、今すぐ金を作る事は出来無い。
そうしてナルカンは、人間を餌にすることを決めた。
もちろん、罪のない国民を無闇矢鱈に使用するわけでは無い。
ナルカン内で活動している盗賊や、犯罪者等を死怪蜘蛛への餌とした。
重犯罪者・軽犯罪者、一切関係なく餌とした。
帝国軍との戦闘で出た死骸を回収して死怪蜘蛛への餌とした。
帝国軍・味方の区別も無く、ただ餌として与えていった。
なんてのは建前だ。
足りなくなったら国中の村から人攫いを装って調達してきた。
そんな狂乱科学者達の自由研究が三年程進んだある日の事。
三匹居た死怪蜘蛛が一匹になった。
当然、狂乱科学者は発狂した。
何故こんな事になったのか。
帝国の刺客に情報が漏れ、始末されたのか。
誰かが、金の為に売り払う為盗んだのか。
檻を食い破って逃げたのか。
そんな彼等の疑問は直ぐに解消された。
檻の中に、死怪蜘蛛の残骸があったからだ。
文字通り『蠱毒』が行われたのだ。
更に気づいた事がある。
死怪蜘蛛の身体に入った模様が変わっていたのだ。
ナルカン軍は直ぐに『鑑定術』を扱える魔導師を呼び出し、鑑定を行った。
鑑定結果は見えなかった。
それは、疫病蜘蛛が保有する特異魔術『隠蔽術』の仕業だったが、ナルカンはその事実を知らない。
しかし、死怪蜘蛛の時は見えていたモノが、疫病蜘蛛の時は見えなかった。
この事実だけでも、目の前の怪物が自分達如きでは到底計り知る事の出来ない存在だと分かった。
かくして、知らずの内にSSSランクの大人の玩具を手に入れた狂乱科学者達は、嬉々として魔獣飼育に勤しんだのだ。
しかし、彼等にも疑問と不安はあった。
それは、何故この未曾有の怪物が、大人しく人間に飼育されているのか?
SSSランクの魔獣は人間にとって、人生の不運を集約させた存在よりも厄介で不愉快極まりない存在だ。
嘗て、頭のイカレた七歳児が爆弾ローブを巻いて立ち向かったが、常識のある大人はそんな事はしない。
というか、そんな事をしたところで討伐出来ない。
ならば何故、疫病蜘蛛は反抗もせず大人しく彼等に飼われ続けたのか。
これには絡繰りがあった。
研究が始まった当初、ナルカン軍は幼体だった三匹の死怪蜘蛛に『傀儡の首輪』と呼んでいた魔術兵器を、その身体の節々に付けた。
魔獣の身体内の魔力回路に異常をもたらし、洗脳の術式が施されている魔獣捕獲用兵器『傀儡の首輪』。
首輪に始まり、そのぞれの左右の脚二十本の付け根・関節部分に付けた。
身体のあらゆる部位に血栓を埋め込まれた感覚に支配された死怪蜘蛛は、その行動心理すらも支配された。
しかし、それは成長と共に、徐々に解かれていった。
その証拠に起きたのが、三匹による共食い。
一介の人間如きが作った魔術兵器程度では、未知の魔獣を縛る事は出来なくなった
そんな矢先、窮地は機会をもたらした。
他の二匹に付けられた『傀儡の首輪』が、疫病蜘蛛の体内に残ってしまったのだ。
胃酸に溶かされる事無く、体内のあらゆる所に残ってしまったのだ。
その結果疫病蜘蛛は、己の身を内外から野蛮な狂乱科学者達に犯される事になった。
この事実も、彼等は知らない。
未曾有の存在を、奇跡や、我々の神技術という言葉で片付けた。
■ ■
鑑定結果
種族: 疫病蜘蛛
■■: ■■
年齢: ■■
性別: 雌
出身: ■■大森林
危険度: SSS
■■状態: ■■
心■状態: 洗脳
魔力■: 200,000
■■■■■■: 水 土 風 ■
上級属■■法: 霧 泥 烈風
特■■法: 毒魔術 隠■■ ■■■ 従魔術 ■■■
魔法耐性: 上級
■■耐性: 上級
■ ◾️
「……こんなの、今まで無かったぞ。」
カイサルは戦慄と驚愕の狭間に居た。
戦闘状態に入ったらまず『鑑定』で相手の情報を丸裸にする。
それが、カイサル・スノウ・グリバー戦闘マニュアルの一ページ目だ。
一部『隠蔽術』の所為で文字化けしているが、辛うじて重要な情報を読み取る事ができた。
危険度SSSの魔獣。
この事実を知っているのは恐らく自分だけ、つまり自分が沈黙を守れば、これ以上この場に動揺は広がらずに済む。
友軍は自分の存在を精神的支柱にしている。
だから、冷静に振る舞わなければいけない。
カイサルは顔色を悟られない様に振る舞った。
その傍らには、腰を抜かしているガードレッドが居た。
「あ……うあ。」
「殿下、今すぐ退避して下さい。」
カイサルは疫病蜘蛛を睨み付け、毅然とした態度でガードレッドに指示した。
顔は酷く怯え、腰を抜かして膝は震え、ガチガチと歯を鳴らしている。
失禁しなかった事だけが、皇族としての矜持を守り抜いたと言っても良いだろう。
「ふっふざけるな……」
「…は?」
ガードレッドの思いもよらぬ返答に、思わず素が出てしまうカイサル。
不意に振り返ったカイサルの目には、ガクガクに震えているのに、何故か嫌いな上司の不倫現場を目撃した様な、狡猾とした下卑た笑みを浮かべている。
「き、き、貴様には、待機、待機を命じたはずだ……なのに、俺の命令を無視し、無視した。重大な、命令いはーー」
「殿下ぁあ!!」
よくもまあ、こんな有事にそんな言葉が出てくるな。
と、半ば感心していたところに、カイサルから喝が入った。
子供達を叱るときにもこんな声を出した事は無い。
カイサルは温厚な人間だ。
子供達を叱る時でもにこやかに、ただ事実を並べるだけ。
まあ、そっちの方が怖いんだけど。
カイサルがここまで声を張り上げるのは、側近の人間でも見た事が無かった。
カイサルを中心に大きな負荷が掛かった。
先程まで二つの軍隊が行っていた戦争が、子供達の雪合戦に見えてくる。
帝国の人間の一部は興奮した。
自分達の味方に居るのは、人類最強だと再認識したからだ。
ナルカンの全隊は恐怖した。
自分達が誰の居る国に喧嘩を売ったのか再認識したからだ。
その恫喝に、張り詰めてガードレッドの糸が、ぶつっと切れた。
失禁して、声が出なくなったのだ。
餌を待つ鯉の様に口をパクパクさせ、カイサルを呆然とみていた。
「父上ぇえ!!」
その声のお陰でカイサルは正気を取り戻した。
掲げられるのは銀狼の旗。
その先頭には愛息子のトーラス。
トーラスは馬から飛び降り、カイサルの元へ駆け寄った。
「父上、私も戦います!!」
「いや、お前は殿下を連れて直ぐに離脱するんだ。」
「しかし父上……」
「トーラス。これは軍務卿としての命令だ。」
「……承知しました。」
威勢よく駆けつけたトーラス。
もちろん、自分を父と戦う為に駆けつけた。
しかし、父はそれを許さなかった。
トーラスはカイサルに言われた通りにガードレッドを連れ、戦場を後にする。
「ハルジオン」
「此処に…」
カイサルの呟きを逃がす事無く、近くにはハルジオンの姿があった。
「トーラスを頼む。」
「御意。」
決意を固めた顔で交わされた二人の遣り取り。
その顔は、死地に向かう兵士のそれと同じだった。
いや、子を守る親だ。
『全員退避!!退避だぁあああ!!』
拡声の魔道具を使って戦場にもたらされた命令に従い、両軍が散っていった。
もちろん、疫病蜘蛛はそれを許さない。
帝国兵共を逃がす訳がない。
しかし、許してしまった。
疫病蜘蛛は、その間身動きを取れなかった。
カイサルの存在が、それを許さなかったからだ。
疫病蜘蛛はカイサルを認識してから、ジッと観察し続けた。
そして、お互いの存在を秤に掛けた結果。
見事、帝国軍が退避する時間を稼いだ。
しかし、帝国軍も逃げるわけでは無い。
カイサルの姿が認識出来る位置まで下がり、その様子を見守っていた。
彼等にも覚悟がある。
カイサルに何かあれば、直ぐに飛び出す準備をして。
ーー
最初に動いたのは疫病蜘蛛だった。
聞いた者の胸の内から嫌悪感を引き摺り出す様な奇声を発しカイサル目掛けて快速で走った。
攪乱の為ジグザグに走り、カイサルの照準を乱しながら。
対魔術士戦闘の基本は、その照準を乱す事だ。
戦闘経験が全く無い疫病蜘蛛だったが、それを本能で感じ取っていた。
普通の人間が見たら残像が見えるの程の速さで、左右交互に切り返す疫病蜘蛛。
カイサルは、顔色を全く動かさず疫病蜘蛛に向けて手をかざした。
その目には、目の前の光速絶技がハッキリ捉えられている。
『岩壁』
疫病蜘蛛の進路を妨害する為に、カイサルから無詠唱で魔術が放たれた。
六つ程の岩壁が、カイサルによって予想された疫病蜘蛛の進行ルート上に隆起した。
それは、ナルカン軍がトーラスの『雪崩』を止める為に使用した『岩壁』とは、比べものにならないほど頑強で強大だった。
しかし、当然そんな事を疫病蜘蛛は意に返さず。
子供が障子の紙を破る様に、高速の体当たりで『岩壁』をいとも容易く崩壊させた。
一つ、また一つ、更に一つ。
『岩壁』を壊す度に疫病蜘蛛とカイサルとの距離が縮まった。
五つ目の『岩壁』破壊した疫病蜘蛛は、カイサルに目掛けて鋭い脚を振り上げ、六つ目の岩壁に向かった。
「残念、そこは竜の尻尾だ。」
竜の尻尾。
現代的に言うなら、虎の尾だ。
所謂、踏み入れてはならない場所の事をさして使われる。
疫病蜘蛛の身体は、壁の残骸と六つ目の『岩壁』の間で止まった。
『泥之園』
中級泥魔法で、エリノラが使用した『泥之湖』よりも規模が小さいが、簡易的な罠としては最適の魔術だ。
中級なのに『泥之湖』よりも深く泥濘んでいるのは、カイサル品質だ。
危険度SSSの疫病蜘蛛にとっては、一瞬の出来事だった。
ほんのちょっと躓いた、只それだけの事だ。
直ぐにまた体勢を立て直せる。
しかし、カイサルはそれを逃さない。
『爆撃』
疫病蜘蛛の堅い甲皮を『爆撃』の黒煙が包んだ瞬間、疫病蜘蛛の鋭い牙が黒煙の中からカイサルを襲ってきた。
常時身体強化を施しているカイサルは直ぐに避難し、疫病蜘蛛と距離を取る為後ろに飛び移る。
それに喰い付かんとして追随するのが、疫病蜘蛛。
『ギャキェッ、ギャキェッ、ギャキェエエエ!!』
「グッ……!!」
獣の習性なのか、昆虫としての性なのか。
高らかに恍惚とした奇声を上げながら、後ろに飛び移っていくカイサルに噛み付こうとする疫病蜘蛛。
カイサルを喰い殺さんとするその様子は、極上の餌にありつけた大型犬の様だ。
このまま防戦一方を続けると、いずれ魔力切れをおこして喰い殺されてしまう。
何か対抗策を打たなければいけない。
カイサルは高速移動の中で詠唱を始めた。
普通、こんな高速状態で悠長に詠唱なんてしていたら、舌を噛み切ってしまうか、トチって終わりだ。
しかし、そこはカイサル品質だ。
『その身を蝕み侵す慟哭は 荘厳なる大地の怒り 山肌を削り 天空を喰らう 火と土の精霊の加護を受け 灼熱の流星群を成せ 我の前に立ちはだかる者 その全てを呑み込まん』
『灼熱之流星』
精霊級灼熱魔法『灼熱之流星』
カイサルが構えた周囲から、次々と大型トラックサイズの溶岩石が灼熱を纏い、疫病蜘蛛目掛けて発射され、疫病蜘蛛はそれを反射的に避けた。
横に飛び避け、足下近くの流星を宙に飛び上がる事で避けた。
まるで、子供が投げる雪玉を避ける様に軽々と避けた。
最後の一つになるまで避けた。
そして、最後の一つが当たった。
疫病蜘蛛が着地した先に、『泥之園』が仕掛けられていたからだ。
疫病蜘蛛は一瞬の怯みと迫り来る灼熱の溶岩に、身体が反応できなかった。
『ギャキィキャェエエエエエ!!』
戦場には流星衝突の衝撃と共に、煙燼と糞尿を撒き散らしたような汚い悲鳴が響き渡った。
ここで普通『やったか!?』なんて素晴らしい旗を立てる人間も居るが、カイサルはそんな無粋な真似はしない。
これでカイサルの中にあった仮説が、二つ立証された。
一つ目、疫病蜘蛛の圧倒的戦闘経験不足。
疫病蜘蛛の年齢が僅か13だった事から推察された。
戦闘経験が足りないのであれば、距離を取って罠を張って闘牛をあしらう様に戦場をコントロール出来るかもしれない。
此処でカイサルは『泥之園』の罠を二度も用意して、疫病蜘蛛は同じパターンで二度も引っ掛かった。
戦闘経験がある魔獣なら、知能が無くとも多少なりとも警戒するモノだ。
例えば、普通の兎でも捕食者が踏みつけた枝の音を察知して逃げたりする。
自分の身を守る為のサインを見逃さない為に、戦闘中は常にアンテナを張り巡らせるのが命ある者の基本姿勢だ。
それが、この疫病蜘蛛には見られない。
ただ、目の前の餌に向かって喰いつこうとしているだけ。
二つ目、疫病蜘蛛の魔術耐性。
『鑑定』で見た時にあった情報の中に、魔術耐性の情報があった。
『上級』と出たのは、上級までの攻性魔術に耐える事が出来るって事だろう。
試しに、一度目に疫病蜘蛛へ放った『爆撃』に込めた魔力量は上級程度しか込めなかった。
その結果、案の定無傷で黒煙の中から出てきた。
そして、二階級上の精霊級魔法を当ててみたら、目の前の惨劇を起こしたのだ。
疫病蜘蛛に攻撃を通す為には、最低でも豪級以上の攻性魔術が必要。
しかし、これには流石のカイサルも顔を歪めるしか無い。
豪級以上の攻性魔術を、あと何発疫病蜘蛛に喰らわせる事が出来るのか。
魔力量にはある程度自信があるカイサルだが、魔力消費を考えながら戦える程、目の前の相手は優しくない。
カイサルの戦闘定石は、効率の良い戦いだ。
大味の攻性魔術よりも、規模の小さい『爆撃』を多用し確実に相手を倒す。
そんな戦い方を好む。
疫病蜘蛛を包んでいた煙燼が晴れ、その中から身体の左半分を失った疫病蜘蛛が現れた。
『ガギャ……ゲ…チャキェ……』
汚い断末魔の前奏を途切れ途切れに発している疫病蜘蛛を、冷淡に見つめるカイサル。
この時、カイサルは安堵した。
さっきまで憂慮していた事態が、全て起きなくて済むのだと。
カイサルには、常に最悪を想像する癖があった。
自分が『鑑定術』を使えるが故に、色々なモノが見えてしまう。
物に隠された価値を見出した事もある。
人に隠された内面を見た事もある。
だから疫病蜘蛛と対峙して、多くの最悪を想像してしまった。
そして、それが起きなくて済むのだと密かに安心した。
目の前の怪物は、文字通り虫の息だ。
『なぁにをしてるかぁあああ!!』
その安堵を一瞬で壊す者が一人。
拡声の魔道具を使用し、疫病蜘蛛の糞尿悲鳴を上回る程の濁声でナルカン軍側からデドルーガが叫び散らしていた。
ナルカン軍も同様この地に留まり、疫病蜘蛛が帝国軍を根絶やしにするのを待っているのだ。
デドルーガの手には、禍々しい紫紺色に発光するペンダントの様な装飾品が握られている。
『ゲチャゲチャゲチャゲチャ奇声を上げるだけのグズがぁ!
貴様を育て上げる為にいくら投資したと思ってるぅ!?
さっさと其処の化け物を殺せぇえ!!
その爪で八つ裂きにし、その牙で食い千切れェえ!!』
その叫びを聞き、帝国軍の兵士は緊張感はあれど油断していた。
ナルカンが何を用意してきたか知らないが、こっちの怪物の方が恐ろしいのだと。
デドルーガが喚き散らしているのも、物語の悪役が最後に残す滑稽な命乞い程度に思っていた。
しかし、次の言葉が彼等を変えた。
『帝国人の味なら既に覚えているだろう!?
何せ、メルベインの丘に来るまで散々食わせやったんだからな!!』
帝国軍内に動揺が走った。
「……今何と言ったのだ?」
「なに?どういうことだ?」
「あの化け物が食ったのか?」
その動揺に気づいたデドルーガ。
今度は、疫病蜘蛛ではなく帝国軍に向けて叫びだした。
『グハハ、そうだ!
貴様等帝国人は、あの化け物の腹を満たす人間菓子にちょうど良かったぞ!!
此処まで来るまでに潰した、八の村、四の街、一の領都!!
その全ての人間が家畜の如く、其処の化け物の餌となったのだぁ!!
いやぁ、其奴に食われる奴等の顔は見物だった!!
赤子の様に泣き叫び、悲痛と絶望の表情を浮かべ、昆虫の様にのたうち回って喰われていった!!』
その言葉を聞いた帝国人の中には、あらゆる感情を飛び越えて怒りがやってきた。
当然だ。
突然の侵攻を受けただけではなく、その全てを目の前の怪物の餌にされたのだ。
彼等の中には、当然西部に知人がいる者もいる。
そして侵攻を受けた地域に、知人が居る者も。
この戦争が終結すれば……
その生存を信じて戦いに望んだ者も居るだろう。
デドルーガは手に持っていたペンダントを天に掲げた。
自身の魔力をペンダントに込め『傀儡の首輪』を暴走させた。
『さあ、立つんだ化け物!!
立ち上がって、帝国の家畜共を一人残らず殺すのだぁああ!!』
その言葉と同時に、疫病蜘蛛の身体の中心がペンダントと同色に発光した。
『ゲェギャァアアアアアアア!!』
その様子に、カイサルは驚愕した。
「……まさか、なんて事だ。」
カイサルの魔術によって失った、疫病蜘蛛の身体半分が紫紺色の輝きから構築されていく様に再生したのだ。
先程までと寸分違わぬ、いや、先程よりも強靱そうだ。
カイサルは再度『鑑定』した。
■ ■
鑑定結果
種族: |■■疫病蜘蛛《■■■■レギナ=ペティス》
■■: ■■
年齢: ■■
性別: 雌
出身: ■■大森林
危険度: SSS
■■状態: ■■
心■状態: 興奮
魔力■: ■■,■■0
■■■■■■: 水 土 風 ■
上級属■■法: 霧 泥 烈風
特■■法: 毒魔術 隠■■ 治癒術 従魔術 ■■■
魔■■性: 豪級
■■耐性: 上級
■ ■
先程とはまた違う情報が出てきた。
まず、名前が変わっている。
そして、特異魔法の欄には先程まで見えなかった治癒術の文字が見えた。
あの力で、先程までの重症を回復させたのだ。
魔力量の数字が見えない、名前が変わっているのも合わせ先程よりも内包魔力が増えているかもしれない。
何よりも、魔法耐性が上級から豪級にまで引き上げられている。
これで、さっきまで有利を取っていた戦法を使えなくなった。
目の前の怪物は、さっきまでとは全く違う強さを手に入れたのだ。
これらの情報に気を取られ、カイサルはある事に気づいていなかった。
『グゲェアァアアアアアアア!!』
さっきよりも生々しい雄叫びが、カイサルに向けて放たれた。
疫病蜘蛛は、一直線に走った。
ジグザグに走る必要はなかった。
先程よりも、何倍も速かったからだ。
しかし、向かう先が違った。
目の前の怪物を無視し、ナルカンが陣取っている方向へ走り出したのだ。
「へぁ……」
そう呟いたのが、彼の最期の言葉だった。
彼の名前は誰も知らない。
ただ、ナルカン軍に従軍しこの地に来ただけ。
その最期は、自分達の飼い蜘蛛にその身を引き裂かれる事となった。
「なっ、何をしているぅ!?何故だ?何故、命令が効かないぃ!!」
疫病蜘蛛により食い散らされる同胞達を見つめながら、デドルーガは驚愕した。
自身が握っていた『傀儡の首輪』のコントロールキーである睨みながら、誰も答えてくれない疑問を大絶叫しながら叫んでいた。
それも当然だ、先程まで自分の支配下にあった怪物が突然、友軍目掛けて暴れ出したのだ。
「グフゥウ!!何故だ何故だぁあ!?」
ペンダントを握りしめ自身の魔力を流していくが、さっきまで紫紺色に輝いていたそれは、模造品の様にその輝きを失っていた。
『グル、ゲギャギャギャギャ』
その声は、デドルーガに絶望をもたらした。
その視界の先に、酸の様な液体が地面を溶かしていたからだ。
そして、ゆっくり、その視線を上げた。
覚悟を決めて……なんて耳障りの良い言葉は彼には似合わない。
ただ、この感覚はハッキリと覚えていた。
自分が今まで奪ってきた命達が物語っていたからだ。
つい最近も、喰われていく人間を目撃した。
それでも彼は、必死に藻掻いた。
目の前に垂れ下がっている、蜘蛛の糸を必死に起動させまいとしていた。
しかし、そんな事は無意味だった。
目の前には、赤黒い閃光を放つ化け物が此方を見つめていたからだ。
懺悔も贖罪も、声を発する事すら許されなかった。
ただ無残に、その身が引き裂かれていった。
「……何が起こっているんだ?」
その様子を見て、カイサルは困惑を隠せなかった。
あの怪物は、明らかにナルカンの制御下にあったはずだ。
なのに、今はこうしてそのナルカンに対して牙を剥いている。
突然、先程見た疫病蜘蛛の鑑定結果を思い出した。
心理状態が『洗脳』から『興奮』に変わっていた事を。
つまり、疫病蜘蛛が自我を取り戻したのだ。
この事実は、カイサルにとって不都合な結果だった。
危険度SSSとはいえ、洗脳下にあり力を抑制されている状態。
相手は戦闘経験が足りなく、自分には十分勝機があった。
それが今では抑制から放たれ。
豪級以南の魔術を受け付けず。
やっと負わせた傷も、特異魔法で癒やし。
本能のまま獲物を狩る為に、無尽蔵で暴れ回る。
カイサルの中にあった勝利への道筋が、根元から焼け落ちたのだ。
一瞬、自軍が控えていた丘の方向を見た。
その先には、銀雹狼。
息子のトーラスが居た。
「……仕方がないな。」
トーラスは覚悟を決めた。
出し惜しみして勝てる様な相手ではないと知っていたからだ。
その魔力を全て集中させた。
メルベインの丘を押し潰す程のプレッシャーが、カイサルを中心に放たれた。
しかし、攻撃的なプレッシャーではない。
西部の蒸し暑さがぶり返した様な、自分の存在を主張する様な。
そんな類いのプレッシャーだ。
しかし、この地に居た全員が彼のメッセージを受け取っている。
当然、疫病蜘蛛もそのメッセージを感じ取った。
『私だ……私がお前の相手だ。』
余所見をすることは許さない。
まるで、街中を闊歩している時に美女に目を奪われた恋人を責める様な態度。
化け物カップルだ。
しかし、カイサルの焦燥も当然だ。
カイサルも、また高揚していた。
大陸剣議席の議員になったその日から、彼は本気で死闘の中に身を沈めた事がなかったからだ。
彼は温厚で、家族想いで、公明正大で、聖人君子で、帝国筆頭公爵家の一席を担う男だ。
しかし、そうなる前は北部の戦士として育てられてきた。
戦士としての本能が叫んでいるのだ。
この怪物を喰らうべくは、我しかいないと。
だから、彼はその実感が欲しいのだ。
自分が最強たる所以が。
二匹の化け物が見つめ合った。
一方は、突然変異の化け物危険度SSSの災厄『女王』
疫病蜘蛛
一方は、大陸剣議席序列第三位『指揮者』人類最強。
カイサル・スノウ・グリバー
化け物達が奏でる二重奏は、ここから佳境を迎える。
お読みいただきありがとうございました。
評価とブックマークの方よろしくお願いいたします。
下の☆マークの所を五つになるようにポチッと押すだけの簡単な作業です。
良いねと感想の方も、より良い作品作りの為の参考としてお願いしたいと思います。




