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公爵家五男の異世界行脚  作者: ナカタクマ
第2章~月華の下で踊る貴族と狩人~
29/63

章閑話:オルトウェラの冬物語 其の三

バイトで稼いだ五万円を眺めるよりパチンコで勝った五千円を眺める方が楽しい。

しかし、パチンコで勝ったお金で食べる焼き肉よりも。

バイトで稼いだお金で食べる牛丼の方が美味しい。 


 戦場の状況を説明しよう。


 現在『銀雹狼』とアサン率いる騎馬隊の戦いは、戦場の右側で行われている。

 場所は、ややナルカン軍寄りの位置で行われている。 

 トーラス率いる五百の兵は、そこから一直線ではなく外側から大回りする様に行動している。


 真ん中、中央側ではエリノラ率いる西部軍本体とナルカン軍魔術・魔術兵器部隊の戦いが行われていた。

 互いに前線へ防性魔術を敷いて、魔術を撃ち合っている形だ。

 ナルカン側は、魔術大砲を利用し西部軍に風穴を開けようとし。

 西部軍側は魔術大砲の阻止の為、魔術騎馬部隊を使って機動力で戦場を掻き回そうとしている。

 戦況は五分五分、しかしどちらかのボタンが掛け違えた瞬間、この均衡は崩れてしまう。

 ちなみに、魔術騎馬隊を率いているのはエリノラだ。

 この戦闘が始まった時、ナルカン側から魔術大砲を一度だけ打込まれたが、帝国側の防性魔法の多重詠唱(マルチキャスト)でなんとか防ぐ事が出来た。

 しかし、そう何度も受けられる攻撃ではない。


 左側では男達の泥臭い戦闘が行われていた。

 魔術士部隊も動員されているが、主力の殆どが歩兵達だ。

 野郎の奇声と雄叫びが木霊している。

 この戦場では、士気が勝っている数帝国軍と人数で勝っているナルカン。

 それぞれが良い勝負をしていた。

  


 この戦場を小高い丘の上から見下ろしているのは、今回のオルトウェラ帝国侵攻に於いてナルカン王国軍総大将を任された人物。


 デドルーガ・キャッスル・イヴァシュコヴィツ。

 

 自慢のアダマンタイト製の鎧に身を包み。

 自慢のカイザル髭を弄くりながら。

 自慢の自国軍の動向を眺めていた。

 

 彼は、ナルカン王家の人間である。

 幼少時代から軍学を学び、帝王学を学び、剣術を学んできた。 

 洗脳と呼ばれても過言じゃない苛烈な教育を受けながら。

 

 彼には、生物学的な兄妹が六人居た。 

 しかし、今は彼一人だけ。


 彼を残し、全員死んだからだ。


 義理の兄妹は、合計で二十八人。 

 今では彼を入れて二人だけ。


 彼等を残し、全員死んだからだ。


 通常、侵攻戦というのは常に退路を考えて行われる。 


 自軍を不必要に消費しない様に侵攻ルート選びから始まり、予想される兵糧の数に相手側が用意する障害の数。

 細かく綿密に計算されたプランを、書道のお手本をなぞる様に実行しなくてはならない。

 

 万が一道から逸れてしまった場合、即座に帰還できる様に。 

 

 しかし、今回出撃したナルカン軍の目的はカイサル・スノウ・グリバーの抹殺。

 つまり、彼等は決死隊。

 端から生きて祖国に帰るつもりなど無い。

 

 この事を理解しているのはナルカン軍上層部の極一部だけだ。

 

 だが、デドルーガの胸の内に何があるのか。 

 それを知っているのは、亡くなった彼の兄妹三十四人だけだ。 

 

「デドルーガ将軍、報告します!技術班の準備が完了しました!」 

 

 そう言ったのは、デドルーガの後ろから駆けつけてきた一飯兵。 

 

「……うむ、ご苦労。」 

 

 デドルーガは、怪訝そうな目で戦場を見つめ一瞥する事無く答えた。

 そして、そのまま馬を転換させ一際大きな天幕の方へ進んでいった。

 さながら、サーカス会場の様な大きさの天幕へ。


 宣戦布告と同時の強襲。 

 総勢三十万の軍隊。

 ナルカンの魔術工学の推移を集めた魔術兵器部隊。 

  

 これらに加え、もう一つ備えてきたのはナルカン側の最終兵器。 

 今回の戦争の為に十五年以上の歳月を費やして研究してきた。


 きっかけはカイサル・スノウ・グリバーの存在だった。 

 帝国の武の化身であるカイサルが、大陸剣議席の議員(ランカー)になった事をきっかけに、その対抗策としてナルカンが魔術兵器の開発を始めたのだ。 

 カイサルを確実に殺す事が出来る兵器を只管に研究していた。


 正直、追いつかなかったというのが結論だが、無理もない話だ。

 カイサルは人間族でありながら議員入りし僅か十五年程で、この世界の頂点たる三人の座に上り詰めたのだ。

 帝国軍や北部に在籍している人間、その身内でさえその絡繰りを全く知らない。

 

 ー突然変異の化け物ー


 それが、今代を生きる良識ある人間のカイサルへの認識だった。


 それを証拠に、戦況が西部軍有利に進んでいる理由はカイサルの存在だ。

 如何に銀雹狼が強力とはいえ、数の上で勝っているはナルカンだ。

 二十万以上の人材を十二分に活用する事が出来れば、勝利するのはナルカンの方だった。 


 ならば何故人員を配置する事が出来なかったのか。

 それは帝国軍、もといカイサルが現れた時に最低でも十万の人員を導入する必要があると、ナルカン側は考えたからだ。

 カイサル一人に十万を導入しなくてはならないのだから、帝国軍用の人員を本陣に確保する必要があった。  

 だから目の前の戦場に満足のいく人員を配置する事が出来なかったのだ。

 魔術大砲も昨日の銀雹狼の所為で三機に減った為、カイサル用に二機残さなければいけなくなり、西部軍相手に導入出来たのは一機のみ。


 カイサル・スノウ・グリバーとは、その存在を匂わせるだけで相手を震わせる事が出来る。

 

 初めはナルカンも、カイサルに対抗できる人間の育成を考えた。

 国内各地から身分人種を問わず、現代的に蠱毒と呼ばれる様なシステムを使って人間兵器を育てようとした。


 それが無理だと悟ったのは、カイサルの議員入りが公表された直後に始まった、帝国軍によるナルカン侵攻戦だった。 

 地形的に圧倒的有利を取っていたナルカン軍だったが、その全てをカイサルの存在が戦力差をイーブンに持ち直したのだ。

 結局、砦の建設問題や部隊の兵糧不足などの問題があり帝国軍を撃退する事は出来たが、その戦いに投入した対カイサル用戦闘員は全員死んだ。

 

 そこからナルカンは、人材育成よりも魔術兵器研究にシフトしていった。

 計画は、最低でも二十年は掛かるモノだと言われていた。

 

 今代で不可能だったとしても、次代に引き継ぎ確実に帝国を滅ぼす為に。


 その為に『古の大森林』に国を持つ森林族(エルフ)達と十年以上交渉し、近年でやっと指先程の交流を持つ事が出来、そのお陰で森林族由来の品や、魔道具技術を自国の技術に統合する事が出来た。


 しかし、計画というのはあくまでも計画だ。

 帝国による経済圧迫の影響により、戦争を仕掛けないといけない事態に陥ってしまった以上、国を守る為に討って出ないといけない。

 そもそも、研究するにも金と食糧はいる。

 意固地になって自国に引き籠もって国を滅んでしまえば本末転倒だ。 


 デドルーガは天幕前に居た一飯兵に馬を預け、一人天幕の中に入っていった。


 天幕の中は暗く目の前にあるのは、人が一人分歩ける幅に立てられた魔法灯だ。

 松明型の魔道具で、魔道具師を志す者なら一番初めに作る物だと言われている。


 デドルーガは、松明の光に導かれる様に前に進んでいった。

 十五メートルほど進んでいくと、ようやく目の前の大きな物体を認識出来た。


「おお、遂にここまで成ったか…」


 目の前にあったのは、四階建てアパートの大きさをした総合格闘技用のリングの形状をした檻だった。

 檻の支柱には、魔法陣や精霊文字による術式が描かれ、中に居る()()を沈めていた。

 

 グシュゥウウ、グシュゥウウ……… 


 それは気味の悪い呻き声を上げ、無数に光る眼光をデドルーガに向けていた。

 

 その眼光にデドルーガは、スポットライトを当てられた様に照らされた。

 その影響でデドルーガの周囲が明るくなり、天幕内の一部が垣間見えた。


 デドルーガの足下に散らばるのは無数の死体だった。

 いや、死体だった者達の一部だ。

 一つとして、完璧な遺体はなかった。


 ある者は食いちぎられ、ある者は溶かされ、ある者は身体の一部だけ。

 辺り一面に、死体の荒野が広がっていた。


 檻の方向からデドルーガに向かって、何かが飛んできた。

 子供が投げたボールの様な()()は、鈍い音を立てて地面に落ち血飛沫を上げ、飛沫がデドルーガの鎧に飛び散った。 


 それは、人の胴体だった。 

 

 これだけで天幕内に広がる死体畑が誰の手、いや何の仕業で造られたのか想像が付く。


「グフフ……ガァハッハッハッハ!!

 来るなら来るが良いカイサル・スノウ・グリブァアア!!

 息子共々、此処を貴様の墓場にしてやるぅうう!!」 


 欲望と愉悦に塗れた笑みを浮かべ、どこぞのマッドサイエンティストの様に振る舞うデドールガが挙げた雄叫びを聞いていたのは、目の前の人成らざる者のみ。



ーー 



 トーラスの計画は上手く行っていた、と言っても良いだろう。

 銀雹狼が合流したとはいえ、数の勝負はナルカンが有利。

 よーいドンで戦闘を始めれば、いずれ帝国軍の方が分が悪くなる。

 昨日の様なサプライズは無い、自分達の自力だけでこの状況を切り抜けないといけない。

 

 本軍が駆けつける時間を稼ぐ手はあるが、二十万規模の帝国軍が大急ぎで戦場に到着したところで、見掛け以上の戦力にはならないだろう。

 まあ、カイサル一人で戦況は一変するが。


 しかし、戦況は刻一刻と変わっていくものだ。

 如何にカイサルが一騎当万の覇者であろうと、壊れた物は治せない。 


 ーナルカン相手に先手を取る事で、一直線に敵将の首を獲りに行くー

 

 それが戦況の読めないこの場で、帝国軍が唯一撃てる逆転の一手だった。

 


 トーラスが話した戦術の中で重要と言われたのが、銀雹狼の動き。

 如何に、敵の厚い壁を突破して本陣に迫る事が出来るか。

 迅速且つ強靱な働きが求められる。   

 どれだけ戦術を立てても、結局矢が当たらなければ意味が無い。 

 

 そしてもう一つが、エリノラ率いる中央軍の動き。  

 両軍中央軍通しの戦いを制し、戦線を突破した銀雹狼達と連動してナルカン本陣を叩く。


 理由は、ナルカンが用意した魔術兵器の存在。

 魔術大砲ともう一つ、本軍守護用の魔術結界だ。 

 

 複数の支点となる魔法装置を連動させ、一つの魔法障壁を発生させる装置だ。

 一度維持してしまえば、魔力消費の必要が無いトーラスの『防壁(プロテクション)』とは違い、発動には常時魔力の注入が必要だがその威力は折り紙付きだ。

 あれに守られている限り、容易に近づく事は出来ない。

 籠城戦の様に魔力消費を待つのも良いが、悠長にしていると魔術大砲の餌食になってしまう。 

 

 だからこそエリノラの、というか西部貴族統括『麗雲(アルスロッド)公爵』お抱えの魔術部隊が必要になる。


 中央の魔術騎馬隊は丘の上から上へ、只管戦場を駆けていた。

 

「エリノラ様、右前方から『岩雪崩(ストーンフォール)』飛んできます!!」

「ダリエン、反詠唱(リキャスト)!!」

「はっ!」

「ナリウス、左方向牽制!!」

「はっ!」

「ドッケル!五百連れてアーウェルズ家に援軍行って!!」

「はっ!」

「敵方二千が此方に接近!!」

「迎え撃つわ!!『水と土の精霊の理を受け、荘厳なる大地に浸食し、その脚を刈り取り、その身を飲み込み、我等に迫る敵の侵攻を、奴等の進路を妨害せよ』」


泥之湖(マッドレイク)』 

   

「全隊構えて!!中級の攻性魔法で良いわ!!」

「「「はっ!!」」」 

「エリノラ、様……」

「ジョード!今馬上よ、そんな悠長に離せるわけ無いでしょ!?」

「……うす。」   

  

 七つの声を聞き分ける、何時ぞやの偉人顔負けの勢いで戦場を駆けるエリノラ。

 その後ろから、何とも言い難い間で声を掛けてきたジョード。 

  

 エリノラ率いる魔術騎馬部隊『碧熊(へきぐま)』は、全員が装備を統一されている。

 

 碧を基調とした胸当てと脚甲だけの軽装。

 肩からはローブの様なマントを羽織っている。

 もちろん散々戦場を駆け巡っている為、土や血で汚れ何人かは傷を負っている。


 マントは魔術行使補助に長けた魔道具で、特定の属性を指定せず全体的に魔術効率が上がっている。

 肘の部分に関節が付いた、上腕から前腕に装着するタイプのトンファーの様な形状をした魔術杖は、常時手で持つ必要が無い為、騎乗しスピードが出た状態でも魔術を使う事が出来る。 

 もちろんこれも魔道具で、魔術の行使補助が掛かっている。 

 

 威力を増強させる魔道具はもちろんあるが、その場合魔道具に使用した素材・術式・使用者の力量で大きく左右される事になる。

 高威力の魔術に耐えられなくて破損してしまったり。

 魔力の制御に失敗し暴発してしまったり。

 だから、集団戦では基本的に魔術行使の補助が掛かった魔道具が使われる事が多い。 

 

 因みにユークリストが造った魔術銃(リボルバー)は、全身を魔術耐性の強いミスリルで造られている。

 しかも、『錬金術』の『分離』を使用し不純物を除いた純度百パーセントのミスリルだ。

 そのお陰で、豪級相当までの魔術行使には全く問題が無い。

 さらに本人の魔力を一切使用しないので、暴発の心配も無い。

 

 正に、金と現代知識に物を言わせた結果である。

 

 戦場を駆ける碧熊の中で唯一異質なのがジョードだ。

 彼だけは魔術杖ではなく手にはガントレットを嵌め、その背中には大きな楯を背負っている。

 

「それで、何なのよ!?」 

「銀狼が、戦線、突破した、っす。」 

「ええ、もう!?」  

 

 間延びした声に似つかわしくない火急の報告に、驚くエリノラ。 

 思わず右翼の方に顔が向いてしまった。

 

 流石と言えば流石だ。

 トーラスはエリノラが憧れる数少ない人間の一人だ。

 トーラスが提案した作戦を成功に導く為ならなんでもやってやる。 

 エリノラはそんな気持ちだった。


 今回の作戦だって、トーラスだから提案できた作戦だった。

 他の人間だったら、魔術大砲と数の多さに萎縮してそんな事は言えなかった。

 もしくは、誇りなどを建前にして正面衝突を提案してくる貴族がいたかもしれない。

  

 トーラスが来た事は、エリノラ達にとって心の支えとなったのだ。


 本人は謙遜するだろう。

 自分はまだまだ父親の足下にも及ばないと。


 そんな事はない、貴方は立派な人だ。


 エリノラは今回の作戦を成功させ、トーラスにそう言って上げたかった。

 

 手綱を握る手に力を込め、魔術結界の支点となる魔道具が整備されている場所を睨んだ。

 そして、拳を天に突き立てて碧熊に向かって大きく叫んだ。 

 

「全員、顔を上げなさい!!

 銀雹狼は、既に右翼の戦線を突破している!

 でも、これで良いの!?

 これは西部(私たち)の戦争なのよ!

 私たちは、まだ何もしていない!!

 立ち上がれ西部の戦士よ、目標はあと少し直ぐ其処に迫っているわ! 

 この戦場を切り抜け、奴等に私達の怒りをぶつけるの!!」 

「「「オォオオ!!」」」 

 

 エリノラに発破を掛けられた騎士達は雄叫びを上げ、その勢いをさらに増した。

 これから、ナルカンの連中に目に物を見せてやる。  

 魔術兵器の開発に長けているナルカンに、アルスロッド家が帝国の杖たる所以をその身に刻み込んでやる。

 奴等が犯した西部の怒りを思い知らせてやる。

 全員の頭の中には、それしかなかった。

 もちろん、エリノラも例外ではない。

 全員が、この戦争が始まってから怒りを抱えていた。


 現在自分達がいるのは、丘と丘の狭間に位置する場所。

 しかし、自分達の怒りはこんな場所よりも深く、あんな小丘よりも高い。

 エリノラの短い檄で全員がそのことを再確認した。

 まだ、自分達は奴等に何も返していないのだと。

 全員がその共通認識の元、己を震え上がらせた。


氷界(アブソリュート)』 

 

 次の瞬間、地面が凍り付いた。

 

 彼等の内に沸き上がる怒りのマグマを、一瞬で氷結してしまいそうな氷原が碧熊の周囲に広がったのだ。

 当然、これには碧熊の面々も驚愕を隠せなかった。

 馬の蹄まで届いてはいないが、地面は凍り付き身動きが出来ない状態になっている。


 そして丘と丘の狭間で動きを止められたエリノラ達の目の前に、ローブを肩に掛けた魔術士部隊が四方八方に現れた。  

 狭間の底に留まった碧熊を、取り囲む様になっている。


 その集団の先頭にはインテリ眼鏡にインテリヘアの中年男。  

 レイフィン・ハルセーヌが杖を片手に立っていた。


「諸君等が、この軍の心臓だ。だから止めさせて貰う。」 

 

 レイフィンの鋭い視線が碧熊の面々を見つめている。

 自分達の状況を確認したエリノラは即座に詠唱を始めた。 


『火の精霊の理を受け、数多の火球と成り、我等の足下を照らし、この地に縛り付ける束縛から、解放せよ。』  

 

火舞踏(ファイヤロンド)』 

 

 中級火魔法『火舞踏』 

 詠唱を終えたエリノラの手元にある杖から、バスケットボール程の大きさの火球がいくつも現れた。

 火球は、そのまま螺旋を描く様に地上を移動し、即座に地面の凍結を溶いていった。

 本来、暗闇の中で周囲を照らす為に使われる魔術だ。

 

 嘗て、バレットの専属騎士であるティティウスが使った『火焔之園』と似ているが、彼方の方が一枚上手だ。

 

 拘束を解いた碧熊が臨戦態勢を取ろうとした時。

 既に向こうは準備を終えていた。


「もう遅い。」 

 

 レイフィン率いる魔術部隊は、碧熊が拘束を解く時間に詠唱を済ませていた。

 

 四方八方から、中級から上級相当の攻性魔法が熊を狩らんと襲いかかり、それを認識した碧熊は全員が防性魔術を構えた。 

 防性魔術の代表的な『岩壁(アースウォール)』を展開し、それらの魔術を防いだ。

 

 四方上方から放たれた攻性魔術の衝撃が、防性魔術を通じて碧熊にのし掛かってきた。

 敵の強襲になんとか対応し、攻撃を防ぐ事は出来たがここから打開する術がない。

 反撃に出る為に壁を解除してしまえば、その隙間から魔術を叩き込まれてしまう。


「全員、持ち堪えて!直ぐに味方がやってくるわ!!」


 味方を鼓舞する為、エリノラが叫ぶ。

 味方が来る保障はないが、援軍が来ると考えないとこの閉鎖的な空間を生き残れない。

 

 魔術の雨は止まなかった。

 碧熊は『岩壁』を維持する為に自分達の魔力が減っていくのを感じた。

 碧熊の面々の顔つきは、徐々に敗色に染まり始めていた。 


「エリノラ様、これ以上は耐え切れそうもありません!!」 

「くっ…!!」

「仮に此処を乗り切ったとしても、敵との戦闘に耐えられるかどうか……」 

「まだよ、きっと援軍が来るわ!それまで耐えるのよ!!」 

 

 彼等の目的は、現状を打開する事ではない。

 目の前の敵に勝つ事でもない。

 ナルカン本陣を守っている、魔術結界の装置を破壊する事だ。

 今は全員の魔力消費を抑える為に、代わる代わる『岩壁』を維持しているが、魔力の消費が大きくなればナルカン本陣との戦いに支障を来す事になる。


 そんな事はあってはならない。

 エリノラは誓ったのだ。

 トーラスの力になると。


 エリノラは学院で、順風満帆に過ごしていたわけではなかった。

 学業の成績は悪くない。

 しかし上の二人の姉に比べ、上級貴族の令嬢として満足いく結果が残せていなかった。


 通常帝国貴族の令嬢は、学院生活の六年間で婚約者を見つける。

 下級貴族や平民・商家の娘の場合は、就職先を見つける者もいるだろうが。

 エリノラは上級貴族で、仕事をするにも婚約者を見つけるのが通例だ。


 帝国では、初代皇帝の意向で婚姻を結んでも無理に家に入る必要は無いとして、仕事を望んだ人間は性別・職種関係なく、能力のみを判断されて望んだ仕事に就く事が出来る。 

 もちろん、家の意向やコネクション・出自も大きく関わってくるが。


 それでも、大抵の令嬢は結婚相手の家に入り、その家業に就いている。

 だからエリノラは、家の為に婚約者を作れなかった事がプレッシャーになっていた。



 ある日、エリノラは酷く落ち込んでいた。

 

 理由は、アルスロッド本家が見繕った婚約者候補の男とのお茶会をバックレたからだ。

 当然母親から叱責され、父に恥をかかせてしまった。


 しかし、エリノラは嫌だったのだ。

 相手は、自分よりも年齢が二十も離れていた。

 頭が薄く、腹が出て、帝城内でも有名な為政者だった。

 貴族令嬢として帝都内で育てば、必ず暗い噂が聞こえてくると言われる程の男だった。


 さらに言うなら、学院の友人の父親だった。

 自分は第四婦人として、実家から紹介されたのだ。


 友人への顔立て、実家の期待、貴族令嬢としての義務。

 それら全てを秤に掛けて、友人への顔立てを選んだのだ。

 

 エリノラが学園漫画の様に、生徒会室の隅っこで酷く落ち込んでいた時。

 これまた学園漫画のヒーローの様にトーラスが現れた。

 トーラスは、後輩であるエリノラの悩みを聞く為に教室に残った。 

 長男だったからだ。

 トーラスは、下の者の悩みを聞く事は自分の義務だと思っていた。

 幼少期にフラムベリカから言われ、入れさせられたお茶汲みを腕を生かし、エリノラが落ち着く様な品を用意し、彼女の悩みを聞いた。

 

 エリノラから出たのは、婚約者候補の男の話だった。

 次に学業の事、魔法の授業の事、友人の発育が逞しい事、自分の発育が乏しい事。

 

 婚約者候補の話はほんの障りの部分だけで、話題の殆どは友人と自分の発育の事だった。

 トーラスが聞くには、とても耐えきれない内容だったはずだ。 

 それでも、トーラスはじっと聞いた。

 途中で口を挟む事無く、真摯に彼女の話を聞いたのだ。

 『沈黙は美徳』これを地で行ったのだ。


 或いは、奔放な姉を見慣れているから耐える事が出来たのか。

 その真意は定かではないが、トーラスはその時エリノラの全てを受け入れた。

 

 具体的なアドバイスをしたわけではない、ただ聞いただけ。 

 そんな時間がエリノラの心にある焦燥を溶かしたのだ。


 その時からエリノラは、家の事や周囲の事に縛られる事を止めるように努めた。

 学業に専念し、魔法の研究に没頭し、上位の成績で学院を卒業した。


 彼女が得た知見はただ一つ。

 『最高の自分で居れば、いつかそれに相応しい人間が現れる』

 それだけだった。


 その答えを得られたのはトーラスのお陰だ。

 だから、エリノラは恩返しがしたい。

 彼に貰った物を、彼に返したい。

 いつか自分に誓った決意を、トーラスに見て貰いたい。


 

 その決意を砕く様に『岩壁』に大きな衝撃が入った。 

 恐らく、豪級の魔術を使われたのだろう。

 亀裂が入り、その欠片が散った花びらの様に団員達の頭に掛かった。

 

「エリノラ様!!」 

 

 団員の注目がエリノラに集まった。

 彼等にとって、エリノラは既に立派な精神的支柱だったのだ。

  

「皆、もう少し耐えて!!『火と水と風の精霊の理を受け、雷を成せ、獰猛な畝り声を上げーー」


 エリノラは、現状最も使える攻性魔法『電撃(ライトニング)』の詠唱を始めた。 

 三属性複合の上級魔法で、複雑な魔力制御が要求される。


 『岩壁』が崩れたと同時に『電撃』を放ち、包囲網の一点突破を目指す算段だった。


 ーー懺悔の涙を流し、我等を阻む全て貫け』」 

  

 杖を構え、光が漏れている亀裂目掛け『電撃』を放とうとしたその時。 

 

 『『『ウォオオオオオオオオオオオオ!!』』』


 戦場全体を揺るがす程の雄叫びが上がった。

 昨日ナルカン軍があげたものよりも、今日西部貴族軍があげたものよりも。

 大きく、強く、太く、活力に満ちた雄叫びだった。

 クラブ音楽の様に、地面を通じて自分の身体の内まで振動が浸食してきた。

 

 偶然詠唱を終えていたエリノラの杖から『雷撃』が飛び出た。

 『雷撃』はそのまま『岩壁』を貫き、外に居たナルカンの魔術部隊を蹴散らした。

  

「!! 今よ、あそこから離脱するの!!」 

 

 いち早く気づいたエリノラが全隊に指示を飛ばした。

 それにいち早く反応した碧熊は、動揺しているナルカン軍の間を擦り抜け、なんとか包囲網を突破する事が出来た。

 

 碧熊は周囲に目もくれず走り続けた。

 一度自分達の体勢を立て直す必要があったからだ。

 周囲にある小高い丘を見つけ、そこへ一直線に向かった。

 幸い線上はまだ動揺していて、エリノラ達の動向を気に掛ける人間は居なかった。

 碧熊の数は数千規模だが、それほどの人数が通っても誰も気に掛けなかった。

 何が起こっているのか分からないが、想像もし得ない事態が起こっているのだと予想は出来る。


 自分達の体勢を立て直す為、丘に上がり線上の様子を確認した。

 偶然にもその丘は『メルベインの丘』の中で一番高い位置にあった。

 だから丘の狭間で見えなかった戦場の様子が、全て映し出された。

  

 そこにあったのは、先程までこの戦場に無かったもの。

 

 それは、旗だ。

 

 数百メートル或いは、数キロは離れているであろう位置にあるのにハッキリと見えていた。

 

 古代龍。

 剣と盾。

 その周りを彩る五芒星。

 

 帝国の旗だ。

   

 この帝国の剣たる者達が掲げる紋章。     

 その旗を掲げる集団は一つだけ。

 見渡す限りその旗がメルベインの丘の一部を占有していた。


 エリノラは、自分の鼓動が高鳴るのを感じた。

 身体の奥底から湧き上がる興奮を隠せない。

 心なしか、身体の節々が疼いても来る。

 興奮、安堵、緊張、高揚。

 彼女の中をありとあらゆる感情が駆け巡る。


 オルトウェラ帝国軍、総勢二十万がメルベインの丘に到着した。


 帝国軍の到着。

 それは同時に、カイサル・スノウ・グリバーの到着を意味する。

 

 エリノラは歓喜した。 

 今この瞬間に立ち会った事への興奮を抑えきれなかった。

 だから爆発したのだろう。


 まだ、その姿は確認していない。

 でも確信がある。 

 今、この場にトーラスとカイサルが揃っている事に。


 周りの騎士達も、自分達の勝利を確信した様に歓喜した。

 肩を抱き寄せ、杖を天に掲げ、仲間達と同様に雄叫びを上げている。

 何人かがエリノラに声を掛けた。

 『やりました』とか『これで我々の勝利だ』とか、そういった内容のものだった。

 

 しかし、エリノラには聞こえていない。

 そんな事よりも重要な事実があったからだ。

 彼女は、自分を抑えられなかった。

 なぜなら………… 


「カイ×ラス様来たぁあああああああ!!」

 

 彼女は帝都貴腐人会の会長だったからだ。

 


ーー


 

「殿下。如何されましょう?」  

 

 戦場に着いた帝国軍。

 その先頭に立つのはガードレッド・ジャック・オルトウェラ。

 鎧に兜、背中には大楯と戦斧。

 その装いは、既に臨戦態勢だ。 

 鋭く冷酷な目つきで戦場を見つめる様子は、これから戦場で散っていく命の事など全く気に掛けていない。

 

 彼に声を掛けたのはダルアン・ドーランド侯爵。

 第一皇子ガードレッド派閥の筆頭貴族だ。 

  

 白髪を短く切り揃え、顔には多数の傷。

 存在を主張する様な特徴的な鷲鼻。

 厳格な性格を一目で感じられる目つき。

 戦場の中で身を立ててきた人間を絵に描いた様な外見だ。 

 ガードレッドの教育係として、側近として宮廷内でも存在感を示してきた。

 

「直ぐに出る、準備は良いな…」 

「はっ」

 

 ダルアンの質問を簡略的に返したガードレッドは、騎乗している馬を前に進めた後、後ろに控えている人物に冷たい視線を送った。


「軍務卿……貴様には、此処に出る幕は無い。そこで大人しくしてろ。さもなくば……」 

「……心得ております。」

 

 ガードレッドの言葉に、カイサルは目を伏せて答えた。


 再び戦場を見たガードレッドは、戦場の様子を見て下卑た笑みを浮かべた。

 目の前に御馳走を差し出された子供や、未成年者を回春する中年の様な笑みだ。


 カイサルが独断で銀雹狼を動かした時、確かにガードレッドは憤慨していた。

 しかしそれは、ドーランドの提案によって冷まされる事になったのだ。


 軍の規律を乱したとして、カイサルからこの戦争における指揮権を取り上げたのだ。

 つまり、これから帝国軍が上げる戦果は全てガードレッドの物になる。

 その事実にガードレッドは正に歓喜していた。

 ガードレッドは、メルベインの丘(此処)に来るまでずっと考えていた。 

 どうやれば、カイサルに武功を上げさせないか。

 もしくは、カイサルに立てさせた武功を掠め取るにはどうするのか。

 貴族的な建前とカイサル個人の名声を勘定に入れて、自分の名誉を傷つけず最大限高めるにはどうすれば良いのか。


 散々考えて、様々な良案が飛び交った。

 軍の情報網を使用し、ガードレッド個人を称える功績を貴族社会以南に流す。

 壊滅した西部貴族社会をガードレッドが、今回の戦争の功績をもって掬い上げ、その名声を帝国内に轟かせる事。

 そもそも、カイサルには戦場から離脱して貰う事。

 銀雹狼以南の、カイサルが連れてきた私兵達に規律違反を犯させ、免責を条件にその功績を掻っ攫う事。


 それら全てが却下された。

 カイサル・スノウ・グリバーという広告塔(ネームバリュー)が、その全てを跳ね返したのだ。

 

 しかし、今は違う。

 上記の提案のいくつかが叶う結果となったが、それも全て事実。

 カイサルが自分でしでかした事なのだ。

 

 今ガードレッドの目の前には、本来他人に食べられるはずだった御馳走がズラリと並んでいる。


 幸い、銀雹狼が活躍したのかどうか知らないが、西部軍はその大部分が生き残っている。

 そして此方の二十万の軍勢に対して、ナルカンはそれ以下しか準備されていない。

 

 このまま帝国軍全軍を嗾けて突撃すれば、ナルカンに多大な被害を与える事は目に見えているだろう。

 

 しかし、殲滅が目的では無い。

 あくまでも、奴等を殲滅した後のナルカン侵攻戦が目的なのだ。

 

 此処に着くまで、ガードレッドはドーランド以南の側近達と会議を重ねてきた。 

 その結果、行き着いた結論はやはり迅速な殲滅、全軍による突撃だった。

 

 少しの沈黙が帝国軍の間を通過した。

 ガードレッドは天に向かって戦斧を掲げ、戦場を見下ろした。

 

 大きく深呼吸をした。 

 そして、大きく目を見開き、一直線に斧を振り下ろしながら激しい雄叫びを上げた。


「奴等を殲滅せよぉおおお!!」 

「「「オォオオオオオオ!!」」」


 拡声の魔道具を使用していない。

 しかし、その声は二十万もの帝国軍に。

 ひいては戦場で戦慄するナルカン軍、興奮で震え上がっている西部貴族軍にまで届いた。 


 正に指導者・生まれ持っての捕食者の風格を有する者が放つ覇気が、元々大柄だったガードレッドを更に大きく見せた。

 


 全速力で丘を駆け下りるガードレッドを先頭に、帝国軍という一つの生命体が動き出した。


 

 真水にインクが垂らされる様に、メルベインの丘は直ぐに帝国一色になった。

 ナルカンの旗は次々に折られ、その場所には帝国の旗が次々に立っていった。


 まず呑み込まれたのは、銀雹狼率いる右翼軍と対峙していた軍。 

 彼等は、元々の指揮官だったアサンを失い動揺していた。

 その上、ハルジオンとオズナルドの活躍により、戦況は既に決していた。

 残された彼等はささやかな抵抗の後、古代竜の旗に呑み込まれていった。

 

 この後、帝国軍は二つに分かれた。

 ガードレッド率いる覇獣騎士団(ガレオンナイツ)を筆頭に、本陣に向かった本隊約十八万。

 残りは、カイサルが率いていた帝国軍第一部隊長オーリウス・バルトン率いる残党掃討部隊二万。


 ガードレッド率いる本隊は、一直線に本陣を向けて前進した。

 陣形を建て直し、覇獣騎士団を先頭に規律正しく前進した。

 始まりの様な、全速力突撃の勢いは無い。

 それもそうだ、全員が馬に乗っているわけでは無い。

 中には歩兵もいるし、魔術師だっている。

 身体に鞭を打って全力疾走でもすれば、本陣に着いた頃には息切れ必須だ。


 一糸乱れぬ様子で前進するその様子は、どこぞの体育大学のパフォーマンスを思わせる。

 

 魔術大砲の銃口が、深淵から此方を覗き込んでいるがそんな事は関係ない。

 ただ、目の前の御馳走向かって食らい付けば良い。

  

 魔術大砲からガードレッドに向かって砲撃が発射された。

 しかも、二機同時だ。

 覇獣騎士団に向け一直線に、鮮烈な彩りを集めた魔術砲が二方向から襲いかかった。

 

 それでも、覇獣騎士団は止まらなかった。

 止まる事を許されなかったのか、止まれなかったのか。 

 いや、止まる必要が無かったのだ。

 止まる必要が無い程、目の前のそれは彼等にとっての脅威では無い。

 現にその顔色は、全く変わっていない。

 いや、鎧で顔面隠しているから見えないけども。

 その歩調からは、全く恐怖が感じられなかった。

 

 思考する間を与えまいと帝国本隊に迫っていた魔術砲は、その寸前の所でいとも容易く消え失せた。 

 トーラスの『防陣(ファンクション)』と衝突して掻き消されたり。

 西部中央軍の多重詠唱による攻性魔法との相殺では無く。

 

 ただ、消え失せた。

 

 まるで端から魔術砲など無かったかの様に。  

 

 一瞬、いや衝撃の驚愕によりナルカン本軍内に動揺が走った。 

 たった今自分達の目の前で、一体何が起こったのか。 

 魔術による相殺か、未知の魔道具か、特異魔術によってもたらされた現象か。

 様々な憶測が飛び交う中で、その疑問に答えられる人間は一人としていなかった。

 だが、一つだけ分かっている事がある。


 自分達が想像していたよりも、帝国本軍は大きかった。

 自分達が喧嘩を売った相手は、想像を優に超える化け物だったのだ。


 彼等には慢心があった。

 奇襲に近い形で先制攻撃を成功させ、自国自慢の魔術兵器を使いメルベインの丘(此処)まで一切の苦労なく侵攻する事が出来た。

 その所為で、帝国が帝国たる所以を忘れていた。

 何故、彼等がこれまで帝国による侵攻から自国を守れていたのか忘れていた。

    

 自分達が今まで帝国を撃退できていたのは、南部の国境地帯のお陰だという事。

 自分達は今回、仕方なく帝国に侵攻したという事。

 本来帝国侵攻は、ナルカンが採るべき選択肢に無かったという事。


 思い出してしまえば後は簡単だ。

 二度目の性病、二度目の痔瘻、ぶり返してきたインフルエンザ。

 何もかも二度目以降が怖いんだ。


 一度目の()()()()事は、ある意味幸福だと言われている。

 しかし二度目以降()()()()()事には、常に恐怖がつきまとう。

 

 虐待被害者は虐待から解放された後も、日常生活で発生した大きな音や怒鳴り声に、酷く恐怖を示すと聞いた事がある。

 彼等は知っているのだ、自分達の心は今もまだ縛られているという事に。

 彼等は知っているのだ、その後に己のみに起きた悲劇を。

 その身体は刻み込まれた恐怖を思い出す。


 今のナルカン兵は、それと全く同じだった。

 顔中から発汗し、顔の大部分が隠れている兜越しに見える程、その顔色は青ざめている。

 脚が震えてる人間も居る、握っている槍を零した者もいる。 

 ある者は嗚咽に似た怯え声を上げ、ある者は直立不動で失神している。

 唯一の幸運は、この場にカイサル・スノウ・グリバーがいない事。

 あの男が上げる黒煙の肥しにならない事だけが、彼等の唯一の救いだった。



 ナルカン本軍は待機を命じられていた。

 全隊で帝国軍本隊を迎え撃つつもりだと、一般兵達は認識していた。

 刻一刻と迫る帝国の旗を見つめ、その胸には興奮と動揺が広がっている。


 しかし、それはデドルーガの本意とは違った。


 デドルーガにとって、彼等の命にさして価値はなかった。

 何故なら今から帝国との決戦を行うこの場に、デドルーガの姿が無かったからだ。

 兵士達の士気を考えて影武者は用意してきた。 

 もちろん、アダマンタイト製ではなく只の張りぼて鎧だが。 

 

 ならデドルーガは何処に居るか。  

 もちろん、あの巨大な天幕だ。 

  

 彼は、本陣で帝国旗を確認した瞬間、部下に現場を任せ天幕に駆け込んだのだ。

 

 馬から飛び降りた彼は、天幕内の血溜まりを子供がはしゃぐ様に踏みつけ血飛沫を上げた。

 心なしか、気分が高鳴っている様に見える。 

 あれは、スキップしてるのか?


「来た、来た、来た来た来た来た来たぁああああ!!」 

 

 酷く獰猛な笑みと、共に上げられた虫の鳴き声の様な奇声は、天幕内を響鳴した。

 その動きはまるで、キッズダンサーの様に表現力が逞しかった。  

 

 一歩また一歩と血溜まりのレッドカーペットを進んでいった。 

 檻の中にいた()()もデドルーガに気づいた。

 無数の眼光から放たれた朱光がデドルーガを照らす。 

 

「ヒィイハァアアアアア!!」


 デドルーガは、恍惚とした笑みを浮かべ檻に取り付けられた装置を作動させた。

 総合格闘技リングの形状をした檻は、花開く様に解放された。

 

「グフフ…グハハハハ!!さあ、餌の時間だ!奴等は直ぐ其処まで来てるぞ!!

 好きなだけ暴れろ!好きなだけ貪れ!好きなだけ蹂躙しろ!!

 この地を、奴等の旗を、奴等の顔を、その血で染めるのだぁああ!!」

 

『ギャキィエエェエエエエエエエエエ!!!!!』  

 


 全身の細胞を逆撫でする様な嫌悪感を誘う奇声が、メルベインの丘に存在する生命を脅かした。

 


 それは巨大な天幕を無造作に破り、その姿を日の本に晒した。


 八つ程の赤黒い閃光を放つ瞳。

 全身に白、黒、赤、が渦を巻く様な模様。

 片側に十は有るだろうと推測できる多数の脚。

 口から漏れ出た酸の様な液体が地面を溶かす。 

 身体の節々、頸胴体に手錠や首輪の様な鉄の輪。 


 一目で分かる、あれは蜘蛛だ。 

 

 視た者の心の奥底に手を突っ込んで、嫌悪感と恐怖と軽蔑を掴んで引っこ抜いてしまいそうな感覚に、メルベイン中の生命が襲われた。


 一人が逃げ出した。

 それを見てもう一人が、追いかける様にもう一人。

 砂の城が崩壊する様に、彼等を彼等たらしめていた唯一の支柱が折れたからだ。

 

 それは敵が人間であることだ。 

 目の前に現れた災厄が、自分なんて足下に及ばない圧倒的強者だと本能で感じ取ったからだ。


 それは帝国軍も同様だ。 

 自分達の戦況が圧倒的に有利だった事が、なんとか彼等をこの地に留めた。

 

 しかし、それが命取りだ。

 

 目の前に現れた厄災が最初に飛びついたのは、帝国軍だった。

 その脚で、その牙で、その魔術で、帝国軍を蹂躙していった。 

 夏場スイカに齧りつく様に、豪快且つ丁寧に帝国兵の命を摘んでいった。 


 帝国軍にも動きは有った。

 動揺を振り切り、隊列を立て直し、魔獣狩りの軍事演習で行った通りの手順に従った。

 魔剣士部隊は前に出て、魔術士部隊は詠唱を始めた。

 しかし、誰もその魔獣を止める事が出来なかった。

 

 剣も魔術も、その甲殻に傷を付ける事すら許されなかったからだ。

 

 それが進む先に、覇獣騎士団の旗が現れた。

 もちろん、ガードレッドも居た。


「総員!構えっ!!」


 彼等も最適な陣形を組み、それの襲来に備えた。 

 しかし、その胸の内は穏やかでは無かった。

 

 彼等には自負があった。 

 世界有数の帝国国家の精鋭百人たる自負が。  

  

 彼等には確信があった。

 いずれ、この大陸を支配した暁には自分達がその中枢に居るという確信が。


 しかし、それはあくまで人間相手だ。


 対人戦闘専門の精鋭部隊『覇獣騎士団』

 

 これまで魔獣相手の訓練を熟してきた事もあった。

 しかし、目の前の怪物は今まで見てきた何よりも強大で野蛮だった。


 覇獣騎士団は攪乱の為に四方へ散らばった。

 それのターゲットを絞らせない為だ。

 

 彼等は帝国式剣術を修め、北武流・東武流・南武流・西武流で最低でも上級以上の腕前を持っている。


 加えて、その剣も北部で採掘されたミスリルに、帝国内で討伐されたSランク魔獣赤顎竜(サラマンドレイク)の牙を織り交ぜて作られた一品で、その切れ味は折り紙付きだ。


 四方に散らばった覇獣騎士団の面々は、まず対角線上に散らばった四人程が攻撃を仕掛けた。

 ある者は脚を狙い、ある者はその関節を、正面から引き付ける為に突撃した者。

 上空からその胴体を貫かんと剣を突き立てる者もいる。

 

 これが対人戦なら、立ち会った者の不運を嘆いてしまうだろう。

 間違いなく、ダルマ落としの様に細切れにされる。

 

 彼等の剣線に狂いは無かった。

 自分達の直感による息の合ったコンビネーションで、正解だと呼べる場所を狙った。

 全身に魔力を込め、自分がこれまで摘んできた修練の全てをその一撃に注ぎ込んだ。 


 それでも。


 その刃が彼の存在に侵食する事は許されなかった。


 帝国の推移を集めて作り出された一品は、いとも簡単に砕け散った。

 

 もちろん、予想していなかったわけじゃ無い。

 しかし、傷の一つは付けられると思っていた。

 少なくとも、自分がこの厄災に抵抗した証拠を刻み込めると思っていた。

 

 無機質の兜に隠されていても、その内は押し並べて想像できる。

 

 次の瞬間、蜘蛛の手足左右二本ずつが、己に群がる四匹の有象無象を払い落とした。


 次は十人、先程と同様に四方に散らばり、先程よりも速く強靱な一撃を叩き込もうとした。 

 彼等は、先程の者達よりも序列が上だ。 

 実力が上であり、更に人数も多い自分達なら或いは。


 十匹の有象無象は、無残に払い落とされたのだ。


 その様子を見ていたガードレッドの顔には、明らかに焦燥と恐怖が映っていた。

 

「うっ……あぁ……」 

  

 ガードレッドが思い描いていた全てが、目の前の怪物によって引っ繰り返され、更に自分の命まで脅かそうとしている。   

 

「殿下!!直ぐに退避して下さい、殿は我々が!!」


 その脇からダルアン・ドーランドが自身の精鋭数人を連れて飛び出した。


「あ……」      

「殿下!此方へ!!」

 

 力の無いから返事をするガードレッドは、覇獣騎士団の一人に腕をぞんざいに引っ張られながら戦場を後にする為、馬を走らせた。


 覇獣騎士団から離れて十秒も経っていない内に、追いつかれた。


 鋭く野蛮な赤黒い八つの眼光に、ガードレッドの姿が映し出された。

 

「あ、あ、あ、ああぁああああああ!!」


 これから、自分が捕食されてしまう事実を理解したガードレッドは発狂した。

 叫び声を上げ、恐怖に顔を歪ませ、握っていた斧を乱雑に振り回した。


 魔獣は一切動じない様子で、その口を大きく開けた。

 牙には血がこべり付き、口の中には人の一部が残っている。

 唾液か胃酸で溶けた様な痕から漏れ出た酷い悪臭が、ガードレッドを包んだ。

 ガードレッド自身も吐いた。

 胃が捻切れそうなほど締め付けられ、心臓は破裂しそうな程激しく活動している。  


 彼が思った事はただ一つだけ。


 でも、そんな事はもうどうにもならない。

 これから自分は死ぬのだから。

 

「だれかぁあ!!だれか、俺を守るんだぁああああ!!」 


 寸手の所で取り戻した理性が助けを求めた。 

 しかし、周囲を見渡しても自分の元へ駆け寄ってくる者はいない。

 

 皇族として生まれたガードレッドがまさか戦場で一人孤独に死ぬとは、考えたことも無いだろう。

 

 魔獣の牙がガードレッドに近づいた。   


「やめろ、やめろぉおおおおおお!!」


 心の底から出た願いだ。

 今なら、皇帝の座を諦めても良いと考えている。

 これほど自分の生に執着したのは、何時ぶりだろうか。  

 

 しかし、その願いを聞き入れる者はいなかった。 


爆撃(エクスプロージョン)


 彼以外は。


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