おまえのエッセイなんて誰も読まねーよ
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タイトルのとおりである。そのむかし、私が初めて「エッセイを書いてみたい」と白状した際に、「なろう」における知り合いからメッセージにてそう告げられたわけだ。その男性、女性かもしれない――は、私の前からすっかり姿を消してしまった。「なろう」の外のアプリを使ってしきりにやり取りをしていたのだが、いきなり行方をくらました以上、死んでしまったのだろうと解釈することにしている。とにかくポイントに異常なまでに執着する輩だった。かつての私にとてもよく似ている。ほんとうによく似ている。それはもう、激しく虚しいくらいに。
ポイントを得るヒトのことを、偉いと思っていた。
そういうヒトのことを、ことのほか、羨ましいと考えていた。
重ねてになるが、タイトルの文言は実際に言われたことである。そこに嘘はない。嘘を言う理由がない。その人物とのあいだになにかわだかまりがあったわけではないし、だから冗談半分で言ってくれたのだとは思うのだが、先に記したとおり、その人物はポイントを稼いでいる作者を崇拝すべき者だと捉えていた。だから、苦しんでいた。「なろう」においては絶対的な流行りである「異世界恋愛」なるジャンルにおいて成果が得られないことについて、狂おしいほどまでに頭を悩ませていた。彼、もしくは彼女がまともだった際にはリリースする前に作品を寄越してくれて、僭越ながら赤ペンを入れたこともあるのだが、あるのだが――結局のところエクスキューズばかりで、相手は私の意見を一つも聞き入れてくれなかった。いまとなってはそれって笑い話である。なんのために赤を入れてくれと頼んできたのかという話である。不思議だ滑稽だ。奴さんのことを思い返すたびにそう思う。
私は「なろう」に参加するようになって、七年目である。ほんとうに歴だけは長い。最初は失敗ばかりした……否、最近まで、失敗ばかりをくり返した。私が「なろう」と、恐らくこれが適当であろうという距離を掴んでから、正直なところ、まだ一年しか経っていない。そんな私より「なろう」をうまく活用しているヒトは多くいる。書籍化作家になった方もそれなりにいる。彼らに羨望の眼差しを向けたくなることは言うまでもない。ただ――流行を追えないニンゲンが言うことではないのかもしれないが、流行は流行だ、少なくとも、私が追い求める理想とはかけ離れている。私は泥臭いヒューマンドラマを土壌としたい。うまくやれれば純文学も書けるだろう。だが、それだけだ。文字どおり、拙著は拙い。それでも読んでくださる方がいるのだから、感謝以外の言葉が見当たらない。いきなりでなんだが、ありがとうと述べておく。
書籍化を目指す手法は、二つあると考える。とりわけ「おまえのエッセイなんて誰も読まねーよ」という台詞が頭に響いてしょうがないのだが、せっかくだから、古参の人物が見解を記しておこう。
一つ目、ウケる作品をとにかくしこしこしたためて名前を売り、書籍化作家になったあかつきに、好きなジャンルを書く。力さえあれば、これってとても現実的な手段だと考える。いっぽうで、やはり売れないと誰にも見向きもされないのだと思う。
二つ目、好きなジャンルに特化することで「その他大勢」との差別化を図る。これは困難な手法であるように思う。「なろう」とはもはや百万作にのぼろうとしている作品の群れなのに、そのなかからイレギュラーを見出してもらうなどという安っぽい理想は無駄かつ無意味に等しいとすら考える。
我ながら要領を得ない話だ。
とはいえ、とにかく言えることは――。
ポイントを追求すると、それはもう、つらい。「なろう」に関わる時間ばかりが増加し、「なろう」から離れられなくなってしまう。経験則だ。私もそうだった。しかし、いまはログインしている時間そのものが、目に見えて減った。それがよいことだとは言わない。ただ、何度だって申し上げるが、ポイントが得たくて「投稿中毒」になることは苦しいと思う――否、違う。「投稿中毒」ではなく、「評価を得たい中毒」だ。いやらしい言い方をすると、自己の承認欲求を満たすことにばかりチカラを注いでいると、必然、「なろう」に依存することになってしまう。
なにが良いとは言わない。
なにが悪いとも言わない。
しかし、「なろう」に関わり、そのせいで心がささくれ立つようなことがあっては、途方もなく悲しいのではないか。
私自身、書籍化作家という夢は捨てたくない。それは事実だ。少なからずそういう作家はいると思う、というより、いるだろう。知り合いが売れると妬みたくなる。ほんとうにそれは、根深い真実だ。
さて、いろいろと矛盾が垣間見え、散見されるエッセイだったことだろう。
最後に強く申し上げておきたい。実際の書籍化作家にしか見えない景色は絶対にある。当然、私はそれを見たことがない。この先、見ようはずがないであろうことを重ねて書いておく。だから当該エッセイはなにも持たないニンゲンの戯言だ。それがわかっていてしたためたのだから、それはもう、おかしな話だ。
みなさまに幸あれと思う。
理想を高く持つと、問題点が多くてつらい。
低く設定しすぎると、モチベーションが下がってしまう。
妙に射幸心を煽られるからこそ、「なろう」というコンテンツとの関わり合い方は難しい。難しいからこそ、うまく付き合っていきたいものである。
――なんてね。