第一章14 火我見式
「んん・・・・・・」
少年は目を覚ます。視界には雲ひとつない深い青が一面に広がっていた。
背中にはひんやりと冷たく少しゴツゴツした感触がある。
少年はそれからしばらくの間、じっと空を見上げていた。
とりわけその青に魅せられたとか、美しさに言葉を失ったからとかではない。
魂だけが宙を浮いていると表現しようか。
意志を持って動かすことが叶わない。
まるでさっき見ていた夢が続いているかのような喪失感に漂っていた。
唐突に腕に何かが触れたような感覚がした。
それが夢では無く、確かな感触を伴って自分の身体から伝わってきたものだと理解することで、ようやく少年は自分の身体をはっきりと自覚することに成功した。
少年は感触のあった右手の方に顔を傾ける。
そこには触れれば一瞬で霧散してしまいそうなほど美しく可憐な少女の寝顔があった。
その少女の顔を認識して、彼はようやく自分が何者であるかに気づく。
「……そうか、僕は崖から落ちたんだった」
なんとなく発したその言葉は自分の過去の行いを表すものであり、この身体の記憶と魂の記憶の整合性を確かめる手段でもあった。
その確認が終わると同時に、今度は別の疑問が少年に生まれる。
「どうして君も――」
自分と一緒にいるのか? 隣で寝ている彼女に向けたその問いは、叫びながら疾駆してくる二人の友人によって妨げられた。
「アビくん、ノアちゃん!!」
「アビ!!」
「・・・・・・ユミン、それにダン?」
声のする方に体を起こすと、瑠璃色の髪の少女が首に手を回して飛びついてきた。勢いのあまり後ろに倒れそうになる。
そんな彼の状態などお構いなしに、ユミンは泣きじゃくり腫らした顔をアビの胸に埋めてきつく抱きしめる。
互いの素肌が密接に触れ合う。しかも相手は女の子だ。
アビは急に恥ずかしくなってダンの方に視線をやる。
ダンはアビのSOSに気づくも、今はユミンの気持ちを優先させようと、何も言わずにただ笑みを浮かべ返すだけだった。
「アビくんが死んじゃったらどうしようって、ひっく。せっかく仲良くなれたのに死んじゃったらって、もうそのことしか考えれなくて・・・・・・ひっく。何もできずに待ってるのがつらくて、もう会えないんだって、泣いてる自分が嫌で嫌で、もう、もうほんとに、本当に心配したんだがらぁあ」
失った悲しみと生きててくれたことへの喜びがごっちゃになりながらも、ユミンはアビの生還を心から喜ぶ。
「お前なら、生きててくれるって信じてたぜ」
ダンはユミンほど感情を表に出さなかったが、目には大量の涙を浮かべ体を震わしていた。
すると周りの騒がしさに隣の少女も目を覚ました。
「んんぅ・・・・・・・・・・・・ここは?」
「ノアちゃんも無事だったんだねえぇ〜〜〜ありがとおおアビ君を助けてくれでぇ!!」
「ちょ、ちょっと急に抱きつかないで」
ぎゅーっとハグしてくるユミンの肩をノアはトントンと叩く。
そんなノアに対し、ダンがばつが悪そうに近づき、
「大事な友達を失わずに済んだ、ありがとよ」
はっきりと感謝の気持ちを伝えた。
勿論これまでの言動を許したつもりは無い。しかしアビを連れて帰ってきてくれたことに関しては言葉だけでは足りないくらいに感謝していた。
「別に私は何もして・・・・・・」
「あー、そういう謙遜的な? というかツン的な要素をお前が持ってることはよーく分かったからよ。この気持ちを今回に限っては素直に受け取ってくれや」
ダンは頭をわしゃわしゃと搔きながら一方的に告げた。そこに追い打ちをかけるようにユミンが泣き叫ぶ。
「ありがとぉおおノアちゃああぁん」
だがノアとしてもこの感謝を素直に受け取れない事情がある。
ノアは今の状況を理解できていないのだ。
崖から落ちたアビを助けに行ったのは事実。しかしアビを助け、山頂まで運んだのは自分ではない。そう思っていたからだ。
「本当に私は何も――――」
だからノアはまた否定をしようとする。感謝されるのは私ではないと。
しかし、その言葉はすぐ横から向けられる真っ直ぐな視線によって遮られた。
「助けてくれてありがとう、ノア」
アビはクシャッとした笑顔をノアに見せた。
それに対しノアは「何も覚えてないの?」と言いかけて辞める。
覚えてない相手に無理に問いただしてもしょうがないし、何よりもノア自身の記憶が曖昧だったため、アビを助けた可能性も完全には否定できなかったからだ。
だから彼女はこの場の流れに身を任せることにした。
真実が何かなんてわからない。けどみんなが幸せそうに笑っている。
その事実だけで十分だと、ノアは微笑ましい三人を見ながら不器用に笑った。
東の空から顔を出した太陽は二人の生還と試験合格を祝福しているかのように輝かしく、世界に朝を告げる。
*****
「百二十四名・・・・・・。まあ、こんなところだろう」
試験官役を務める白髭の老爺が、山頂に集う生徒等を見渡して呟く。
実際に山頂に辿り着いたチーム数は六十一組中五十六組だった。しかしその内の五十組は学校側が用意した正規のルートを辿ってこなかったことにより半分しか合格を認められず、その場で下山をさせられていたのだ。
ノアが三日月湖の前でアビ達に告げたことは本当だったのだ。
苦労をともにした仲間との最後はじゃんけんだったらしい。
運も実力のうちと学校は言いたいのだろうか?
最初からルールとして伝えないこともそうだが、なんとも無慈悲なことだ。
山頂に辿り着くことすら叶わなかったチームはたったの五組だというのに、スタート時に比べて約半数にまで減ってしまった。
だが老爺の口調からして、これは大方予想通りだったのだろう。
「これをもって二次試験並びに新入生入学試験を終了、この場に居る全員を合格者と見なし、サテラプレティツィガーレ占戦術学校の一年生として認可する。おめでとう」
約二日間に及ぶサバイバル試験。慣れない地で、慣れない霊体を感じ、宝を探して山を登る。
そんな肉体的にも精神的にもきつい諸行を成し遂げた生徒達に、老爺は祝辞を述べる。
疲労困憊の生徒等はその言葉にようやく安堵して肩の力を抜くことができた。
「どうだ、試験前と今とでは体に宿る霊体の感覚が違うであろう?」
続けて老爺は今回の試験の成果と呼ぶに相応しい、霊体の感覚を問う。
その霊体は身に纏わり付くオーラのようなもので、触れることも見ることも適わないが、確実に自分の身体を覆っていると分かった。
試験が始まる前から、もっといえば生まれた瞬間から己の肉体にあった霊体をこの試験を通して感じることに成功したのだ。
その場にいる生徒等が自身の霊体への実感に湧いている時、アビだけはその霊体の感覚とは違うものを体内に感じていた。
――――身体が軽い。頭も、振り上げる腕も、上半身を支える骨盤も、地を踏みしめる足裏への負荷も、まるで綿の詰まってないぬいぐるみのように軽い。そんな感覚だった。
どこか変なところが無いか体中を見て触って確認するが、外見に異常は無い。
強いて言うなれば、崖から落ちたのにかすり傷の一つもついていないことぐらいだったが、目が覚めるまでの記憶はさっぱりなので証拠とはならなかった。
原因不明の違和感にアビが首を横に倒していると、白髭の老爺が再び指揮を執る
。
「では最後の仕上げといこうか。今、君たちが自覚することに成功した霊体、それには実は六つのタイプが存在している。簡単に言えば属性ってことだ。自分の霊体タイプを知ることはこれから君たちが占戦術師を目指す上で何よりも重要なことだ。と言ってもきっと何のことだか分からないだろうから、まずはこれを見て貰おうか」
そう言うと進行役の老爺は手に持っていたカード――アビ達に配ったのと同じ見鏡のタロットをタップした。
生徒達の持つ見鏡のタロットから通知音が鳴る。連絡機能を使ってメッセージを送信したのだ。
メッセージを開くとそこには六芒星を模した分析シートが掲示され、各頂点の先には【超視覚】【超聴覚】【超嗅覚】【超味覚】【超触覚】【超感覚】と書かれていた。
全員がそのページに飛んだことを確認したところで老爺は好きな項目をタップするようにと指示する。
言われたとおりに押下すると画面が遷移し、そこには各タイプの特徴が書かれていた。
【超視覚】:霊体を目で視認出来る。人が纏うオーラを見ること、透視能力が身につくのもこのタイプの特徴。火我見式――ぼんやりと目に明るさを感じる。
【超聴覚】:霊の声や囁き、奇怪音などを耳で聞き取ることができる。霊魂と会話できるのもこのタイプの特徴。火我見式――パチパチと火のはじける音が聞こえる。
【超嗅覚】:場に漂う匂いの変化や異臭などを感じることができる。匂いの種類によって受け取るメッセージが違う。火我見式――煙の匂いがする。
【超味覚】:何も食べたり飲んだりしていないのに味を感じることができる。感じた味で受け取るメッセージが違う。火我見式――舌が火傷する。
【超触覚】:霊体に直接触れたり、触れられたりできる。金縛りに会う、気づいたら手の跡がついているなど、身体に影響がでるのもこのタイプ特徴。火我見式――熱を感じる。
【超感覚】:特にこれといった特徴は無く、なんとなくのイメージで感じ取ってしまうレアタイプ。いわゆる霊感が強すぎる人。火我見式――蝋に火が点く。
一通り目を通したところで進行役の老爺は説明を加える。
「見ての通り、霊体のタイプは【超視覚】【超聴覚】【超嗅覚】【超味覚】【超触覚】【超感覚】の六つに分れている。
霊感があると一言で言っても、幽霊が目で見える人もいれば、声だけ聞こえる人、身体に触れられる人、なんとなく怖気を感じる人など、感じ方は様々。それを特徴別に分類したのがこの霊感タイプってわけだ。
これから占戦術師を目指す君たちにとっての霊体タイプとはすなわち、占いにおける得意分野を意味する。例えば【超視覚】の霊体タイプを持つ者は目に霊力を集めて透視したり、オーラ鑑定をしたり、見える色やモノを判別したりして占うのが得意だということだ。
霊力を発揮する上で自身の得意な部分を知っておけば、霊力を最適に使うことが出来る。霊力を上手く扱えれば占いの精度も上がり、実力のある占戦術師になれる・・・・・・かどうかは己の力量次第だが、無作為に占うよりは断然に良いだろう」
老爺の説明に食い入るように聞き入る生徒達。
ついこの間まで存在すら知らず、やっと少し扱えるようになったばかりの霊力というパワー。それがこんなにも子供心をくすぐるものだとは思ってもいなかったのだ。
要するに人間の魂には冒険ファンタジーによくあるような水タイプや炎タイプ、雷タイプみたいな属性があって、そのタイプによって占いの得意不得意が異なるということだ。
「で、その肝心の霊体タイプを見分ける方法だが――――これを使って測定する」
そう言うと老爺は何の変哲も無い、どこにでも売っていそうな普通の蝋燭を取り出して生徒等に向けた。
「蝋燭?」
アビを含め頭にハテナを浮かべる生徒達を余所に老爺はその場を離れ、公衆電話くらいの大きさの物置の前で立ち止まり、振り返る。
「ここに明かりの一切入らない個室がある。この中に一人ずつ蝋燭を持って入り、扉が閉まったらまずは目を閉じる。そこから十秒間、手に持つ蝋に自分の霊力を集中させながら黙祷する。そうすると何かしらの反応が起こる。その起きた現象で霊体のタイプが分かるという仕組みだ。
これを【火我見式】という。起きる現象とそれに紐付く霊体タイプは既に詳細に記載されているから、あとは実際に試して、自分の身で感じて判断してくれ。人数も多いから早速始めようか。
呼ばれた者から順に蝋燭を受け取りここに入るように」
老爺の説明が終わると同時に最初の生徒としてノアの名前が呼ばれた。彼女は蝋燭を受け取り、真っ暗な個室に身を投じる。
火で我を見ると書いて【火我見式】
蝋燭は人の命の象徴ともされており、その蝋本体は己の肉体の寿命を、灯る火は魂の寿命を表わしているという。
火の付いていない蝋に自身の霊体を宿すことで行われる【火我見式】は、まさしく肉体と魂の二元論を模した型となっていた。
この学校の入学試験は霊体を感じられる素養があるかを見極める一次試験と霊体を自覚し扱えるようになるための二次試験、そして最後に霊体の質を測る【火我見式】の三ステップで完成するように構成されていたのだ。
「なあなあ、俺って何タイプに見えるよ?」
説明が終わった途端にダンがニコニコしながら聞いてきた。
「ダンくんは頭で考えるってよりも直感で動くってタイプな気がするから、この中だと【超感覚】になるんじゃないかな?」
「えーそうか? 俺的には【超視覚】が良いんだけどなー。ほら透視とか書いてるし、そのうち目からビームとか出せるようになるかもじゃん?」
「いや、流石にビームは出ないでしょ」
「そんなのやってみねーと分からねぇだろ!」
「やんなくても分かるよ!」
アビの鋭いツッコミにダンは「ロマンねーのー」と口を尖らせた。
「アビ君は自分は何タイプだと思う?」
「僕は・・・・・・特にコレだって思うやつは無いかな。だからやってみないとなんとも。ユミンは?」
「私はねー、実はもうなんとなく分かってる気がするんだー」
「えっマジ? じゃあ当たってるかどうか後で確認するから先に教えてくれよ!」
「多分だけど、私は【超味覚】じゃないかなーって思ってるんだよね」
「【超味覚】か。なるほど、確かにそうかもしれないね」
「あー、そういやあったなそんなこと。あの時、ユミンだけ味覚バグってたもんな!」
三人が口を揃えて言うのは二次試験の途中で小川の水を飲んだ時のことだ。
あの時はユミンだけが水に味があると主張していた。だから他の人とは違う味覚を持っていると考えたのだ。
「ちょっとぉ? その言い方は酷いよダンくん」
「そうか? わりぃ、わりぃ」
「ほんと、デリカシー無いよなダンは」
「ほんとだよ。あっ、私そろそろみたいだから行くね。後で二人のも教えてねー」
ユミンは二人に手を振りながらその場を去って行った。
それからしばらくしてダンも火我見式を終えた。
ひとり残されたアビが呼ばれたのは集団で最後だった。
最初に呼ばれたのがノアだったことから、おそらく一次試験の順位を引き継いでいたのだろう。
遠くからユミンが心配そうに見守る中、アビは蝋を受け取り個室に入った。
中は手を伸ばせば全方位の壁に触れられるくらいのサイズで、閉所恐怖症だったら一溜まりも無いほどの狭さだった。火我見式をするためだけに造られたものなのだろう。
戸が完全に閉まり、中が何も見えない暗闇に包まれたところでアビは目を瞑り、身に纏う霊体を手に持つ蝋へと集中させる。
ゆっくり、じんわりとアビの霊体が蝋を持つ手へ移動し、まるで蝋が身体の一部になったかのように蝋全体を覆う。
その後、管を通すように手元から蝋の着火部へと上昇したそれは、火が灯った蝋燭と同じような雫型のシルエットを形成して留まる。
まさしくこれが魂の火が灯った瞬間だ。
『あー、かったりぃ・・・・・・。完全に乗っ取ったと思ったのによ、なんであいつは意識を覚醒させやがったんだ、くそっ』
『輪廻転生の魂が我々の浸食を拒んだようじゃな。流石、我々七十七人の霊体の器になれるだけあるの。他の者とは違う魂を宿しておる』
どこからともなく会話が聞こえてきた。
一つは潑溂とした若めの声、もう一つは落ち着いた芯のある渋い声だ。
ただアビは火我見式を中断させないようにと、逸れた意識を再度集中させる。
その間も二人の会話は続いた。
『なに呑気なこと言ってんだよジジイ。で、どーすんだこれから』
『完全な融合とまではいかなかったものの、肉体との接続と魂の共存に問題は無い。現状の問題はこちら側が意識的に表に出られないということ。まずはなんとかして主と語らう場を設ける必要があるの』
『あー畜生! やっと、ようやく、何十年も、待ちに待って、表世界に出られたはずだったのに、こっちからは手も足も声も出ないなんてよ。はぁーあ、いつになったらこの惨憺たる悲劇に終止符が打たれるのやら』
『弱音を吐くでないアクレイ。下るべき罰は下すべき者が与えなければ意味が無い。我々をあの洞穴に何十年にも渡って投げ続ける外道に、天誅を下すのは我々だ――――』
できる限りその声を意識しないようにと集中を続けるアビだったが、会話の内容の怪しさにどうしても耳が吸い寄せられる。
誰が、何処でこの会話をしているのか気になって仕方が無いアビは、十秒を計り切ったあとパッと目を開く。
が、目の前は相変わらずの暗闇で、アビが目を開くのと同時にその声も聞こえなくなっていた。
「なんだったんだろう・・・・・・」
不思議な幻聴に首を捻るアビ。
さっき確認した火我見式での変化に「会話が聞こえる」という項目は無く、それ以外の現象もこれといって起きていなかった。
意識が逸れると正確に診断できないのかもしれない。
そんな疑念を抱きつつアビは個室を出る。
暗闇から急に明るいところに出たためか、焼かれたような刺激が目に走った。
手腕を翳して光を防ぎ、ようやく辺りに目が馴染んだところで、アビは自分の蝋に起こった変化を目の当たりにする。
「そんな・・・・・・・・・・・・」
アビの蝋は――――半分になっていた。




