第一章11 約束の期限
「うーっし、これで全部の玉が揃ったな!」
ダンの土で汚れた手には黄土色の玉が握られている。土の玉だ。
林檎畑でサジダリウスと分かれた後、アビ達は彼のうっかり漏らした答えを元に山の麓までやってきた。
彼曰くヒントⅢの大地の逆鱗は試験開始時に起きた噴火を表わしているという。そこから逆算し、血の涙が噴火によって流れる溶岩流。果てた土塊が冷えて固まったそれだと気づくには時間がかからなかった。
実際に山の麓まで来ればそれは一目瞭然で、風化した火成岩の塊が一帯に転がっていた。その中から土の玉を探し出すには労を厭わなかったが、霊力の使い方が身につき始めていることもあってある程度的を絞った掘削ができていた。
これでアビチームは火・水・土・風の全ての玉が揃ったことになる。あとは次の日の出までに山頂に辿り着くことができれば試験に受かるのだが――――
「どうやって登ればいいんだろう・・・・・・?」
ただ山頂を目指して突き進むだけなら登山経験者でなかったとしても時間をかければ不可能なものではないはず。しかしアビはその場に立ち尽くす。
なぜなら山頂付近には昨日の噴火の残痕が――ドロドロとした赤いマグマがはっきりと残っていたからだ。
「またいつ噴火するかも、わからないもんね・・・・・・」
ユミンはアビとダンとは違って噴火を体験している。二人より余計に心配してしまうのも無理ない。
「じゃあどーすんだよ? 合格するには山頂を目指すしかないんだろ? まさかこの山とは違う山がこの島のどこかに隠れてあるなんてことないもんな?」
「地図にはこの山以外載ってないからそれは無いと思う。でもこんな危険な山を登らせることを学校側がさせるとも思えないし・・・・・・。何か見落としてることでもあるかな?」
アビがそう考えるのには明確な根拠があった。
試験開始直後の彼等は地図もヒントも何も無い状態で試験に挑まなければならなかった。が、蓋を開けてみればヒントはそこら中に散らばっていた。
船上で老爺が語ってくれた試験とは直接関係のないような話の中にも、見鏡のタロットにも、さらには噴火までも重要なヒントとして組み込まれていたのだ。
つまり学校側は極端に難しかったり、無茶で無謀なことを強いるような真似はしない。きちんとアンテナを張り巡らせ、細かな注意を怠らず、しっかりと頭で考え深く読み解いていけば必ず答えに辿り着くように導いてくれている。
ノアのように最初から地図が頭に入っていなくても、霊力に特別優れていなくても、誰でも合格できるようにできているということだ。
だからきっと今回の壁も自分たちが見落としているだけで解決の糸口はしっかり用意されている。そう考える方が賢明だった。
青い空はいつしかその大半が雲に隠れ、僅かに合間から覗かせる色も焦がした太陽のようなオレンジになっていた。タイムリミットは着実に近づいている。
無論、アビ達が抱えているタイムリミットは他のチームとは異なる。彼等に残された時はこのオレンジが沈むまで。それがノアと交した約束の期限だ。
「そういえばなんだけど、サジダリウスさんがヒントについて教えてくれた時に噴火がエフェクトだって言ってたんだよね」
何か解決の糸口になればとユミンは思ったのだろう。上の空だったアビが聞き逃していた内容を口にする。
「噴火がエフェクト? だとしたら実際には噴火は起きてないってことになるよね?」
「うん。でも、山頂にはマグマが見えてるし、火山岩もここにあるよね」
それが物的証拠として否定している。それを理解していたからこそユミンは言い出すのが遅かったのかもしれない。
「あいつが適当に言ったんじゃねーのか? うちのお姫様に夢中だったしよ」
ダンはサジダリウスの話を聞いていたが半信半疑だったのだろう。ヒントに関しては前向きに捉えていたがこれに関しては否定的だった。
「いや、そう決めつけるのは早いかもしれない。僕も今思いだしたんだけど、ユミンに噴火のことを聞いた時疑問に思ったことがあったんだ」
ここにきてアビは考えを改め始める。ふたりの注目が集まるとアビはその疑問を言葉にする。
「あの時、噴煙は空に広がっていたのに火山灰が全く降ってなかったんだよ。普通こんなに近い場所に居たらそこら中に火山灰があってもおかしくないよね?」
たしかにアビはユミンに対して本当に噴火が起こったのかを確認する節があった。本当に山が噴火したなら、島全体に火山灰が降ってくるはずだと思っていたのだ。
そして今、サジダリウスのエフェクトという発言を聞いてその疑念が確信に変わった。
「きっとこの山は最初から噴火なんてしてなかったんだよ。ユミンが感じた地震のような揺れも山から吹き出た噴煙もマグマも全部エフェクト。全部演出なんだ」
にわかに信じがたいことだがアビはほぼ確信していた。発せられる言葉には自信が乗っていた。
「アビの言い分は分かったけどよ。この土塊たちはどう説明するつもりなんだ? 俺たちは実際に見ただけじゃなく触ってこの玉を見つけたんだぞ?」
ダンは汚れた手をアビに見せる。事実彼等は辺りに散らばる火山岩や風化した土を手でかぎ分けながら土の玉を探し出した。それらをエフェクトだと言うには無理がある。
「これはきっとフェイクなんだと思う。実物を用意することでリアルだと思わせようとしてるんじゃないかな?」
「何かイマイチパッとしないな。じゃあよ、噴火したのが偽物だったとしてアビはこの山の頂上を目指すのか?」
アビの意見を蔑ろにするわけではないがダンは納得できない様子だ。山の方を見上げながらこの後どうするのかを確認をする。
視界には近づくだけで皮膚が溶けそうなほど真っ赤なマグマがはっきりと映っている。とてもじゃないが登山できるとは思えない。
ダンの意見を後押しするようにユミンも付け加える。
「私もちょっと怖い・・・・・・かな。もちろんアビくんを疑っているわけじゃなくて、噴火が嘘だとは私も思うんだけど。万が一マグマもこの火山岩と同じように本物だったらって考えると、危険かなって」
ふたりの意見が一致する。噴火したのが嘘か真かはさして重要ではなく、現状見えてるもので考える。その結果この山を登るのは危険だと判断したようだ。
こうなると問題は依然と平行線上のままにある。四つの玉を集めたはいいが、目指す目標を見失った状態に変わりはなかった。
話すことよりも考えることが多くなり、自然と会話が減っていく。
空一面を雲が覆っていることも相まって、どんよりとした空気がその場を支配していく。
と、ここで全員の携帯端末から一斉にピロンという通知音が鳴った。重い空気を打つような高い音に各々が飛びつく。
見鏡のタロットのメールボックスの上部には赤い通知のマークが付いていた。ダンとユミンはすぐに中身を確認する。
しかしアビだけは違った。彼は何故か見鏡のタロットをまじまじと見つめたままでいた。そして何かを確認するように手の角度をずらしていく。
「――――っ!? やっぱり、この鏡は普通の鏡じゃなかったんだ・・・・・・」
「うおっ、なんだこれ!?」
アビが何かに気付いた時、ダンが驚きの声を上げた。
ダンとユミンの持つ見鏡のタロットからは立体的に光が発散しており、その中心には三次元像の人型シルエットが浮かびあがっていた。ホログラフィーというやつだ。
ホログラムで現われた人物は船上で試験の説明をしてくれた老爺だった。
『何が真で何が偽が。今まさにその狭間に置かれ、悩んでいるであろう君たちに、この私からありがたいメッセージを送ろう。
真か偽か。それを見極めることは占い師にとって重要なスキルといえよう。しかし最も大切なのはそうやって二つに分類することじゃない。占い師にとって最も大切なのは隠れた真実を見抜く洞察力だ。己の見えているものだけがその全てでは無い。見えないものを見ようとすること。それこそが真の占い師、そして占戦術師である。
それを踏まえた上で最後のヒントを授ける。心して聞くように。
【真実の鏡に身を投じよ】
最後に一つアドバイスをしよう。この試験に不要な要素は一切無い。それを忘れぬように』
そのアドバイスを最後にホログラフィーで送られてきた音声メッセージは途絶えた。
おそらく事前に用意されていたものなのだろう。ダンとユミンに送られてきたメッセージの内容は瓜二つだった。
こうして四つの玉を集め、最後の壁にぶつかったチームに送られてくる最後のヒントというわけだ。
「あーわっかんねぇ! 真か偽か? 占い師に大切なこと? 不要な要素が無い? なにが言いたいのかさっぱりだぜ」
ダンはメッセージの要点が掴めなかったようで、考えることを諦め天を仰ぐ。
反対にアビは今のメッセージで脳に電流が走るような刺激を受けていた。それはまるでこれまで互いに干渉することの無かった点の集まりが線で繋がっていくようなもので、そうして辿り着いた真実をアビは告げる。
「真実の鏡――うん、やっぱりそうだ。ダン、ユミン。僕分かったよ。このメッセージの意味、そして目指すべきゴールが」
「マジかよアビ!? 早く教えてくれ、その答えってやつをよ」
確信を得たかのようなアビの雰囲気にダンは掌を仰いで答えを求める。アビは一呼吸置いた後、ゆっくりと腕を前に出す。
「真実の鏡の正体。それは・・・・・・これだよ」
アビが差し出した手。その手に握られている物をダンとユミンは亀のように首を伸ばして見つめる。
「見鏡のタロット?」
提示されたものが予想外だったのか、それとも拍子抜けだったのか。ユミンはひょうきんに声を上擦らせて聞き返した。
「ちょっとまてよアビ? お前まさか名前に鏡が付いてるからこれが真実の鏡って言ってるわけじゃないよな?」
今度はダンが信じられないといった様子で聞いてくる。ダンには冗談に聞こえたのかもしれない。だがもちろんアビは冗談を言ったつもりはない。
「ダンじゃあるまいしそんなくだらない理由で決めつけたりしないよ」
「そうか、それなら良いんだが――――って良くねーわ! 全然良くねーわ! 何しれっと俺のこと馬鹿にしてんだよっ!」
「ふっ」
「おいノア、てめー今鼻で笑っただろ!」
アビは真剣に言ったつもりだったがノアにはこのやり取りが面白おかしく見えたのだろう。いや、単にダンの反応が滑稽だっただけかもしれない。
「ごめんなさいね。あまりに的を得ていたものだからつい。――――続けていいわよ」
ダンを小馬鹿にしてノアが笑った。ただそれだけのことだったがアビにはそれが凄く新鮮なことに思えた。
――――ノアも普通に笑うんだな。
始めて見せたノアの笑顔にアビはそんな感想を抱いていた。
絶妙に空いた間を不審に思ったノアに催促されることでアビは再び話し出す。
「あ、うん。僕が見鏡のタロットを真実の鏡だと思った理由なんだけど。口で説明するよりも見て貰った方が分かりやすいと思う。ふたりともこっち来て」
アビは手招きをしてダンとユミンを呼ぶ。何をするつもりなのか分からないがふたりは言われた通りにアビの後ろに回った。それを確認したアビは見鏡のタロットの画面に自分を含めた三人が映るように角度を調節して持つ。
「これは霊力を注いでない起動する前の見鏡のタロット。どう? 何か気付くことない?」
「何かって言われてもなー。別に普通の手鏡みたいなもんだし・・・・・・。ユミンはどうだ?」
「んー。私も特に気になるところはないかな?」
見鏡のタロットには首を傾げるダンと唇に人差し指を当て、前屈みに考える仕草をするユミンの姿が映っていた。
ふたりとも特に気になるところは無いようだ。強いて言うならばユミンの寄せられた胸が気になるくらいだろう。
「じゃあ今度は起動させるから。ふたりともよく見てて」
そう伝えて、アビは霊力を集中させる。
じんわりと薄い膜が手を覆い始めるのを感じると共に見鏡のタロットは起動する。画面には生体認証のためかアビの顔が浮かび上がってきていた。
「どう?」
「どうって聞かれてもアビの顔が映ったくらいで別に普通の起動モーション――――」
「あーーーっ!? ダンくんそれだよそれ! あーなんで気付かなかったんだろう!? うんうん、確かにこれはおかしいよねっ」
ようやく気がついたユミンがクイズ番組でアハ体験をした時のような驚きと納得の声を上げた。ダンはまだ分かっていないのかきょろきょろと首を回していた。
「ど、どういうことだよ。俺にも分かるように教えてくれよ!」
「ダン君は今、アビ君の顔が映ってるじゃなくて映ったって言ったよね。それってつまり最初は映ってなかったってことになると思わない?」
「映ってると映ったが違う? んん?」
ユミンがダンのために丁寧に説明するも、ダンはまだ理解に及ばないらしい。
「じゃあもう一回やってみるから、ユミンも確認のためにもう一度見てて」
そう言ってアビはもう一度起動前の見鏡のタロットを身体の前に持ってくる。その画面上にはユミンの言った通りアビの顔は映っていない。先程と同じく後ろに居るユミンとダンの姿だけが映っていた。
「普通の鏡ならここには僕の顔が映るはずで、後ろの二人の全身が映ることはあり得ない。けどこの鏡は違う。本来なら映ってるはずの僕の顔は一切映ってない」
ここまで言えば流石にダンも理解したはずだ。見鏡のタロットが普通の鏡では無いことが。そしてさっきと同じ過程を繰り返し、端末が起動すると同時にアビの顔が浮かび上がる。
「・・・・・・本当だ。ってことは俺やユミンのも同じってことだよな?」
ダンは自分の見鏡のタロットを覗く。ユミンも気になったのか同じく手元を確認する。
結果はすぐに明らかになった。
ダンの見鏡のタロットもユミンのそれにも自分の姿は映っていなかった。
アビがこの違和感に気づいたのは昨日のこと。ユミンが見鏡のタロットを使えるようになった時だった。
その時はこのからくりを見破ることはできなかったが今と同じ現象が起きていたのは紛れもない事実だ。画面上に自分の顔は無く、木や空などの背景だけが反射していた。
「見えないものを見ようとする。まさにこの鏡のことだよ。本来映って見えるはずの自分の顔を霊力を通して見ることができる。そしてその逆も。見えてるものが全て真実とは限らない。なら今目に見えているもので本当かどうか怪しいものもこの鏡を使ったなら――――」
アビは見鏡のタロットを構えたまま角度を調節する。そして目的の風景を画面に納めたところで霊力を込める。
「ここが僕達の目指すゴールだよ」
ダンとユミンがアビの見鏡のタロットを覗く。
そこにはマグマも溶岩も無い、新緑に身を包んだ山が映っていた。
三人は互いに顔を見合わせ、朗らかな笑みを浮かべる。これまでの健闘を称え合うように。苦労を分かち合うように。
だがそれもここまで。
アビ達の挑戦は、沈む太陽と共に終わりを迎える。
「あなた達にしてはよく頑張った方だと思うわ。でも時間よ。約束は覚えてるわよね?」
すっと立ち上がったノアが淡々とした物言いで告げた。彼女にとってアビ達の頑張りなど評価に値しない。出来て当たり前のことを当然に熟しただけに過ぎないのだ。
アビはギュッと唇を噛みしめる。口の中が苦くなったような気がした。
悔しさが込み上げてくる。これが全く歯が立たたずどうしようも無いほどの完敗だったなら潔く諦め切れただろうか?
そんな考えが何度も浮かんできていた。
あと一歩。
最後まで自分たちの力だけで成し遂げたかった。
強く。強く。強く。そう願った。
しかしどんなに渇望しようともその願いが叶うことはない。
今の彼女に慈悲なんて優しい言葉はきっと存在しない。
そうハッキリと分かったから。
アビはゆっくりと首を倒し、ノアとの約束を受け入れた。
アビの承諾にダンとユミンは一切反論の意を見せなかった。ここで抵抗しようものならば、それはアビの決心を傷つける行為に他ならないと理解していたから。
「ついてきなさい」
そう言い残して彼女は背を向ける。
ここから先は約束通りノアの独壇場。口出しはもってのほか。許されるのはたった一つ、服従のみ。
一足早い夜の静けさに四つの足音が響く。