誰だって先の事なんか判りやしない【身売り屋ユーリィの追憶話】
【この娘を赦すべきだと思う者は……】
偉そうな奴が問い掛け、群衆が拳を突き上げながら口を開き、私の生死を決める言葉を叫ぶ。
……これが、私の終わり方……? 両肩に渡された棒切れに両手を縛り付けられ、首に縄を結ばれたまま……高い台の上で、後ろに立った大男が何時でも蹴落とせるように身構えて……
《どちらでも構いません。好きな方を選びなさい》
二択で選ばされたのは、知らない土地でも言葉が通じるようになる綺麗な魔法の石。もう一つは同じ魔法の石だけど、言葉は通じない代わりに一回だけ【本当の事】が判る、ただの石ころ。
生きていく為に必要なのは、どっち? 悩んだ末に言葉が通じる石を選んだんだ。
冷えた路上の片隅で、誰にも知られぬまま死んで、訳も判らないまま生まれ変わったこの場所で、また酷い死に方なんてしたくない。
せめて、前よりはマシな生き方が出来るように、伸ばした手で掴んだ綺麗な魔法の石は、もしかしたら高く売れるかもしれない。そう考えて、握り締めたんだ。
《三度目は有りません。よく考えて生きなさい》
冷たい声が後押しし、振り返った瞬間、そこに居た筈の誰かはもう居なかった。どんな人だったのか、いや本当に人だったのか、判らないまま。
唐突にポン、と足先が地に付いた。
いきなり現れた私の事を、周りに居た人達は全然気にしない。空気みたいに気にされない。それは……少しだけ、寂しいけれど、叩かれたりするよりは、良かった。
此処が何処なのか聞こうとして、考え直した。もし、私が嫌われるような格好してたら、きっと追い払われる。
深呼吸して、周りをもう一度見回してから、真っ直ぐ前を向いて歩いてみる。あ、すごく楽に歩ける。悪かった右足も調子が良いし、フラフラしたりしない。
軽い足取りで歩きながら、近くに見つけた小さな水溜まりの横にしゃがみ込んで、映った自分の顔を見てみた。
……信じられなかった。
潰れて開かない筈の左目がちゃんと見えていて、今さら判ったのにも関わらず、更にびっくりしたのは髪の色!! 煤けてパサパサだった髪はハチミツみたいな金色でサラサラだし、綺麗に毛先も揃ってすごく綺麗……殴られて付いた眼の周りのアザも、焼けた薪を押し付けられて出来た、醜い火傷の痕も……何も無い。それどころか、折れて欠けてた前歯もキレイに生え揃い、ひび割れてカサついた唇もふっくらで傷一つ見当たらない……。
(これが……私? すっごく、キレイ……)
見とれていたのは、ほんの少しだけだった。
散々味わって染み付いた、辛くて惨めな記憶が心の闇からヘビみたいにのそりと顔を出し、警告する。
【……キレイなお姫様が、キレイなままなのは……護ってくれる騎士が、居るからだろ】
そいつは直ぐに本当のヘビの形になると、足から肩へと這い登り、私の耳元でシワシワと囁いた。
【ほら、覚えてるだろ……町一番のべっぴんさん。最期は何処でどうなったか……泥だらけで血塗れになって、丸太みたいに転がって死んでたろ】
背筋が一瞬で冷たくなって、そのまま顔を手で隠そうとして、慌てて水溜まりの中に手を突っ込み、泥を掬って顔に塗りたくった。
(……あんな、死に方する位なら……飢えて死んだ方がマシ……)
心の中で呟くと、ヘビはニヤリと笑い、判ってんならいいさ、と言い残して消えていった。
臆病者だから、あの町では少しだけ長生き出来た。
ただ、運が良かっただけ。そうかもしれないけれど、お陰で学んだ事もある。
非力な娘が、身寄りも無いまま生きるには……誰かに守ってもらうか、自分で自分を守るか……身を売り渡すかしかない。
此処が何処かも全く判らないから、誰かに頼る事も出来ない。身体を売るのは簡単だけど、一歩間違えば縄張り争いに巻き込まれ、知らぬ内に値札を付けられ売り飛ばされる。夜明けの町外れで血を吐きながら、こどもを産んで埋める娘を見た事もある。
私は直ぐに走って町から逃げ出した。
名前も無く、身寄りも無い。そんな娘が夜までのうのうと歩き回ってぶじで居られる保証なんて、有りやしない。
だから、必死になって走り続け、町の外に広がる森へと飛び込んで、人気の無い所を目指して……
……小さな小屋の前に、辿り着いた。
どきどきと鳴り響く胸が治まるまで待って、周りに誰も居ない事を確かめてから、そーっと扉を開けて、中の様子を窺ってみる。
どうやら、森の中で何かをする人が作った小屋らしく、蓋の付いた大きな水瓶と、立て掛けられた手斧、それに小さなストーブの上にヤカンが一個と、小さな棚に幾つかの皿と小鍋。中に有るのはそれだけだった。
「……おじゃま、します……」
小さな声で囁いてから、中に入って見回すと、誰も居ない小屋の中に陽の光が差し込んで、舞い上がった埃がふわりと漂った。
やっぱり、誰も居ない方が落ち着くな、と思ってから、これからどうしよう……と考えた瞬間、
きゅるるる……と、お腹が鳴って、ははぁと力が抜けた。
(お腹が空くのは、いつでも同じなんだな……)
そう思って安心していると、後ろの扉が不意に開き、誰かが小屋へと入ってきた。
心臓が飛び出すか、と思う位に驚いたけれど、怖くて振り向けない。そのまま身を強張らせて立っていると、
「……なんだ、お前……誰だ?」
しゃがれた声で、尋ねられた。
振り向いて声の主を確かめると、背の低いおじいさんが薪の束を床に下ろしながら、機嫌の悪そうな眼で睨んでくる。
「あ、あの……その……」
「……奴隷か? いや、それにしちゃ、小綺麗な格好だな……」
言葉に詰まりながら戸惑っている私に、おじいさんは値踏みするように呟き、やがて飽きたのか、
「まあ、いいさ。盗むモンもなかろうし、好きにすりゃあ、よかんべ」
それだけ言うと、扉を開けて、さっさと出ていってしまった。
「……気付いたら、この小屋の前に居て……勝手に入って、ごめんなさい」
「……んだか。まあ、好きにすりゃあ、よかんべ」
日が落ちてから、行くあても無い私の話を黙って聞いていたおじいさんは、一口タバコを吸ってから、言葉短めに言うと立ち上がってヤカンに水を汲み、ストーブへ載せて薪を入れると手斧で器用に枝を削り毛羽立たせ、タバコの火を押し付けた。
ふーっ、と息を吹き付けただけでめらめらと炎が立ち、ストーブの薪の下に入れただけでパチパチと音が鳴り、あっという間に感じていた小屋の寒さが姿を消した。
黙ったまま、おじいさんはヤカンを退けて小鍋にお湯を移し、袋の中からバターと干し肉を出してナイフで削って小鍋に入れ、ビンの中から何かをスプーンで掬い、一振り落としてから味見した。
「……不味くは無かんべ」
差し出された皿には、ふやけて膨らんだ干し肉が浮いたスープが入っていた。今まで食べてきたモノの中で、上から数えた方が早そうな程に良い匂いがし、一緒に手渡されたスプーンを手に取り、
「ありがとう御座います……いただきます」
手を合わせて呟いてから、火傷しないよう注意しながら慎重に、口へと運んだ。
一番最初に香ったのは、優しいバターの風味。久しぶりに味わう乳製品のコクと味に、思わず眼を瞑ってしまう。ああ、まともな食事は……何時振りだろうか。
続いて舌の上で踊ったのは干し肉の味。どうやら赤身の脂が薄い箇所を選んで干したらしく、若干の舌触りは残るもののホロホロと崩れ、噛まずに砕けてしまう。勿体無いとは思いながら、そのまま飲み込んでしまうと、
「柔らかんべ……旬のイノシシさぁ、じっくり干せば日持ちもするだ」
ぶっきらぼうで訛りの強い口調だけど、悪意の欠片も見当たらない言葉に思わず、美味しい……と口から漏れてしまう。
「……んだか。ほれ、パンも有るでな」
当たり前のように差し出されたパンを受け取りながら、申し訳なさが頭を過ったが、スープに浸したパンが口を閉ざし、言葉と共に胃の中へと消えていった。
手で割いたパンをスープに浸す度に、心と身体が満たされていく。温かい食事が与える心地好さは、私の警戒心を余所へと押しやってしまう。
気付けば二杯、三杯と食が進み、他人と食卓を囲んだ事の無い私は何をすれば良いのかと黙っていると、おじいさんは気にする風でも無く自分のペースで干し肉を割き、何時の間に現れたのか酒瓶から盃に注ぎ、手酌で飲み始めていた。
「あの……お食事、ありがとう御座います」
何も言わないのは悪いと思い、礼の言葉を口にすると、小さく頷いてから再び盃に注ぎ、無言で飲み干した。
それから、私はおじいさんと奇妙な共同生活を始める事になった。
おじいさんは私に、何も求めなかった。言いにくいけど……身体目当てじゃないのは、ハッキリ判ってた。
「あの……何かお手伝い、しましょうか?」
「いや、別に手は足りとる」
何を仕事にしているのか、判らなかったけれど……そう言ってやんわりと断られる。きっと、きっと……陽に当たらないような仕事をしているかも。だって、不意に姿を隠したかと思うと、いつの間に現れて知らないうちに木箱の中の布袋に、堅焼きパンや日持ちする食材を詰め込んだりしてたから。
そんな、穏やかな日はある時、突然終わった。
おじいさんがいつものように居なくなった明くる日、男の人が三人やって来た。
「ここにユーレットさんは居ないか」
前に出た人がそう言うけれど、私は誰の事だか判らなかった。
「……知りません」
正直に言うと、後ろの二人が私の両腕を掴み、紐で縛って抱えるようにして小屋から引摺り出された。
「……もう一度聞く。ユーレットさんを知らないか」
私は首を横に振った。
「……もういい。連れていくぞ」
男の人が言うと、私はそのまま馬車に乗せられて町まで連れ戻された。
何かの間違いだ、きっと他の人と勘違いされている。キチンと説明すれば……解放してもらえる筈。
そう思っていたけれど、私に用意されていたのは無実の証明を弁解する場所じゃなく、広場の真ん中に置かれた高い台だった。
「……どうして!! 私は何もしていない!!」
必死になって叫んでも、誰も助けてくれなかった。
後ろ手に組まされて、太い木材にきつく縛り付けられたまま、私は台の上に立たされた。台の上には風に吹かれて揺れる滑車が付いた棒。
ああ、これは……
判った瞬間、私の首に縄が回された。
【……この娘を赦すべきだと思う者は、前に出よ】
見回す群衆は、一人も前に出なかった。
……なんでよ……どうして……
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてっ!!
わたし……何もしていないのに……
……握り締めた拳の中に、何か有った。
ぎっ、と掌を開くと……ころん、と足元に何かが転がった。
綺麗な、青い魔法の石だった。
どうせ、死ぬのに……何を知るって言うの?
何かを知って、どうなるって言うの?
知って、どうなるの?
知るって、何?
……何故?
私、
知りたい。
その瞬間、足元の石がぱしんと砕け、中から普通の石ころが出てきた。
……
ユーレット翁が引退する前に多額の資産を隠しその在処は誰にも伝えなかった知りたがる様々な血縁者や同業者そして彼の元で世に広められない類いの汚れ仕事に従事していた者は血眼になってユーレットから情報を得ようと探したが既に姿を眩ませた後だったそして執拗に追跡した息子と配下は遂に彼の潜伏先を特定し小屋に踏み込んだが彼は居なくただ一人少女だけが居た彼等は少女から聞き出そうとしたがユーレットの性格を知り尽くしていたきっと資産の在処は少女に教えては居ないならば彼女を公開処刑し罪を擦り付けいずれユーレットを見つけた際に彼を密かに殺害した犯人に仕立てあげようとしていた。
……
あ、あははは。
そうなんだ。
……ふーん。
……へぇ。
私は、全てを、今、この瞬間だけ、知った。
我が身を縛り付けられている木材の木目に沿って表には現れていない裂け目が走っていて、きつく縛られている筈の紐も木材が割れた瞬間、偶然手が抜けられるだけの隙間が空き、たまたま眼を離していた大男がまだ滑車に手に持った縄を掛け終わっておらず、強く踏み締めた踵で爪先を痛めつけられて屈んだ拍子に鼻っ面が後頭部の前に下がり、渾身の力を籠めて振り上げた頭がぶつかり鼻血を噴きながら後ろ向きに倒れ、彼の身体が柱にぶつかり周囲の者を巻き込みながら派手な土煙を立てる事を。
縛られていた両手が自由になった私が、殺してでも足止めしようとするユーレットの元配下の一人に立ち向かい、刺し貫くべく突き出された鋭い切っ先を手にした木片で叩き、僅かに逸れた刃が頬を掠めて血を滲ませながら、右手の親指を眼窩に突き刺しながら顎を左の掌で捻り、頸椎がみじりと断ち切られる感触に閉口しつつ脇を抜けて走り抜け、森の中へと姿を消す結末を……知ったのだ。
「……それで、姐御はその後どうしたの?」
町外れの開店前の娼館。そのロビーのテーブルで私は寛ぎながら、娼妓のキミに尋ねられるまま、今までの事をかいつまんで話した。
まだ陽の光が残る時合のロビーは、私とキミ、そして無口で無愛想な支配人のカーロフの三人しか居ない。暇潰しとばかりに昔話をせがむキミだったが、今更隠すような話題ではなかったので、つい長話が過ぎたかもしれない。
手持ち無沙汰になった私は、隣に座るキミのふさふさとした栗毛のうなじに手を伸ばし、しっとりとした毛並みに指先を漂わせる。キミは眼を細めながらざわざわと柔らかい毛を震わせてから、ピンと真っ直ぐ立った耳をぴくっと動かしてから、ゴロゴロと気持ち良さげに喉を鳴らした。
「……んふ♪ ……って、もぅ! お得意さんじゃないんだから、キミの敏感な所を触んないでよ!!」
今さっきまでの心良さげな態度を一旦引っ込めてから、キッと私の顔を見ながら不平を漏らしたが、私は気にしなかった。
その後ユーレット翁は、事情を聞くと無言で私に資産を譲り、その身一つで築き上げた組織を代替えした。
私は直ぐに保身の為、粛清を始めた。
余計な詮索をする者や、口先ばかりで無能なユーレットの縁者達を悉く葬った。彼に忠誠を誓っていた手下達は、私が望めば手際良く仕事を済ませた。最後まで残しておいたユーレットの息子は、見せしめの為に街の入り口の門柱に、縛り首にして吊るし上げた。以降、私の事は誰も口にしなくなった。
ユーレットは、私の非道な行いに一切口を挟まなかった。ただ、息子を吊るすと決めて打ち明けた時、一言だけ、呟いた。
「……結局、見た通りの結果にしか、ならんのぅ」
私はユーリィ。今は、そう名乗っている。表向きは、娼館の主人として夜を過ごし、昼に目覚める暮らしをしている。
裏の顔は【相手が知りたい事を教えられる】分だけ、金に換えて売り買いする商いをしている。
生き残った私は商いを通して様々な事を知り、知る事で生き延びる為に必要な手段を身に付けた。ユーレットは多くを語らなかったが、徐々に自らを超える存在になっていった私を、実の娘のように扱った。
ユーレットは、もう居ない。
生前の彼を知る者は手下以外少なくなったが、古い付き合いを続ける馴染みの客は、私の顔を見る度に決まってこう言うのだ。
「ユーレットに娘が居たら、きっと跡は継がせなかっただろう」と。
……そこは娘ではなくて、孫と言ってほしいものだ。
「さあ、今夜も稼いでちょうだいな! 仕入先からそろそろ支払いの催促が来る頃合いなんだからね!」
パンパンと景気付けに手を叩きながら、テーブルの脇で油を売っているキミや他の娼妓に発破を掛ける。
そんな私の声に珍しく口許を吊り上げながら、支配人のカーロフが店の入り口に掲げるランプに灯を点す。それを皮切りにキミが通りに出ると、黄色い声で客引きを始めた。
「ねえ、おにーさん! どうせ飲むんだったら、ウチでゆっくりしていきなよ~? お後の楽しみも保証するからさ~♪」
背中から腰元まで剥き出しの格好で、スラリとした脚を大胆に晒しながら道行く一人一人に声を掛け、店の中へと招き入れる。
私はキミを拾ったばかりの頃の痩せこけて薄汚れた姿から、見違える程に変わった今の彼女が繋がらず、小さく溜め息を吐いた。
先の事なんて、誰にも判らない。判らないからこそ、人生は面白いのだ。
「さぁさぁ! 今夜も稼ぎなよっ!!」
【ユーリィの店】は、地味な見た目の色街の店。でも、腕利きの用心棒が睨みを利かせる安心な店。
そして、他人に相談出来ないような事も、金さえ有れば……何とか出来る店。