唐辛子は好きですか
「ここ、どう思います?」
マルクは目の前にある、パンフレット掲載の店を指さして言った。パンフレットにはグレタの「オススメですわ!」とメモがついている。だが、その店の看板は個性的で、唐辛子をくわえた子猫が寝っ転がっているイラストだ。
「激ウマ狂乱薬膳、ですって」
「あの変人皇女の推薦って、本当に大丈夫か」
言われると全く自信はない。ずっと猫をかぶっていたようだが、今日のあの姿を見る限り、正体はとんでもない危険性が大だ。だが、その両隣りは「筋肉飯店」「ラブ・スイーツ」という看板になっている。
筋肉飯店はその名のとおりむきむきした男ばかりが入っていき、出てきてすぐに筋トレに勤しんでいる。ラブ・スイーツはかわいらしい書き文字に各種ケーキやパンケーキのお店のようだが、もう独り者には目の毒だという感じにベタベタとしたカップルばかりだ。
アーシュラは両店を見比べ、ラブ・スイーツの店員と目が合う。
「カップルシートのみ、空いておりますよ」
マルクは筋肉飯店の白衣を着た筋肉おじさんと目が合う。
「待ち時間用に色々とダンベル揃えているぜ」
二人は顔を見合わせると、まっすぐ狂乱薬膳へと入って行った。
中に入ると、店内は香草の強い香りが漂っており、少し年配の人が多い印象だ。着席してメニューを見ると、各料理には「腰痛」「虚弱体質」「胃痛」「不眠症」などの症状が書いてある。
「本当に薬膳の店なのですね」
「それもかなり特化した薬膳だな。先ほどの葛餅団子と同様、煉丹術の成果を反映した店なのだろう」
二人はメニューを眺めるが、とくに健康上の問題はないので効果も値段も高い特級料理を外し、香草を上手く楽しむメニューを眺めていく。
「これはひどいメニューですね」
マルクがぷくくっ、と笑って一つを指さした。その名は「辣麻丼」。唐辛子と山椒をふんだんに使ったひき肉主体の丼物で、なんと唐辛子の本数を調整できるという。今のところ、最多で五十本。この料理のみは残すと罰金として料理の百倍となっていた。
「私は甘い物の方が好きだが、マルクは挑戦してみるのかい?」
「まさか! 料理は美味しく大切に食べるものですよ」
二人は笑ってメニューを読み直す。結局はマルクが鶏肉の香辛粉ローストを、アーシュラは白身魚の香菜揚げを選ぶ。しばらく雑談をしていると、二人の料理が同時に運ばれてきた。
白身魚からはふんわりと甘い香草の香りが漂う。鶏肉からは少し辛そうな匂いがしており、少し辛そうな赤色が混じっていた。
「マルク、辛すぎたりしないかな」
「大丈夫ですよこのくらい。子どもじゃないんだし」
少しむきになるマルクに、アーシュラはまた胸の辺りがきゅっとなる。慌てて目を逸らすと、他の席にいる人たちは料理を分けあっていた。
「マルク。私たちも料理を少し交換しないか?」
マルクはうなずいて小皿に幾らか肉を盛ってくれる。アーシュラも小皿に魚を取った。そこでアーシュラはまた藤かごに手を入れた。
「アーシュラ、今日は研究をおやすみにしたら?」
マルクの言葉にアーシュラははっとする。薬膳や煉丹術と聞くとすぐ探究心が頭をもたげるけれど、今日はそういう日ではない。
そういう時間をいつも過ごしていた。
そういう時間だけをずっと過ごしていた。
色々な人とは関わってきたけれど、それは結局、独りで統魔学を究めるための時間で。
だけど今は。
今は手の届くところにマルクがいる。
アーシュラは手を戻すとてへへっと笑い、白身魚をフォークで口に運んだ。それは見た目と異なって強い旨味があり、それなのにお菓子とは違う優しい甘味のある魚だった。舌触りはふんわりと柔らかく穏やかな気持ちにさせる。
マルクも鶏肉を口にした。アーシュラの心配とは違い、ちょっとした刺激の辛味は熱くなるほどではなく、香りは爽やかなもので食べるほど食欲が湧くような料理だった。
「美味しいね」「美味しいですね」
二人で幸せな気持ちになる。自然と笑みがこぼれて顔が近づいてくる。二人とも鼓動が早くなる。
(いやちょっと待って。なんか調子良すぎ)
先ほどはやらなかったが、アーシュラはこっそりと分析を行った。すると二つの料理が相乗効果で血行改善効果が大きくなることに気づいた。
(なんだもう。がっかり)
アーシュラは落胆しつつも、こうやってほんの少しずつ進む足取りが幸せな時間かもしれないと思い直した。もう料理は残り少なくなっていて、この時間がもっと長く続けばと思う。
「ねえマルク」
マルクに声をかけて手を伸ばそうとしたとき、テーブルの料理が弾けた。
「申し訳ない。ちょっと手が滑ってしまった」
「貴方は!」
マルクは怒りの声をあげる。そこにいたのは煉丹学部長だった。
「ご無沙汰ですな、新入生諸君。私は学部長のソンチャウだ」
沈黙したままアーシュラが左手に魔力を込めると、煉丹学部長は嫌な笑みを浮かべて言った。
「せっかく学生たちが楽しんでいる煉丹フェアを、教官として大切に守りたいものですよ」
ぎりっとマルクは歯ぎしりした。アーシュラが学生想いなことはこの短い間だけでもわかっている。またこの男は人質作戦か。本当にどうにもならない。
だがアーシュラは魔力を消すと、案外と穏やかな笑みで空いている席を指差した。
「学部長先生は愛妻家と聞いたけれど、今日は一人なのか。ついにふられたかな」
「まさか。妻は今、手芸店に行っていてね」
「そうですか。では少し私たちと一緒にご飯でもどうかね」
「アーシュラ!」
マルクはひっくり返された皿を指差して小さく叫ぶ。だがアーシュラは笑顔で言った。
「マルク君、そんな顔をしないで。さてソンチャウ、座れ」
アーシュラが言った途端、学部長は落ちるかのように着席した。怪訝な顔をしている学部長に続ける。
「美味しい料理を食べたいだろう。辣麻丼なんかどうだ。唐辛子六十本大盛りだ」
学部長は怒りの表情で目を見開き、だが表情と噛み合わない感じで口を開いた。
「何をば……店主、辣麻丼、唐辛子六十本大盛りで!」
「あいよ! さっすが煉丹学部長、当店最高記録に挑戦だあ!」
うおー!と店内に歓声がかかる。それほど待たずに店長自ら真っ赤な丼を持ってきた。
「こんなの食え……食べたくてたまらんぞ!」
脂汗を流し泣きながら丼を食べ続ける。マルクは呆然と学部長を見つめ、そしてアーシュラにおそるおそる視線を向けた。
「私が何も仕掛けずそのまま学部長に置いておくわけがないだろう。煉丹術にて魂魄の境界に手を入れ、支配の魔法陣を書き込んでおいた」
学部長が絶望の顔に変わる。アーシュラはマルクが初めて見る酷薄な笑みを浮かべた。
「なあに、統魔術をしっかり勉強すれば自己解呪もできるぞ。逆に私と本人以外が解呪しようとすれば肉体が爆発五散するがな。あと、私に害意を抱けば抱くほど魔法陣は広く深く書き込まれるぞ。楽しみだ」
学部長はさらにうめき、辛さのあまりひっくり返した皿の残り汁を口にする。
「はしたないなあ、学部長は」
くくくっと笑い。ふとマルクと視線が合う。
マルクが睨んでいた。
「今回は、僕も仕方ないと思うけれど」
マルクの言葉にアーシュラは慌てる。
するとちょうど学部長は辣麻丼を完食し、その場に泡を吹いてぶっ倒れた。
歓声の響く中、二人はお会計を済まして店を後にした。その間、マルクは一言も発しなかった。




