暴走ライブの問題児
「ごめんなさい、遅れました?」
「いや、私もさっき着いたところだ」
中央広場で、マルクはアーシュラに駆け寄った。今日のアーシュラはミントグリーンのフリルワンピースに純白のカーディガンを羽織り、足元はワンピースと色を合わせたミュールを履いている。ツインテールの根元にはミントの葉を模した髪飾りをつけており、手には小さな藤かごを提げている。
全身をかわいらしく固めているが、腰のベルトだけは少し無骨な銀の鎖を締めている。マルクはアーシュラの全身を見てちょっと緊張した面持ちになった。
「変だった、かな」
「いえ、すごくかわいらしいと思います! それに、あの」
マルクは腰のベルトを指差す。アーシュラは少し不安そうに答えた。
「ジャポニナ諸島国では、もう使っていないのかな」
「そんなことありませんよ。母も妹も祝祭で使っています。ちょっと何というか、まだ進学したばかりなのに」
マルクは少し寂しそうな表情を浮かべた。軽いホームシックを起こしかけたのだろうか。だがすぐにマルクは笑顔で続ける。
「ここで故郷のものを見られるとは思いませんでした。なんか、うれしいな」
「私も、この鎖を語れる相手が学園にいてくれて嬉しいよ。百年前、ジャポニナ諸島国からは学生がいなかったからね。今もなかなか進学しないようだけれど」
「難しいですよ。遠いですし弱小国ですから」
「弱小国……そうだね、弱小国だ」
ふとアーシュラは視線を逸らして空を仰いだ。だがすぐに笑顔を浮かべて再び言った。
「さあ、祭りを楽しもうか」
腰の鎖は二人をつないでくれる、そんな甘い想いがうっすらと二人に漂っていた。
「これは何だろうか」
黒い汁をかけた半透明のスライムを煉丹学部の女子が販売している。見ていると何人かの女子がそのスライムを食べているではないか。
「スライム、ですかね」
やはりマルクも同じ意見のようだ。すると販売員の女子が笑って言った。
「これはスライムじゃないよ。クズ団子ですよ」
「クズ? ゴミ?」
「違う違う! 葛って植物があるんだよ。その粉を水で練るとこんな透明な団子が作れるんだよ。それから黒いのは汁じゃなく黒蜂蜜だよ」
「黒蜂蜜か! よくこんな希少なものを使っているね」
「君、新入生のわりに勉強しているね。でも希少な黒蜂蜜をそのまま使っているなら出店できないんだよ」
学生の言葉に二人は顔を見合わせる。次いでアーシュラは目を細めて藤かごから水晶製の三角錐を取り出すと団子の上で回転させて何かを唱えた。
「土は水を濁す。相克の乱れを木気たる植物性の団子にて打ち消すか」
アーシュラのいきなりの問いかけに、学生はぽかんと口を開けた。
「間違っていたかな」
「いや、大正解だよ。この黒蜂蜜は土から取った成分を水、つまり蜂蜜に加えた合成品だよ。でもすぐ分離してしまうんだ。それを君の言うとおり、煉丹術の力で安定させているんだけど、さ」
アーシュラは自慢げにうなずいて一皿買い、マルクと半分こする。
「ご購入ありがとうございます、だけど本当によくわかったねえ。君、優秀だね。さすが大魔導師アーシュラ様と同じ髪型をしているだけあるね」
マルクは苦笑してしまう。まさか彼女がその本人だとは思わないだろう。それと同時に、こんな遊びの日でも分析道具は持ってきている辺り、さすがだとは思う。
「マルク、美味しいぞ。君も食べると良いよ」
「ありがとうございます。でも頬についていますよ」
「何、ちょっと恥ずかしいな」
アーシュラが顔をしかめると、学部生が小さく笑って言った。
「せっかくだから彼氏にとってもらったら?」
「かかかか彼氏、だと」「あああの、僕たちただ、同期生だってだけで」
慌てる二人に、だが学部生は笑って言った。
「初々しくてかわいいね、二人とも」
二人はともにもじもじしながら顔を見合わせ、そして笑った。
何軒か回って歩き、そのたびにアーシュラは煉丹術の視点でマルクに説明を加える。本人はデートのつもりのはずだが、いつの間にか補習状態だ。それでもマルクも初めて聞く煉丹術の話が面白く聞いていた。
広場の外れに人だかりを見つけ、二人はそこに寄って行った。そこでは何か轟音が鳴っている。聴き慣れない音楽のようだ。二人ともそれほど背は高くないので近づかないとよく見えない。
「アーシュラ、前に行きましょう」
マルクは先ほどまでのお礼と思い、人混みの抜け道を探してアーシュラの手を取った。
「はぐれないようにしなきゃ」
「そっそそそそうだね」
いきなり手を握られ、アーシュラは真っ赤になっているがマルクは気づかない。そのまま身を縮めながら二人は人の波を縫うようにして前へと向かう。アーシュラが駆け足のせいか手の温もりのせいかわからないほどの動悸に戸惑い始めた頃、ようやく先頭に到着した。
「ねえマルク君、君さ」
「アーシュラ、ちょっとあれ」
おずおずと手のことを言おうとしたところ、マルクはアーシュラの言葉を遮って目の前の舞台を指さした。
舞台の上では、魔法の光と煉丹術による香気を含んだ煙幕が展開していた。両脇には竪琴を抱えた男が、竪琴とは思えない速弾きで乱暴な轟音を発生させている。そして中心には。
「さあ野郎ども! 我が暗黒の歌に泣き叫びひれ伏せぇぇぇっ!」
太ももまでの丈しかない黒革のパンツ、上半身はトゲ付きの黒革のコートを着て、頭には山羊のような角を生やしている女が絶叫していた。その顔は見慣れた顔だ。
「あれって、間違いないですよね」
マルクは目をごしごしこすって見直す。さすがのアーシュラも自分の頰をつねってあらためて見直す。
「殿下! 殿下! いっけーいっけー悪徳皇女!」
掛け声がかかる。間違いない。あそこで叫んでいるのはロマナ帝国第四皇女、グレタその人だ。
「グレタ先輩って、帝室の方針で正しい服装しか着られないと言っていたはずなんですが」
「なんか一応、グレタじゃないことになっているみたいだぞ」
呆れた声でアーシュラは舞台を指差す。そこには「悪魔皇女グレレータ」という看板が立てられていた。
「あれっていったい」
「あの看板だけで、私はグレタじゃありませんのとか言い逃れする気じゃないのか」
「いや無理あるでしょう、それ」
「でも変人皇女だぞ?」
アーシュラの言葉でグレタの通称を思い出す。変人皇女とはちょっと失礼だと思っていたが、こういうことか。二人が驚いているうちに曲は進み、そしてようやく音が止んだ。会場全体に拍手と掛け声が巻き起こる。
と、宮廷服をまとった初老の男がいきなり舞台に飛び上がった。
「殿下! これはどういうことですか!」
「みんな、大変だ! 聖騎士が襲撃してきたよーっ!」
グレタが叫び観客が帰れコールを巻き起こす。
「魔王討伐の聖騎士から私を守ってくれーいっ!」
ふざけた声にまた掛け声がかかる。初老の男は観客側を振り向いて叫んだ。
「私はたしかに聖騎士だが、魔王討伐ではありませんぞっ! ただの教育係です!」
やりとりを見ているうちにアーシュラとマルクも流れが読めてくる。
「あれはグレタの教育係なのだな」
「不幸ですね」
二人は、ついに観客たちに追い払われた聖騎士を哀れむ視線で見送った。その間、二人はずっと手を握ったままでいた。




