冒険者になってみよう
泉から戻って一か月後、後期授業の日程が発表された。アーシュラとマルクに配られた資料の中には「一般教養選択申込書」が入っていた。
「一般教養なんて授業があるんだ?」
アーシュラとマルクは選択授業の一覧表を眺めて考え込んでいた。マルクは普通に入学した一年生なので当然、一般教養の単位は満度にとる必要ががある。
「私はロマナ帝国の魔法学校を卒業後に入学していますので免除になっていますの。それでも興味のあるものを少しだけ取りましたけれど」
グレタは少しだけ自慢げに言って微笑む。アーシュラも免除はできるのだが、アーシュラ自身も百年の間で変わった常識や文化に自信がないので、免除関係は初めから申請しなかったのだ。
「一般教養は、広い視点で取得することをおすすめします。私はこれでも帝室皇女として音楽やダンス、儀礼などは学んでおりましたので、学校では芸術や文学を学びましたの」
「なるほど。私なら流行の問題もあるから、音楽などは大事かもしれないね」
うなずくアーシュラに、グレタは満面の笑みで答える。
「それで私、音楽に目覚めまして破壊の音楽ライブを思いつきましたの」
「グレタ先輩、それってどうみても『一般』教養というより特殊教養とか何かじゃ」
「教養とは見識を広めることですわ!」
押し通す気らしい。二人は早々にこの先輩の助言を鵜呑みにするのは避けることにした。続いてアーシュラは一覧表の一点で指を止める。
「なんで私のリストで『一般倫理』に丸印がついているんだ」
「そういえば私も今年、それに丸がついておりました」
「僕はついていないよ」
三人で顔を見合わせる。マルクは二人の顔を見比べ、小さな声で言った。
「たぶん、ダナ先生が受けてほしい授業なんだと思うよ」
そしてとってつけたように言う。
「うん僕も興味があるから受けようかな、ねえアーシュラ」
「取り繕わなくていいよ。あれだろ、私もこの暴走皇女と同類だと、君は思っているわけだろう」
グレタは眉をひそめて低い声で言った。
「それって何か、皇族たる私の倫理観に問題があるように聞こえますわ」
「黙れ停学前科者」
黙った。
マルクは苦笑しつつ、他の科目を眺めていく。数ページをめくってから目を輝かせた。
「ねえアーシュラ。この『冒険者概論』って面白そうじゃない?」
アーシュラは科目の中を読んでうなずく。
「危険な魔獣の居住範囲や地下迷宮の踏査技術か。私は元冒険者だから要らないと思っていたんだが、冒険者ギルドとか標準迷宮地図とか、知らない話があるね。私のときは地図なんて冒険者ごとにばらばらだったんだ」
二人は顔を見合わせ、冒険者概論に丸をつけた。
「大魔導師アーシュラ校長先生の御足跡を、皆さんはよく学ぶように」
広げた冒険者概論の教科書の冒頭に、百年前の礼服をまとったアーシュラの姿が描かれていた。そして教師は当然のように、それを理想の冒険者とたたえる。ほめる。ほめちぎる。
冒険や研究成果だけではなく「実は歌が上手かった」「とても美しく普段は柔和な女性であった」と語り出す。
「君、そういえば同じアーシュラという名前だったね? 最初の講義で机に突っ伏して居眠りとは感心しないね」
先生は平然とアーシュラを指導する。本物のアーシュラであることは、教師たちでもダナと魔法学部長、煉丹学部長ぐらいしか知らないのだから仕方がない。
「アーシュラ、ちゃんと起きた方が良いよ」
「ばかにされたり叱られるのは腹が立つが、無駄にほめられすぎるのも、なかなかつらいぞ」
顔をあげたアーシュラは耳まで真っ赤になっていて、マルクは笑ってしまう。アーシュラはぷうっと頬を膨らませてマルクに無言で抗議した。するとますますマルクは吹き出してつぶやく。
「たしかに、アーシュラは美しいっていうより、子どもっぽくてかわいい感じだしね」
突然の「かわいい」という台詞で、アーシュラの顔は余計に真っ赤になる。
(マルクはっ! こういうときに急になんていうか、なんていうか!)
素直にありがとうと大人の余裕を返せれば良いのに、上目遣いでにらんでしまうのだから仕方ない。マルクも少しどきりとしてしまい、慌てて正面の黒板に視点を集中する。
授業はようやくアーシュラの話を終え、一般的な冒険者の話に移っていた。
主にアーシュラが冒険者として活躍していたのは、もう百六十年以上も昔の話だ。魔法学園の創立後、実習の一環として行っていた小冒険や学生アルバイトの手配の仕組みが、今は世界中の冒険者ギルドの元となっているという。
「ということから、皆さんは当該講義の登録手続時に冒険者登録を同時にされているわけです。もちろん、貴族の方などで登録に問題のある方は、卒業と同時に冒険者登録も抹消可能です」
「面倒臭い貴族様もいるんだね。冒険者登録をしておくと身分証になるし、便利なんだけどな。グレタ先輩は卒業後も冒険者をやりたいって言っていたのに」
「貴族が面倒なのは同意だが、グレタは王族や貴族の中では例外中の例外だぞ? あれを普通だと思わない方が良い」
マルクの呟きに、アーシュラは慎重そうに注釈する。マルクはわかっているよ、と当然のようにうなずいた。本人が聞けば、なぜ当然のようにうなずかれるのか首を傾げるかもしれないが、そこがまた一般倫理を必修にされる所以の一つである
講義内容は一般的な冒険者ギルドの説明に入っていった。この第一回の講義は、授業の導入と冒険者ギルド加入者への基本説明を兼ねているわけだ。
全員の机に冒険者ギルド票が配られる。手をかざすと、所属には「魔法学園」と所属コース、学年、出身国、氏名が表示される。
「皆さんは学園と実家を出入りする都合もあるので出身国を登録していますが、居住国を登録することが一般的です。とくに何か事情があって冒険者稼業を行っている者は確実に居住国の方を登録しているので、この欄は参考程度に思っていてください」
アーシュラの手元を覗くと、出身国はジャポニナ諸島国になっていて、マルクはなんとなくうれしい気持ちになる。やっぱりアーシュラは同郷なんだと、ほっとした想いがわいてきた。
続けて、討伐記録等が自動で記録できる機能などの説明がなされる。また、前科は強制的に記録されてしまうそうだ。さすがにそれは誰でも見られるわけではなく、本人が自分で表示するか、冒険者ギルドや各種役所のみが閲覧できる仕組みになっているそうだ。
「まあ、私なら全部見られるけどね。この技術は学生の停学処分や謹慎処分の記録用に私が開発したままだ」
アーシュラは意地悪い笑みを浮かべる。マルクは少し冷や汗をかきながらささやき声で返した。
「その機能、僕は使われずに卒業したいなあ」
「マルクは良い子だから大丈夫だろう。まあ、うちのコースには既に使われた姫様がいるが」
グレタの顔が描かれた手配書が頭に思い浮かび、思わずマルクは吹きだして慌てて周りを見回した。大丈夫、先生には気づかれていない。
さらに授業は進み、最後に先生は学園内冒険者ギルドに行くよう告げた。そこで何か一つ、仕事を請け負ってこなせということらしい。期限は一週間、次回の授業までとのこと。パーティでも単独でも良いが、パーティの場合は単独ではこなせない依頼に調整されるとのことだった。
「とくに貴族出身者は、身分の低い子に困難な部分を任せるようなことを、厳に慎むように。あと、男女のパーティもやってあげようなどというのはいけませんからね」
注意に二人は顔を見合わせ、アーシュラはほほ笑んだ。
「私は成長を促す主義だから全部をやってあげようとは思わないので、大丈夫だぞ」
「逆に僕がって場合も」
「さすがに何もしないとつまらないだろう」
アーシュラの言葉にうなずき、二人はパーティを組んで課題をこなすことにした。