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皇太女殿下、襲来

 ロマナ帝国第一皇女の表敬訪問の日。アーシュラは百年ぶりの礼服に袖を通していた。礼服と言ってもこの学園でのみ制式とした礼服で統魔服と呼ばれ、アーシュラが復活したときに着ていたものに近いデザインだ。

 木霊蜘蛛の吐く糸で織った布で、動きやすい煉丹術師の道着を基本形としている。背中には魔術師の象徴たる黒マントで、内側の糸のみは魔力を込めた虹色の糸となっている。これは二枚の布を貼り合わせたものではなく、織物とする段階で裏表が別の素材となっているのだ。

 手にも道着と同じ素材の手袋をはめ、甲には右手にルビーを、左手にはサファイアを配して水と炎を象徴している。胴には細い鎖を何本も組み合わせて編み上げたベルトだ。その金属はチタンとプラチナの合金で、化学反応はもちろんのこと魔力にも内丹術も妨げない素材となっている。

 足元は大理石と黒檀を統魔術で練り合わせたという、存在自体が異常としか思えない素材でつくりあげた漆黒のブーツでどこにも縫い目がない。これだけはアーシュラが自分のために作った特別製の靴だ。

 腰にはミスリルの魔法杖を差し、首からは鼎と魔法杖を組み合わせた意匠のネックレスを下げている。このネックレスもただのネックレスではなく、アーシュラの魔力で鼎を展開できる秘宝だ。そして最後に彼女は一瞬だけ迷い、頭に細い金色の輪を被った。輪の正面にはダイヤモンドがあしらわれていた。

「全身が統魔学の秘宝博覧会ですね」

 ダナはアーシュラのいでたちを見て興奮した声をあげる。ダナも文献で存在自体は知っていたものの、とくに靴などは存在自体が大げさな嘘だと思っていたのだから無理もない。

「紫電王国とロマナ帝国という大国相手に、たかが研究者風情が独立国を認めさせるハッタリで着た服だったんだがね。それ以降、数十年にわたって制服のようになってしまったんだ」

「ハッタリですか。希少なものばかりですものね」

「ああ、ハッタリだ。暴力のハッタリだ」

 アーシュラは悪い笑みを浮かべ、右手に魔力を、左手に陰陽を浮かべてダナの目を覗き込む。ダナの体にひどい重圧がかかり、全身から苦しい汗がふきだした。

「この服の本質は戦闘服だ。統魔学は机上の数学のみが本質ではない。『倒舞(とうま)学』なのだよ」

「倒舞、学」

「世界総ての権力者を舞わせ倒す力だ。魔術と煉丹術の限界を超える術式で邪龍すら屠るのが我が統魔術だ」

 ダナはまた背中に嫌な汗を感じる。学問研究も極端に高いが、戦闘を語るアーシュラはやはり恐ろしい。自分はマルクを導き、とんでもない危険な存在を復活させたのかもしれないと不安に思う。

「あの変人皇女は常識をどこかに置き忘れているが本質は善人の実務者だ。むしろ聖人かもしれない。だが今日来る奴は政治家だろう。なら相応の礼のある服装をしないとな」

 相手が礼を失したらその場で戦争でも始める気か。

 今日の表敬訪問に、アーシュラをふにゃふにゃにしてしまうマルクを同席させたいと思う。

 この人物、否、人の領域を超越した「これ」が恐ろしい。

 ダナは、味方のはずのアーシュラを恐れた。


「初めまして。私はロマナ帝国第一皇女であり皇太女のクリスティーナ・ド・ロマナですわ」

 表敬訪問が始まった。アーシュラと第一皇女は大会議室で相対していた。グレタは小さくなって部屋の端に丸椅子を置いて座っている。この椅子はクリスティーナの指示だ。

「こちらこそ初めまして。校長のアーシュラだ。大魔導師と呼ばれることもある。あと」

 言ってアーシュラは両手に力を込め、魔力と煉丹術の力を解放する。両の瞳に魔力と内丹の入り混じった力が湧き上がり、クリスティーナの脇に立っていた精鋭の護衛がその場に膝をついた。

「ほう、第四皇女は研究者や実務作業には優秀だがうつけ。第一皇女殿下は、荒事も得意とみえる」

「姉妹ばかりですが、一人は軍を掌握できませんと。その妹に荒事はできませんわ」

 二人は嫌な笑い声をあげて睨み合う。今、グレタとダナの目には化物二体が力比べをしているように見えていた。

「私は今、軽く統魔術で精神回路の一部をなでて差し上げたのですが」

「優しくなでていただいて嬉しいですわ。私、こう見えて気持ちは強い方ですのよ? 残念ながら帝室親衛隊にはもう少し優しくなでていただいた方が良かったようですが」

「けけけけけけ」「おほほほほほ」

 二人以外が全員だらだらと汗を流す中、二人は感情のない笑い声をあげた。そしてようやくアーシュラは統魔術を解除する。そしてようやく全員が顔をあげた。

 二人は着席して全体を見回す。そしてクリスティーナは親衛隊に告げた。

「この方、本物のアーシュラ大魔導師、滅国級以上ですわ」

「懐かしい階級だな」

「まさかそんなものが本当に存在するとは思いませんでした」

 ダナは二人に紅茶をいれつつ口を挟んだ。

「あの、滅国級というのは」

「我が国では脅威となりえる存在をいくつかの階級に分けております。例えば紫電王国は、我が国と総力戦となれば我が国を滅しかねないので滅国級ですの」

「あの、それって」

「アーシュラ大魔導師の邪龍討伐伝説など正直、どうでも良い話ですの。アーシュラ大魔導師本人が二大国の総軍並みということです。正直に言いましょうか。化物、魔王、悪夢の現臨」

「わかっているなら、この学校に余計なことはなしにしてくれ」

「ご安心を。我が帝室の愚妹を預けておくだけでじゅうぶんですわ。貴女なら他国と組むことはないでしょうし」

 言ってようやくクリスティーナは普通のお姫様の表情に変わった。

「皇帝陛下はひどい重責を娘たちに預け、次女は社交界に夢中、三女は卑近な権力に興味、そして四女に至っては停学処分。私、煉丹学部で胃薬でもいただいて帰ろうかしら」

 冗談めかして言っているが目が本気だ。ダナと目が合い、クリスティーナはふっと笑った。

「何か校長代理先生には親しみを感じます」

「きっと胃薬仲間なんだろう」

 アーシュラの言葉に全員が眉をひそめる。元凶がそれを言うのかと言いたいが、先ほどの精神魔法の影響が残っていて軽口を叩く余裕は誰もない。

「さて、私の公務は終わりました。続けて家のお恥ずかしいお話をしましょうか。マルグレーテ」

「はい! お姉様」

「今さらですが、ロマナ帝国皇女としての自覚をお持ちなさい。アーシュラ様との縁は我が国にも利点ですからこのままで構いません。ただし当面は帰国を認めません」

「承りました、お姉様」

「あら珍しく素直ですのね」

「皇帝陛下が、余計なことを止めて帰国し入籍せよと仰ったらと危惧しておりました」

 途端にクリスティーナは哀れむ視線になり、周囲を見回すと打って変わって子どもっぽい口調で言った。

「その心配は全くありませんわ。いえ、もうなくなりすぎて私、泣きそうなんですけれど」

「あの、お姉様が泣きそう?」

「こちらに来る直前に、貴女の婚約者である公爵家からお手紙が届きましたわ。『当家は帝室の皇女殿下を受け入れるに器が小さすぎるため、謹んで婚約を返上したい』と」

「あの、それは」

「平たく言えば、公爵家は第四皇女が非常識すぎて預かるなんて無理なので婚約破棄しますおばかさん、ですわ」

「婚約、破棄」

「数代前まで遡っても、陰謀も戦争もなしで婚約破棄された恥ずかしい皇女なんてグレタ、貴女だけですの。当面は貴女を受け入れる貴族なんてありませんからご安心を。実務能力は惜しいですが、まずは人としての常識を身につけてから国境を越えてくださいません?」

 グレタは真っ赤になってうつむき、珍しくアーシュラはグレタに同情した。ふと、自分がマルクとの縁を切られたら、たしかに滅国やら魔王と呼ばれるものになりそうだと思った。

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