恋にとっても効く薬
「短い実習ではあるが、今日の出会いに乾杯したい」
オウリュウは鞄から両手で収まるほどの小さな鼎を取り出した。鼎は煉丹術で使う四本の脚がついた釜で、普通は鉄なのだがオウリュウのそれは鉄とは思えない銀色に輝いていた。とたんにマーシャルは声をあげる。
「良い品だね。それは煉丹術で保護した銀じゃないか。高額品で、僕の実家だと仕入れに父の決済が必要だぞ」
「俺の実家は代々、内丹術を駆使して戦う闘士の家柄でね。ああ、闘士を知らないか。ロマナ帝国でいう騎士だと思ってくれれば良いよ。だから入学のとき、実家からこれを持たされたんだ」
次いで自分で採取した鹿の角をおろし金で削って鼎に入れた。次いでマーシャルとマルクに、同じく採取したものを求める。マーシャルはイチジクを、マルクはザクロを提供した。オウリュウはそれらの果物を潰して入れ、さらに鞄から竹筒を取り出して水を加えた。
オウリュウは地面に陰陽の印を描き、その上に鼎を地面に置いて踊るような足踏みを行う。煉丹術特有の魔除けの歩法だ。そして呪文を唱えると、描いた印から金色の炎が立ち上がった。
ぐつりぐつりと湧き立ち、水面に薄桃色の灯が灯ったとき、オウリュウは火を消した。そしてさらに鞄から三つの銀製の杯を取り出した。
「我が国の煉丹術師に伝わる友情の儀式でね。出会って各々が初めて採取したものをまとめて煉丹し飲用すると友情が深まると言われている。まあ、煉丹と言っても絆の運命が深まる程度だ。とくに俺たちのものは薬と言うよりはフルーツジュースに近いしね」
マーシャルもマルクも小さく笑い、できた煉丹薬を口にする。たしかに温かいミックスジュースの風味だが、ほんの少し薬臭い感じがする。
「鹿の角が少し邪魔な風味となっているかな」
意地悪な表情でマーシャルが言うと、オウリュウは怒ることもなく言い返す。
「何の癖もない組み合わせでは、個性も違いも出せないだろう」
「違いがなければ安物になるね」
マルクもオウリュウに乗っかってマーシャルを突いた。マーシャルは額を叩いて笑う。
「まさかマルクに商売のネタで言い負けるとは思わなかった。何とも楽しい実習仲間だった」
三人はそろって笑った。
友情を温めるという名の余計な時間を使っていたため、三人は集合時間ぎりぎりになってしまった。三人で慌てて集合場所に走ると、そこでは学生たちの叫び声が飛び交っていた。
「グレタ様あああああああっ! 私の愛を受け入れてええええええっ!」
「マルグレーテ殿下! 母国で変人皇女と笑っていた俺はバカだった。殿下に命を捧げます!」
「グレタ。貴女にあの婚約者は相応わしくない。私と結婚するなら君を一生、大好きな統魔学に没頭させてあげようではないか!」
「マルグレーテお姉様! あのような男に引っかかってはだめですわ! 婚約は私と! マルグレーテお姉様なら神も女性同士の結婚も許されますわ!」
「アーシュラちゃんかわいいアーシュラちゃんかわいいアーシュラちゃんかわいい」
「アーシュラ先生の講義を二十四時間受けたい。脳が破裂しても」
広場の中心には、小さな魔法陣のモザイクで描いた巨大な陰陽印が天空と地面に描かれており、その間でグレタとアーシュラが背中合わせに立って魔法杖を構えていた。
三人が慌てて立ち止まると、ダナが艶気のある仕草で近寄ってくる。
「私の学生たちは本当に魅力的な子たちだわ。マルク君は惑わされちゃいけないわよ。私もう、アーシュラ先生への真実の愛に目覚めたわ」
目覚めたどころか惑わされているのは校長代理の方だ。三人は後ずさる。と、アーシュラから声がかかった。
「君たちはまだ正気なのか。どうなんだ」
三人は顔を見合わせ、オウリュウが代表して叫ぶ。
「何が何だかわからんが、他の連中のように何か叫ぶ気にはならんぞ!」
「よし三人ともこっちに来い!」
三人は人波をかき分けて進む。妨害しようとする武闘派はオウリュウが退け、危険な魔法を放つ学生はマーシャルが跳ね返し、マルクはアーシュラが示す統魔術特有の見えない光を辿って道を示す。
何とか三人は統魔法陣に辿りつき、そのままグレタに引きずり込まれた。
「よしここなら安心だ。しかし君たち、よく大丈夫だったな」
「アーシュラ、これは何なんですか」
マルクの問いにアーシュラは視線を逸らし、次いでグレタの脇腹を肘でつついた。
「せっかくの採取実習ですので、成果品で高級な香水を調合しただけですわ」
「香水は単に心地よくするだけでしょう」「高額な御禁制品を香水と言いますね」「どう見ても悪質な煉丹薬だ」
マルク、マーシャル、オウリュウが次々と冷たい声を発する。
「少なくとも禁制品ではありませんし煉丹薬でもありませんし皆さん心地よいはずですわ」
冷や汗をかきながら言い訳をするグレタ。だがすぐにアーシュラが言った。
「たしかに新薬だから禁制の法律がまだないし、統魔術で魔法も融合しているから煉丹薬でもないし、麻薬並みに精神に影響しているから心地よいだろうな」
「これはアーシュラのためを思って!」
「だから人の気持ちや愛なんてものは自然が一番だと言っただろうが!」
アーシュラとグレタの言い合いにマルクは声をあげた。
「愛が、何かしたんですか」
「なななななななにもしないぞ?」
とたんに不自然な声を発するアーシュラに、マーシャルはほう、と呟いて苦笑する。オウリュウはマルクと一緒に首をかしげ、再び外を眺めた。
「よくわからないが、煉丹術の文献にある媚薬の反応に似ているのだが。ただこんな狂った効果はないぞ」
アーシュラは溜息をついて言った。
「それだよ。ただしグレタ謹製の特殊なレシピで、さらに間違った魔法を組み込んだ統魔薬を、すっ転んで私と自分に浴びせてしまったんだ。で、君たちは何でこんなにぎりぎりの時間に?」
三人は代わる代わる、先ほどの友情煉丹薬の話をする。するとアーシュラは中空に複雑な図形を光で描いて矢印で繋ぎ、さらにその間に煉丹術の青龍、玄武、白虎、鳳凰の印を挟み、そして魔法陣を一行に解体した文章を描いて最後に猛烈な勢いで計算する。
「すごい偶然だな。君たちのそれって穏和な媚薬成分で、その拮抗作用で耐えたんだ。幸運があがるというが、ひどく幸運だよ君たちは」
三人は顔を見合わせてほっと溜息をつき、そしてアーシュラの描いた分析を読んだ。そして揃って落胆する。
「煉丹術でも理解できない箇所がある」
「魔法なのに読めないや」
「計算が途中でできなくなったよ」
三人の嘆きにグレタは笑みを浮かべて言った。
「三人とも仲良くなれて良いことですわ」
「「「「反省が足りない!」」」」
アーシュラも含めた四人の怒号が統魔法陣の中で響き、慌ててグレタは肩をすくめて全員から視線を逸らした。
アーシュラはふむ、とうなずくと地面に手をあてる。地面の一部が盛り上がり、一抱えほどある黒い鼎が現れた。
「三人とも、さっき言っていたものをこちらにくれ。持ってきた個数はこちらの紙に記録しておくんだ」
言われて三人は鞄から鹿の角、イチジク、そしてザクロを取り出し、アーシュラのサインが入った紙に名前と個数を記録する。アーシュラは記録を終えた紙を書き換え不可能な透明な板に硬化して鞄にしまいこんだ。
「この記録板は教師でも書き換え不能だから、成績証明になるので安心してくれ」
次いで受け取ったものを鼎に放り込み、左手に風の魔法を、右手に水の魔法を起動して水を加えながら細切混合する。そしてオウリュウが使ったものと同じような炎を鼎の下に出現させ、そして中空に複雑な碧く輝く魔法陣を何重にも描いた。それらの魔法陣は次々と鼎の中に取り込まれて青い光を放った。
「さあて、これで解毒薬ができたはずだ、たぶん」
「たぶん、なのか」
オウリュウが不安そうに声をかける。アーシュラも顔をしかめて答える。
「私だって間違った魔法陣を全部解析なんてできるものか。君たちが耐性を示したから逆算で作っただけだ。もう失敗しても私は知らん」
そして鼎を魔法で中空に浮かべ、統魔陣よりさらに高く掲げると両手で魔法を放った。鼎が破裂して中の薬が霧状になって降り注ぐ。薬を浴びた学生たちはいったん呆然とし、そして各々が気の抜けた表情に変わっていった。暴走していた教師たちも正気を取り戻したのか、慌ててまだ暴走している学生を取り押さえる。
そして眉をひそめた校長代理がずんずんと走り寄ってきた。
「こうちょ、じゃないアーシュラ先生。これは二年生のマルグレーテの仕業ですか?」
「私、その、ちょっとしたなんと言いますか。おちゃっぴい?」
冷たい視線が五人に変わる。そしてアーシュラが告げた。
「まず解毒成功ってことで、ひとまず仮停学かな」
グレタがその場にくずおれた。




