少女の背中
天災的な天才女子チームが心の迷路を辿っていた頃、マルクは初めての学部学生との交流をしていた。マルクが平凡な自己紹介したあと、背は高く胸板の厚い茶色短髪の男子が自己紹介する。彼は武道着のような服をまとっていた。
「俺は煉丹学部のオウリュウ。母国の紫電王国では『王龍』と書く。薬を調合する外丹術より、体内で気を練り術を使う内丹術の方が得意だ。武道も好きだぞ」
もう一人、ぽっちゃり体型の銀髪男子が軽い調子で手を上げた。彼はジャケットを着て魔法杖を腰に下げている。
「僕はロマナ帝国出身のマーシャル。実家は商人で、魔法学は商売のために勉強しているよ。魔法で貧乏人が減ると、みんなもっと儲かるとか思っていてね」
マーシャルの言葉に、オウリュウは首をかしげた。
「商人なら自分の商売の最大化が最初だろ?」
「貧民だらけじゃ払ってもらえないでしょう。まずみんなが豊かなら、さらに色々な商売が成り立つよ」
「なんか、王様が考えるようなことを言っているね」
マルクも不思議な顔をしてマーシャルに訊く。
「親父にも変な奴だと言われるよ。君のとこの皇女様は面白いって言ってくれていたけど」
「あの聖女成分入り爆弾皇女か」
オウリュウの溜息に二人は苦笑する。
「さすがにあの皇女様に付いていくのは色々と怖すぎて、マルクには敬意を表するね」
マーシャルの言葉にマルクは頭をかきつつ、ふと疑問を尋ねた。
「グレタ先輩ってたしかに無茶苦茶なところはあるけれど、怖いって思ったことはないけど」
「たしかに俺も、変人皇女って噂通りだと今日はよくわかったが、暴君の匂いもしないな」
二人の言葉にマーシャルは首をかしげ、なるほどと呟いた。
「君たちはロマナ帝国民じゃないから知らないか。ロマナ帝室には現在、皇帝陛下直系の男子がいない。さらに彼女は第四皇女なので皇位からは遠いんだ」
「そのぶん、お気楽な身分なのだろう?」
オウリュウの言葉にマーシャルは眉をひそめた。
「たしかに、彼女は帝国に姉たちの婚約者より格下の婚約者もいるし、あの調子で皇位には興味がなさそうだよ。でもあのデタラメな天才ぶりで経済政策や教育政策では実績をあげている。だから貴族より庶民から人気がある」
「別に良いことじゃないかな。みんな知らないかもしれないけど、先輩はああ見えて優しいよ」
マルクの言葉にマーシャルは大きくうなずいた。
「彼女は貴族の常識を平気で踏みにじって血の通った仕事をする。持たざる者にはうれしいけれど、既得権で威張っている勢力には猛毒なんだよ。権力争い以前に権力の枠組み自体を壊しにいく」
マルクは、先日の煉丹フェアで見たトゲ付き黒革コート姿で歌っていたグレタを思い出して吹きだしてしまう。そんなマルクをマーシャルは羨ましそうに見て続けた。
「僕みたいな商人は彼女と組んで新しい商売をやりたい。でも油断したら理屈抜きで貴族や他の皇女様たちから敵視されるかもしれない。怖い皇女様なんだよ」
「皇帝陛下はどうなのだ。父陛下が敵視するならとうに廃位されているだろう」
「されないさ。だって四皇女で唯一、実務を回せるんだから。留学してさえ本国に指示を出せる女傑だよ。軍事には全く興味がないから、なおさら皇帝陛下には都合の良い人材さ。そして軍務嫌いってのがまた軍人を敵に回すんだよ」
グレタの底知れなさに、マルクとオウリュウは顔を見合わせた。
「マルクみたいに交流したい気はするけれど、実家を思うと怖いね、あの皇女様は」
平凡な家出身のマルクはマーシャルの言う怖さがいまいちよくわからない。ただ、わからないなりにもグレタにまた好ましい気持ちを抱いていた。
「この薬草が高いんだ」
「マーシャル、今は値段じゃなくて薬効の学習でしょ」
マルクはマーシャルの薬草販売談義に苦笑する。
素材集めの実習が始まり、三人は様々な煉丹学と魔法学の素材を獲得していた。今回は魔法と煉丹、それぞれの素材を集めるという課題だ。なるべく効果の高いものを選ぶべきなのだが、マーシャルはすぐに脱線して価格順に並べたりしている。だがマーシャルは小ずるい表情で言った。
「なあに、価格の高い商品は効果が高いか希少品だよ。値段で集めても効果はそんなに順位はずれないさ」
「そんなことを言われても、商人ではない我々には価格がわからぬ」
「大丈夫、体の丈夫なオウリュウは珍しいけれど採取が難しいものを集めてくれれば良いよ。崖の頂上とか洞窟内とか」
「お前の実家は悪徳搾取商人か」
調子の良いことを言うマーシャルにオウリュウは苦笑する。一方、マルクはこつこつと地味な普及品を集めていた。
「マルクはほんと、石橋を叩いても渡らない男だねえ」
マーシャルの冗談めかした言葉に、マルクは頭をかいて答えた。
「僕は不器用で、とにかく積み上げで奨学金もらってきているんだ。だから今回も地道に課題をこなす方向かな」
「あまり地味だとアーシュラに飽きられるぞ」
オウリュウは意地悪な笑みを浮かべた。マルクはちょっといらついた声で答える。
「アーシュラは賢い人だから、飽きるんならとっくに飽きているさ」
「女心のわからない奴だな。地道な僕をわかってくれるなんて男だと、女から見てつまらないだろう」
「別に、面白がらせたいわけじゃないし、別にアーシュラは友だちで」
言って口ごもる。ただの友だちと言うにはとんでもない相手で。むしろ、普通に同格の友だちでいてくれるアーシュラが眩しい。
でも。でも時折アーシュラが見せる、寂しそうな背中のかげりを思い出して胸がざわつく。声をかけようと思うけれど、なんと言えば良いのかわからない。ずっと年上の大魔導師様なのに、独りの寂しい少女の小さな背中で。
それはたぶん、約二百年という長い刻が与えた傷だから。
それはぴったりと傷口を閉じられる裂傷ではなく、砂利を転がったような深い擦り傷で。
まだ自分には何かを語る資格はない。
助ける力がない。助けようとしてむしろ死にかけて叱られた。
それもきっと彼女に新しい傷になってしまっていて。
「アーシュラは大事な、友だちだよ」
マルクに真正面から見つめられ、オウリュウは戸惑った。鍛え上げた肉体と精神に自信のあるオウリュウが、見た目は小柄な少年のマルクに迫力を感じていた。そして彼はマルクを認めた。
同時にマルクとアーシュラの関係がわからないと思った。幼いのか、と口の中で呟く。ただ、その幼くもどかしい関係は、より純粋で尊いものに思えた。
「友だち、か」
オウリュウは視線をそらして呟いた。
「オウリュウの負けかね、この場は」
マーシャルが笑う。マルクとオウリュウは顔を見合わせ、なんとなく握手して微笑んだ。




