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むずかしい採取

 アーシュラがテントを出ると、グレタがつまらなそうな顔で立っていた。

「外国には夜に異性の部屋に忍び、男女が仲睦まじくなる文化があると聞いておりましたけれど、ジャポニナ諸島国ではなかったのですか」

「時折思うが、グレタはどこでその妙な知識を仕入れてくるんだ」

「そんな、勉強家だとおほめにあずかり光栄ですわ」

「別にほめてないぞ」

 アーシュラもこの変人皇女のあしらい方をわかってきた気がする。グレタは顎にかわいらしく人差し指を置いて思い出しつつ言葉を重ねた。

「夜に異性の部屋に忍び込み、そして二人は仲良くコウノトリの卵を温めると聞きましたわ。まあきっと、コウノトリのクッションか何かでしょうか」

 悪ふざけも、と言いかけてグレタの純心な眼に気づく。変人で賢人だが、妙なところはさすが帝国皇女で箱入り娘のようだ。ダナも大変そうだとアーシュラは自分を棚に上げて独りうなずき、グレタはよくわかっていない笑顔で首をかしげた。


 朝食はアーシュラの料理だ。

「煉丹術の粋を集めたお料理、学びたいですわ」

「そっちは得意だけど、今回は違う」

 グレタの期待のこもった視線に、アーシュラは苦笑混じりで答えた。次いでちらりとマルクに視線を送り、少し不安げに言った。

「百年も経っているからな。多少の違いは大目に見てくれ」

 彼女は鍋の中身を皿に盛って次々と渡していく。昨日の魚醤を素地としたスープだ。具材は豚肉、キャベツ、長ネギ、玉ねぎ、キノコ。キノコは表面が褐色で裏が黄色くスポンジ状になった、落葉キノコというものだ。そして少量の青い葉が散らされていた。

「この鮮烈な刺激、心地よいですわね。ミントですかしら」

「でも昨日の配布された食材に、キノコもミントもなかったような」

 各々の感想にうなずき、アーシュラは自慢げに言った。

「実は昨夜、みんなが寝た後に驚かそうとどちらも採取していたんだ。昼間に見当はつけていたからね」

「もしかして、このキノコに煉丹学の!」

 グレタの興奮にアーシュラは面倒そうに返した。

「言っただろう、今回は煉丹学に関係ないと。そのキノコは旨くて少しの栄養価があるだけで、煉丹学でも魔法学でも効能はないよ。だから普通に食べられている、はずだ」

 アーシュラが最後、自信なげにマルクへ視線を送る。マルクは優しく微笑んで返した。

「残念かもしれないけれど、アーシュラの言うとおりですよグレタ先輩。ミントは僕の地元でよくスープに入れるんです。それからキノコはよく、おじいちゃんおばあちゃんが食べてます」

 うれしそうな顔のマルクに、アーシュラは悲しげな顔で訊き返した。

「おばあ、ちゃん?」

「最近、違う干しキノコがロマナ帝国から輸入されるようになって、そちらを食べる方が多いんですよ、今は」

「そう、なのか。変わる、ものだよ、ね。ロマナ帝国、ね」

「うちのおばあちゃんも大好きですよ。国を出たときも応援してくれたんです、おばあちゃんが」

「良いおばあちゃんで良かったね」

 言葉とは裏腹に、アーシュラのグレタ側の足先に闇色の魔力が灯る。グレタは冷や汗をかきながら必死でアーシュラから視線を逸らした。


「グーレーター? 一緒に材料採取するか」

 地を這うようなアーシュラの声に、グレタは跳ねるように付き従う。マルクはダナの割り付けた煉丹学、魔法学の学生と三人一組の班だ。経験者を公にしているアーシュラと自主参加のグレタは、初心者に回答をわからせてしまうので一まとめに別班となっている。

 二人は素早く森に入っていった。そして一気に奥まで走り、アーシュラは振り返って言った。

「おばあちゃんって、三回も言われた」

「そそそれは別に、アーシュラをおばあちゃんと言ったわけではありませんわ」

「どうせ中身、九十歳代だし」

「アーシュラはどう見ても十代ですわ」

「もっともどうせ中の人格、研究バカだからガキンチョだし」

 アーシュラが爪先で足元の石を蹴る。石がそのまま正面の木の幹を貫通し、空いた穴が水分を失ってばらりと木屑を散らした。

「ロマナ帝国の干しキノコ。昔は帝国にもなかったのに」

 グレタは生命の危機を感じる。説明一つで自分があの立木と同じことになりかねない。この天才大魔導師は、恋にはどうしようもなく盲目だ。

「たしかに、干しキノコはロマナ帝国の農家の方々にとって重要な収入となっていますわ。元々は所得の低い方々ですが、今はとても頑張っておりますの」

「農家が頑張っただけで輸出産業がつくれるほど世の中甘くないね」

「そこは、帝国の製造研究者や防疫管理者、外交官など皆さんの頑張りですわ。私、皆さんを尊敬しておりますの」

 グレタはさらっと当然のように綺麗事を言う。何一つ嘘はついていない。

 ただし隠し事が二つある。干しキノコ輸出計画はグレタが総括していたこと。そして何より、計画の核となる乾燥技術はグレタの魔法研究が元になっていること。最大の功労者はグレタなのに、花を持たせる形で爆弾を分散してしまった。

 アーシュラはいかにも疑うような視線を向けながらも、八つ当たりに空へ向かって魔法の水柱を打ち上げた。天を貫いた水柱は崩れて周りに雨を降らせる。アーシュラは冷たく濡れた頭を乱暴に振って続けた。

「なんか釈然としないけれど。しないけれど農民のためと聞くと納得するしかないんだろうね。良いことだからね」

 この辺り、論理的な思考を基本としているアーシュラで助かったと思う。同時に少し、かわいそうに思う。彼女の言葉は、魔法学部長や煉丹学部長のような老獪さもなく、ダナ校長代理のように立場だけの言葉でもない。

 研究者としてはおそろしく優秀なのだろう。

 冒険者としては圧倒的な強者なのだろう。

 教育者としては公平な正義なのだろう。

 だからこそ。

 だからこそ、我がままな恋をとりこぼしてきたのかもしれない。

 グレタは唇に人差し指をあてて軽く目をつぶり、ゆっくりと言った。

「マルク君にはもっと、我がままになったら良いと思いますわ。私、応援しますの」

 アーシュラはくしゃりと泣きそうな表情を浮かべて小さく首を振る。

「私はじゅうぶん、我がままな研究を行ったさ。それ以上の我がままは、望むべくもない」

 グレタと視線を合わせず、声が震える。

 この大魔導師は封印される前の百年近い時間を。そして封印されて独りぼっちとなった今の時間を。

 どれだけ寂しい時間を過ごしてきたのだろう。

 不死に近いこれからの時間を、どれほど寂しさの中で過ごそうというのだろう。

 グレタはアーシュラに背を向け、わざとらしく笑った。

「大魔導師様、未熟な私にもっと難しい採取をご教授くださいませ」

「そうだな。私の教えられるものなら。いくらでも教えてあげようじゃないか」

 大魔導師様も、その壊れやすい恋を採取できますように。

 グレタは口の中でそっと祈った。

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