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宿泊研修の前祝い

 店を出て、アーシュラはおろおろする。忘れていた。自分は教育者ではあるけれど、冒険者時代や学園創立時には色々と無茶をして「恐慌の大魔導師」などと不名誉な名で呼ばれたことを。

 それが今の統魔術をはじめとした、数々の呪法のせいだったことを。

 とくに今回のそれは禁呪と呼ばれ、生命の深刻な危機でのみ認められる呪法だ。ただ、そもそも両学部長はアーシュラを殺そうとしたのだから使われて当然なのだけれど。

 でも。そんな自分を。

 そんな自分をかわいいだなんて思ってくれるだろうか。

 ただでさえ、中身は大魔導師なのに。

「アーシュラ、もうああいう無理はやめてください」

 意外な言葉がマルクの口から漏れた。アーシュラは目を丸くしてマルクをじっと見つめ返した。

「僕が死にかけて、それをアーシュラが助けてくれて。今も僕は男子なのに何もできなくて。それはアーシュラが大魔導師だけれど、でも今の時代を再出発しようとしているのに」

 いつのまにか、マルクの言葉は普通の友だちへ話す口調に変わっていた。

「マルクは悪くないよ。ただ私が、やりすぎただけ」

「アーシュラの方が悪くないよ。だって最初にひどいことをしたのは学部長で、さっきもひどくて」

 マルクの言葉にアーシュラは救われた。ほろっと涙がこぼれる。

「アーシュラ、大丈夫? どうしたの?」

「違うよ。もしかしてマルクに私、嫌われたかもって思って。不安になっちゃって」

「嫌いになんてなるはずがないよ。だって僕のことを助けてくれたし」

「助けた、から」

「助けてくれなくても! アーシュラと一緒にいると勉強になるし、ううん、それがなくてもさっきは、その、なんかすごく楽しかったし」

「私も、楽しかったのに」

 二人で言い、ようやく二人の表情が戻る。マルクは大きくうなずいて道の向こうを指差す。

「またもう少し、見て歩こうよ」

 アーシュラも大きくうなずいて、開けた大通りの向こうをじっと見つめた。


 煉丹フェア明け、ダナは用務で校長室を訪問した。アーシュラは珍しく雑事まで仕事をこなしていた。

「いやあ、煉丹学部長は大っ嫌いだけど煉丹フェアは良いね。いや、人を憎んで催し物を憎まずだよ」

「なんかずいぶんと都合の良いこと言っていますね。煉丹学部長ったら数日間、動けなくなったそうですよ」

「まあ、それはちょっとやり過ぎたかもしれないが」

「そうですよ。やるなら一息にシメた方が」

 どうもダナも肚に据えかねていたらしい。下手をするとアーシュラよりもろくでもない目に遭わせそうな勢いだ。と、ダナはアーシュラの腕にある銀色のバングルに気づいた。だがそれは教師、まして伝説の大魔導師には似つかわしくない安物の煉丹術品だった。

「どうしたんですか、そんなバングルなんかされて」

 言ったとたん、アーシュラがにたーりとだらしない笑みを浮かべる。これ地雷を踏んだかも、とダナは内心で頭を抱えると嫌な予感は当たったらしく、アーシュラはもじもじとしながら話し始めた。

「これはねえ、マルクとおそろいなんだよ。初めてマルクと、一緒に買ったの」

(うわ。これのろけ話が始まる予感。)

 せっかくできた時間がのろけ話で浪費されるかも、と溜息をついた。


「友情の印のバングル程度で満足していたらお婆さんになってしまいますわ」

 グレタはバングルの話を聞いたとたん、さらにアーシュラをけしかけていた。アーシュラはぷうっと頬を膨らませて見せる。

「どうせ私はとっくにおばあさんだし」

「マルクはおじいさんになる前に誰かと一緒に行ってしまいますわ」

「誰かって誰だ! まさかグレタ、君は」

「だから私には婚約者がおりますと何度も言っておりますの」

 いつも半分からかって遊んでいるが、この手のネタは自分に降りかかるから危ないと今さらながら気づく。この大魔導師はその優秀な頭脳の一万分の一でも恋愛に才能が行っていればこんなことにならないのに。

(まあそこがまた、楽しいのですが。)

 内心でまた不穏なことを考えているグレタである。だがその気持ちは完全に隠したまま、グレタは言葉を続けた。

「まず『友情の印』というのは危ない兆候ですわ」

「どこが危ないというのだ」

「それって恋愛の対象として見てもらえていないということではありませんか。他の魅力的な女性、少なくとも私以外ですわよ? その誰かさんにマルク君が一目惚れなんてことだってあるかもしれませんわ」

 ちゃっかりと自分を除外して安全圏を確保しつつ、焦りをあおる。アーシュラは手首につけたバングルを大事そうになでながらへにょりと悲しそうな顔を浮かべる。

(ちょっとけしかけすぎましたわ。)

 ろくでもないことを言うわりには優しいという、なかなか矛盾した皇女様だ。グレタはちょっと考え込み、次いでぽんと手を打った。

「まずは思い切って告白ですわ。今なら固定しておりませんし、外見なら自信を持って大丈夫ですし」

「そんな無茶を言うな! サラマンダーを討伐する程度みたいに簡単に言うことではない」

 何を言っているのだろうこの大魔導師は。その辺の十歳程度の少女ですらやれそうなことを、サラマンダー退治より難しいとか偏り方がひどすぎる。だがこれでまた一つ、楽しそうなことを思いついてしまった。

「魔法学部の魔力媒介品学習と、煉丹学部の丹薬や薬草原料調達の訓練、そしてそれらの理論統合を学ぶ場として宿泊研修があるんですの」

「宿泊研修?」

「要は一泊二日で屋外調査体験を行うのですわ。色々と協力も必要ですので、実態は学生たちの交流会を兼ね、一泊二日の楽しいイベントを一緒に過ごすんですの」

「なるほど! 素敵な時間だね」

 話が見えたぞ、とアーシュラは大きくうなずくと握り拳を天に掲げた。


「大魔導師アーシュラ校長先生は当然、講義と学生指導を行うに決まっているじゃありませんか」

「いやだいやだ! 私は楽しいスクールライフを過ごすんだ」

 ダナはアーシュラから宿泊研修の話を聞いた途端、冷たく敬称付きで仕事の話を投げた。

 アーシュラは入学成績ほか色々と不自然すぎるので、統魔学専門の変人研究者が臨時講師を務めつつ学生をやっている、という設定になっている。それでアーシュラも時折、授業助手や代理講師をやっているわけだ。ダナも校長代理として、逃がしてたまるかと踏ん張っている感じだ。二人はしばらく睨みあい、ついにアーシュラが溜息をついた。

「ではこうしよう。一日目の統魔学基礎演習と統魔分析演習は私がやるよ。他は学生をやっていても良いだろう?」

 最初の全体概論もアーシュラにやってほしいところだが、臨時講師に概論を任せるのはさすがにまずいかもしれない。まして統魔学専門の変人研究者という設定なので、他学部の仕事は手伝わせるわけにいかない。

 まあ、演習は面倒臭く憂鬱だったので、それを受け持ってくれるならありがたい。

 このときダナは、百年前の演習や大魔導師の考える統魔学「基礎」のレベルを確認もせず、また先日に何気なく渡されたまま棚上げした理論式のことも忘れていたのだった。

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