最強は最弱
【最強は最弱】
前回お話しした「すてきなあの人」ご出演の皆さん、その一人でもある女性と前にこんな話になった。自分が何でもできている感覚の時は危うい、と。
これは自分自身痛切に感じていることでもある。小説を書いて投稿した当初は、「とんでもねえものを生み出してくれたな……」と自身に向かって語りかけることはもはやルーティンで。もうね、一度読んだらかっぱえ〇せんもはだしで逃げ出すほどに止まらない。おもしろさに限っては古今東西無比のものだと言えるこの最高傑作に、誰が勝てるというのかと。
そういった感覚を抱くことは書いていてまあ、ざらだった(てへぺろ)。うわあ黒歴史だ。
いわゆる無敵の人になってしまっておったのよ……(ちょいちょい武士がやってくるね)。
しかし、投稿を重ねて初めてわかる。
入賞への高い壁。厳しいプロの眼。キャラかぶり、構成かぶり。自分が発想する設定はみんなも思いつくということに。
そして次第におさまってくるのは高揚のルーティンである。
投稿して一週間後からは、自分は最強なのかどうかを自身に問うてみる時間となる訳で。
キャラ設定は甘くなかったか。ヒロインの口調をですわ、ではなく、だぞい、にした方がパンチきいてたんじゃないの? 曲がり角で男子高校生が、食パンくわえた女子高生とぶつかった後に「入れ替わってる~~~!!!??」と叫ぶネタはあまりにあまりにあれだ、などと。
やがて気づき始める。
周りの志望者がどんな思いで作品を書いているか、その道に日々まい進しているか。一見、さらっと書き流した風の表現にも感じられる卓抜した感性。何気ない日常に非日常を違和感なくちりばめてみせる高い技術。読んでいくとキャンディみたいにすっと溶けて、その後もずっと長く心に残るストーリーも、仲間内の作品に多く読んだことだった。
そして痛感するのだ。自分の至らなさ、要するに自分なんぞまだまだだ、というところを。
私が思うに、人が最強になれる瞬間は生きていてほとんどないと思う。正解のつもりで生きてきた人が実は正解ではなかった、その逆も然り、という人の世の中である。
私も若く青かったころ、昼時に行ったコンビニの店員さんの応対が雑だと、あらを見つけた時もあった。が、振り返ってみれば昼のコンビニは人が渋滞をなしてクソ忙しい。早くしろよといちゃもんつけてくる車も、別なレジへ路線変更する車もある。そんな中でなかなか完璧な対応はできまい。
もし私が店員だったら、焦ってレジ打ちを間違えてはまた渋滞を深刻化させる可能性もあるだろう。
自分の理想が、ある人にとってはエゴであることは、ここまで年を重ねてやっと見えてきたことだ。
自分が何でも完璧にできて、人のあらしか見えない時はたいてい最弱であるというのは、実は自分自身への戒めでもある。




