ラッキーせんごく2
あ、ラッキーせんごくのフレーズは、某テニ○の王子様のツイてるキャラから拝借しました。
【ラッキーせんごく2】
ここは潔く認めよう。
私めも田舎の若い女性の御多分にもれず、首都圏への憧れはあった。
丸の内あたりで輝かしいキャリアを積んで参りますキラアッみたいなものに、携帯広告漫画を読みふけったあの日より憧れていたのは事実だ。
地元で正規の仕事がなかなか見つからなかったこともあり、首都圏への移住(?)も視野に、就活を開始した。そりゃあ目もあてらんないくらいめちゃくちゃ落ちまくったが、お祈りが三桁間際になりもはや成仏、御仏もかくやという頃になって、やっと1社に拾っていただいた。
そこは希望した職種の正規社員で採用の上、条件的にも自分のような低スペックにはなかなかありがたいところだった。
そんなこんなで、丸の内勤務ですキラッは到達不可能となったが(最初からです)、おかげさまで私は春から憧れの首都圏での勤務となった。
振り返ると、万事塞翁が馬とはちょっぴし本当にあるような気もする。
勿論仕事も私生活も、状況的にはまったく0からのまさに心機一転といった様相、ここからが大変だろうが、
不本意な形で前職を辞めて、無職としてそのままやさぐれる可能性もあった私には、ありがたい結末であることは確かだ。
まず前職を突発的な事情で辞めることがなかったら、私はずっと地元にいただろうし、ずっと非正規という働き方だったと思う。
また、辞めた後に地元の会社の最終選考で落ちたことも、当時は悲嘆に暮れていたが、
「免許とるくらいならその金で首都圏出ちゃえばいいんじゃね」という発想の根幹となった。
また受けまくっては落ちまくった会社も、今にして思うと大手病であったり、勤務条件や内容がスーパーハードだったりして、仮に入社できてもすぐに折れてしまうのが目に見えたところもあった。
人はいやなことがあった時に二つの行動パターンがあると思う。
たとえば、受験時のことを例にとってみる。
今日は朝から大切な試験、受験会場に急ぐ人がもし転んでしまったとする。
「ああ~俺はダメだ。受験に行く途中で転んでしまうなんて。不運だもう駄目だ」と嘆いてそのまま地面に崩れていく人と、
「あ、生きてるし骨も折れてない!! セーフ寄りのセーフ。むしろ骨折れてたら受験受けられなかったし、ほんと自分ラッキー!!」
と、言い聞かせて前向きに試験会場に向かう人。
受かるのはどちらだろうかと考えると。受かって、転んだことさえ笑い話に出来るような剛の者は、やっぱり後者なような気もする。
どんなしょんぼりがあっても、
そこから不幸中の幸いを見つけたり、塞翁が馬、きっと最後にはなんだかんだよくなるよ、と楽観的に構えている人は、なんだかんだそう悪いことにはならないのでは、そうだったらいいなと個人的には思っている。