神の舌降臨
――これは、後に惨劇のコンテストと呼ばれた料理大会……。
とある町の広場で、お菓子の料理コンテストが行われていた。
その決勝の特別審査員に、伝説の男が現れる。
司会者が彼の名を呼ぶ。
「味にうるさすぎる、うざい男。その名は開腹乳残! 彼によって心療内科送りにされた料理人は数知れず。とんでもない極悪非道の美食家ジジイです!!」
「待てぇ司会! それがゲストに対する紹介かっ!?」
乳残は味だけではなく司会の進行にまでケチをつけるが、彼の声は観客たちの声によって掻き消された。
「開腹乳残だって!? あの神の舌を持つ妻殺しの!?」
「なんだ、その妻殺しってのは?」
「乳残は神の舌を持つ男。味にうるさく、誰も読まないのにページを味の語りで埋め尽くす鬱陶しい男だ。嫁さんは毎日、そんな夫の乳残ために料理を作るんだが、あいつは不味いと言って嫁さんを殴りつけて、ついには……」
「なんてひでぇ男だ! ブ~ブ~!!」
会場に巻き起こる大ブーイング。
それらに乳残は苛立った様子を見せる。
「好き勝手言いおって。そもそも妻は死んどらんわい! 殴ったりもしとらんしな。まぁ、あまりの飯マズで料理に文句を言ったのは事実だが」
会場の司会者は乳残から糞みたいなコメントを頂き、それに一言付け加えてから料理人たちの紹介に移った。
「ご飯を作ってもらっておいて文句は言うとは不届き千万の夫ですねっ!」
「おい、司会者!!」
「では、見事決勝まで勝ち残った二人の料理人を紹介します。まず一人目は、若手でありながら洋菓子界に未曽有の嵐を巻き起こす、寡黙な男性菓子職人ナマクリームですっ」
「ナマクリーム、です」
「そして対戦相手は、こちらも若手でありながら和菓子界に怪しげな息吹を吹き込む、寡黙な女性菓子職人あんこです」
「あんこ、です」
彼らの紹介を受けて、乳残は深く頷く。
「双方ともに新進気鋭の菓子職人だな。となると、どんな菓子が出てくるのか楽しみだ」
乳残の期待高鳴る胸の鼓動を表すかの如く、司会は天高くにマイクを投げる。
そのマイクをキャッチそこねて地面に落とし、会場に不快な音を轟かせたあとにお題を示した。
「決勝のお題は! 鍋ですっ!!」
「な、なに!? ちょっと待て、司会。二人は菓子職人だぞ。なんで鍋なんだ!?」
「あ~、乳残先生、それね。ここまでずっとお菓子ばっかりだったんで飽きたんですよ。で、決勝は鍋がいいかなぁって」
「はっ? お前の頭の中にはプリンでも詰まっているのか? おい、君たちも黙ってないで司会者に何か言ったらどうだ?」
「……です」
「……です」
二人とも声が小さすぎて何を言っているのかわからない。
これ幸いと司会は強引にコンテストを進行した。
「二人とも、菓子に鍋というテーマに新境地を得た心地だそうですよ、乳残先生」
「いやいやいや、二人とも『です』って言っただけだぞっ!」
「では、調理開始!!」
有無言わさず決勝が始まった。
二人は寡黙に材料の品定めを始める。
その様子を見ながら、乳残は両腕を組み居丈高に背を仰け反った。
「色々ツッコみたいところはあるが、ある意味興味深い。菓子職人がどんな鍋料理を振舞ってくれるのか……だが、ワシは古今東西に伝わるあらゆる鍋を食してきた男。はたして、菓子職人が作る付け焼き刃の鍋で、ワシの舌を満足させることができるかな?」
そう、彼は神の舌を持つ男。
夫としては屑だが、味覚においては超一流。
そのプレッシャーは若き二人の料理人にのしかかる。
さらに、それを煽るように司会が捲し立てた。
「そのとお~りです! 乳残先生は夫としてはアレですけど、味覚は本物。普通の料理で満足させられるわけがありません! かといって半端な料理を出せば、彼の妻のように地獄へ叩き落とされてしまうでしょう」
「アレとはなんだ、アレとは。それにさっきも言ったが妻はぴんぴんしとるわっ! しかも地獄とは失礼な奴だっ」
乳残は吼えるが、その声は二人の料理人に届かず、司会者の煽りだけがナマクリームとあんこの耳に木霊する。
「普通じゃ駄目。奇抜なものを……」
「普通じゃ駄目。突き抜けたものを……」
「「これだ!!」」
二人は同時に食材を手にした。
ナマクリームが手にしたのは苺と……ナマズだ!
乳残は片眉をピクリと跳ねる。
「う、うむ。たしかに奇抜な組み合わせだが、調理の仕方によっては面白い変化を見せるかもしれんな」
一方、あんこが手にしたのは蜜柑と……河豚だ!
「なにっ、河豚だと!? ば、馬鹿もん、突き抜け過ぎだっ!? ちょっとタイムタイム! 司会司会!」
「何ですか、もう? やかましいですね」
「あんこ君は河豚の調理師免許は持っているんだろうな?」
「さぁ? 尋ねてますか?」
「尋ねてみますか? じゃない!! 聞けよっ!?」
「何ですか、その言い方? カチンと来ましたよ。聞いてあげませんよ」
「あ~もう、お願いします。尋ねてみてください……これでいいか?」
「まぁ、いいでしょう。あの~、あんこ選手。河豚の調理師免許はお持ちなんですよね?」
「それは……………………デス」
「持っているそうです」
「絶対嘘だっ!! 今の長い間は何だ!? それに『です』が片仮名に聞こえた気がするぞっ!! 嫌な予感がするわ!!」
「それは、新しい味の扉を開く予感ですかっ?」
「あの世の扉を開く予感じゃ、ボケッ!」
「つまり、天国にも昇る心地だということですね! ナマクリーム選手、あんこ選手。これは相当気合を入れないといけませんよ!」
「馬鹿、煽るな!」
乳残は声を張り上げて司会の言葉を遮ろうとしたが、プレッシャーに飲まれている二人の若手菓子職人には彼の声は届かなった。