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それは唐突だった。
那美が静かになり、ゆつなは欠伸を噛み殺し、那岐がもう一度寝ようかと思った時、ずっと周りを見ていた葛実があっと声をあげた。
「ね、あそこに何かある」
「え、どこ?」
「あそこあそこ。ほらあそこの木の先」
「えーどこー?」
「だから……あ、隠れちゃった。えーっと……」
「あれかな? あ、違った」
「えっとねぇ、そこの高い木のちょっと左。塔みたいなのがある」
「あ、あったあった」
「あれかぁ。なんだろね、テーマパークかな」
「でもこんなとこにそんなのあったっけ」
こんなとこというかここが何処かわかっていない。
「行ってみたらいいんじゃないの?」
助手席に座ってのんびりと子供達のはしゃぎっぷりを眺めていた母が目の前の道を指さした。
「ゆーくんが言った通りこの道を行けばどこかに行くでしょ。方向的に行けると思うけど」
「ゆーくんて……」
「そうするしかないんじゃない?」
小声でぶつぶつ言っているゆつなを押さえ込み、背中に肘をつきながら那岐は言う。
「ここまで来たんだし」
「ナギ、重い」
「あ、看板だ」
ゆつなの抗議を無視するように那美が目の前に現れた標識を指さした。
「……の国? は右へ……読めなーい」
「何て読むんだ?」
那岐を払いのけたゆつなが目を凝らす。
「えーっと……堅州・蘇根の国」
「なんだそれ」
「さっき見えたやつなんだろうけど……もうちょっと、わかりやすい名前つけようぜ」
どんなとこなのか全く予想できない。
「というか堅州ってどこかしら」
「昔の国名とかに堅州ってあったっけ?」
「聞いたことないわ」
両親は話ながら右へ進路をとる。
「蘇根っていうのも何だろう」
「読みはソネかしら」
「かな? でもなんのことかわからないな」
「蘇根の国っていうぐらいだから……何かしら。蘇根って地名あったかしら」
「あるんじゃない? こんな近くにあったとは思えないけど」
「字が違うが曽根崎心中って浄瑠璃があったんじゃなかったかな」
「じょーるり…?」
「関係ないと思うなぁ」
「中学の友達にソネって名字の子いたわ。漢字は違ったけど」
「蘇根って人が経営してる……じゃないよな」
「まあ行ってみたらわかるでしょ」
「だな」
伊澤家は基本的に呑気だ。
そんなこんなをしているうちにいつの間にか目の前に堅州・蘇根の国があった。
休日だというのに駐車場は半分ほどしか埋まっておらず、繁盛しているようには見えない。
空いていた入口近くの日陰に駐車し、車を降りる。
「うー。体固まった」
伸びをするとぱきぱき音が鳴った。
「今何時?」
「10時ちょっと前だね」
父が時計台をみて言った。葛実の見つけた塔は時計台だったらしい。
「で、ここは何なんだ」
「神話・童話の世界へようこそ、だって」
入口に書かれた文字を読んだ那岐にゆつなは頭を掻く。
「神話・童話か。ぶっちゃけ、興味ないな」
「あっちは関係なく楽しそうだけどね」
中身がなんであろうと楽しめればいいらしいちびさん達はぴょこぴょこ跳ねている。
「ナギ。チケット買って来て」
ぽい、と投げられた財布を慌てて受け取る。
「ねえ。早く早く」
「行こうよ」
「ちょ、ちょっと待って」
「頑張れー」
「ゆーくんもだよ」
両腕を捕まれ急かされている那岐に手を振ったゆつなだったが、葛実にあっさり捕まって共々チケット売り場へ連行されていく。
「えーっと、小学生2人と高校生2人と大人2人」
「はい。入場券だけでよろしいですか?」
受付の女性ににっこりと尋ねられ、那岐は頭を掻く。
「あー、ナミ。父さん達に入場券だけでいいか聞いてきて」
はーい、と駆けていったナミがぶんぶんと手を振る。
「いらないってー!私達の分は好きにしていいってー」
「えーっと、じゃあパスポートは子供2枚だけ下さい」
「ちょい待て」
「ぐぇ」
襟を思いっきり引っ張られ、変な声が出た。
「いってぇ……。何?」
「いや、俺らもパスポート買わないのか?」
「え、だってほら……」
どんなのかわかんないし、と小声で訴える。
「いいじゃん。遊ぼうぜ」
誰が金を出すと思っているのか。
「パスポートは中でも売っていますよ」
「じゃあ、そのままでいいです」
受付の女性の言葉にゆつなが一瞬考えこんだ隙にさっさとチケットを買ってしまう。
「こちらが入場チケットで、こちらが乗り放題のパスポートですね」
「……」
渡されたチケットに今度は那岐が考えこんでしまった。
「お兄ちゃん、早くちょうだい」
「ん、ああ」
渡された子供用のチケットを見た2人は歓声をあげた。
「なにこれ」
「すっごい可愛い」
「ナギ、なんでそんな顔してんだ」
引き攣った顔の那岐が持つチケットを覗きこんだゆつなは思わずげっと声を漏らした。
「これ、子供に見せたら泣くぞ」
「すごいギャップだよね」
子供用のチケットに描かれているのが夢のあるファンシーでメルヘンチックな絵なのに対して、大人用のチケットは妙にリアルでちょっとどころでなく怖い。
「あ、でもこれすごいわよ。ほら、両方構図は一緒」
「ホントだ」
入場して無用になった子供用のチケットを手に親達は感心しているが正直笑えない。
なぜお姫様が血まみれなのだ。
「ああ、そういうことか。ナギ、見てみろ」
パンフレットを見ていたゆつなが指さしたのは所々についている赤いRの文字。
「何これ?」
「なんか変なマークがあると思ったら子供不可だ。ほら【注意 このマークのところはお子様にはオススメできません】だって」
「だって、って……」
それよりなんで大人用のパスポートを持っているのか。
「買っちゃった」
「あそ」
「ナギの分もあるよ」
「どーも」
いつの間に。
「お子さま不可とか何があるのか楽しそうじゃないか」
にこにこ笑うゆつなにさっきまで興味ないと言っていたのは誰だ、と言いたくなる。
「ただ、こうもでかでかと書かれると不安だよな」
【大人の方でも気分を害する可能性があります】
いったい何があるのか。
「お兄ちゃん、これ行きたい」
ぴょこぴょこ跳ねる那美が指さすのは女の子が好みそうなお姫様が描かれた屋内型アトラクション。
「え、これ入るの?」
「いーじゃん。どうみても妹に付き合ってる優しいお兄ちゃんだから」
自分で言うな。
3人に引っ張られる形でパスポートを見せて中に入り、全く待つことなく流れているゴンドラに乗り込む。
どこかで読んだ気がするストーリーに沿ってゴンドラが動いていく、よくある屋内型アトラクション。
那美と葛実はキラキラ光ったりくるくる回ったりする度に歓声をあげている。
「楽しかったー」
「次これっ」
「おー」
「へいへい」
元気一杯の2人に手当たり次第シアターやアトラクションに振り回され、あっというまにエリアをひとつ回っていた。
「次はねー」
楽しそうにあたりを見渡している2人にパンフレットを見ていた那岐が声をかける。
「そろそろショーが始まるらしいよ」
「え、ホント!?」
「なんかナミ達が好きそうなやつ」
パンフレットに載っている写真を見せると飛びついてきた那美に取られた。
「どこ?」
「えーっと、この先まっすぐ行って、橋を渡ったとこ」
「よーし。行こー」
「行こー!」
元気いっぱいに走り出す那美と葛実にゆつなが笑う。
「いやー、元気だねー」
「セリフが年寄りだぞ」
「いやいや、僕達大人料金を払う歳ですよ。小学生からみたらおじさんですよ」
「なに言ってんだ。昨日中学生に間違われていたくせに」
「それはナギもだ」
「いや、俺を見て『あ、高校生ね』って言われたから」
「それはナギが制服を着ていたからだろ?」
「さあどうだろね」
「おい、ナギ。ジュース買わないか」
分の悪い話を打ち切るように、ゆつなが近くのスタンドを指差して言った。
別に面白くもなかった那岐もその話に乗ることにする。
「欲しいなら買えば?」
「いや、でかいんだよ」
ひとりでは飲みきれないということか。
「ナミ達に買ってやればいいよ。たぶん喉渇いてると思うし」
「そっか」
ゆつながジュースを買っている間にパンフレットを見ていた那岐は飲みながら戻ってきたゆつなをつついた。
「なあ、ショーまでまだ時間があるからどれか乗らないか? あの印ついてるやつ」
「そうだな。これ渡すついでに言ってくるか」
ステージの前に並べられた椅子には疎らに人の姿がある。那美と葛実は中心より少し右あたりに座っていた。
「ちょっと行ってくる」
「どこに?」
「お子様には乗れないやつ」
「ショーが始まるまでには戻ってくるから」
「わかった」
「いってらっしゃーい」
ジュースを受け取って嬉しそうにしている二人はひらひら手をふった。