53、賊と貴族と義賊 16
どうしよう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう!?
只管頭の中をぐるぐるとそんな言葉が駆け巡るだけで、別のことを考えるということがまったく出来ないでいた。
手に握った杖をぎゅっと握り締めて更に体を縮こませる。
いつもよりも早く波打つ心臓がより血の巡りをよくして頭を沸騰させる。
何も浮かばない頭ではあるが、それでも呼吸は決して大きくせず、小さく小刻みに繰り返すことでその存在を消す。
僅かに震えた手を更にきつく握ってその震えを止めた。
今、ネーナが出来ることは、ただただその存在を悟らせない為に小さく蹲って息を潜めることだけだった。
静けさが漂う部屋の中、紙を引っかくような少し硬い音だけが鳴る。
だがそれも直になくなった。
そこでようやく身じろぐ様な音と吐き出す声が聞こえる。
「では、契約を成立させよう」
魔力の流れを感じる。
先程から感じていたピリピリとした空気が一瞬和らいだ気がした。
隷属の契約書にて契約が成立したのだ。
だが、その瞬間にまた違う力を大きく感じた。
バチッと何かがはじけた音が響く。
「っ……流石に無理矢理でしたので多少痛みがありますね」
ガタッと物が動く音がすると同時に凛とした声が響く。
見なくともなんとなくネーナは状況を把握出来た。
セイルスに施した術が破棄されたのだ。
次々と予定から変わっていく状況にネーナはますます体を強張らせた。
状況を確認しよう。主にネーナがどこにいるのかを。
ここは一つの部屋の中。
少し時間を遡って、ネーナは最初にこの部屋に送られた。
誰もいない応接間のような場所だった。事前に聞いていた通り。
まずは部屋の中をくまなく見渡し、内装を覚えた。出入り口も確認する。
それから中央のソファから見えない場所へと身を隠す。
そうすると暫く経って、二人の人物がこの部屋へと入ってきた。
クレバス伯爵と護衛の一人だ。
二人は特に何かを話すことなく、伯爵はソファに座り、護衛はその後に立ってそのまま時間が過ぎるのを待っていた。
それから然程時間もかからずに、更に二人の人物が部屋に入ってくる。
ジルとセイルスだ。
ここでネーナは交わされるであろう会話を聞き逃さないように細心の注意を払った。
タイミングを間違えてはいけない。
ネーナがする役目は二つ。
まずは証拠確保。
これは伯爵がジルが用意した紙にサインをした時点で終了となる。
だがもしもの為にシオンから預かった魔道具も使用することにした。もちろん加護付だ。
記録装置のようなもので一定範囲の音を拾い、複製するものだ。希少なものであまり出回ってはいない。もちろん金額は怖くて聞いていない。
これはジル達が入ってきたと同時に起動している為、立てる音や会話は全て拾うようになっている。
二つ目は何かあった時の起爆剤役だ。
先程の証拠が何らかの形で出来なかった場合、実力行使をすることになっている。
その最初の役割をネーナがするのだ。まず一番最初に魔法を使えばいいだけ、とのこと。
制御は気にせず、どうになるかも分からない魔法をとりあえず二人に向けて放てばいい、と。
ただ、そのタイミングは自分で見計らわないといけない。
二人が油断しているときにやらなくてはきっとあの魔法使いだと思われる護衛に防がれるだろう。
出来ればやりたくない役割だ。
だが、しかし、現実は残酷な物だ。
やりたくない二つ目の役割が来てしまった。
契約は出来なかった。どうやら伯爵側がこちらの動向に気づいていたと思われる。
ジルはこの部屋から強制的に追い出された。多分、追い出されただけだ。拘束されている可能性はあるが命はとられていないだろう。
どうして気づかれたのか。
ジルをどこへやったのか。
ここから先、どうすればいいのか。
ネーナにとって予想すらしていなかった展開に脳内がついていかず、どうしよう、という言葉だけが頭をぐるぐると回る状態になってしまった。
だが、それはこの場所に一緒に来たセイルスとて同じだろう。
セイルスは証拠として暫くは契約のもと隷属となっているはずだったが、それは今の状況を考えてセイルス自体が契約を破棄したようだ。
そうしてセイルスは先程と違い、自由に動き喋れるようになっている。
ただ無理矢理破棄したせいで多少は反動を食らったようだが、それも直に立ち直ったようだ。
破棄は本来契約者のみしか出来ない。だが、それをセイルスの意思で破棄出来るように作り変えていた。
ジルのいつもの魔道具改良のやり方では気づかれる可能性があったので、そこは別の方法をとっている。
精霊の力で契約内容の書き換えを行えるように施したのだ。
魔力と精霊の力はまったくの別物だ。その為、普通の魔力探知ではまず見つかることはない。
魔道具は既に魔力が篭っている。その為、何か細工をしてあるとしても魔力で何かをしているという先入観が入り、魔力しか探らないだろう。
たとえ魔力以外の可能性を思いついたとしても、それを探り出すのもほぼ不可能に近い。
先程も言ったが精霊の力とはまったくの別物なのだ。魔力でどうこうできるものでもないし、努力や勘で探し出せるようなものでもない。
精霊の力をどうこうできるのは「精霊使い」と「愛し子」だけだ。
そうして相手がサインしたと同時に契約内容を破棄できるのを本人だけでなく、隷属となる相手の意思で破棄できる内容へと置き換える細工をした。
そしてセイルス自体にかけた魔法も、精霊の加護を薄皮をはったような状態で全身にかけていつでも剥がせるようになっていた。
ただし、魔法をかけたのがジルである為、強制的に魔法を剥がすことになり、その反動で弾ける様な痛みをセイルスが負ったようだった。
そして今、自由になったセイルスに、伯爵と魔法使いの護衛が対峙する様な形となっている。
「やはり「契約」は上手くいくようにはなっていなかったか」
ふう、と溜息をつくように伯爵が言う。まるで焦った様子がないところからこれも予想済みだったのだろう。
だがそれはセイルスとて同じだ。
先程までのやり取りは、体の自由はなかったが意識はあったのでしっかりと覚えている。
ジルの安否が気になりはするが、それ以上に今現状の自分の方が危険な状態にあるだろう。
「どこまで予想されていましたか?」
「さてね。上手くはいかないとは思っていたよ。まぁ、どのような結果でも全て手に入るから関係ないのだがね」
「どんな結果でも?」
「ああ、そうだとも。君達がこの「屋敷」に入った時点で終了したようなものだ」
そうして不敵に伯爵は笑う。
やはりこの屋敷らしきものには何かがあるらしい。セイルスは魔力とは違う、力というより違和感のものを建物の中に入った時からうっすらとだか感じていた。
だが、喋ることも動くことも出来なかった為、ユミやジルにそれを伝えることは出来なかった。
現時点で何があるのかは予測できない。
今は目の前の相手がどうに動くか、それを見ているしかない。
現状を見る限り、自分から動くのはよろしくはない。
セイルスはただ黙って伯爵と後の護衛を見つめる。
伯爵は笑った顔のまま、懐から一枚の紙を取り出した。
「契約書は使えなくなったのでね、こちらの新しい契約書にサインをしてもらおうか」
隷属の契約書。
当然、サインなどするつもりもない。このまま燃やしてしまうに限る。
だが、一体何がそう確信させているのか、ゆるぎない自信を浮かべた笑みのまま伯爵は笑っている。
「君は歯向かえない。「屋敷」がそうさせている。このまま私のものになるが決定されているのだよ」
「勝手に決めないでよね。いい加減、ウザイよ」
それは一瞬。
今まで聞いた事がない声が部屋に響いた。
こちらが身構える前に、伯爵が唐突に崩れ落ちるように倒れこむ。
一体何が、と考える前に、セイルスはその相手を睨みつけた。
伯爵の後にいた、いつの間にか短い棒のような杖を構えている魔法使いの護衛を。
「もうさぁ、飽きちゃった。大体、なんで全部自分の手柄みたいにいってるわけ? 屋敷もこの結界も全部僕らがやってんだけど」
ああ、今は何も聞こえないか、と魔法使いの護衛、ベアゼルと呼ばれた男は肩を竦める。
どうやら伯爵は気絶、もしくは眠らせれているようだ。呼吸をしているようなので死んではいない。
ベアゼルがソファを跨ぎ、なんの緊張感もなくセイルスへと近づいてきた。もちろんセイルスはすぐに後へと下がる。
それを見て、丁度伯爵の横で足を止めて見えている口元だけでベアゼルは笑う。
「いいねいいね、その反応。人間ぽくって。見た目も中身も人間に近いね。でも人間とはまるで違うものも確かにある。それが精霊の力ってわけだ。いいなぁ、それ、ゾクゾクするね」
言われたこっちがゾクゾクする。嫌悪感が一瞬で沸いた。
クスクスと笑いながらベアゼルは足元に転がる伯爵を片足で思いっきり蹴飛ばして、部屋の隅へと飛ばした。
何やら嫌な音や呻き声が聞こえたが、伯爵は身じろぎすらしない。
「そいつは殺されたって起きやしないよ。ああ、殺されたらそもそも起きることもないね。いっそ殺しておけばよかった。まぁ、あのうっとうしい声を聞かなくてすむなら、なんでもいいけどさ」
「貴方は護衛ではなかったのですか」
「護衛さ。金で雇われた護衛。忠誠心なんてかけらも持ち合わせてないけどね。もっとも、金ですら雇われていないけども」
「雇われていない?」
「残念、それ以上は言わなーい。あ、君がこのまま僕のものになってくれたら教えてあげるけど?」
「遠慮しておきます」
「だよねー。あのジルっていう魔法使いもやっかいだったけど、結構興味あったんだよね。そっちはもう囲ってあるからまずまずの成果かな」
「何が目的ですか」
「言うわけないじゃん。ま、僕だけの目的っていうなら、もちろん君だよ。精霊ね。ジルはおまけって感じ。あ、そうそう、あと一つ楽しそうなのがあるね」
今まで笑うことも、喋ることもしなかった謎の護衛が、今では身振り手振りをつけて軽い口調で笑って話す。
ずっと感じていた印象とはまるで正反対の姿だ。
彼は一体、何者なんだ?
そんな疑問を思っていると、ベアゼルが短い杖を小さく横に振った。
ボンッ、とセイルスの後で何かが爆発する。
「ひぇ!?」
セイルスが振り返れば、粉々に散った木の破片とその場に蹲るネーナの姿。
顔を青くしてネーナは此方を、正確にはベアゼルを見る。
セイルスもすぐに視線を元に戻すが、ベアゼルは相変わらず笑ったままであり、立っている場所も変わっていない。
「やっぱ、魔法使いじゃーん。君、魔力隠すのヘタだね。隠密とか全然向いてないんじゃない? ま、暇潰しが出来たから僕としてはいいけどね」
「……え、え? そ、それって、初めから……?」
「バレバレ。部屋に入った瞬間、おかしくて噴出しそうになっちゃったくらいだよ。同じ魔法使いとしてちょっと同情しちゃうレベルで酷すぎ」
「………………」
「まぁどうでもいいけどね。それよりさ、折角見つけてあげたんだから、君達少しは僕に付き合ってよ」
「……付き合うとは、どういう意味でしょうか」
「そのまんまの意味。このまま捕まえるのなんて簡単だけど、それじゃつまんないじゃん。だから、時間まで遊んでよ」
時間? と、気になる言葉を聞いたがセイルスはあえて口には出さなかった。どうせはぐらかされるだけだろう。
色々と気になることはある。だが、それを考えるよりもどうやら優先する事項があるようだ。
どうやら、彼との戦闘は免れない。
ネーナが慌ててセイルスの側へ寄ってくる。その手にはシオンが手渡した緊急用の魔道具が握り締められていた。
セイルスも自分の楽器に使用するスティックを取り出す。
二対一、有利なように見えるがセイルスはこの状況がとても不利な状態だと気づいてる。
握り締めたスティックからは何も感じられない。内心、溜息をつく。
シオンから渡された守護札も同じだ。与えられた精霊の加護を僅かにしか感じられない。
先程からピリピリとしたものの、正体をこの時になってようやく理解した。
この部屋にとてつもなく高度な結界が張られている。
つまり。
今のネーナとセイルスは「魔力」を一切、使う事が出来なくなっていた。




