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教導

「来ましたね」

マルブレヒトを教えるにあたって、私ができることはほとんどない。そもそも私が受けた教育は急ぎであり、また貴種としての教育でもないからだ。しかし、マルブレヒトに足りないものを教えてあげることはできる。


「では、マルブレヒト様。昨日私の一発を受けたご気分はいかがですか?」

彼は少し口に出すのをためらっていたものの、頬をやや赤らめながら俺を若干睨み付けながらこう口にする。

「支えている腕が取れたかと思った」

護衛の袖を握りしめているのは見なかったことにしておこう。


私はそうですね、と少しだけ目を細めて頷いた。

「普段は感じないもの、あれが暴力です。私はあれでも手加減はしましたが──」

「手加減はしていたんですか!?」

護衛の男がぎょっと目を剥いたが、私が武官としても役割を持っていると言ったでしょう、と諭すと顔を赤らめて口を閉ざした。

「そもそもあの状況でこの護衛の方とマルブレヒト様の受けた脅威は変わりません。なのにもかかわらず、マルブレヒト様だけが泣き崩れて動けなくなってしまったのはなぜだと思いますか?」

「それは……戦士(クヴォールルェ)と、貴種(フォゴル)の違いだろう」


マルブレヒトの展開する理論はこの世界では当然のものだが、私はそれに否、と首をふる。

「私の村では私と同じように怪力な人が多くいました──けれど、彼らも自分の腕力で勝つことのできる生物に怯えるものもおりました。貴種であろうと、敢然と立ち向かう者もおります。彼らとマルブレヒト様の共通点は、脅威に普段からさらされていない点です」

「脅威に……」

マルブレヒトの考え込むような顔つきが実にほほえましいと思いながら、私はするりと杖を背からおろす。

「恐怖を克服するとまでは行かずとも、恐怖しても思考できるようにする、もしくは逃走する選択肢を取れるようにすること。こうするだけでも身の安全を図ることができます。では、問題を出しましょうか」

緊張感のある表情を浮かべ、待ち構える様子に少しだけ年下だな、と感じながら出題をする。

「護衛が一人もいない状況での最大の護身術とは、なんだと思いますか?」

「護衛が一人もいない?考えにくいが、自分が強くなることだと思う」

「いいえ、違います。正解は、『逃げること』です。マルブレヒト様が暗殺をする立場になって考えてみましょう。人がぐっすりと眠っている、寝込みを襲うのはなぜだと思いますか?」


彼は少し首を捻り、「ああ!」と手を叩いた。

「逃げられるのが最も嫌がられる、ということだな!」

「ええ。暗殺者が最も嫌がるのは、暗殺をするときに逃げられること。無論、毒を使われた場合はその限りではありませんが、寝込みを襲う、もしくは逃げ場のない場所で襲うなどは常套手段です。では、どのようにすればそれを避けられると思いますか?」

「常に、逃げるための経路を確保するべきだな。難しい場合は、必ず護衛をつける」

「ええ。ついでに言えば、同時に逃げるための体力も必須になってくるでしょう。では、少し庶民的な遊びをしてみましょうか」

「庶民的な、遊び?」

「ええ。そう難しい遊びでもありませんよ」


いわゆる隠れ鬼。

どこに隠れているのか探し当て、逃げる者に触れたら攻守交代。隠れる間は三十ほど数え、それから探し始めること。


「範囲はこの訓練場の中。開けられる扉、開かない扉。自分が通り抜けられる窓、敵からは見つかりにくく自分からは確認しやすい遮蔽物、ありとあらゆることを使って逃げおおせてください」

訓練場には倉庫がいくつかあり、器具も多数存在している。普段、戦士(クヴォールルェ)階級が戦いの腕を磨いているのであろうこの場所では遮蔽物が多く隠れるところも多い。一方で、見つかってしまったあと中央の広々とした空間は体力のある追跡者には有利だ。


「逃げてばかりもつまらないですから、私が捕まえたあとは人の指揮をして私を捕獲してみましょうか。護衛の方ではなく、今の時間帯暇を持て余している兵士の方にお願いできますか?」

「少し聞いてまいりますね」

マルブレヒトのそばにいた侍従がにこやかに下がり、私たちの目の前を去った瞬間に駆け足で走っていく音が聞こえる。


「つまり、私が逃げるときは護衛は近くにおらず、またハイル殿が逃げるときはすでに発見された犯人を追い詰めるため、私が指揮を行うと言うことか」

「ええ。その通りです」


意図をきちんと把握しているのは評価が高い。

暇な兵士たちは興味のままにゾロゾロと現れたが、先頭にいた一人が私を見て嫌そうな顔をした。

「げっ。食客のお嬢様じゃあないですか」

昨日、盾越しに思い切りぶん殴った人だ、と思っていると、彼は渋々と言った様子で私に手を差し出してきた。


「ハイル・クェンと申します。皆様には少々お手数をおかけしますが……」

「いやいや、構いません。次代の御坊ちゃまのためですから」

そうは口にしているものの、背後にいる人たちは興味津々、と言った様子で私のことを伺っている。あんな細い腕で隊長を崩したと聞くぞ、とか綺麗な顔立ちをしてるな、とかヒソヒソと話している。


「部下がすみません。まあ、なんとか面目は保ちたいところですな」

「流石に本気は出しませんよ」

「……おや。それは聞き捨てなりませんな?」


ニヤニヤと応酬をしていると、そろそろ始めないだろうかとマルブレヒトが落ち着かなくなってきたので私は開始の宣言をした。


まず、マルブレヒトが隠れる番。足音で大体どちらに向かったかまるわかり、その上マルブレヒト自身も隠れ場所を最初から定めていたようで迷わず一直線に向かい、蝶番が軽く軋みながら扉を開ける音がしたと思ったら閉まった。


顔を伏せて目を閉じていても丸わかりなその状態に、三十を数え終わった私は息を吐きながら兵士たちに準備をしておいてくださいね、と苦笑いで言った。

兵士たちもまたあーあ、とでも言いたげな表情である。


私はするりと足音を一切させないように気をつけて動きつつ、マルブレヒトが向かったと思われる納屋へと向かう。まずはトラップのチェック、こういうものは大体出入り口に仕掛けてあるのが定石だ。そこで屋根の方へと向かい、煙突の中を両手足をつっぱり、するすると降りていく。少しばかりすすがつくものの、気にせずに煙突の中から内側の様子を伺う。

すると、棚の足の下からちらちらと出入り口あたりを伺っているのが見えた。そうっと出て近づいていき、背後からふっ、と冷たい息を吹きかける。


「うわアアアアアアアアア!!!」

耳を塞いでおくべきだった、とくわんくわんする頭を抑えて苦笑いしながら、「捕まえましたよ」と肩に手を置いて笑った。


「おぼ、ぼ、ぼぼぼ……」

腰が全く抜けてしまったのか、彼は妙な言葉を漏らしながらまさに這々の体でずるずると床を這いずって出てきた。

「大丈夫、落ち着いてください。さて、まずは反省といきましょうか」

彼をスッとお姫様抱っこで持ち上げると、頬にふっと赤みが差してバッと目を逸らされる。妙に体に力が入っているなと思いながら、私は納屋の扉を開けた。

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