息子
マルブレヒトという少年の年は十二、彼の剣の腕は評するに『まあまあ』、いわゆるお坊ちゃん剣術であり、実戦の際に役立つようなものではないらしい。剣の師匠はいるが、はっきり言えば凡庸な師であり貴族が使うような、型通りの剣術としか言えないものであるという。ただ、本人はその事実に燻りを抱いているようで、実戦での剣もやってみたいと思っているようなそぶりも見受けられたらしい。
しかし、そのお坊ちゃん剣術はある意味必要なものでもある。決まった型を使う決闘でもこれを使うし、あくまではっきりとした理由あっての剣術であるため、私も習うには苦労したがある意味踊りだと思えばそう苦でもない。
つまり、今のマルブレヒトの状態はいわゆる反抗期である。
マルブレヒトに挨拶をしにいく道中、ジオレーベの部下と思しき人たちがチラチラと私の顔を見てきたものの、「旦那様とは似てらっしゃらないね」という囁きがうっすらと聞き取れたため、勘違いがやや浸透しているらしい。ただ、こういうものはある意味自分から理解してもらわないと説明したところでそう言うように言われているんだろう、とか思われてしまうだけなので自然と鎮火を待つほかないだろう。
オリフェは少しだけ「こういう館でないんですよ、普段は」と苦々しい顔をしていたものの、それでもやはり言い聞かせるのが無駄だと知っているのか、あまりそれについて擁護することはなかった。
「マルブレヒト様は、護身術のようなものは習ってはおられないのでしょうか?」
「いいえ。護身術は、基本的には必要のないものなんですよ。護衛がそこまで行かせたことがまずないですから……」
「そうですか……実際、儀礼的な剣術の師がいらっしゃるのであれば、私ができるのは多くありません。まず、勘違いされていますけれど、儀礼剣術は使うことができないようになっている剣術です」
「使うことができない?というと、実戦的な剣術ではない、ということでしょうか?」
「ええ。つまり、あくまで剣を持つための筋力などはあっても、体力はつかず、また体の使い方がよくなる訳ではありません。護身術はあくまで『身を守る』ものですが、どちらかといえば護衛『される』ことに慣れる、ということですね。まず第一に逃げることを教え、第二に逃げられなかった場合にどうするかを考える。言ってみれば、護衛される側に必須な考え方、行動を身につけるのが護身術です。ジオレーベ様はおそらく基本的なことは身につけていらっしゃいますよ」
「なるほど……そう考えると、確かにマルブレヒト様よりも、ジオレーベ様の方が守りやすそうですね」
「ええ。ですから、私が教えられるのはそのくらいです」
裂帛の気合いが入った声が庭園の奥から聞こえてくるが、それにかぶさるように「声は大きく出すものではないですよ!」という注意する声も聞こえた。私はそれに懐かしい、と思いながら足を進める。
「でも、先生……」
「でも、ではありません。優美さを失った剣術など使う意味はありませんよ」
不服そうな顔をしている、わりと体格のいい、見事な赤毛の少年が立っていた。まゆは気が強そうで太く、目元はやはりジオレーベの血を引いていると思わせるような力のある光が宿っていた。しかし、無謀でもあるその光は時に自らすら焼き焦がすようなものだ。
少年は不承不承ながらも剣を再度振り込んではダメ出しをされ、そして不服そうな態度を隠すことなく剣を振り続ける。剣先はぶれ、姿勢は悪く、だがそれでも体の基礎的なところがいいためかそれなりに思える要因だろう。
「マルブレヒト様、少々宜しいでしょうか?」
「なんだ?」
「お父上の客人がいらしておりますが、お会いになられますか?」
「今、授業の途中だ。後にしてくれ」
「いいえ、剣術の授業の見学を希望しておられまして」
「見学ぅ?まあ……いいが」
やや見えてはいたものの、日の光にさらされて汗を拭う姿はやはりジオレーベにそっくりだ。訓練場になっている場所に足を踏み入れると「なんだ、俺と同じくらいの子供じゃないか」という声がした。ちょっと俯いていた顔をあげ、目元だけで少し微笑むと、少しマルブレヒトの顔が赤くなった。格好は一応男と判別できるので、おそらく男女の別なく見惚れただけだと判断して軽く膝を折る。
「お初にお目にかかります。私はハイル・クェンと申します、マルブレヒト様でいらっしゃいますか?」
「あ、ああ!ハイル殿は一体何用にて我が家に参られたのか伺っても?」
「ええ、少し学問上調べたいことがありまして、ニーへへの道中にシハーナ宗主国に立ち寄った次第です」
「出身は、どこなのだ?シハーナ宗主国に立ち寄ったということは、他国の人間なのであろう?」
「はい。デザアルのロスティリ家より参りました。ああ、授業中申し訳ありません。どうぞ、お続けください」
マルブレヒトはやや緊張した面持ちになって側仕えに渡していた剣を握り直すと、力の入った姿勢のまま正眼に構える。体幹の軸はやや歪んでいるものの、儀礼剣は大きいためマルブレヒトの体格に合っていない。それをいかに優雅に、力を入れずに握っているように見えるかどうかが問題なのだ。
マルブレヒトは息を吸い、ゆっくりと振り上げて撃ち下ろす。そこから返すように剣を返し、一回転して剣を正面に構えた。さらにいくつかの動きを繰り返していき、そのうちに動きの問題点に気づく。
儀礼剣を教えられるにあたって彼の動きは相手を想定していない動きであり、尚且つ力が入りすぎているために最も重視される動きのつながりが甘い。
「……なるほど、『まあまあ』と評価されるわけですね。マルブレヒト様は、舞踊は嗜まれますか?」
「ええ、基本的なロガ・ニーニはすでに習得されていますし、確かそれ以外のものもそれなりの腕前と。特に曲調が早めのものは好んでいらっしゃいますよ」
「なるほど、動くのがお嫌いというわけではないのですね」
ますます、彼が自分の剣術というものを重視したい気持ちがわかるような気がする。だが、儀礼剣術は貴族として有る以上避けられないものになる。基本的な交渉ごとは裏で行われるものの、見た目を飾らなくてはならないのが貴族というものだ。そもそも当人が刃物を持って人に襲いかかる場など、武官でない限りあるはずもない。ましてや庶民派の筆頭の息子であるのだから、当人が剣を握るのは儀礼剣術の時だけだろう。
「……まあ、いいでしょう。動きは硬いですが、普段よりはよくなっています。本日は、これで終了としましょう」
「くッ……」
少し辛口の評価に少し歯噛みをしつつ、彼は剣を側仕えに預けると私のところに歩いてくる。
「ハイル殿、情けないところを見せてしまい、申し訳ない……」
「いいえ、人に見られているとつい張り切ってしまいますから、動きが固くなってしまうのは仕方がないことでしょう。それより、このあと、お時間はございますか?」
「ヴァルディ?」
「本日のこの後は、基本的にお休みになられるお時間ですので問題ありませんよ」
「それでは、マルブレヒト様。護身術に興味はありますか?」
「護身術……?ということは、ハイル殿は武官ということか?」
「ええ、一応特殊技官という位置付けですが武官としての役割も担っています。どうですか?ご興味あります?」
彼は少しだけ迷ったようだったが、こくりと頷いた。
一つ、『人間』を指導する上でのコツを考えるのなら、まず『力』『技術』があることを見せつけて完膚なきまでにわからせること、その上で褒めて育てること。これがコツだ、とロスティリで実戦を教えてくれた者が教えてくれた。私の腕力が強すぎたために彼と斬り結んだのはそう多い数ではなかったものの、技術的なことはその後である程度教わった。ただ、彼自身も型があるわけではなく、やや獣よりの剣術を使っているために相性がいいと送り出してくれたらしい。私や他の人以外の種族はほとんどが人間であれば無理な姿勢であっても、そこから巻き返すことができるくらいには無理が効くのだ。ゆえに、剣術もはっきりとこう、と教えられるものではない。
「ではまずは恐怖を体験していただきましょう。恐怖によって固まること、実は危機の際においては最も危険なことです。相手に明確な隙を与え、優位にさせることになりますから」
「恐怖?恐怖とは、また大層なことを言うが……そもそも、ハイル殿が武官としてどれほどの実力を持っているかを私は知らないのだが……」
「ああ、それはそうですね。確かに物的証拠が必要でしょうし……」
「ハイル様、でしたらマルブレヒト様に盾を持たせ、刃引きした剣で斬るというのはいかがでしょうか?」
なるほど理にかなっている。それであれば恐怖を感じさせることもできれば、なおかつ私の力を理解させることもできるだろう。
「では、最も丈夫なものを持って参りますね」
「ええ。よろしくお願いします」
「最も丈夫なもの?お、おい流石にそれは必要ないだろう……?」
「いえ、できれば衝撃を吸収できるようなクッション、また手首にもしっかりと布を巻いておいた方が良いと思いますよ。後は、盾を支えるのに兵士の方を一人、お借りできますか?」
「……手すきの者がいれば、連れて参ります」
マルブレヒトはさあ、と散っていく人を見送った後、「そんなに自信があるのか」とポツリとつぶやいた。
「ええ。こう見えて、人間種ではないですから」
「人間じゃない?こんなにも人らしいのに……」
「そうですね。では、そこから認識を正しておきましょう。私が出会ったことがある人の中に、自らの骨を武器とする女性がいました。彼女が仮に普通に近づいてきた場合、何も武器を持っていないように見えればあなたは間違いなく警戒しないでしょうが、一方で護衛は相手との距離が近づけば近づくほどに神経を尖らせるのです」
「しかし、それを守るのが護衛だろう」
「ええ。ただし、それは守られることがどういうことか、そして自分が恐怖に晒された時どうなるか……それをはっきりと理解しているかが、守りやすいか、守りにくいかを決定する要因の一つになるんですよ。例えば、あなたが誰かを守りたい時、護衛対象が恐慌状態に陥って逃げようとしたり、逆に敵が大勢来ているにも関わらず固まって動けないとしたら大変守り辛いでしょう?」
「それは……確かにそうだが、私は別にそのような状態に陥ったりはしないぞ」
少し強がっている彼には申し訳ないが、必ずそうなるとは限らない。そもそも私が今まで生き残ってきた時はその時は意識せずに動くことができるよう、ある程度大人たちの中で訓練されていたからだ。英雄の咬み傷然り、狩りへの同行や村から放り出される試練然り。
「楽しみにしています」
盾が届くと同時に、よく鍛えられているのがわかる兵士が一人やってきた。栗色の髪をした彼は少し厚めの口布をしているが、目元ははっきりとしていて顔はなかなか男前に見える。彼は私を見て怪訝そうな顔をしていたが、オリフェから気を抜かないように、と釘を刺されて肩をちょっとそびやかして真剣な顔つきになった。
「では、ぼっちゃま。まず、盾の持ち方です。あくまで盾はほとんどの場合取手がついており、ただ魔物などの防御に耐える際にはここに腕を通し、地面に先端を刺して衝撃を逃すように動かします。今回は私が腕を通しますが、ぼっちゃまはここを、両側から踏ん張るようにして持っていてください」
「あ、ああわかった」
曲面仕上げの、凧のような金属製の盾はおそらく大型の猛獣などに使用するのだろう。裏側にはきっちりと毛皮を貼ってあって安易に切り裂けないようにしてある。クッション材として使われている、柔らかそうな半透明のそれは獣の素材だろうか?私は自身の仕込み杖を鞘から抜けないようきっちり縛り上げ、数度振った。
「よし。では、参りますねー!」
「あ、ああ!いつでも来るといい」
オリフェが少し心配そうな顔をマルブレヒトに向けているのが少し視界に入ったものの、手を抜くつもりはない。あくまで盾の扱いに長けた大人がいるのだから問題ないだろう。
地面を踏みつけた瞬間、空気がねっとりと重さを含んだように体にまとわりつくのがわかった。瞬間的に近づいてくる壁のような盾に、勢いよく杖を振り抜いた瞬間に盾は若干の凹みを見せ、若干の苦悶の声が響いた。盾はその瞬間に崩れ、覆い被さるようにして倒れる。衝撃を逃すこともできなかったのだろう。
「マルブレヒト様……!」
半分悲鳴のような側仕えの声が聞こえたが、私はそれに構わず盾を引き起こした。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……普段は隊長の命令と同時に逸らしているので、指揮系統のないこの盾がこれほどとは思いませんでしたよ。クッション越しのくせに腕がまだ痺れて……」
「う」
マルブレヒトが体を起こして、わけがわからないというふうにあたりを見回した瞬間、私を見て「うわああああああ!!」と叫ぶ。涙が次々と溢れてくるようで、恐慌状態に陥ったらしい。顔はお世辞を言ったところでぐちゃぐちゃとしか表現しようがないほど、液体まみれだった。ずりずりと私から逃げようともがいているが、兵士の腕の中から逃げ出せずにそのことにも混乱しているようである。
「ひッ……ひっ……!!」
「本日はこれ以上、授業とはできないようですね。では、マルブレヒト様。次の授業は明日、またお時間のある時としましょう」
にっこりと微笑み、少し怯えた顔の側仕えにはっきりと同じ言葉を告げて私は立ち去ることにした。オリフェは「これでよかったのですか」と慌てていたものの、私は問題ないと踏んでいる。
あれほど反抗的な、不満そうな態度をとっていた者が、時間が経ち薄れた恐怖に対して立ち上がれないわけがない。反骨精神、意地と言い換えてもいいかもしれない。
翌日、訓練場には二人の人がいた。昨日と同じ側仕え、そしてマルブレヒト。
「では、本日の授業を始めましょう」




