条件
前回ミスって別の小説の話を投稿してました。ごめんなさい。
マファルシャーの疑い深さは家を守るために必要なものではあるが、ジオレーベはそれをよしとしなかったらしい。確かに命まで救われているのだから、と溜息を吐くように擁護してくれたものの、ある意味逆効果だった。
「命の危険があるようなことをしないでちょうだい!正当な後継者も指名しないままだとどう頑張っても家が荒れる未来しか見えないでしょうが!!」
ど正論を怒り狂いながら言った彼女はまあ、とそこで矛を収めることにしたようだ。
「とりあえず、あなた自身がどこぞで撒いてきた胤でないのなら、すぐに御子息と奥様に報告して、直接紹介しなさい。使用人として正式に雇っているわけではないのだから、食客扱いでしょう?以前、貴族派でも同じように食客としてマロゥ・ロバッゼ殿を招いていた話もあったのだから」
マロゥ……?
その名前に私がハッと反応する前に、ジオレーベの「そうだな、とりあえずやってもらおうと思っていた仕事については嫁と子供に顔見せしてから相談するよ」と頭をかきながら口にする。そして特に服を替えることもなくスタスタと階上へ行こうとするジオレーベに、マファルシャーはサッと声をかけた。
「二人とも、今は昼寝の時間だからもう少し待ちなさい」
「は、はい……姉上……」
どうやら女性には逆らえぬ家のようだ、と私はそこでジオレーベの館での様子が容易に想像できた。隣でゼノンはくつくつと小さく笑いを漏らしている。
「ゼノンさん、ということは私、どうしたら良いでしょうか?」
「そうですね……一旦は仕方がないんですが、客室に通されるかと思います。そこで側付きを一人つけますから、後の指示は追ってその人から出させます」
「わかりました、ではそのつもりで準備いたしますね」
「ああ、食客の立場ですから私に敬語は必要ありませんよ?」
「いえ、丁寧に喋ることが染み付いてしまっていますから……では名前の呼び方だけ変えることにします」
彼にある程度断りを入れて、ゼノンさんと呼ぶことにする。その後、マファルシャーはすぐさま私についてきてちょうだい、と言って長々と歩いた後、とある一室を開放してくれた。部屋の中はこざっぱりとしていて、柔らかな温かみのある布が壁にかけられていたり、また窓から燦々と差し込む光は青や緑を基調としている。長椅子はふんわりとしたクッションが敷き詰められていて、はしゃいで飛び込んだとしてもきっちり体を受け止めてくれそうである。また、部屋にはお手洗いや風呂も併設されているようで、風呂は汲み置きの水瓶から桶ですくった水を全身にかけ、それが流れるようにした場所でありやや寒々とした印象すらあるが。
「一応、一週に一度はそれなりに掃除しているから、何か不都合があるなら後ほど送る側付きに言ってください。それから、荷解きですが触られたくないようなものがあれば、こちらの鍵のかかる小棚がありますから、そちらへ」
鍵を手渡され、その鍵に紐がついていて首から下げられるようになっていることに気づく。
「はい、ありがとうございます」
「側付きが来たらご入浴なさってください。その状態で挨拶に行かれては、困りますからね」
子供に言い聞かせるような、先生か母親のような言葉遣いのまま彼女はあれこれと指示を出して戻っていった。ひとまず、荷解きをして身分証明証などを件の鍵のかかる場所に入れておくべきだろう。
後は、植物図鑑もそこに入れよう……そう考えて、書類や冊子を入れるための金属製の保護ケースを背嚢から取り出した。食糧に関してはほとんど現地調達でも問題ないと考えていたため、荷物の中は多少の塩、それから香辛料がわりの乾燥させた種ばかりである。
書類ケースは鍵のかかる棚に突っ込んで、それから背嚢の中にあった巻き布を取り出す。以前アショグルカ家に滞在した時購入したものであり、どこかで仕立ててもらおうと考えていたもののそのままにしてしまった。ジオレーベかゼノンか、彼らに仕立て屋の場所を聞いてみるべきであろうとその布を取り出し、棚の書類ケースに立てかける。
ふと、そこで部屋の扉から澄んだリィ……という音がした。どうぞ、と軽く声をかけると、穏やかそうな体格のいい青年が失礼します、と言いながら入ってきた。赤茶の髪にやや朴訥とした顔立ちがどことなく人に安心感を与えるが、その実体は割に鍛え上げられており、動けるな、という印象を抱いた。
「失礼致します。本日より……お待ちを。ご令嬢では?」
見張った目から同室に男女がいるのはまずい、という表情になったが、私はすぐさま否定した。
「いいえ、正真正銘の男性です」
「ああ、失礼しました。すみません、とても美しい髪色と、瞳の色をなさっていましたから。それほど美しく保たれているのであれば何か気を使っていると思ってしまいまして……」
「いいえ、構いません。それより、荷解きを手伝っていただけますか?多少衣装を持っているので、もし可能であれば注意点と、この場合に奥様にご挨拶をするための正確な作法が分かりませんのでそちらも軽く注意していただければ、と」
「はい、かしこまりました。それでは、先にお湯を使ってしまいましょう」
「あ、いえ、私はお湯は使えないのです。種族が違いますので」
「種族が」
彼はパチパチと丸みのある垂れた目を瞬かせ、それからちょっと顎に手を当てて考えた。
「と、いうことは……もしかすると聖餐に影響するかもしれないので、できれば食べられないものなどをお伺いしても?」
「熱いものが食べられない、というだけです。種族柄、熱いのは苦手ですから……」
ひんやりとした空気を纏った手を少しだけ彼に触れさせると、納得いったように彼は頷いた。そしてそういえば、と口にする。
「名乗ってすらおりませんでした。私、オリフェと申します。以後、よろしくお願い申し上げます」
「私はハイル。ハイル・クェンと言います。よろしくお願い致します」
私が湯浴みを済ませたのち、紗に覆われて仕切られている湯浴み場の奥から「着替えや手拭いはこちらに置いておきますね」という言葉がかけられる。私はそれに返事をして、ほんのりとぬるい液体を体にかぶる。ふとそばを見ると、よく使用した液体状の石鹸のようなものが置いてあった。蓋を捻って開けると、中からはほんのりと柔らかい花の香りがする。ロスティリの家でも使っていたもののようだ。
すう、と肌に滑らせるとちょっとだけ違和感が走る。薄めたな、と内心で苦笑しながら全身を洗い終えて流すと、薄い花の香りが全身を包んだ。ちょっと気分が上がるなあ、と思いながら若干伸びてきた髪に軽くオイルを通して布で髪を拭いていく。これほど気を使うことはないのだが、実際旅装の間は体をはっきりと洗うことはなかったのでありがたく綺麗にさせてもらおう。
「よし」
服に袖を通すと、ポルヴォルに仕立ててもらった滑るような手触りのそれも若干よれが見えるため、やはり衣装を仕立て直さねば、と思いつつ風呂場から出る。
「オリフェさん、髪だけもう少し乾かしても良いでしょうか?」
「ええ、構いません。ただ、乾かし終わったら少しまとめたほうが良いかもしれません。この国では基本的に女性は髪を長く伸ばして下ろし、そして男性の場合はまとめるか、もしくは短くしています」
ああ、とそこでルフェトとの初遭遇を思い出す。確か髪を伸ばしていないのはなぜ、と聞かれたのだったか。ルフェトも綺麗な髪を下ろして、その上から長いヴェールをかぶっていたはずだ。
「他国でも貴族であれば髪は長くしている方もおられますから、男女を分けるためにそうなっているんですよ。よろしければ、結わせていただいても?」
「ええ、お願いします」
オリフェは小瓶からとろりとした黄金色のオイルを手に少しだけとり、そしてよく広げて温めると私の髪に揉み込むように馴染ませていく。思ったよりもベタつきは少なく、すぐにさらりと馴染んでいくそのオイルに興味が出て、いったいなんなのかと聞いてみると彼はゴゴニの実を絞ったものですよ、と教えてくれる。
ゴゴニは油分を多く含む植物であり、ゴツゴツとした種皮にはやや独特な香りがあるもののそれを剥くと内部からしっとりとした味わいの果肉が現れる。そしてその薄い果肉を除いた後で取れる大きな種が、油を採取するのに使われる。もちろん、葉っぱや樹皮にも多く油を含むために着火剤として旅をする者や商人には好まれる。
「ゴゴニでしたか。ほとんどの場合は料理に使われるのに、かなり珍しいですね」
「ええ、最近ニーへでこの効能も出されたらしいですよ」
「ニーへ……ですか。ありがとうございます、主人にも教えたらきっと喜ばれると思います」
「主人、ですか。その……失礼ですが、あなたがこうして旅をされることに関して、あなたの主人は何もおっしゃらなかったのですか?」
彼は若干怪訝そうな顔をしているが、私は「特には」と軽く返す。
「実際には、私はポルヴォル様の部下という体にはなっていますが、『彼』自身とはある意味友人のような立場です。友人が旅に出たからと言って縁を切るようなものでもないでしょう?」
「そうですね、それは失礼なことを聞きました。しかし、一部の使用人はあなたがジオレーベ様に恩がありながら、ふた心を抱いていると思われます。ですので、出来うる限りその感情を逆撫でしないような言動を心がけていただきたい」
「……やはり今からでも市井に行って過ごすべきだったかと思っていますよ」
「はは、ゼノンさんから私は話を聞いていますし、奥方からもそういう話を聞かれた時にはっきりと答えるのがよろしいですよ」
「そうですね、ありがとうございます」
できました、という言葉の通り、私の肩ほどの髪は綺麗に頭の横側から編み込まれたあと後ろで柔らかい青銀色のリボンにまとめられていた。水を張った鏡がわりの水盆を覗き込むと自分の顔がやはりほとんど変わらないままにそこにあった。
鏡というものは高価で、実際ガラスを使った大きな鏡などはポルヴォルに見せてもらったことがあるが高価ゆえ恐ろしく気を使って保管されていた。曇りのないガラスに金属の箔を貼り付けて作られたそれはとても美しく飾り立てられていた。手鏡でさえもかなり高額であり、所持するだけでも貴族として箔がつくようなものだ、と笑いながら語っていた覚えがある。
「では、まずは名前ですね。ジオレーベ様の名前はヴァジョン・ヴォー・ジオレーベ、家門名・洗礼名・貴族名の順ですね。奥方様はヴァジョン・ラープレ・オォルカー、ご子息がヴァジョン・マルブレヒト、未だ十五を迎えていないので洗礼を行なっておりません」
「洗礼ですか?」
「ええ、光からもう一つの名を賜る儀です」
「ああ、それですか。私もその名は戴いておりますけれど、基本的には名乗るのが普通なのでしょうか?」
「ええ。基本的にはこの国では人間種は十五歳、それ以外の種族は五歳程度で行います。人間種はやはり、光と闇に拝謁を賜ることはできませんが……どちらかと言えば、これで良かったのかもしれないと私は思っていますよ」
「これでよかった、とは……?」
彼はその問いに答えることなく、そして簡易的な儀礼を浚った後で「では、そろそろお時間ですから向かいましょう」と口にした。
廊下はほとんど外のようなものであるが、雨が降ることが少ないからだろうか、しっかりと磨き上げられている。私も一応靴は別に出してきていたものの、少し崩れてしまっているあたりが目につくだろうか。オリフェはピタリとその足を止め、とある一室の扉を丁寧に叩く。
「入ってちょうだいな」
「失礼致します。旦那様はもういらっしゃいましたか?」
「ええ、ここにいるわ。全く……例の子も一緒なのね、入ってちょうだい」
存外にやわらかな声が響き、そして静かに扉が開く。その奥に、寝椅子の上に姿勢を崩した女性が半分手すりに体を持たれさせるようにして起きたようだった。そして、注目するべきは彼女の腹部分──そこにははっきりとした膨らみが見てとれた。オォルカーと言ったか、彼女の髪はジオレーベと真逆で美しい夜色の波打つような髪であり、とても美しく整えられている。
「ごめんなさいね、こんな格好で。少し動きづらいのよ。主人からは話を聞いたわ。古のものから主人を逃がしてくれて、本当に感謝しているわ」
「いいえ、ジオレーベ様自身が私と出会うことこそ光の思し召しであり、単にそう決まっていただけのことです」
「そうね、それでもあなたが主人を守る義務もなかったでしょうから、そのことに礼を言わせてちょうだいね。では、本題として……食客としてこの館に留まることですけれど、許可いたしますわ。ただし、少し条件をつけさせてもらいたいの」
鳶色の瞳が、こちらをじい、と捉えた。顔立ち自体はそれほど美麗というわけではないのに、果てしない圧力を感じる。
「はい、構いませんよ」
「息子──マルブレヒトの相手を務めて欲しいのよ。あなた、十五は超えているということだけれど、それでも今やや複雑みたいでね、弟が生まれることに対してちょっと内心……嫌がっているかもしれないと思って」
「……いえ、そういうことでしたら安請け合いするつもりはありません。私はまだ、マルブレヒト様にお会いしたこともありません」
「それは……そうね、では、剣を使えるということだから、仕事の合間にマルブレヒトの剣を見てやってちょうだいな」
「田舎の素人剣術でよろしければ」
頭をしっかりと下げると、彼女はよろしくね、と言ってまた長椅子に体をゆっくりと倒す。ジオレーベも、子供ができているオォルカーを放置して……と思っていると部屋を下がる時チラリとジオレーベが薄手の布をオォルカーにかける様子だった。なんだかんだ言っても、やはり夫婦らしい。




