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ゴトゴトという音が夕闇に溶け始めた頃、ちょうど小さな農村に到着した。農村の名前は特についておらず、ほとんどが番号で管理されているそうだ。国境に繋がる街道はいくつか存在するが、どれもが放射状にシハーナ宗主国の中央都市に繋がっているらしい。その中央都市に行くまではそれなりの時間はかかるものの、道中にはそれなりに大きい都市も存在するようで見物客であればそこで留まったりもするそうだ。


農村ではいくつかの野菜や家畜を特産品としているらしく、その一つに例の餅のようなもの、コルティーロがあるのだと説明してくれた。村長に挨拶と泊まっても良いかを聞く間あちこちを見て回っていると、娘の一人が私のことをレーベの子供かと思ったのか、ちょっかいを出してきた。懐かしさに包まれつつ、コルティーロをどうやって食しているのか聞いたところ、蒸すのが主流で、それに家畜の肉を挟み込み、甘辛いタレをかけるようなものが主流だ、ということだった。例の八角ににた香りをもつ植物はよく道端に生えてくる食材の一つで、普段大量に使うこともなく、また繁忙期には放って置かれてしまうことも原因で緩衝材としても使われる、とのことだった。

「おいしいですね」

ふんわりと香りが残っているのも、肉の獣臭さを抑える要因になっている。これが一番のご馳走だ、と言いながら彼は貴族であるレーベにトクトク、と白く濁った酒を注いでいた。人以外がいないため口布は外しているものの、テーブルは暗黙の了解で分けられている。村長の家にいた女性たちは静かに食事を終えると、酒も一口も飲まず静かに礼をして部屋の奥へと去っていった。


「コルティーロはその原料はこのゴツゴツしたもんでな。それだけで食うと渋みがあるもんで、ようくすって、しぼった後の汁を乾燥させた後、このビャッカの花を加えて練るとできるんじゃ。そのまま食ったやつは食料じゃない、なんてほざくがね」

「手間のかかるものなんですね。実際、私の姉のような人も、初めて見た時には食べ物か疑ってそのまま口に入れて悶絶していましたよ」

「はっはっは、そりゃあおもしろいのぅ。しかし、こんなちんまい子を連れて旅とは、レーベ様も隅に置けませぬなあ」

「俺の子じゃないんだが……」

「そうですよ、これでも立派な十五歳です。あ、もうそろそろ十六でしょうか?」


村長はその言葉に目を瞬かせたが、とんでもない冗談を言いなさる、とケラケラ笑っていた。本当のことを言っても信じてもらえないのは、なかなかに心に来るものである。

「ビャッカの花というのは、どういう花なんですか?」

「ああ、そこの鉢植えにも植わっておるとも。よければ一株、分けてやろうかい?」

「いえ、この先も旅程ですし、花もきっとこちらにいた方が心地いいでしょう。それにしても、少し変わった名前ですね。この花の名前に何かいわれなどがあるんですか?」

「ほう!良いところに気づいたなぁ!」


老人がその後語り始めたのは、たった50年ほど前の話だった。ここでたった、と言ってしまうあたり、私もだいぶん世界の速度に取り残されてしまっている気さえするのだが。

50年ほど前に現れた、ある旅人がコルティーロにとある花を混ぜ込むことを提案してきた。その花は美しく香り高く、そして混ぜ込むことでコルティーロが白く輝くようなものに変わった。それまでコルティーロはくすんだ灰色であったから、村人はそれを奇跡の花と呼んだが、その旅人はそれを「ビャッカの花」と呼んだ。そこから、この村ではビャッカ、という名前をつけているらしい。


「とても面白い話ですね。その旅人についての逸話って他に残されていたりしますか?」

「ああ、そうだなあ。やはりこの話をせねばしまらんな」

「やめてくれよ、お爺。あんたの話は長いんだぞ」

レーベの言葉に「年寄りに小言なぞ言うても聞きませぬぞ」と軽く言って、彼はとある本を引っ張り出してきた。


「これが旅人が残していったものでな。もういらんものだから、と言うて去っていきよって。聖央都に向かった後じゃったか、彼が戻ってきた時……彼はこの手帳を残し、そして国の外へと去っていったようでな」

すらり、と取り出されたのは、青みを帯びた革表紙の手帳だった。紐で留められているそれを手にとってぱらりとめくった瞬間、心臓が止まるような思いをした。彼はーーここにいた。


『あまり書くことはできないので、手短に。これを読めるのであれば、君は間違いなく同胞なのだろう』


そんな文字を見て、私ははぁ、と張り詰めていた息を吐き出した。その文字は、紛れもなく前世で使っていた日本語だった。

「世界にはこのような文字があるのですね。興味深いので、もう少し読んでもいいですか?」

「ああ、良いとも。しかし、勉強熱心な若者じゃの、感心感心」


パラリ、と次のページをめくる。

『私はどこで育ったか思い出せない』

『家族に会いたい。友の顔が頭に浮かぶ』

『とうとう、聖央都にたどり着いた。ここなら私が帰る手段が見つかるかもしれない』

そして、何度もインクを使って消した跡が残る1ページを挟み、最後のページにはこう記されていた。


『石碑を見た。全てを知ってしまった。私はただの魂の不完全な写しに過ぎなかった。元の世界に帰るなんて、できるわけがなかったのだ。この世界に、神などいるわけがない。いるならなぜ、私を救ってくれなかったのか』


なるほどーー確かに、私がもし前世の人格や、家族の思い出を引き継いでいたのならこうなってしまっていたのかもしれない。例えば前世に強く思いを残した友人が、家族が、恋人がいたのだとしたら、こんなふうに。ふと、最後の一節に引っかかるものを感じてそして読み返す。

「……待って」

石碑を見て、全てを知った、と記されている。ならば……。


聖金碑なのかどうかは未だ定かではない。しかし、それは見なくてはならないものになった。

「ありがとうございました。どうも文字の傾向としては何種類かが混じり合っているようですね。主に、このクネクネしたものと、それから組み合わせたようなもの、そして線がまっすぐ簡素なもの。外国の文章だとしたらとても不思議ですね」

「おお、そうかね。とても頭が良いんじゃのぉ……レーベ様のお子ではないようですのぉ」

「やかましいぞっジジイ!」

「おお、こわいこわい。貴族様に睨まれてはこのジジイ、黙るしかないようですな」

軽く肩をそびやかしては妙におどけた表情をしており、一方のレーベは口では怒りつつも足を崩し、目元はやや微笑んでいる。お互い喧嘩が本気ではないことを思わせるような姿だ。

庶民派(レー・ソンネ)、いいですね。ゼノンさん」

こっそりゼノンにそう囁くと、彼はちょっとだけ苦味をのせたような表情で笑った。


夜、眠りについたあと、ふと目が覚めて階下にある小便壺へ用を足しに向かう途中、ゼノンとばったり会った。彼はどうやら報告書類を書き記していたようで手がインクで汚れていた。ふと、何かの羽音が遠ざかっていく。何か報告でもしたのだろうか、と思いつつ私は「お手洗いですか?」と尋ねた。

「ええ、まあ。書類を書いていまして」

「お疲れ様です。それとすみませんけれど、手水場ってどこにあるかわかりますか?」

「ああ、それなら私も向かいますから一緒に行きましょう」

ぎしりと軋みを訴えるような階段の音にちょっとだけ心臓の音が早くなりながらも、私は階下へと降りていく。ふと、月がカーテンの隙間から差し込んでいるのが見えて少しだけ心が痛んだような気がしたが、それはものの数秒のうちに消えていく感傷だった。


私は、きっと遠く異郷の地に一人突然置いて行かれた彼のことは、永久に理解できないだろう。

私の魂の故郷は、あくまでこの世界なのだから。




翌朝目覚めると、朝食にとやはり蒸した花の香りのあるコルティーロを出してくれた。ほとんどの都市ではこれを食べているそうで、ビャッカの花が入っているもの、入っていないものが存在し、金がほとんどない貧民は入っていないものを食べるのだという。実際コルティーロとして流通しているのはビャッカの花が入っている方であり、輸出にもほとんどはこの花が入っている方が用いられる。なにしろ元のものは灰色で、そもそも食べ物としてはどうなのかという見た目だからだろう。

近年ではこのビャッカの花の匂いを取り除き、白さだけ手に入れられないかと四苦八苦している者もいるらしい。どこの世界でも、食べ物の見た目というものを重視するのだろう。


「と言うことは、この村でも普段は花が入っていない方を召し上がっているのですか?」

「ええ、まあ。しかし、花が入っているのといないのでは、格段に味が異なりますのでね」

少しだけ分けてもらったが、なぜか奥の方に渋みを感じ、またふんわりとした食感ではなくねっちりとしており、かつなぜかざらつきの残る味わいになる。味の違いはもちろん、はっきりとしていた。花の香りがなければと思ったこともあるが、正直これならば香りがある方が良い。

「この花が、我々の救世主なのですよ。ただの貧村から這い上がることができたのですからね」

「なるほど、確かに格段にこちらの方が美味しいです。コルティーロはやはり、ビャッカの花がないといけませんね」

「ええ。もしよければ、こちらをお持ちください」

白いコルティーロが、子供の握り拳ほどの袋にいっぱい詰められている。私は目を見開いて、そして「こんなにはいただけませんよ」と突っ返そうとするとやんわりと固辞される。


「老人の話を聞いてくれた礼とでも思っておけば良いとも。あれば、食うには困らぬからなあ」

「ですが……いえ、ありがたく頂戴します。村長さんもお元気で」

にっこりと刻まれた皺の深さに私はなぜか、居た堪れなくなる。いずれ私が彼の見た目になるときには、一体どれほどの年を重ねれば良いのか。ゼノンが私の背中をつつくまで、私は村長さんと細々とした村の歴史であったりを聞いて、そしてその場を後にした。


鉛筆というのは偉大なる発明であるが、発明はあくまで発明、この場所にはそんなものを再現したものはない。しかしありがたいことにこの世界でも一応毛細管現象というものは存在していて、インクの入った壺を引っ張り出すとつう、と先の割れている木製のペンを少しだけ浸す。パッとみればヘラのような形にも見えるものの、これに関しては貴族の使う金属製の飾りペンとはまた異なった、安物である。

村の歴史を聞き出せるだけ聞いたのでそれを軽く描き綴り、そして日本語などについて自らの思考をこの世界での言葉で書き足していく。他人が読めないように日本語で書き記すなんて、するはずもない。


「おう、帳面か?こんな場所で書かずともいいだろうに」

「人類は忘却する生き物ですからね。それに、瞬きのような時間であったとしても、私は大切にしたいと思っています」

「瞬き、ねえ。俺たちの人生がいかに小さなものか……」

「いいえ、人生とはあくまで積み重ねですよ。刺激のない場所にいて、子供扱いされている私の出身の村の子供たちは六十、七十になっても子供のままなのです。実際、あなた方でいう十歳ほどの子供とほとんど変わりません」

「お、そうなのか……?」

「ええ。実際、私は特殊なんです。村を出ざるを得ないのも、ある意味そのせいですね」

「なるほど、だからお前はおかしいのか」

「おかしいとはひどいですね。このような子供に対して……」

よよよ、と泣き真似をすると、呆れたようなため息が上から聞こえてくる。ゼノンが横でじっとりと睨みつけているのを見ると、私とレーベはお互いに顔を見遣り、そしてへへ、と苦笑いをして居住まいを正す。


「全く、お二人とも仕方がないですね。それからハイルさん、今はまだ旅程中ですが、今後館の中ではレーベのことをジオレーベ様、あるいはお館様、旦那様と呼ぶように」

わかりました、と頷くとよろしいと言い、ゼノンは懐に手を突っ込んで一枚の地図を取り出した。

「こちらが無料で手に入れられる地図ですね。商人たちはここに各自秘伝の事項を書き込んだりしておりますが、それはさておき、普通のものは地形などは描かれておりません。ほとんどの大雑把な国の形、それから大まかな領地の名前について。領都なども実際には住んでいる人間に聞けば問題ないのですから、ほとんど書かれていませんね」

すす、と指を動かすと、央都の隣にある領地を指差した。

「こちらがジオレーベ様が所領している場所です。領地の名前はフュルフェ、風に愛された地となっています。ジオレーベ様の御家門はマギスウィー家であり、長らくフュルフェに住んでおられました。この位置的に分かる通り、央都とは非常に近く、それでいてあまり肥沃ではない土地のため民との距離も近く、かつて数度暗殺者が飛びかかってきた時には心臓が胸からこぼれてしまうかと思いましたよ」

「う、うるせー!あれは仕方がなかっただろ。俺もあれから逃げ足だけはきっちり鍛えてるんだから」

「そうですね。さて、そんな具合ですから、フュルフェは長いこと扱いが不遇だったのですが、百年ほど前に鉱石の採掘が可能になったために急激に力を伸ばしました。そして、現在庶民派の先頭に立つ立場なわけですが……そういえば、文官として働いていたんですか?」

「いいえ、特殊技官ということで両方できるよう仕込まれましたよ。実際にはどちらもこなせますが、本質的には武官として扱っていただけると嬉しく思います」


その後続いたフュルフェの話では、フュルフェはそもそも打ち捨てられた土地として存在しており、国もその行方には着目していなかったが、フュルフェにのみ存在する山脈から鉱石が出現したため一時は召し上げるかという話も出たが、国内の領主たちがそれを一斉に反対したらしい。もし前例ができれば自分達もそれをされてしまうかもしれない、という不安からだった。

マギスウィー家は一年の採掘量を決定して、それ以上の採掘を禁じたため他の領地との兼ね合いも問題なくしたために今現在の安定があるのだとか。


「ジオレーベ様は現在一年のおおよそを央都の屋敷にて過ごしていまして、昨晩私が手紙を書いたのもジオレーベ様の姉君であるマファルシャー様に連絡を取っていたからです。央都で過ごされていると言いましても、実際は会議に出たり、現地での買い付けなど行なっており、領地よりもかなり忙しいです。できれば計算だけでもどなたかやってもらえないかと思うくらいに。あとは、各領地とのやりとりも実際には央都で行われているんですよ。例えば鉱石の買取価格、市場調査、また需要の有無などですね。時折国外に出ては国外での需要調査などもあるので、実際屋敷にいる間の労働期間については世話係というより書類仕事が基本になりますね。初めの一週間くらいは拘束させていただきますが、仕事をある程度覚えた後には時間はかなり自由に使えると思いますよ。館で働くにあたっての身分証明ですが、シューヤ家の保証がありますので問題ないですよ」

ずらずらと並べられた要点を手帳に書き留め、そして小さく頷く。

「給金については館に到着次第、まず命を救ってくれた褒章、そして給金を渡しましょう。今魔獣と一緒に搭乗しているだけでも、周囲の獣への威圧になっているでしょうからその分を」

「え!?それ、魔獣だったのか?」

ゼノンの冷たい目線にへえ、と言いながら指を近づけてエアガブガブしているのをやめなさい、と嗜めると注意されたと思ったのかレーベがガックリと肩を落とす。


「そういうわけなら、金を出さないわけにはいかねぇな。よし、払ってやれ」

「あ、いえ、あの一応報奨金としてはいただきますが、あくまで一時的な手伝いの扱いにとどめてください。給料というものはロスティリ家からいただいているので」

「ああ……そうですね、一応他家の引き抜きに準ずる行為は貴族の中でも卑しい行為だと思われてしまいますから……そうですね、では出来高制でのお支払いをいたします。その……ですが、実際お給金を他国で稼ぐのも、まあどうかとは思いますが……」

「そうなんですか?実際私は今ロスティリの役に立っているわけではないので、主人のお金をあてにするのではなく私自身が稼がなくてはならないと思いまして」

現にロスティリからの支援で賄っていたのはアショグルカ家から出るまでの間であり、入国料金以外を残してほとんどを返金するようにリリンに引き渡してもいる。

「そ……そんな……こんなに主人思いのいい部下がいるなんて、なんて素晴らしいんでしょうか、ロスティリ家……」

「い、いえ……」

実際あそこに行けばわかりますよ、という言葉をぐぐいっと飲み込みながら私は愛想笑いをする。ロスティリ家は美しさを至上のものとしており、それはあくまでポルヴォルも例外ではないため、私は色々と厚遇を受けている。そのため金銭を無駄に使わせるのがただ心苦しいだけだったのだが、ゼノンはそうは思わなかったようだ。色々ときらきらしい視線を頂きつつ、私は苦笑いすることしかできなかった。

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