信仰
砦の近辺まで近づいてくるにつれて、遠目で見えていた砦もかなりの大きさに加え、地平線と同化していた城壁のようなものも見えてきた。白いために地平線とほとんど同じように見えていたのだろう。その城壁もよくよく見れば砦と同じように白い石材で作られており、精緻な幾何学模様をたたえたレリーフが細かに彫り込まれてはいたものの風化の影響が激しいようにも見える。美しい城壁ではあるが、どこか不可解なように見えるのがその表面が石材の継ぎ目も見えないことだろう。
「綺麗だろう?」
「ええ、素晴らしい技術だと思います」
聞いていることと違うじゃないか、と愚痴を言いつつため息を吐くレーベをよそに、私は白い城壁をじっくりと観察する。漆喰、いや石灰だろうか?白いその壁を美しくむらなく塗り込んだその技術に素晴らしく感動しつつも、その維持について思いを馳せる。おそらくここまで美しいのも、雨が滅多に降らないからだろう。確か白壁漆喰の技術もこんな感じだったか、と思いつつじっくりと眺めていると、肩をトントンと突かれる。
「次だぞ、書類は俺が出してやるから」
「あ、はい、お世話になります」
レーベはここにくるまでに軽く服を良いものに変えており、私もまた多少装うようにと伝えられていたためポルヴォルにもらっていた衣装に袖を通す。ほんの少しでもきつくなっていないかを考えたものの、全くの杞憂であったことにがっかりしていた。なぜ天は私に成長を与えなかったのであろうか、その分長命であるにせよやはり子供時代が長いことは生物としての隙を大きく与えることになるのだし、とやや愚痴っぽい思考になったところで列はガタゴトと前に進んでいく。幌布に関しても万一のためにと用意していた替えがあったため、すでに張り替えをおこなっている。
「それでは、次の方どうぞ」
ガタン、と三つ前のクィルドー車から兵士が一人降り、そして書類を差し出す。私の分は別に分けられているようで、彼は軽く説明をしていた。砦側も関係者だからと通していては流石に良くないと口にしつつ、一応名前と容姿を控えておく、と私たちの方へと近づいてきたのを幌の隙間からゼノンが確認した。
「やはり、流石に確認は入りますね」
「そりゃあそうだろう」
と、そこへ「失礼します!」というきっぱりした大きな声が聞こえた。レーベは今まで見せていたそのへんの酒場にいそうな雰囲気からガラリと空気を引き締め、そして「入室を許可する」と重々しく吐き捨てる。
幌から中が見えないようにしていたカーテンのようなものを兵士の籠手をつけた手が除けたのが見えると同時に、光が中へと差し込み、ちょうど私を照らし出した。
「……は?」
「お手間をとらせてしまい、申し訳ありません。ハイル・クェンと申します。ロスティリ家臣であり偶然にもシハーナ国へと向かう途中にこちらの方々と知己を得まして……?」
兵士の顔が険しくなったのを目にして、私の心の中で疑問が膨れ上がる。そして彼の敵愾心に気づき、言葉が止まる。
「すまないが、こちらに同行いただこう。荷物の類もこちらで査収させていただく。疑いが晴れるまでは、この砦にて拘束させていただく」
私の顔に浮かんでいたのは深い疑問であっただろう。しかしながら、それを断ることもできるはずがない。私はあえなく両手に縄を打たれることになってしまった。レーベとゼノンはと言えば、例の書状が手元にあるからと早く帰ってくるんだぞ、と言う視線さえ向けられる。
まず、通された部屋は暗く冷たい……と言うべきであろうが、その気温は私にとっては真夏もさかりの村よりなお暑い場所であるため、問題なく過ごすことができた。湿気に関しても気候全体が乾燥気味のため、問題ないほどである。
なお、連れていたリッカは怪しい人物の所持魔獣であるからという理由で別の部屋に拘束されている。石造りの内部は外からはまるでわからないほどに無骨で、美しさと言うものはない。外観優先で建てられているのだろうことは明らかだ。
「まず、荷物の検査とその内容物について、乖離がないかを確かめさせてもらおうか」
「はい、まずはーー」
一通りの内容物に加え、そして。
「それと、アショグルカ家とシューヤ家の連名の身分保証書があります」
「なッ……!?そ、それは……本物ですか?流石に証明する手立てもあるのですよ、こちらは」
「確認していただいて構いません。事情の一部に関してはアショグルカ家の機密に関わるためお話する事はできませんが、保証書を得た経緯についてもお話しするつもりですよ」
兵士は目をウロウロさせて冷や汗をかきながら、少々お待ちください、と噛みつつ言って走っていった。書状を確認するために呼ばれた文官は確かに本物だ、連番など見たこともないが……と言いつつ拡大鏡を懐にしまう。
「大変失礼いたしました。こちらの兵士が」
「申し訳ありませんでした!!」
「いえ、それよりも、一体なぜ私が拘束されたのかを知りたいのです。幸い、荷物も壊されているわけではないのでしょう?」
「は、それは問題ないです。魔獣に関しても即時返却致しますので!」
手元に戻ってきたリッカはややお怒りのようで、ガブガブと少し強めに兵士の手を噛みながら戻ってきた。特に深く刺さっているわけではないので口に手を突っ込んでえい、と開くとぷらーん、と口を開けたままの間抜けな姿で手元に戻ってくる。
「すみません、リッカが噛んでいたようで……おけがはありませんか?」
「え、ええ。ちょっと強くは噛まれましたが、力加減を教えるのがうまいですね」
愛想笑いを返すと、氷を与えつつ「それで一体なぜ、拘束されたのか伺っても?」というと彼はああ、と軽く頷いた。
「それがですね、実は数ヶ月前から白髪の少年が街でとある存在について騙っているとの報告がありまして、実は……彼はカミ、という存在について各地で説いて回っているようなのです」
確かにそれは……と私は少し考え込む。
「聞いたことがあります、確かそれについての流言が飛び交っているため、もし勧誘などを受けても無視をするように、と。それが何かは説明を受けませんでしたが、あなた方が困っているところを見ると信仰を揺るがすような事態なのでしょう」
「お察しいただけて助かります」
彼は深々と頭を下げた。
「街でもいらぬ誤解を受けることはありましょうが、どうぞお気を悪くなさりませんよう、お願いいたします……」
「いいえ、そういう事情があるのでしたら致し方ありませんよ。それに、実際白髪だというのであれば……私は、一つ確かめなければならないことがあります」
同族かどうか。
「失礼ながら、いくつか確かめさせていただきたいです。その人の周囲に冷気を感じたり、またその者が暑さに弱いという話をお聞きになったことは?」
「いえ、ありませんが……」
「そうですか、すみません不躾に。ですがどうしても、同族かどうかを確かめる必要がありましたので……」
「あ、ああ!もしかして、人種ではありませんでしたか?」
「ええ、そうです。スニェー族と言いまして、体から冷気を発することができます。このように」
少しだけ手を近づけると兵士は軽く頷く。
「そういう理由であれば、より確実に別人であるということが証明できるでしょう。身分証明書の方に追記しておきますので、誤解された場合にはこちらもご利用なさってください」
「ええ、助かります」
もう一枚手渡された書状はくるくると巻かれた獣の皮でできたものであり、赤い紐で巻かれている。中は確認していないが、おそらく色々と書き記されていることだろう。私は荷物を全て背嚢に戻すと、リッカをその上に乗せる。
「では、お手数をおかけし、申し訳ありませんでした!」
「いいえ、職務に忠実であるということを責めたりはいたしませんよ。この後も頑張って下さいね」
にっこりと笑いかけると、パッと兵士の顔が布の隙間からも赤く染まったことがわかるほど上気していた。美貌に触れてしまって気の毒に、と思いつつクィルドーに戻ると、「おう!」という声が中から響いてきて、次いでベシ、という音が聞こえてくる。兵士もまだいるのだから取り繕ってもらわねば困る、ということだろう。
「んっんん、入り給え」
「失礼します」
車がまた動き出し、そして私は詰めていた息をはあ、と吐き出した。疲れたというより、変な事態に巻き込まれてしまったという印象である。私自身この見た目が目立つと思っていただけに、私以外のスニェー族もしくは白髪の人間が現れるとは思っていなかった。
実際のところ、どうなのだろう。私以上に冷気をうまく操れていれば暑さに怯むところも微塵も見られないかもしれない。加えて彼がスニェーの民であることを認めたのだとしたら。
私は、どうするのだろうか。
神などというものを信仰する同胞がいたのなら。
「いいえ、あり得ない」
だって彼がそうであるのだとしたら、間違いなく見ているものを信じないとするのだ。それを愚かという他になんというべきか。
「ーーよし」
「結論は出たか?」
「ええ、失礼しました。ひとまず、私が拘束されたのは『カミ』というものを信仰対象にしようとしている勢力の中心人物に酷似しているから、ということだったようです。そして、彼の外見が私に似ているということなのですが……実際に私の一族はほとんど同じ見た目なのです。スニェー族と言って、髪も肌も純白の、美しい人の姿をしている長命種ですね」
「あ、聞いたことはありますね。確か、庶民派で北に住んでいる貴族の一人が接触したことがあると」
「ええ、過去におそらくは接触しているはずです。私たちはここよりももっとずっと寒く、一年を通して全てが雪と氷に包まれた場所に暮らしていますから、もし彼が本当に私と同じ一族であれば間違いなく暑さに弱いだとか、そういう話も出ていたでしょう。そして、何より人種と違うことは、『カミ』というものへの信仰を持つはずがない、持てるはずがないというところですね」
「……どういうことだ?」
「私たちの種族はーー子供の頃、結婚、成長の折につけて光の身許に呼ばれる光栄に与ります。すなわち光と闇がおわすことは当然であり、そしてそれ以外の思想が混ざり込む余地などはあり得ません。実際には理解すらできないでしょうね。そもそも、人種は光に拝謁することすらできないという話すら入ってこないほどの僻地ですし」
その話をすると、二人とも納得がいったように頷く。確かにそういう話であればあきらかに私と同族であるということも否定できよう、と。
「しかし、だ。万一同族であった場合、どうするんだ?他国の人間が国内で殺人を犯した場合、情状酌量の余地なくば間違いなく死刑にされ、軽減された場合でも国内からの追放措置がとられるはずだ」
「でしょうね、それに関してはしっかりと注意されていましたし……何か穏便に解決できるような方法とか、ご存じですか?」
「……うむ、なくはないが……」
そして説明されたのが、神聖裁判であった。
神聖裁判という字面は勝手に日本語で当てはめたものだが、これが最もわかりやすいだろう。神聖なる存在に伝わる地にて自らの正しさを証明するための裁判、とでも言い換えればいい。聖なる地ではその発言が全て天地へと伝わり、そして光と闇に聞き届けられる。それを聞き届けるための石碑が聖金碑と呼ばれており、それは何人も破壊ができず、また埃が積もることもないのだという。
そしてそこに記されている文字は、誰もかつて読むことができなかったという。
「……石碑……」
「そしてそこで正しさが認められた者は、願いを一つ叶えることができるという」
「願いを……」
それが、たとい人の命を奪うものであったとしても、ということだろうか。私は少し眉を顰め、そして息を吐き出した。
「いえ、同族でないのであれば、私が努めて彼に折檻をするということはないでしょう。どちらかといえば、私はその聖金碑に興味があるくらいですし……その文字というものは、写しも存在しないのでしょうか?」
「いや、写し自体はそこかしこで売られている土産物にさえ彫られている。本物を目にする機会は年に一度か二度、それ以外はないな」
目にする機会というのは、正確には年に一度、もしくは二度行われているとある祭典によるものだ。その祭典は年に一度か二度実をつける聖樹で、その収穫に伴って行われるらしい。その聖樹も元々は一つの果実が天からもたらされたものであるためであり、光と闇に感謝してその実を泉に投げ込む。それが聖水の素である聖泉であるということだった。
不思議なことに、実はその新しいものを投げ込んだ瞬間古いものが崩れるように消えていくのだという。
「そしてその時、正殿が解放される。聖金碑も、破壊ができない物体のため触れることもできるんだ。当日は長蛇の列になるから、それだけ注意が必要になるが……そのほかは大抵の場所であれば入ることができるようになる。実際にその機会がいつ巡ってくるかはわからないだろうが」
「なるほど、ありがとうございます」
レーベは説明を終え、「あんなところに入りたいなんて、気が知れないな」と吐き捨てる。
「レーベさんは嫌なのですか?正殿」
「あそこにいる司祭たちの目が気に食わんのだ。実際祭りだというのに、正殿に入るには多少なりとも布施が必要になる。お前の立場であればそうだな……金板三枚くらいが妥当だろうか。しかも、ある程度顔繋ぎがなければ勘違いされるだろう?その容姿だと」
「な、なるほどぉ……」
面倒なやつがいたものだ、とため息を吐くと私は車の荷台に体を投げ出した。




