信者
命からがら逃げおおせることができたものの、報告だけはせねばと近くの村まで兵が一人報告に向かっていった。私は興奮気味に肩を甘噛みしているリッカの首根っこを掴んで口を開けさせると、摘んで膝の上に置く。
「古のものがまさか、ここで出るとはな……」
レーベは息を吐きながら、ガタゴトと進んでいく車の上でぼやいた。彼には申し訳ないことだが、私は一つ聞いていた話に「あのう」と声を発する。
「古のものは、積極的に人間を襲わないとうかがっています。もしかして、私がこの一団に混ざったからでは……」
「いいや、それはない。この一団にも、人だけでなく、別の種族である者も多い。お前のせいと言うわけがないだろう。加えてその積極的に人間を襲わない、と言うのもどこまで本当のことかはわからんのでな。古のものの被害が出ているか、それとも獣に殺されたのか、脆弱な人種には変わりないから被害が正確に報告できんのだ」
「そう、でしたか。すみません、少し私のせいではないかと疑ってしまって……」
私が頭を下げようとすると、「こら」という声と共に頭に軽く手刀が落とされる。
「頭を軽々しく下げるものではない。命を救ってくれた恩人にそんなことをさせては、私の顔も潰れかねんと言うことになるだろうが」
「は、はあ……」
「今のお前が考えるべきことは、この後無事シハーナへの入国が済むかどうか、だな」
「無事にすまないことなんて、あるでしょうか?これだけ多くの証書を抱えていますし」
「いや、その大層な証書の方が問題だ。ぶっちゃけて言えば、アショグルカ家のお墨付きに加えてシューヤ家の姫の名前での証書なんて普通の木端貴族の付き人がもらえようはずがない。正直に言えば異例の事態ってことだよ。お前がそんなもんホイホイと出してみろ、間違いなく偽装を疑われる。だから、俺が書状を出してやるよ」
「……レーベさんが、許可を出せるほどの貴族だとは思っても見ませんでした」
だって、その格好たるや普通に街を歩いている人たちと変わらず、乗り物だって魔獣車ではなくクィルドーを用いているのだ。
「デザアルからはるばる来て、こんな息苦しい街に居座ろうなんてやつだ。知らないのも無理はないさ。俺は庶民派の貴族でなーー普段の生活は市民とほとんど同じ暮らしをしている、変わり者ってやつだよ。他の貴族は貴種派、贅を凝らした生活をしている奴らさ。貴族もまあ、たまには飾り立てて威厳を示さにゃいかんのはわかるが、正直毎日それをする必要はないだろう?」
「なるほど……つまり、その庶民派に属しているあなたであれば、私に許可状を出しても不自然ではない、と……いうことですよね?」
「まあ、そうだな?」
アショグルカ家と、シューヤ家にここまで色々と手間をかけさせて申し訳ないという気持ちはあるが、私はこくん、と縦に頷いた。
「それでしたら、是非お願いします。できればロスティリからの紹介状も持っているので、そちらも参照していただけると幸いです」
「おうともよ」
彼の言葉に乗っかり書状を作ってもらうことになったものの、私の持っている魔獣保持証明書自体はやはりアショグルカ家が関わっている申請書のため、そこに関しては多少説明は必要になる、との言葉をもらって終了した。実際、アショグルカ家の機密に関わる文書の運搬を行なったためであるので魔獣保持証明書に関してはそれで問題なく通るはずだ、との言葉をもらって一安心する。
「それで、ハイル。お前さんの目的は一体なんなんだ?どうにも、子供が一人訪ねてくるなんておかしいと思うんだが……」
「ああ、私の目的ですね。実際ちょっと理解し難いと思うんですが……知識を得るため、というものが一番の理由ですね」
「知識を?」
頭の上に盛大にクエスチョンマークが浮いていそうな顔をしたレーベとゼノンが、顔を見合わせてそして私をもう一度見つめる。
「知識……なぁ。ぶっちゃけ知識って言っても、外国まで足を伸ばすってことは並大抵のことじゃないんだろ?」
「ええ、私の知りたいことは肥大病、そしてその根っこにある『人』への罰が一体何を指すのか、そして光と闇と混沌の関係について。故郷で聞いていた話とそこに齟齬があるのであれば、その差はなぜ生まれたのか。古のものとは一体何なのかーーざっと出せばこのくらいのことでしょうか?」
「ざっと……っておま……人への罰?ってのは、一体なんなんだよ」
「わかりませんね」
「おい!」
勢いよく突っ込まれたが、その言葉にはそう返すしかないのだから仕方がない。
「私はその全てを知りたいと考えているんです。だから、それゆえに……あ、そうだ。その入国後のことなんですけど、古の物語なんかを知ることができるような場所はありますか?」
「あ、ああ。信徒であれば誰でも入れるような、説法をしてくれる場所はありますよ。それに、聖なる書物は複製は広くはされてはいないものの、大回廊には複写が置いてあってそれを見ることはできますよ」
「大回廊の方は金に余裕があれば、って方だがな」
金に余裕……数日宿泊するだけでもかなり琴線に負担はかかりそうだ。
「国外の人間が多少稼げそうなところなんかはあります?」
「うーむ……俺にはわからんな!」
ガハハと笑うレーベから視線を移してゼノンへと向けると、彼はそうですね、と眉間に人差し指を当てて軽く唸る。
「算術ができるのであれば、商人の。筆記ができるのであれば、代筆業を紹介しますよ。いずれも問題ないレベルであるのならば、我が家でも代筆、算術での手伝いは必要としていますから、一時的に雇うということであれば問題ありません。給料は、そこいらの貴種派よりは出るかと思いますよ」
「ほぉ〜……どうだ?やってみるか?これで俺の仕事も多少減るといいんだがな」
「あなたの仕事は既に、あなたしかできない分だけです。大人しくなさい」
ピシャリと言われた言葉に私は思わず笑いを漏らしつつ、代筆か、と考える。
「一応、ロスティリで一通り美しい文字の書き方は教わりましたから、代筆は問題ないかと。算術ですが……バスバリ法で間違いないですか?」
「ええ、バスバリ法です」
バスバリ法はいわゆる十進法であり、アラビア数字とは異なってはいるものの、桁という概念は変わらない。一の桁、十の桁、百の桁と増えていくごとに数字の後に桁を表す記号がつく。転生者の賜物かと初めは思ったものの、よくよく考えてみれば位置こそが数字の桁を表すものであって、桁を表すものは必要ないという思考に至ってしまうがゆえにこれがこの世界で生まれたのだということを実感する。
もし十二進数なんて用いられていたら、私はきっとこの世界の算術が苦手になっていたに違いない。
「それなら問題ありません。バスバリ法以外での算術を教わっていないので……」
「いえ、今どきそれ以外の方法で算術をする方が珍しいでしょう?」
「いや、それがですね、村ではロフー・ルーアル法を使っている大人の方が多くいまして。実際300歳あたりを超えてしまうと、ロフー・ルーアル法が主流ですね」
「300……ッ……スケールが大きいですねえ、その分知識の多い方もいるでしょうが、やはり長く生きるとその分そういう点では支障が出そうですね」
「ええ、ですから私も停滞よりはと考えて村を出てきた、というよりは追放されてきました」
追放、という言葉にギョッとした二人がこちらをみるが、どうということはない、知識欲が高じて村に余計なものを呼び込むより出してしまった方がいいという長老の方針により、私が外に出てきたことをきちんと説明する。
「なるほど、確かに家にこんなやべえ思想を持った人間がいるとしたら、相当やばいからな……」
「そうですね、実際思考としては神学に近いのでしょうが、なんというか、彼らの思い至らないややもすれば不敬な考えが浮かんでいそうです」
「失礼な」
そうは言ってみたものの、実際にはなかなか不敬極まりないことをしているのも自覚はある。私が光と闇についてしっかりと敬意があるということが伝わっていれば良いものの、そこをわかってもらえなければただの背信者と思われても致し方ないことだろう。
「私自身、その思想が危うい位置にあることは自覚しています。わかってもらえる人に丁寧に話すことさえできれば、はっきりと伝わるとは思っていますけれど……実際、難しいものですからね」
「まあ、人前では神学に興味があって入国する、くらいにしておけよ。行きすぎた思想は毒にもなりうるからな」
レーベに通り一遍の注意をもらった後、軽く国内についての事情を教えてもらうことにもなった。私は知るよしもなかったのだが、現在国内のほとんどを占めているのは人間種、つまり面白いことにパム族は上層部にいるのみであり、それ以外の種族が国の中にいるということだった。
「パム族だらけかと思っていました……」
「パム族はその特殊な立場と生殖性が簡単なゆえに、自ら生殖する数を抑えています。加えて同族同士のみでしか繁殖できないことも理由に挙げられますが」
「……簡単な?というと、例の口が生殖器としての役割をも果たしている、あれでしょうか?」
「お前幼いからって結構開けっぴろげなんだな。まあ、いいか。つまりはそういうことだ。しかし、過去にパム族の屋敷で働いていた下働きを雇ったことがあってそいつに聞いたことがあるんだが、パム族の生殖ってものは人のような卵で生まれるもんじゃあないんだよな」
パム族は他のどの種族とも違い、口づけを交わすと男性からは男の、女性からは女の子供が生まれてくるのだという。そしてその生まれ方も、ゆらめくような炎の中から分裂するようにして小さな炎が現れ、それがやがて人の顔や手を形成していくのだという。
それを聴き終えた段階で、私の中にとある疑念が生まれる。卵で生まれるのが人としての種族の基本であるのなら、死体も残ることがないその体は一体『何』なのか、あの目も眩むほどの強烈な光を排泄と言いながら吐き出すだけのそれは、一体『何』なのか。
恐ろしい想像が、頭にこびりついて離れない。喉から絞り出したのは、かろうじて「そうなんですね」という軽い返事だった。そうでもしなければ、考えがそのまま口からこぼれ出て取り返しのつかないことになりそうだったからだ。
「生殖にはいくつかの儀式をやるそうだが、基本的に数を管理してはっきりとその『調整』を自ら行なっているそうだ。十五歳を超えるあたりで生殖は可能になり、そして二十近くになっていくと家族以外の男女で男または女を二人作る。家族を作るのではなく、種の数を維持する。本来ならパム族の中からも不満の声が上がりそうだが……実際には、そんな声は一切聞かないんだよ」
恐ろしいことにな、と彼は息を吐いた。
「不満を一切言わないなんて、おかしいだろう。普通の家族はそんなことはしないってのに」
「普通、でしたよ。少なくとも私はシューヤの姫に対しては、ただの無邪気な少女だという感想しか持ちませんでした。多少責任を持った地位であることを自身で認識した上での重責を時折感じさせはしましたが、単にちょっとわがままな、いいところのお嬢様という印象でした。彼女が大人しくその慣習に呑まれていくのは……いささか不可解です」
実際、彼女の振る舞いには多少横柄なところはあったものの、それは上に立つ者として当然のことだ。彼らにとって無理は呑ませるものであり、それを通さねば立場というものの示しがつかない。
立場に呑まれたというより、まるで何かを知ってしまいその結果諦めたような。
いや、これ以上は流石に邪推というものかと私はそこで話を終えようと「そういえば」と声を張った。
「国境はそろそろでしたよね?私が加わっていても問題ないのでしょうか?」
「命の恩人にそんなことは言わねぇよ、誰もな。護衛の兵士にしたって、前回俺たちを最後にしていたのも、ある程度安全が保障されている道だったからだ」
「そうですよ。ですから、気にしなくともいいんです」
「そうでしょうか……まあ、そういう話でしたら、お世話になります」
そして、周りにちらほらと生えていた木がなくなっていき、道が開けた瞬間人の声があちこちから聞こえてくる。国境近くだから村があるというわけではなく、単純に周りに天幕を張っている人間が多いのだ。天幕の形も様々で、貴賓から貧民までさまざまな人がいることが見てとれる。
そして遠くに小さい砦のようなものがうっすら見える。その姿はあまり威容があるわけではないものの、普通の岩とは異なっていてとても白い石材でできている。周囲の植生もやや背の低い植物で構成されている平原で、やや寒冷な土地であることも見てとれる。
「平民と貴族の入り口は別だからな、出るときは別の出口を使うんだぞ」
「あ、はい」
ガラガラと音を立てる車輪の音を聞きながら、どんどんと砦へと近づいていく。そこで一体何が起こるのか、知りもせずに私はただ呑気にこのあとはどうしようか、などと考えていた。




