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集散

眠い目を擦りながら背筋を伸ばす。パキパキ、と関節が音を立てて思わず苦笑した。ここ数日、ろくろく体を動かせてもいない。鍛えなければどんどんと体は怠けを知っていくのだから鍛錬の時間も欲しい、と侍女の一人に訴えてみたのだが、聞き入れてはもらえなかった。ついでに侍従などは着いて来られないという話をすると、「あなたの面倒を見る気は一切ありませんから」と言う言葉までいただいた。


「……まあ、一緒に連れて行ってもらえるだけでもいいのだけど、言葉がかなりきつくはないかと思うよね」

リッカの喉というか、牙の近くをくりくりと掻いてやり、気持ちよさそうに目を細めたのを見てちょっとだけ笑う。


フュシュフィ語が間違っているというわけではないが、多少の文法の違いなどはあったようでいささか古めかしい言い回しに侍女たちは馬鹿にしたような態度でくすくすと笑いをむけてきた。今までリュンスに向けられていたそれがこちらに向くのだと思うと、リュンスはよくこれを耐えていたものだ、と頭が上がらないような心持ちにさえなる。

しかし、耐えられなかったからあんな不祥事を起こしたのではということも頭をよぎってちょっとだけ思い直した。やはり早めにニーへに向かえるように、さまざまな手を尽くさなければと頭の中で段取りを始める。


朝食にと準備されていたものは私の分はほとんどなかったが、正直夕方から夜にかけて抜け出し、自らで調達してくる方がよほど気楽だったと言えば旅の気まずさはより伝わりやすいだろう。

「はあ……」

実際アショグルカ家では客人としてもてなされていたものの、ここまで何もしてもらえないとなるとリュンスの主人としての度量が問われることになるのだが、その辺りのことをはっきりとわかって行動しているのだろうか。いや、憶測でものを言うのはやめよう。むしろ、これが適切な扱いなのかもしれない。シューヤ家というシハーナ宗主国の中枢に食い込む立場の姫なのだし、もしかすると彼女に怪しい人物を近づけないための策なのかもしれない。


であるなら、文句を言わず都度抜け出して護衛を続けるべきだ。

そう思っていたのだが、唐突に侍女の一人が話しかけてきて、少し離れた木立の中に案内される。顔立ちはやや地味だがやはり口に布を当てていてフュシュフィ語でしか話すことはない侍女であり、少しく派手ではないもののこの世界では高価なレース飾りを裾にあしらったヴェールをつけているのも、おそらく彼女自身が良い家の出であることを示しているようであった。

「すみませんが……ここで、あなたには護衛を外れていただこうと思っています」

「ここで?」

どう言うことか、と不審に思って尋ね返すと、彼女は「ええ」と頷いた。

「シューヤ家の食客として迎えるには、あまりにも人選が不適当であると判断してです。これは主人による判断ではないことを、ご承知おきくだされば幸いです。それに、あなたを侮ってのことでもありません。リュンスと名乗っていた男が消えたことに関してはおそらくシューヤ家当主であるリォゾーネラ様もご存じでありますし、いいところで遠ざけるようにと通達はしておりました。元々姫様に近づけたのも、姫様のご要望だっただけでありそれ以上のことはありません」

「しかし、身分証は……その、言っては何ですが、証明ができるのでしょうか?私が一人で現れた場合に対応してもらえるとは思えないのですが……」

「ええ。それに関しては詐称などが難しい証文です。私から追加で一筆書きますゆえ、詐称を疑われることはないでしょう。できれば今すぐにと言いたいところですが、本日の夜、ここを発ってください」


ここで頷くことは、きっとルフェトを傷つける。それでも私はーー。


こくん、と小さく頷いた。

「わかりました。もとより一人旅の途中で向かうつもりでしたので、安全の面なども問題はありませんから」

「そうですか……では、発つ際に侍女のテントへと寄ってください。そこで書状をお渡しいたしますので」

「ええ、ありがとうございます。夜になりますが、向かいます」


背後から聞こえてきたか細い声の「ごめんなさい」と言う言葉は、聞き逃すことにした。どうせ、反応したところでしらばっくれるだけなのだから。




夜、虫の声が響く中、パッと目が覚める。リッカの首元をつまみ上げて懐に入れると、横になっていた場所で被っていたテルシュをくるくるとまとめ、敷いていた草が凍りついたのを体から払い落とす。そしてテントの支えにしていた剣を手に取る。テントというにはお粗末な簡易シェルターのようなものだが、夜露が凌げると言うだけでもありがたい。しかも小さな体であるため、大して大きなものでなくてもいい。これに関しては、例の生地屋で手に入れたものだ。

「さて、荷物も詰め終わった……というか、大して荷解きもしていなかったですね」

剣を手に取り、そしてぐ、と引き抜く。相変わらずその刀身はどこまでも透き通り、その姿すら見えない。かちん、と言う音が聞こえた瞬間にうわついていた心がスッと整うのを感じる。ぎゅっと引き締まった心に狩りの際の心情を思い出す。

「……さて、行くか」


侍女たちのテントを訪ねると、そこにはやわらかい灯りが灯っており、不寝番として待っていた件の侍女の姿があった。既に夜も更けているのに先ほどと全く変わらない姿で立っていた。

「ようこそ。では、こちらは書状です。……あの、不躾ですが、口布のご用意はございますか?」

「口布ですか?え、ええと……ありませんが……」

過去に感染症でも流行ったのだろうかと首を傾げると、彼女ははあ、と息を吐いた。


「ええと、どう説明すれば良いのでしょうか……あなた、田舎で暮らしていたのですから生殖についてはご存知ですよね?」

「は、はい。一通りのことは……?それが一体何の関係が」

「そう、それはよかった。ーーそもそも、パム族は生殖に口を使って子供を産むのですよ。つまり、それを隠さずに歩いていることはとても恥ずかしいことなのです。わかりますね?」

「……っ」

一気に自分が赤面したのがわかった。顔にほんのりと色がついただけにも見えただろうが、彼女は私が急に頬を染めたことでそれとわかってくれたらしい。安堵のため息を吐いた。

「侍女たちの距離が遠かったのもそのせいです。言葉は教わっても文化を教わらなかったのだから仕方がありませんが……リュンスはそもそもそのあたりのことはしっかりとわかって接していました。国内では元々口布を当てた状態で現れ、国外では奇妙にも見えるからと断りを入れてから外していましたから」

「そう、だったのですね。それは大変失礼なことをしていました。……では、入国までには都合をつけておきます」

「待ちなさい」


す、と美しい手から差し出されたのは口布とその替えであった。よくよく見れば、そのサイズは彼女のつけているものよりもやや小さく、そして薄い布でできていた。

「これは……」

「無理を言って追い出すための口止め料です。礼は必要ありません」

手にとってす、と広げるとその紋様が美しい薄布であることがわかる。長時間つけてもおそらく苦しくならないだろうことは想像に難くない。


「いえ、それでも言わせてください。ありがとうございます」

「……早くお行きなさい」

ふと、彼女の名前すら聞いていないことに気がついた。


「あの、そういえばお名前を伺ってもよろしいですか?」

「ああ……そうでしたね。名乗ってすらいませんでしたから」

ノマル・ラン・ローフィと彼女は名乗り、そして私はその場所に背を向ける。一つを口に巻き、そして荷物を手に取るとずんずんと先を進み始めた。





野宿で最も肝要なのは、陣を構える場所である。そもそも単独でキャンプをすると言うこと自体がこの世界ではまあまあな自殺行為であり、集団でいるところに突っかかっていくような獣は少ないためほとんどの人間は集団で移動をする。そこで単独で動くことができると言うのは恐ろしいほど強いか、もしくは単なる自殺志願者かと言えるほどだ。

しかし、私にはリッカがついている。この辺りの生物であってもほとんどはリッカの発する匂いというものが感じられるのか、近づいてくることはほとんどなかった。


加えて近づいてきたところで私の剣の餌食になることも少なくなかったが、ほとんどは美味しくいただいた。リッカにはあまり上げたくなかったものの、あまりものの骨をあげたところなぜか食べているのではなく、かじって遊んでいるようだった。その骨が妙に凍りついていたのは、おそらく自分でやったのだろうが。夜もやや更けた段階なので、火も凍らせて消し、自分のいる場所の痕跡を消していく。


「もう凍らせられるようになったのか、えらいね」

ぐりぐりとまだ柔らかさの残る刃のような耳の付け根を撫でると、んきゅんきゅという満足そうな声が響いてくる。どうやらここをかかれるのが好きなようで、いずれ芸も仕込めるのだろうかと思いつつ剣を片手に道端で目を軽く閉じた。

ふ、と意識が上昇したのは私の意識の中に自然な音ではない、人もしくは獣の立てる音が聞こえたからである。リッカもまたぴんと耳をたて、そして警戒したように体が緊張している。

「……ギュイィ」

剣をす、と手に取ると近くの茂みに入り、そして注意深くあたりを見回す。道は別の場所を通ってきたのだしルフェトと遭遇することもないと思うのだけれど……と警戒していると、ザクザクという草をふむ音が近づいてきた。

「おっかしいな……この辺だと思ったんだけど」

「やっぱ聞き間違いだよ、子供の声なんて。……おい待て、そこ……草が倒れてんな。もしかしたら、俺たちが近づいて警戒したのかもしれないな、ここを離れて様子を見てるのかもしれない」

「そう、だな。ちょっと周りに呼びかけてみせるか、おーい!誰か、いないのか?」

まずい、と瞬間的に思い、リッカを枝に残したまま茂みから飛び出る。逆側から勢いよくザザザザ、と近寄ってくる影に一息に鞘のまま剣をぶち当てる。黒い毛皮にしなやかな四本足の体躯、そしてぱっくりと下顎が巻かれたような場所から私に向けてビュルリ、と引き伸ばされ、頬を掠めて髪を数本引きちぎりながら戻っていく。


まるでヤスリのような風合いの下顎だが、どうやら舌と一体化しているらしく、内巻きに顎の方へと戻っていく。吹き飛ばされるようにして地面に着地するとリッカがギュイギュイ、と枝の方で怒っているのが聞こえた。

「あ、あんた一体……」

横から聞こえる呆然とした声が聞こえるが、私は意にも介さず目の前の獣を見つめる。目が赤く血走って、その雰囲気から空腹が激しいことが予想できた。おそらく今晩の獲物は横の二人の男ーーろくな装備もないところを見ると彼らが二人だけで旅をしてきたということはなさそうだ。襲い掛かるには十分リスクがあることを考えるとおそらく獣はもはやまともな判断をしていられないくらいの空腹であるということだ。


ならば、斬るしかないか。

剣に魔力をぐ、と流した瞬間、体感温度がグッと下がった気がした。周囲の熱気が一気に冷めかえり、そして体を包む冷気がぐんと増すような心持ちさえした。やけに体が軽い、と思った瞬間に、突っ込んできていた獣に対して反射的に体が動いていた。

まるで自分のものではないような一太刀を終えた後に剣を振るってしまい込むと、シャリン、という微かな音が響く。血は一切飛び散らなかった。断面はおしなべて凍りつき、まるで彫像のようにすら思えるほどに美しく凍りついていた。


「ふぅ……」

魔力を納め、そして息を吐き出すと、横にいた男が二人呆然としているのが目に入った。

「怪我はありませんか?」

「あ、ああ……い、いやしかし、これは……夢か?」

「夢ではありませんよ。しかし、どうしてこんな場所へ、大した装備もなく来たのですか?金物の匂いをさせているだけでも、襲われることは少なくなると思いますけれど」


呆然としている男のうち、一人は見事な赤毛だ。今世でも初めて見るほど美しい色である。その顔立ちの彫りは深く、そして明るい緑の瞳をしている。がっちりとした体格は見事であるが、実用的な筋肉がついているわけではなく骨格がそういう形であるだけのようだ。鍛えればいいのに勿体無い。

もう一人は特に特徴の薄い栗色の髪で、顔立ちもやや垂れ気味の目と眉が気弱そうな雰囲気を醸し出している。骨格も赤毛の男が余計に骨が太いせいで細く見えてしまい、弱々しい雰囲気を見せているが、実際はこちらの方が幾分か鍛えているのだろう、細いものの筋肉は多少あるようだ。いずれも口布をしっかりとしていて、今からシハーナ宗主国に向かうだろうということがわかる。


「ああ、いや、すまない。子供の声が聞こえて、つい……」

「こういう場所でそういう声を聞いたなら、見捨てる方が賢明です。……もし人の声を真似るような獣がいれば、あなた方の命はここにたどり着いた時点でなかったでしょうからね。それにしても、あなた方の本隊はどこなんです?よければ送りますよ」

「い、いやしかし子供に送られると言うのもぉぐあ!!」

赤い髪の男性が唐突に膝を折ったかと思えば、隣の栗毛の男に肘鉄を食らったらしい。私はやれやれ、と肩をすくめ、そして言い争っているのを後目にリッカを呼びつけると、ギュイギュイ、と不服そうな声を漏らしながら氷を与えると、ガジガジとかじりながら文句を言っているようにンギュンギュ、という声へと変わっていった。


どうやら話の決着がついたのか、栗毛の男が「それでは、お願いいたします」ということだったので本隊のいる方へと歩き始めた。特にリッカがいれば襲いかかってくることもないだろうから、と私は自己紹介をすることにした。なんにせよ、名前がなくては互いに呼び合うことも難しい。

「私はハイルと言います。あなた方のことはなんとお呼びすれば?」

「ああ、私のことはレーベと呼ぶといい。こっちはゼノン、商人をしていてな。しかしいやあ、あんなに強いとは思わなかったぞ。こんなチビなのに偉いなあ、ブワハハハ!」

商人……ねえ、と私は疑わしげな瞳で見る。どちらかといえば鷹揚であり、どこか上品さのある空気はポルヴォルに近いような雰囲気が見られる。商人のことは深く知っているわけではないが、彼らに特有の品定めするような瞳はむしろ、栗毛の男の方が持っているし、それだってどちらかといえば侍女たちの探りを入れるというような雰囲気にすら近い。


「シハーナ宗主国に帰る道中ですか?私は別の目的があって訪れるのですけれど……」

「ああ、まあな。あそこは息が詰まるが、まあ戻らねば色々とうるさいんでなあ」

「レーベ!」

「ワハハ、そう怒るなゼノン。お前だって、あの監視するような者達の集団から逃げるために私の話に乗ってここまで足を向けたんだろうが。そら、見えたぞ。俺たちの陣だ」


侍女達の陣が温かみ溢れる上品なテントだとすれば、こちらは男達の野生味溢れるテントであり、酒に煙草のような香りのする煙たいテントであった。


「ここまで辿り着ければ、問題ありませんね。それでは、旅の無事をお祈りしておきます」

「おい、ハイル、ちょいと待て。お前、俺たちに礼の一つもさせないでここから逃げようだなんてそうはいかんぞ」

「え……?」

レーベががっちりと体を掴み、そして食事でも食っていけ、そして今日は安心してゆっくり眠れという言葉に押しに押され、とうとう今日だけならと頷いた。

そして次の日からもずるずるとその礼という名目は続き、実質的に旅を共にする結果となった。

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