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運命が選んだ者

久々の投稿ですが忘れられていないと嬉しいです。

視点移動、グロ注意です。

彼の周りを取り囲んでいる状況が変わっていくにも関わらず、彼は一人ヘラヘラと笑っていた。皆がバタバタと走り回る中、彼は噛んでいた樹液の塊をぺっと吐き出した。酔い止めに売られているものだが、最近はここに多少薬を混ぜて売っていることが多くなってきている。

苦味のある薬だが、痛みを感じにくくなり、ふわふわした気分になる。性交がこの上なく気持ち良くなる薬だそうで、これを噛みながら娼婦とヤった男はそのまま身を持ち崩して、借金を払えなくなって死んだとか聞いた。それほどのものかよ、と思って手を出し、気づけばずっとこの樹脂が口に入っていた。


樹脂の塊の味はやや苦味のある、爽やかでちょっとすうすうとした感覚を生むような草が練り込まれている、という話だったが、実際にはそれもどうだかわかりはしない。だが、それでいいと思う。だってーーもうこれがなければ彼は生きていけないのだから。


リュンスという名前になったのは、たかだか三年ほど前だった。三年ほど前までは盗賊をやっていて、偶然背格好の近い男を盗賊仲間が殺した時、移住のために持っていた書類を手に入れたことがきっかけだった。そろそろ定住もできないような生活にも年を取り始めて嫌気が差してきた頃であり、どこかに宮仕えでもするか、いやしかしこの辺りでは名が知れ渡っているからなあ、と色々考えていたところでのその天啓のような事態。


彼は仲間の飲む酒に毒を盛り、全員殺した。

食あたりに見せかけるようにすれば実に簡単だった。


彼は自分のいた痕跡を全部消し、そして書類を持って傭兵として、全く別の都市に移住することを決めた。移住の手続きなどなどでは非常に助かったのが、リュンスという男が全ての手続きを終えてくれていたこと。そして何より、その男が端くれとはいえ貴い血を引いていたこと。育ったところがほとんど一般人と変わらなかったことも幸いした。これにより、()()()()は全く疑われることもなく都市へと上がることができたわけである。


そこで想定外だったのは、リュンスという男が買っていた家にとある人物が訪ねてきたことだった。アショグルカの人間だと名乗り、後でその名前を調べて名前の大きさに驚愕したりもした。

「こんにちは、うまく逃げおおせたようで何よりです。直接顔を合わせるのは初めまして、でしょうか」

「ああ……」

話をうろうろと彷徨いながら合わせようとしたところ、机に金属音を立てる袋が置かれる。

「件の要求通りの報酬です。ああ、それからあなたにお願いしたいことがございまして」

慎重に言葉を選ばなければいけない。そう思ってヒヤリと滲む汗を背中に感じながら、彼はゆっくりと言葉を吐き出した。


「報酬は……?」

「クククッ、言うと思っていましたよ。もちろん、成功報酬には存分に遊んで暮らせる量の報酬を準備いたします」

「なるほど。じゃあ、詳しい条件を聞くよ」

「では……手始めにこちらが紹介状となります。アショグルカ家からの推薦状ですので、こちらを使えば問題なくーー」

あれこれと指示を受け、その通りに振る舞えば問題なく気に入られることができる、ということが示されている。うち一人の侍女もすでにアショグルカ家からの派遣だという。そこでルフェトと呼ばれる姫との出会いを演出し、仲良くなれるように計らうという。

元々捨て駒にする時だったのかもしれない。樹脂から染み出す苦味が鮮烈さを失って喉の奥に粘り付くような気さえしながら、彼はその計画に乗った。






「あなた誰なのかしら。この私を目の前にしていい度胸ね?」

「え、えー……もしかして姫さんか?このお屋敷の」

「そ、そうだけど……何あなた、ちょっと無礼じゃなくて?」

ツンツンしながらも、どうやら俺に興味があるような表情を隠しきれていない様子にちょっとばかり無礼になってしまったことを謝りつつ、踏み込んだような質問ばかりをする。例えば偉い姫様は勉強ばっかりしてると思ってたがーーとか、両親とは仲良くやってるか、兄弟はいるのかーーなどなど。どれにもちょっと苦い顔をしはしたが、あまり嫌がらずに答えてくれた。加えて俺のことも色々と聞かれたが、事前にある程度の回答を用意してきてはいたため、問題なく面白おかしく答えることができた。


「リュンスって面白いのね!」

「いやいやぁ。姫様だってかなり楽しいですぜ」

「やあね、あなた一体何を言ってるのよ。私がそんな面白い存在な訳ないでしょう、この私はシューヤの姫よ。面白いことなんて何一つ、価値がないの」

「そうなんですか?まあ、下賎な俺にはよくわかりゃあせんけども」

そう言いつつ俺は肩をすくめ、そして世間の色々なことを話して聞かせる。酒場なんかの話もだいぶん珍しがって聞いてくれるものだから、そこいらの酌をする女よりよほど扱いやすい。俺の話を真面目に聞くなんて、随分と奇特な姫だーーやや好感を抱きながら、順調に俺たちは仲良くなっていた。


リュンスという男を演じていく、というよりは俺がリュンスを乗っ取っていく中で、何度かアショグルカの人間と接触する機会があったものの、彼らは俺が入れ替わっていることにすら気づかないようだった。あまりに間抜けだが、どうやらただいうことさえ聞いてくれれば入れ替わろうがどうしようが構わない、というスタンスだったようでサラリと入れ替わりを指摘された時には少し肝を冷やしたようだった。

その頃にはもう危なげなく姫様と接することができるようになっていて、面白いからと色々なものに触れさせ侍女には怒られるというのがお決まりになっていた。流石に樹脂を見つけられた時には焦ったが、「こいつは集中力を上げるための苦い薬みたいなもんでな」と言うと、彼女はあっさりその味を確かめることなく退いた。


そしてアショグルカ家からの要請があった日、出発の準備をする中ルフェトの両親が二人で雨のなか屋敷を訪ねてきた。俺のことを見るなり顔を思い切り顰めたが、特段なじられるようなことはなかった。ある意味で俺がルフェトの玩具になっているということを理解しているからだろう。

両親との邂逅だというのに気が重そうな顔をしながら、一挙手一投足に気をつけている様子に支配層のお嬢ちゃんにもこんな苦労があったのかと思っていると、父親の方が口を開いた。

「ルフェト。分かっているな、今回お前がアショグルカに行くに際してするべきことを」

「はい。……アショグルカ家の、当主の意向に沿うようにいたします」

「分かれば良い。お前が自分で考えるべきことは、一つもないのだから勝手な行動は慎むように」

「その通りですわ。今もそこ、食器を持ち上げる時に無駄にカタカタと音をさせているのですから、そのように下品な様を晒さないようにしなさい。いいですね、あなたは『姫』なのですから、それにふさわしく、過ちを一切おかさぬ清く正しい者でなければならないのです」


くどくどと続けられる小言に、段々とこちらがあくびをしたくなるような気分にすらなってくる。顔を歪めかけたところで、侍女の一人が奥からパタパタとやってきて、「準備が整いましたのでぜひ確認をしていただきたく」と口にした。その声に二人はようやっと立ち上がってーーその言葉が正確なのかどうかはいまいちわからないがーー屋敷を後にした。

「姫様はお可哀想なのです」

付き人の中でもやや口の軽めなパチォリがそう呟いた。

「せめてご家族も抱きしめてあげるくらいなされば良いのに……」

「そうだよなあ。子供の頃の寂しさってのは、大人の時に思い出すと骨身に染みるんだよな」

わかるぜ、と言って微笑めば彼女は簡単に顔を赤くして「そうからかわないでください」と怒る。しかしただの照れ隠しだろう、と俺は軽く笑って「冗談でもないさ」と返す。

「元々俺の育った場所では、親が抱きしめて育ててくれるなんて、甘えたこと言ってられる場所じゃなかったからな。俺が今フラフラしているのもそのせいだろうぜ」

「そういうものでしょうか」

「そういうものです」

まじめくさってそう答えると、彼女はくすくすと上品な笑いを漏らす。ああ、もうこのパチォリも堕ちたな、と思いながら旅へと出発することになる。


そして、俺は出会ってしまった。


うっとりするような誰も触れていない雪原のような、銀色の髪だけであればまだよかった。

全てが完璧な、ありとあらゆる人が熱望するような容姿を持った子供がそこにいた。少し憂いを帯びたような銀色の瞳、幸福を滲ませるような金色の瞳、子供ながら均整の取れた理想的な体型。そして彼は金を持っていることを如実に表すような服装までしていた。そして話を聞けば、そいつはまだ十にも満たないような姿なのに、既に十五であると言った。すなわちこの先、長く長くこの世界に存在することができるのだと証明するようなことを言った。

そして何より腕が立つような独特の雰囲気を纏っており、どこか泰然自若とした態度が鼻についた。

こいつがこの世界の主人なのだ、とわからされるようだった。


「せめてーー」


そう、せめて。

こいつをぶち殺して、その頭を汚物の中にぶち込んでやりたい。

腹を裂いて、その中身を見て他のやつと同じなのだと晒し上げてやりたい。



「そう、思っていたんだがなあ」

腕に巻かれた重たい金属の鎖が、じゃらりと耳障りな音を立てた。


「久しぶり、リュンス。いえ、リュンスでもない……あなたは誰?」

「ーー姫様」

名前なんてとうに忘れてしまった。捨てて、捨てて、全てを捨てて今に至っているのだから。適当な名前だったはずだ、多分思い出しても何も思わないくらいには。

「誰だっていいだろ。あのガキはまだ生きてるのか?」

「質問に答えなさい、リュンス。私はあなたを護衛として雇い入れたことを、『失敗』にしてはならないの。首謀者も何もかも、全てを吐いてもらうわ」

「……はは、別になあ……どうせ俺はただの、ただの駒だったんだ」


もう、何でもいいんだ。このまま殺される人生、そういう生き方しかできなかったんだ、俺は。

「……どうやら喋る気がないみたいね。パチォリ、悪いけれど彼にわからせてあげてちょうだいね」

「はい!でもお嬢様、よろしいんですか?」

「ーーええ。私は、失敗できないの。次の護衛には、あの子供を雇うわ。これよりは明らかな素性だし、アショグルカからの護衛をつけるとなるとまた大きな問題が起きるわ」

「わかりました。では、牢の鍵を開けてください」


しめた、という気持ちが心の中に浮き上がってくる。パチォリは多分自分に対して何らかの情をもっているはずだ。ならばーー。


「ーー残念ですよ、せっかく仲良くなったって思ったのに……」


彼女が手に持っていたものが目に入った瞬間、嘘だろうと思いながら目を見開く。そこに握られていたのは鞭だった。やや短めの棒から編み込まれた皮がつながる一本鞭で、だらりと垂れる鞭先には金属の飾りが付けられていた。

鞭というものはうまく振れる者が振れば音を置き去りにして弾けるような音を出しながら背中を打つ。その打撃は重くかつ烈しく、皮膚を破って肉が裂け、回数が増えれば骨すら砕きかねないほどに凄まじい武器だ。もちろん狙い澄ました場所に打つのは非常に難しいため、ほとんどは固定された人間の刑罰に用いられる。

それが、今目の前にある。


「なるべく、早く喋ってくださいね。一回打つごとに、ちゃんと時間をとってあげますから」

「……あ……ぁ」


空気を切り裂く破裂音と同時に、熱が背中に走る。遅れて痛みが全身へ駆け巡った。意識しないまま股の間が湿り始めたのがわかる。息を吸うことすらできないほどの激痛に喘いでいると、「話す気になりました?」と聞かれる。

「この鞭は金属が先についてるから、3回くらいで骨も砕けますよ」

「ーーゔぅッ……ォア……ぐ」

吐き気がするほどの痛みというものを初めて経験した。今までこうして遊んで痛めつけた時、吐いたり小便や大便を漏らしてあちこちを汚したのを笑って汚いと足蹴にしていたはずなのに。


本当に、どうしてこうなってしまったのだろうか。

俺の人生は一体何だったのだろうか。


できることは、ただ情報を吐き出すだけだった。思い出す限りの余罪を吐き並べたところでようやく鞭の雨は止んだ。叫び声をあげすぎて喉からは血が流れ、口の中には鉄臭い味が広がる。早く、首を落としてくれと願ったのはこれで何度目のことだろう。

気づけばパチォリの手には鋭く研がれた斧が握られていた。これで終われる、そう思った途端気持ちが楽になった。


ああ、樹脂が噛みたいーーそう思った直後に意識はふつり、と糸が切れるように消えた。

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