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興味

ものの一週間もすれば走るのにペースをつかめるようになり、私は歩くことができるくらいの速度をもって広場の真ん中に陣取っているフィローのところへと歩いていった。彼はそのぎらぎら光るような力を持った目を今は下に向けていて、常よりも大分覇気が薄らいで見えた。ちょっと妙に思ったものの、立ち止まっているわけにもいかないと話しかける。


「はあ、はあ……どう?」

「うん、これならいいんじゃねえかな。連れて行っても」

「何に」

「狩りに」


あっけからんとそういわれるが、私はちょっとだけフィローは体育会系だと思う。子どもが早々に狩りに出たところで、面倒が増えるだけだ。安全性も低くなる。せめて、ある程度の訓練は受けたほうがいい。

「行かないよ。せめて森の中でも他の大人とおんなじ速度か、ぎりぎりついていけるほどの足はないとだめだし、それにはぜんぜん足りない」

そう反論すると、そうだよなあ、とへこんだ声が返ってきた。


「どうしたの?」

「いや、なに、子供に言うことでもねえよ。そうだ、剣の持ち方を教えてやろう。な?」

慌てて取り繕った言葉だが、私はじっとりとフィローをねめつけた。その視線にむぐ、と目をうろうろさせて、彼ははあっと息を大きく吐いた。

「そういうところ、親父さんにそっくりだぞ、おちびよう」

「そりゃあ、親子ですから」

そう言って返して、ふと気づく。気づかぬうちにてらいなく両親と言えるくらいになっていた。心の中でどこか頼り切っていないような気がしていたから、どこか嬉しく感じて、「親子ですから!」と重ねて言って満面の笑みを浮かべた。


「実は、な。最近、獲物が少なくなってきてる。毛皮の買い取り価格が下がった。調べてみたら……村から追放された男が、毛皮を密漁して買い取ってもらっていると言うのを知った」

私はぎょっとして、その内容の重さに驚愕した。毛皮の買取価格は、私たちが食べているニチェッカの量につながると言って良い。そして村から追放されたと言うところで、さらにたちが悪いと思った。


自分たちが振り上げた鞭が、自らの体に食い込んだ。他の集落であったなら他人に責任を押し付けることができただろうに。


「……フィローさん。それ、長くほうっておいたら、大変なことになりますよ」

「だよなあ。俺も頭じゃ分かっちゃいるんだ、だがな……あいつは俺の、幼馴染だった。何処かであいつなんじゃねえかな、とは思っていたし、同時にあいつであってほしくねぇと証拠集めに奔走してみたりして、結局それがあいつの仕業だって分かった決め手だったんだがな」

苦々しい空気が流れて、私はフィローの顔をうつむきながらこっそりと見上げるように見た。縦のシワがくっきりと眉間に刻まれて、そして唇はぎゅっと色がなくなるくらいに固く引き結ばれている。その目は苦しそうに閉じられていて、表情は悪夢を見ているようだった。


「フィロー、さん」

「なんだよ?」

「……いえ、あの、えっと」

見ていられなくて声をかけた。けれど、言葉は続かない。


「大丈夫だよ。ちゃんと、俺は殺せるから」

「でも……フィローさんがわざわざやることはないでしょう?」

震える声でそういった私に、ふふ、と彼はどこまでも優しげな笑みを浮かべた。

「誰も彼もが俺に責任を取れって言うから、ちょっと思い違ってたのかも知れねぇな。俺があいつを殺すのは、あいつがこれ以上何かをやらかして悪いように言われるのが堪らなかったからだ」


俺は、あいつのことをまだ悪人だとは、思ってなかったのだ、とはき捨てた。けれど、その言葉はとても温かくて、苦しいものだったから、やはりもったいなかったと言うような顔をしてフィローは剣を地面につきたて、立ち上がった。


「あいつを殺す。どれだけ責められようと、一族全てを殺すわけには行かない」

私には何も言えないことは分かっていた。彼に「それで、フィローさんは本当にいいと思うんですか」なんて、厚かましいようで私は口をかちりとつぐむ。

知ってか知らずか、彼はただうかがい知れぬ冷たさを孕んだ目で前を見ていた。一度だけぶわりと強い風が吹いて、その白髪がさらりと舞い上がる。


「あ」

吹雪の幻影が見えたような気がした。一瞬太陽と重なった髪がへんに輝いたせいだろう。


「どうかしたか?」

「ううん、なんでもないです」

個の命を支払って、全体を守ろうと思うなら、きっと彼みたいにならなければならないんだろう。私はきっと納得できない。なぜなのか、どうしても無理なのか、とみっともなく子供みたいに泣き喚いて、そしてみんなから見捨てられてようやく気がつくのだ。

彼らとの考え方の違いだ。


見捨てるべき人間は、守るべき人間に比べて価値がないと考えている。私の頭の中では人間とは貴賎のないものであり、その命は至上のものだという教育が刷り込まれている。対してここでは学ぶのだ。

光が闇に憤り、その体をばらばらにしてしまったように、守るべきものとそうではないものということを。


ひどく脳の中が軋んだような気がして息を吐いた。子どもらしからぬ姿だと言われればそうかもしれないが、そうしなければ下らぬ考えに支配されそうだった。肉が焼け、芋の炊ける匂いがして、子供たちが走り回る。どこにも悪意なぞ入る隙間すら見えなかった。

けれど、今から何かしら起こるのだ。この平和な村に対しての、スニェーの人々に対する悪意が確実にこちらに向いている。


怖いと思うより先に、フィローが彼に向ける感情を知ってしまったから、気持ちはぐちゃぐちゃのまま表面だけが落ち着かされているような、そんな気持ちの悪い感じだった。


かつ、かつと扉をたたくと、ネーナがはぁい、と軽くドアを開いた。

「あら、ハイル。いらっしゃい」

「ネーナ様」

「どうかしたの?綺麗なお眼目に涙がたまっているわよ」

ぐいぐいと親指で目の端をぬぐわれて、私は年甲斐もなく、いや、年相応に、ぶわりと涙の粒をこぼし始めた。

「ふっ、グッ、うぅ、ングッ……」


泣くという行為を久々に行った気がする。息が苦しいし、顔は熱いし、フィローに対して申し訳ないし、そんな自分が情けないし、けれど私はただただ泣いた。

ネーナ様はそんな私を何も言わずに抱きしめて、低い声で子守唄を歌ってくれた。その発音がなんだか分からなかったが、しゃっくりを数度繰り返して、私はとろとろと眠たさが増してきた。


「ネーナ様。ネーナ様は、大事な友達を、斬れますか」

大きく紫の目が開かれた。ああ、綺麗だな、と思っていると、ゆっくりとそれは閉じられた。そうねえ、と小さな声で、彼女は少しだけ眉をひそめた。

「長く生きることは、正解を見つけることではないの。あなたはきっとこの村から出るでしょうから、私なんかよりももっとたくさんの、正解でも不正解でもない道を選んでいくわよ。友達を斬る未来も、斬らない未来もたくさんある。どれも正しくて、どれも間違いね」


でも、そうね。

もしその問いに答えるのだとしたら、きっと私は――。





目が覚めると、夕飯の支度ができていて、母に起こされた。

「おはよう、ハイル。おばば様が心配してらしたわよ」

「ネーナ様……そっか、寝ちゃったんだ。ごめんね、母さん。父さんも」

「おう、構わないぞ。あ、あー、えっとだな、ハイル……父さんは、ちょっと山狩りに参加しようと思うんだ。それでだな、その……ハイルには話しておこうと思うんだが、その」

「フィローさんの幼馴染の話でしょ」

「えっ!?な、なんで知ってるんだ!?」


私はちょっとだけその様子に笑って、それから父の手を取った。心は綺麗に凪いでいた。


「フィローは、殺すって言ってたよ。私は殺してほしくないと思ったけど、フィローがそう決めた」

「……あいつ、こんな年端の行かない子供まで巻き込もうってのか?」

「ううん、違うよ。私が気づいたんだ。気づいて、しつこく問いただしたんだ」


だからこそ、私は彼に対して申し訳なく思った。子供に聞かせるようなものではないと思ってくれているのなら、なおさら。

そんな罪悪感を抱かせたのももちろんだが、私は実際ずるをして子供らしくないのだ。あまり気に病んでほしくはない。


「そうか。そう、だな。子供って意外とちゃんと見てるんだもんな」

父は天井を仰ぎ見て、それから息を吐くようにそうつぶやいた。きっと父は、私を守るために彼を殺しに行く。

それは私が何を言ったところでどうにもならない。父は意外と私に似て頑固で、母や私のことを深く愛していると分かるから、きっとそうするだろう。


「死なないでね、父さん」

しぱしぱと目をしばたいて、それから父はきゅっと目を細めた。

「ああ。大丈夫だ」


私は一度だけ頷いて、その話はこれっきり、ということにした。割り切り、飲み込む。私にどうにかできたことは、それくらいだった。

常識を塗りつぶすことはできなかった。どこか自分に矛盾が起きて、脳が軋んだように、どんどんひずみは大きくなってやがて壊れる。そんな未来が見えていた。自分を押し通すこともまた周りの人たちとの軋轢を生んでしまうと考えた。私と彼らとで倫理観も何もかもが全く違うわけではないのに。

だから飲み込むことにした。


ようやく討伐の知らせが出たのは数ヶ月経ってからだった。気温はすでに柔らかな暖かさへと移っていて、その中に時折冷たくちくりと冬の先触れが出て、忘れるなよ、と肌を刺した。

広場に半死半生の彼が持ち込まれて、どさりと敷かれたテルシュの上に投げ下ろされた。


どろりとその瞳を濁らせて、そして胸にある刺し傷からは血がぴゅく、ぴゅく、と鼓動に合わせて飛び出していた。顔色はもとより色白であったがさらに白く、気管支か肺を傷つけられているのだろう、口から血泡を吹いて、短い間隔で唸り声のような音を立てた。喉の奥から絞り出されるようなその音は、ごりごりと私の心を抉ってきた。


フィローは支えられて広場に入ってきた。人垣の中から彼を見つめる。ここまででいい、と倒れている男に向かう途中で付き添いを断り、手に持っていた剣をがつん、と雪に叩きつけて、前に進む。

座り込んで、男の顔を覗き込んだ。するりと白のとばりが降りて、フィローの表情は見えなくなる。何事か、男が浅く息をしながら答えていた。


風が強くて聞こえない。

男の口の端が歪んで、笑みの形をとった。その顔には一つの雫が垂れて凍りついた。


「……バカだなぁ、フィロー・デスタゥ。お前は本当に、バカだよ」

そして、フィローはよたりと立ち上がり、その手に持った剣を振り上げて、突き下ろした。心の臓めがけて真っ直ぐに落ちていったそれは、最後にかふ、という男のかすれた悲鳴を引っ張り出して命を奪った。


誰もかれもが口をきけなかった。明るい言葉を口にすることはなくて、そして男は触れないように気を使われながら、テルシュの中に包まれた。

産着はテルシュだ。そして大きくなっても、死体になってもテルシュを使う。

スニェーの一族から追放されたならテルシュを奪うのが慣例だった。けれど、男はテルシュの手によって罪を雪がれた。


ふと、降ってくる雪が男の顔の上に積もった時、溶けるのが見えた。違和感を感じて私はその正体を探ろうとした。けれど、何がおかしいのかわからない。


「……雪が、溶けた」

「ああ、死体のことか。死体はね、温かくなってそれから冷たくなるんだよ。ものが燃え尽きる前に一度火が強くなったりするだろ?それで体が熱くなるんだよ」

命が燃え尽きようとするときに大きく燃えるといいたいらしいが、私は違和感を隠せなかった。それならば普通の人間も、死ぬときは熱くなるのだろうか。私たちが触れられないと言うことは、つまり、それは『普通の人間の死して直後の温度』といえないだろうか。


なんでもない、とは言いにくかった。

もしかしたら、この冷気は何らかの、この世界独自の法則が働いて起きているものだとしたら、全て説明がつく。世界の秘密の一端に触れた気がして、肌が寒くもないのにぞわりと粟立って身震いする。断言はまだできない、だが、それでも試してみる価値があるのではないだろうか。


そんな自分の不謹慎さにふらふらとめまいを起こして部屋の中に寝かされていた。最近、こんなことばかりであるとちょっと自分のだめさ加減に息を吐いたり肩を落としたりしていると、ふと誰もいない部屋で先ほどの疑問が気になってきた。

私は目論見どおりいったときのことを考えかまどのちょっと近くに寄り、それから体から出ている冷気を意識してみる。けれど、ほとんどそれはかわりがなくて、私は低温やけどのように背中を赤くしてしまって、危ない場所と常日頃言われているかまどに迂闊に近づいたせいで母にしこたま叱られたのであった。

考え方の違いの話でした。

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