誘拐
色々と予定が変わったのちも、変わらない日々が続く。水を作り出しては提供し、部屋か庭で鍛錬をする。もっぱら兵士が訓練をする大きな部屋があり、そこにて鍛錬をすることが可能であったのだが、いかんせん私の見た目がどうも兵士の気にかかるようで、できれば部屋か、庭でお願いしたい、と家宰に丁重に頭を下げられてしまった。
「ですから、お願い申し上げたでしょう」
「肌は覆っていたじゃないですか?」
「そうでなくても、髪を結んだうなじとか、もう運動後の疲れた表情がなやましげに見えたり、あれこれと心臓に悪いのですよ……」
とは言われても、私の見た目は小さな子供である。そんなものに欲情するのか、と問うたところ、結構男娼の方は歳が若い方が多いらしい。
あまり歳が過ぎると男らしくなってしまうため、それを避けてのことらしいが、十にもならない子供を抱くことも多いそうだ。意外な闇を見た気がすると私が顔を顰めていたが、割合報酬は多いらしく、リリンはあまり拒否感を示していなかった。孤児院はよくそういう場として見定められているらしく、顔の良い孤児は衣食住ありとあらゆる面で恵まれやすいため、孤児自身も愛人として振る舞うべく色々と学んでいるようだ。
その後、孤児は大体が文官となることが多い。孤児の愛人としての教育で、文字を読んだり、書いたりすることを仕込まれるからだ。もちろん物覚えが悪かったり、傲慢なままであったりする者は処分される、という。
「悪しき風習に見えるかもしれないですが、実際、孤児は親という庇護者がいない以上は物としてみなされます。デザアルではこのような慣習がありませんから、孤児となれば引き取り手がない場合には、領主の資本として一生を使い潰されます。まだこちらの方が這い上がる機会があるだけマシだと思う孤児もいるでしょう」
「マシ、ですか……?」
少なくとも、私の嗜好のせいだろう、男に抱かれるという文化がわからないために嫌悪感を抱かせてしまう。とはいえ、ナァドや、クラウもまた子供扱いすることが多かった。男娼としては見られていないだろうと主張したところ、イグリンが途中で会話に割り込んできた。
「あの、差し出口をお許しください。ハイル様がその、どうのこうのというのは、兵の間でもずいぶん話題になっておりまして……次期家宰様は否定されておりましたし、他国の方だと言うので、深い仲であるということは誤解は受けておりません。しかしながら、その、ハイル様は非常にお美しい方ですから……」
やや粘ついた視線を思い出すと、背筋がゾワワ、と粟立つような気がして、私はちょっと身震いした。
「リリン、私、今日は出かけたいのですが、良いでしょうか」
「出かける……もしや、市場に?何か見つけたのでしょうか?」
「ええ、思ったより本が面白くて」
ニーへから持ち帰っているものだから、内容がかなりとっぴというか、跳ねた論文のようなものだ。仮設からややぶっ飛んだ方向性にすっとび、どうしてこうなるかわからないままに結末にたどり着く。題材は、ロッボという虫が大量発生する時期に起こる発光現象について、ということだったが、ロッボが発生すると大気中にある何らかの成分と反応する、もしくは祖先の霊がロッボに取り憑いて発光する、などと世迷言としか思えない仮説を立て、それを大真面目に論じ、最終的に実験もなしに祖先の霊の仕業である、と締め括っていた。
「せめて実験はしてほしいですが、仮説を書き、結論を述べるべく論述する。結構良い感じの論文なのではないでしょうか?これで落ちていくのならば、ニーへは思ったより厳しい場所なのかもしれないですね」
「厳しいというより、そんな文章でも論文が通ってしまうということに恐怖を感じるんですが……」
「まあ、そうですね、生と死を光と闇が司っている以上、我々の命は全て二柱に委ねられているわけですし、正直に言えば、この祖先の霊というのはあまり信じられません。書いた人はきっと、光と闇のことをよく理解していない人なんでしょうね」
「そうですね、光と闇は我々の全てを司りますから……」
「そうでした、シハーナに行くんでしたよね?それでしたら、聖教書に問題がないか今一度確認してください。教書はその性質上人が書いたものに過ぎませんがーー全て、国を動かしているのはその教書です」
聖書のようなものだ。ただし異なっているものは、それに新も旧もなく、また書き直されることもないということ。そして、解釈もまた分かれてはいるが、大きく変化することはないということ。
「正直、読んでいて楽しいものではありませんが」
「ええ?そうでしょうか?」
「楽しいのですか?言い回しも古いですし、読みづらいですが」
「ああ、言い回しが……」
村の元にある文章は大体古いものが多い。私もその例にもれず、その類の文書を読んできたものだから、現代の文章が相当読みやすくまとまっていることに驚きを覚えたものだ。ただし、隠れた言い回しなどは多少解釈が必要になるためどちらかと言えば現代の文章を読んでいる方が気を抜くことができない。
「数度読みましたが、基本的には光と闇を讃え、その全能性を伝えるだけのものです。他の部分はかなり読み込みましたが、抽象的としか言いようがない表現でした。その部分が、あちこちでそれぞれの解釈を生んでいるから私は困っているのですけど……」
教書の内容はあまり難しいものではない。その序章で光と闇が生まれたかのような話を終え、そして混沌の話がひょっこりあるかと思えば、唐突に古のものへの敵愾心をむき出しにする。
要するに、その内容はひどくあやふやで、何一つ掴めないような文章なのだ。かろうじて書かれている内容から読み取ったのが、ネーナ様が我々に話して聞かせてくれたものにすぎない。つまり、私が最初信じ込んでいた神話も、それが全てではない、ということだ。
「全てではないにしろ、あちこちで聞いた神話の全てをつなぎ合わせれば、何かしらの情報は得られるはずですし……」
それに、と心の中で思う。古のものの持っていたあの魔力の通りの良さ。それは一体何だったのだろう。魔力を恩恵として考えるなら、魔力を通し、放出する体は許しの象徴だ。しかし、古のものは……魔力をおそらくだが、使っている。火を吐くなどと普通の生き物にはできない。
あれが許されるなどということがあって良いはずがない。あれは、生きとし生ける者たちへの冒涜だ。
「あのう、何考えてるか全くわかりませんけど。とにかくもう一度器を冷やしてもらえますか?」
「ああ、そうでしたね……よいせ、っと」
ベッドの上でもだもだとしていた体を起こすと、水を作るための器を冷やし始める。部屋中を埋め尽くす大小様々の器だが、それらを冷やし終えると私はううん、と伸びをした。
「出かける支度だけいたしましょう。あまりきちんとした格好でなくてもよろしいようですし、何ならお気に召した布をお買いになってきても構いませんよ?」
「いえ、見立てをするのは苦手ですから」
「何を着てもお似合いになりますから、苦手でも問題ありませんよ」
さあ、と背中を押されて、それなりの金額を持たされる。おそらくは買って来い、ということなのだろうが、私はちょっと面倒な気持ちになりながら部屋を出た。出た後にふと気になったが、今の季節門番はいないようだ。家に入る出入り口はここか、裏口のみ。侵入者などは出ないのだろうかと思ったが、その辺にいる兵士に尋ねてみたところ、この家に入ろうとする輩はとんでもない阿呆くらいだという。
「アショグルカ家を敵に回した時点で、この国では詰みです。今回水の件では動かなかったのですが、混血の暗部の者たちがおりますゆえ」
「ええ……?」
私がした心配やらは何だったのだろうか、と思いつつ、玄関の扉を潜る。ぬめるような空気が体を包み、汗とも水ともつかぬ液体が額から滴り落ちてくる。地面はカサカサにひび割れているのに、砂埃を立てようとしても湿気に包まれて地面におち、すぐに収まってしまう。
「今日も、暑い」
口に出すとより一層鬱陶しさが増すような気候だった。私は重たく足を引きずりながら、頭の天辺からかびて来そうな空気を呪いつつ歩き始める。そういえば今日は東だったか、と足を向けると、やはりざわざわとした雰囲気がそちらから聞こえてきて、私はほっと心を緩める。
「あら、昨日の子ね!」
青緑や紫、赤の複雑な偏光を持つ鱗をした女性が笑いながらいう。それに笑顔で応えると、軽く近寄っていって布地を売っている店はないか、と問うてみる。
「布地、布地ねえ。ああ!もう少し先だけど、あんたの雰囲気に合いそうな布地を売ってる店があったよ。なんの種族かわからないけど、立派な角をしてるから、すぐにわかるはずさ」
「ありがとうございます」
私は言われた通り、その先に足を進めていく。すると、すらりとした長身の女性がみえた。かなり立派な角が水色の髪をかき分け、耳の上からずっと生えている。耳は本当に小さく、わからないくらいに小さい。角は滑らかというわけではなく、ガゼルの角のような凹凸を備えていた。きりりとした雰囲気を纏った彼女に母親の姿を思い出して少し懐かしく思いながら、「こんにちは」と声をかける。
「あら、こんにちは」
予想よりも少し軋んだ声は錆びついた金属音を思わせる。私はゆらゆらと揺れるように差し出された布地にはっと瞠目する。
「あの……?」
「これ、似合うのじゃないかしら。とてもいいわ」
するりと伸ばされた端を見て見れば、細密に織り込まれた赤の布地に、金と銀で色々な文様が織り込まれている。手触りも抜群で、値段が空恐ろしいほどのものだ。光に透かして見れば、格子状にさらに模様が浮かんで見える。ラサ織と呼ばれる特殊な技法だ、と文書で読んだことしかない。古今東西ありとあらゆる美に精通するロスティリの屋敷でさえ、文章にしかなかったそれが今、目の前にある。
「銀枚二枚でいいわ」
「い、いやいやいや、どう考えても安いでしょう!」
手間がかかっていることがよくわかるそれなのに、と私が言い募ると、では安くしようかしら、と彼女は微笑んだ。
「せ、せめて、安い値段のわけをお教えください」
「ああ、そういうことね。少し……血がついてしまったのよ。ほら、こことか……ここ」
もしかして、と私は少し声を潜める。
「盗品ですか?」
「いいえ。盗んだものではないけれど、これを衣装にしようと言っていた子は、死んでしまったの。買うにも血がついているから、何だか念がついていそうだから、と嫌がる人が多くいてね、買い手がいないからここへ持ってきたのよ」
「そういうことでしたか。他にいくつか見せてもらうことはできますか?」
「あら」
驚いたように眠そうな目が開かれる。やや青みのかった灰色の目が私を捉えた。
「あなた、気にしないの?こういうのは」
「ええ。まあ、そもそも狩りをよくしていた立場でしたから。それに、このまま誰にも触れられないよりも、人目につくような衣装に仕立てられた方が、これも嬉しいでしょうし」
あら、そうなのねと彼女は小さい声で言って、それからまた二つの布を見せてきた。どちらも少し色が落ちていると言ったが、非常に綺麗なものであり色が落ちた方が私の肌に合わせた時によく映えることがわかるほどだった。シンプルで艶のある青緑色の布地、それからしっとりとした鼠色だが、光が斜に当たると紫色の光を見せる布地を購入し、所持金の半分ほどがなくなったくらいで済んでしまった。他に本でも買おうかと迷っていたその時だった。懐にスッと手が差し入れられ、それから高く持ち上げられた。布地は背中の荷物袋に仕舞い込んでいたため、私が思い切り抱き上げられている状態だ。まずい、と思った瞬間、視界の端にもう一つ、炎が掠めて見えたような気がしてまさか、と思う。
まさか、ルフェトが?
体を思い切りねじり、敵を見ようと顔を傾けると、そこには白い塗壁のような何かしかない。正確には布地だ。白い布で体を覆っている何かが、私の体をガッチリと掴んでいる。
何がまずいか、というのは、この白い布の中身がどこの国民なのかということだ。商売で来ている他国の者ならば容赦無くぶちのめすことができるが、テブルテの人間ならば私はそれができない。怪我をさせただけで殺される危険性すらあるというのに、どうしようというのか。
ああ、リリンに怒られる、ということに思い至った瞬間にさらに気分が落ち込んだ。
ちょっと後の展開で齟齬があったので書き直します。
リアルもちょっと忙しいので、多少投稿がまばらになるかもしれません。




