不安
ちょっと投稿遅くなりました。
リリンの用意してくれた服は、えんじ色単色ではあるが植物の柄が織り込まれ、光に複雑に映えるような長衣だった。少々夏にしては重たい色合いだが、内側に透けるような布を使っていて、隙間からやや涼しげに手足のシルエットがわかる。布は幾重にも重ねられていて、実際はかなり暑い服装だ。髪もかなりしっかりと整髪料でまとめている……というふうに見せかけて、実際は濡れているだけである。
衣服が内側でべっちょりと手足に引っ付く不快感を抑えながら、私はしずしずと城の廊下を歩いていく。
「あちらでございます」
普段はこのような場所まで貴族たちが来ることもないのだろう、そこにいた人々は私に向かって頭を下げる。おろおろしている人が大半だが、場所を封鎖すべく動いている騎士も見受けられる。
「このような下々の場に、一体何用でしょうか?」
慇懃無礼とも取れるような発言だが、今は確かにその通りである。人が死んでいるというのに、呑気に散策に来た貴族の対応などしていられないはずだ。
「何用ですか?それはこちらが聞きたいほどです。これからの日常を担うための水瓶、それが失われたと聞いていてもたってもいられなかっただけですけれど、一体この邸宅の警備はどうなっているのでしょう」
「そ、れが、ですね…こちらにも、不可解な点が多く」
しどろもどろになっているところに、私はですからね、と続ける。
「少し中を見せていただきたい。無論、何に触ることもないとお約束致しますから」
「認められません。少々刺激の強い……」
「死体があるということも、その状況も聞いています。このなりですが武にも通じておりますゆえ」
「しかし、ですね」
「何か問題が?」
あえてにこやかに言い切ってみれば、彼ははああ、と思いきりため息を吐いた。綺麗に固めていた頭をくしゃくしゃとかき乱し、それから私のことを睨みつけた。周りの人も彼に信頼を置いているようで、私たちのことを若干迷惑そうな表情で見てくる。
「はっきり言いますよ。今、犯人がわからない状態で、よくわからない人間に踏み込まれちゃあ困るんですよ。大旦那様からはしっかりともてなすよう通達が来ていますが、それはわがままを聞けってことじゃないんです。今、あなたが仰ってるのは迷惑なことなんですよ、お分かりですか?」
はっきりとものを言う人だなあ、と思いつつ、私は唇に指を当てて笑みを深める。
「では、詳しい事情くらいは教えていただけるんでしょうか?」
最初にふっかけておけば要求が通りやすいもので、彼は一つ大きくはあ、と息を吐くと私たちを近くの別の部屋へと案内してくれた。
「先ほどからすみませんね、下働きなもので態度もなんもなっちゃいないんです。俺はナァドって言います。まあ、態度の方は大目に見てくれると幸いです」
「私はハイル・クェンと申します。私も元々立場としては低いものですから、そのままで構いません。それで、一体どういうことなのでしょう?」
「ええとですねえ……基本的に水瓶を保管している場所は、警備兵が最低でも一人、常駐しているんですよ。しかし今朝殺されていたのは、当番じゃない男だったんです」
つらつらと語られる言葉に私ははっと目を見開く。そもそも警備担当ではない男が殺されていた?それはおかしい、と思いながら続きを促した。
「当番だった男は、その時部屋で具合を悪くして寝ていたらしいんですが、同室のやつが目を覚ましてみれば、そこには誰もいなくなっていたようで。机の上、荷物、全ての物品が忽然と失われていたらしいんです」
「それは、夜逃げの如く、という感じですか?」
「ええ。ですが、彼に関しては『人』なもんで、外に出ればあっちゅうまに水抜きになるはずです」
人であればそれは当然のことだ。しかし、である。骨牙人の女性が骨を出し入れできたように、人の形をしていても別の血が混ざっているなどよくあることだ。私だって、人のなりはしているが、その実人よりも優れた身体能力と、冷却能力を有している。
「人であると言う証明は難しいのではないですか?」
「まあ、そこを言っちゃあしょうがないんですがね、本人も人だと主張しているし、特に目立った部分もなかったんで、大体は人だろうと言うことになってたんですよ。それに、混血だとしても外に出るのはかなり勇気がいるのじゃないですかねえ?」
「混血の場合は半々でしたっけ?水を失うのは」
当番を代わってもらって、荷物がなくなっていた件に関しては自分で持ち出したかどうかしたのかわからない。そもそも幻だったのかもしれない。幻を見せることができるとすれば、魔力によるものだろうが、種族の特性としてそれが備わっていたのかもしれない。
「んでもって、死んでいた男の遺体ですがね、断面はかなりぐちゃぐちゃで。獣にやられたような姿でしてねえ」
「獣に?」
「まあ、あんたの肩にいるちびみたいな感じじゃなくて、もっと大きいものだと思うんですよ。壁に、床に、あたり一面大きな爪痕が残っていて……おそらく瓶に関しては一回で割ったんでしょうね。一切その音は届かなくて……」
なんでなんだ、と重たい息を吐きながら彼は頭を抱えて俯いてしまう。状況を整理すると、夜中のうちに何かが水瓶を破壊し、ついでに当番であった男は別の男と入れ替わっていて、水のある部屋の前に立っていた男が殺された。当番の男はいたと言う痕跡すら残さずに消えた、と。
どう考えても、その当番の男が怪しいのでは?
「どう考えても、その当番の男が怪しいですよね?」
「リリン……」
「そうなんだが、邸宅にもういないんだ。そこを考えてもしかたがないだろう?問題は、水の調達だ。この邸宅にいるのはほとんどが人間だ。庭師とかの数名は異種族だが、はっきり言って水を調達するのは不可能なんだ」
「不可能、ですか?」
「ああそうだ。周りの家から買い取るにしても、もうギリギリの水を確保しているはずだ。それをなんとかするのは、無理がある」
この邸宅の人数分の水と考えると、相当な量であるのだろう。水瓶一つであってもかなり大きなもの、それをもって水を用意していたのなら、相当大きな獣がいたと言うことになる。
「獣の正体はさておき、とりあえず問題はその……水を奪った黒幕が誰か、と言うことでしょうか?」
「そうだな、黒幕っつっても、正直この邸宅にいるのはアショグルカと、お前さんらデザアルから来た者、そしてシハーナの使者様たちだ。アショグルカがここでシハーナの使者様たちを蔑ろにして困るのは、テブルテの上の者たちくらいだろう」
「そうですか……」
私はつとリリンの顔を伺い見る。もう好きにしてくれ、と言うふうに彼は首を左右に力なく振った。
と、言うわけで、遠慮する必要ももうないだろう。
「では、水を用意いたしましょう。邸宅二百名分を完全にかどうかはわかりませんが、とりあえず火急を凌げるくらいの水を」
「……は?どう言う……」
ぽかんとした表情に、私は笑顔を重ねる。
「ついでにですが、それに対して妥当な額の金銭をお支払いいただければ幸いです」
手を振ってニコニコ笑いながら、机の上に氷をすうっと生み出していく。その様子に、彼はなるほどな、と苦々しい表情で呟いた。
「家宰を呼んでくるんで、少々お待ち願います」
「ええ、できるだけ早くお願いしますね」
そろそろ、太もも周りもびちょびちょに濡れている。立っているとかなり滴り落ちてくるが、それより待たされて下まで染みてしまう方がきつい。
「リリン……全身気持ちが悪いです……」
何があろうと絶対にテブルテ大王国だけは住まない、と言う気持ちになる。この季節が過ぎてどうのこうのと言うよりもここにいることが辛い。次に来ることがあるならば、この季節だけは絶対に避けなければ、と言う気持ちになってしまった。
呼ばれてきた家宰はニコニコしながら一日にどれだけの水が生み出せるかなどなどを聞き取っていき、量に応じて金銭を支払うことを約束してくれた。もちろん私としても、一日にどれくらいの水が生み出せるかは若干わからない部分があったため、その言葉に同意する。私はすぐに容器を探し、空になったそれを氷で満たしていく。暑いためにかなり容器自体にも結露がついていき、数さえ増やせば一日分くらいならどうにかなりそうだ。
「部屋の様子、結構すごいですねえ。これをずっと続けるんですか?」
「ええ。部屋自体もかなり水があって、全身ふやけそうなんですが……」
部屋中を埋め尽くす容器を一つずつしっかりと触れて冷やしていきながら、私は溜息を吐く。これでしばらく放っておけば、水ができる。正直、冷やすことさえできれば水を作り出すことは難しくないが、それが今の生活レベルでは難しい。
「しばらくはこの生活になりそうで……」
「やあああっと見つけたわ!」
扉がバァン、と勢いよく開かれる。私はついつい癖で手を背後にやってしまったが、そこにもちろん剣はない。またやってしまった、と思いつつ、入ってきた少女のドヤ顔に向かって首を垂れる。リリンも作業の手を止め、同時に跪いた。
「ようこそいらっしゃいました、シューヤの姫君」
「ふふん、全く。いつまでも見つからないから、もういなくなったのかと思っちゃったわ」
「いえ。こちらにも人の侍従や護衛がいますので、少しそれは難しいかと」
「そうお?じゃあいいわ。ねえ、この家の中もあちこち見て回ったけど、あっち行っちゃいけない、こっち行っちゃいけないでちょっと退屈だし、そんなに綺麗じゃないのよね」
ふう、とヴェールの端っこを摘んでぐりぐりと指先で捻ると、意思の強そうな瞳が私を射抜く。
「だから、ちょっとお買い物に行きましょ」
「はへ?」
ぽかんとしていると、すぐに私は手を取られ、それからにっこりと微笑まれた。
「なんでも外に、異種族たちが市場を開いてるんですって。それに行きたいって言ったのだけど、侍女が護衛がつけられないんだったら出られないって言ってね?リュンスって人間だから、今の時期はお外に出られないんですって!やだわ、もう」
だから、と私を見据える。
「お出かけしたいの!ついてきなさい。一応、剣も使えるのでしょ?リュンスが庭で見つけたって言ってたわよ」
「そう言うことですか、なるほどわかりました。しかし、我々だけでは見た目が少々困りますし、女性の付き人も欲しいと思いませんか?」
「ええ〜?女の人がついてくると、ちょっと鬱陶しいからイヤ!」
「では、もう一人だけ大人についてきてもらいましょう。我々だけだと子供のお使いになってしまって、大きな買い物ができませんから」
「そう……ねえ。それならいいわ」
おそらく誘拐だのなんだのと文句をつけても、彼女は受け入れられないだろう。それなら、買い物がしにくいという理由で誰かをつけてもらわなくては困る。私も護衛に長けているわけではないし、護衛ならば数人の目がなければ大変だ。私もきっとぼんやりするだろうし。
加えて問題なのは、私がこの土地で人を傷つけることを認められていないことだ。デザアルはその力が弱く、国といっても平民に対しては治外法権がまかり通ってしまうほどだ。しかし、テブルテはその支配力も強く、そこで例えば外国の民が人を殺した場合、貴族であれば数年の禁錮、平民の場合は死刑となる。傷害であっても平民であれば死刑にされることが多い。無論、理由はほとんどの場合は考慮されない。無論証拠は残らなければ良いという者もいるし、他所者同士が障害しあった場合は軽い処罰で済むらしい。
要は、自国民を他国の者が傷つけることを許さない、ということだ。
それを許さないだけの国力がある、ということだ。
またすぐに人員を探すべく飛び出していった少女を見送ると、頼れる侍従に私は目を向ける。
「リリン、もし私がまずいことをしでかしても、知らなかったと言ってください」
「何を……」
「それが起きるような場所であり、面子ですから。実際、彼女がやらかす可能性しか頭に浮かびません」
「ま、まあそうですが、それはでも関係ないでしょう。とにかく、事件が起きたらシハーナの名を借りればいいではないですか。アショグルカの客分でもありますし……」
「それが通用すれば良いのですけど、正直、その二つのどちらも本当の意味で私を助ける意味も、義務もありません。そこのところをはっきりとわかっておいてください」
リリンは不服そうだったが、それでもこくんと頷いた。切り揃えられた髪が僅かに揺れて、私はまた服を選ぶために動き始めた。




