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姫様

シューヤ家は、シハーナ宗主国において中枢に食い込むかなりの政治一族であり、その権力はシハーナ宗主国の行き先に口出しでき、さらにアショグルカ家の流通をその機嫌ひとつで『どうこう』できてしまうほどには凄まじい。なぜあちこちにこのような重要人物がゴロゴロしているのか定かではないが、正直迷惑極まりない。アショグルカ家に何やら用事があったのか。普通そこは王家にお願いをするところではないのだろうか。いやそもそもこの国、王家よりアショグルカ家の方がいま偉いということになっているのか。思考が逸れるくらいには混乱する中、一番の疑問。


「なぜシューヤ家の姫がこのような場所にいらっしゃるのか」


その疑問を持ったまま私はリリンを見るが、彼もぶんぶんと首を左右に振った。彼も同じ疑問を抱いたらしい。私は怪訝そうな顔をして見せたものの、ちょっと視線を感じてすぐに姿勢と表情を正す。

「あなた、これはどういうこと?」

「申し訳ございません。少々私が厄介ごとに関わったばかりに、この宿にいる他の方を危険に晒してしまうとは」


どうやら清掃がすむ前に、ルフェトがあれこれ言って部屋を抜け出したらしい。それをうまく捕まえられず、階下に降りてきてしまったのだとか。

「全く……姫君にあのようなことをお見せするとは。そもそも他国の方に姫様がここにいらっしゃることをお知らせしてはならないというのに!」

「あの、それは言ってしまっていいのですか?」

「あ」

うっかり侍女がついている彼女は、どうやらひどく我儘を言ってここに宿泊したらしい。というのも、ここから美味しそうな匂いがしたから、というのが理由だそうだ。食事は確かに美味しかったがそこまでするのだろうか。


「兵士は先に向かわせました。ここに姫様がいると言った以上、ここで警備を置いていけばここに姫様がいるという証左にしかなりません。侍女の中にいる影武者を用いて無理やりにここに留まる選択をしましたのに、まさかこのような事件が起ころうとは!ここはアショグルカ家の人間で構成されている宿なのでしょう?」

こんなことがあるなんて、と怒っている彼女にまあまあ、とリリンが宥めに入ったが怒りは当然の如く収まらない。


「大変申し訳ございません。ですが、シューヤ家の姫君におかれましては、此度の件はお気になさいませんよう」

「……どういうことです?」

「そういうことですよ」

私は双華の息がかかった宿の人間が、これをやったと思っている。片付けも現にテキパキとしているし、こういう荒事は慣れているのだろう。予想外だったのは、ルフェトが外に出てきてしまったことだけ。一方の彼女は外国人を珍しがっているのか、リリンに絡んでいた。


「ねえ、どうして髪が短いの?おかしいわ。髪は全ての人と天地のつながりを示すって、母様が言っていらしたのよ。髪が短いってことは罪人の証なのですって」

「私は外国人ですので、習慣が違うだけでございます」

「道を歩いている人間の中にも短い人がいっぱいいたわ。あいつら、カミというものを信仰してるのかしら?だから髪を短く切るなんて罰当たりなことできるのよ」

「庶民は髪にかける金銭よりも、食事にかけたほうがいいと思うから切るのです。生きるためには仕方のないことです」

「なら、皆にお金を配ればいいじゃない」

「そういうことではなくて……」


子供特有のああすればこうすれば、という論理に困惑しつつ、彼が困っているのを見ていると、綺麗におられたヴェールからのぞく瞳がこちらを捉えた。まずい、と思った瞬間にはすでに距離を詰められていた。人と違って予備動作というものがなく、非常にやりづらい。


「ねえ、あなた、使者って言ってたわよね?なんでこんなに小さいのに使者なんかしているの?」

「あなたもそうではないですか」

「それもそうね。でも、私はシューヤの家に生まれたのよ?あなたは違うじゃない」

それはそうだ。しかし、私にそれを言われたところで『成り行き』以外に答えようがないのだがと少し困っていると、出入り口の方から知らない武人の気配がする。私が背中にはっと手をやったところで剣がないのに気づいて拳を握りしめるが、足音を消した様子もない。


「ひーめさまっ。迎えに来たぞ」

「リュンス!」

ヴェールがバッと捲れ上がるほどに飛び上がって引っ付いた様子は、随分と仲がいいらしい。濃い緑の髪をしている男は、軽薄そうにちょっと笑ってルフェトを腕の中に置いた。

「さてと。んで、この新鮮な血の匂いのする応接間で、一体何を?」

すでに清掃は済んでいるが、それでも誤魔化せないほどの血液の量だ。仕方があるまい、と私は一歩前に進み出た。


「すみません、その件に関しては私がーー」

「いいえ、ハイル・クェン様。その件については、こちらの不手際にございますゆえ、謝罪などなさいませんよう」


リュンスと呼ばれた男の後ろから一歩進み出たのは、使用人の格好をした男だ。壮年であるが、その顔立ちは地味に過ぎるほどで一瞬視線を外せばその瞬間に忘れそうだ。体型も中肉中背、白髪の混じり具合もよくあるような具合だ。

「おいおい爺さん、迎えに来たのはまさかこいつらか?姫様をこんな場所に置いておくなんてよ。アショグルカ家もバカになっちまったか?」

ギラリと翡翠色の目が使用人の男を睨みつける。が、あえて私はそこで発言をした。

「不手際で私の部下が一人死んだというのに、軽いものですね」

「人の命の軽重を問うということですかな?」

「私は非常に入れ込みやすいタチなものですから」

私はリッカ、と小さくつぶやいた。飯の時間かと期待して出てきたようだが、それどころではない空気にちょっと毛を逆立てて見せた。いい威圧である。まあ、少なくともすぐに逃げ出すことくらいはできるだろう。


「あなた方がどういう結論に至ったのか、それをお聞かせ願いたい。さもなければ私は即刻、部下の体を届けに国へ帰らせてもらうことにします。命令を果たせずに首を落としたくはないでしょう?」

筋違いな怒りだ、と私は思う。なんにしろ、兵士の守りを必要ないと私は判断した。彼ら一人より私の方がよほど気配が読めるし、なんなら葬ることも容易い。しかし固まってさえいればまず間違いなく一人たりとも欠かずに済んだろう。

いや、これは希望的観測だ。なんならこちらから手出しできないのをいいことに、彼らは私達をなぶり殺したかもしれない。

だから今、この男に怒っているのはまるでお門違いだ。もともと別の人間がより集まって作っている家門だ。こういうことも予想しておくべきだった。


「……わかりました。まず、アショグルカ家ではあなた方を客人としてお迎えしたいと考えております。クリフォードが致しましたことを謝罪するわけではございませんが、我らが姫の思い出を主人が聞きたいと申しております」

「……そう、ですか」

一つ目を閉じる。心を整理するために、呼吸をする。狩りの時にしていたことだ。いつも通りのルーチンに心が強制的に沈められていくのを感じる。


「わかりました。御家に伺いましょう」

「そうですか。それでは、こちらへおいでください。シューヤ家の方々は恐れながら襲撃などを防ぐため、同時に向かわせていただきます」

ふと、そこで一瞬脳裏をよぎった嫌な予感のまま、私はリリンの袖を掴む。


「……折檻で済んでいれば良いのですが」

「起きるわけないでしょう。これしきのことで次代を潰せば、内部から反発が起こります」

「ですよね」

そう、そんなわけはない。クリフォードがこれしきのことで殺されていたならば、まず次代にすべき人間がいなくなってしまうだろう。私はすぐにその考えを否定して、そのまま男の後についていった。


乗り込んだ車を曳くのはまた別の生き物だ。白地に斑の毛並みがとても美しく、四足の獣であるキチェだ。流線型の体でずっしりとした牙も生えており、相手取るのは難しい。これはかつて私が住んでいたところでも見かけたことのある生物で、割合に簡単に倒すことができる相手で良く卵も手に入る。なかなか美味なのだが、数が揃わないため私もそう多くは食べたことがない。


「お肉の方も、かなり美味しいんですよね……」

脂が乗っていて、柔らかな肉質の中にプルプルとした弾力を感じつつ、むっちりとした噛みごたえを実現している。脂は割合にさっぱりとしていて、肉食の生物ながらギュルジァと呼ばれるほとんど味のない肉をもつ生物を食べることで味も野性味とかそういう臭さもほとんどない。下拵えがいらない分割とみんな獲ってきてしまうので、月に獲る量を決めていたりする。そのまま塩を振って食べるのが最も美味しいのだが。


じっとキチェを見ていると、その生物が居心地悪そうに足を踏み鳴らした。私はばつが悪く感じてそっと目を逸らす。そりゃあ誰だって、自分に『美味しそう』だとか思うやつのそばにはいたくない。

「キチェをお望みですか?ならば潰して今晩お出ししましょうか」

「あ、いえ、たぶん自然の中で育っているのとは餌が違いますから、美味しくはないと思います。なので、無闇には……」

「差し出口を申しました」

「美味しいの?ハイル。そいつ」

「いいえ、美味しくはないと思います」

「どうしてよ?食べてもないのに、わかるわけないでしょ。私はその生き物、食べたいわ」

「かしこまりました」


ああ、これで貴重な魔物の卵から生まれた従順な兵士が一匹死んでしまうというわけだ。口に出した侍従の男もしまったかな、という表情がうっすらとあったが、それを瞬時におくびにも出さずに返事をしてみせたあたり流石な使用人根性だ。

しかし、私は自分の発言が発端となったのだから、と少し眉を顰める。


「姫様、少しよろしいでしょうか」

「なあに?」

「私如きがこのようなことを言うのは憚られるのですが、ーー人間が育てたキチェは苦い味になるのです」

「えっ?苦いの?それ、本当?」

「はい。命がなくなり、食べられる以上はキチェ自身もきっと残さず召し上がっていただきたいと思うでしょう?非常に苦い味になりますから、大人も食べることができないほどです。姫様がもし苦いものがお好きでそう仰っているならば良いのですが」

「え、そ、そうなの?リュンス」


話を合わせてくれ、とにこやかに笑いかけると、彼はちょっと唇の端を面白そうにつり上げた。

「……ああ、死ぬほど苦いなあ。一度食ったことがあるが、三日間は何を食っても舌に感じるのは苦味だけだったぜ」

「それって、ルムブフを食べても?」

「ああ。あまーいお菓子ですら全部苦くなっちまうんだ」


ニヤニヤと笑いながらとんでもない嘘を並べ立てる彼に、横に座った侍女は呆れ返った表情を向けている。6人でたっぷり余裕のあるシートに座っているから余計に正面の表情の変化がよくわかる。

「や、やっぱりいいわ。私、今日はルムブフが食べたくなっちゃった」

「姫様、いけませんよ!ちゃんとお野菜もお食べにならないとと何度言えばいいのですか!」

「いやよ!ルムブフがいいの!」


んベーっと舌を出して侍女にふざけるあたり、キチェのことはすっかりと忘れていそうだ。斜め前に座っている侍従がちょっとだけ目尻を緩めるのを見つつ、私は安心して車に引かれていた。

しかし、私はすっかり忘れていた。


目の前で侍女にぶうぶうと文句を言っている少女がいかに我儘で、傲慢で、そして無邪気に残酷なのか、ということを。


その会話の数分後、私たちは順調に貴族門を潜り、そしてようやくアショグルカ家の屋敷に入ったところで、ルフェトが「お手洗いに行きたいのだけど」と口にする。

どこから何をどうやって出すのかまるでわからないが、その場にいた侍女はギョッとして立ち上がった。リリンも侍従の男もはっとした顔になり、それから即時馬を止めるように指示を出した。

「マント、使いな」

「ありがとう存じます。姫様、大変申し訳ありませんがこの車の下にお入りください」

「わ、私がどうしてこんなところに入らなきゃならないのよ!」

「お手洗いに行きたいのでございましょう。さあ、お脱ぎください」


「何やってるんですか、目を逸らして」

私は強制的に腕を掴まれて目を逸らさせられた。何が起こっているのかわからないが、衣ずれの音が聞こえたかと思うと、振り向いたその後ろから陽の光ですら霞むほどの強い光が放たれた。影が目にはっきりと見えるほどに黒々と地面に浮かび、私は思わず横にいたリリンの肩を掴んだ。

「リリン、あの、これは」

「ご存知……ないですよね。パム族は固体や、液体で排泄をしない代わりに、光で全てを排泄するんですよ。あんなふうに」

その余波でヴェールや口元の布が焦げてしまうことがあるらしい。故に脱衣をしていたのだとか。私は顔を引き攣らせながらその常識に頭を押さえる。

ついでに言えば、口は食事ではなく会話と生殖器の代わりだという。どういうことかまるでわからないが、口元をヴェールで隠しているのに深く納得がいった。

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