会談
通された部屋は外光の一切なく、あちこちが蝋燭で灯りを灯されている。今までの廊下が暗い色の木でできた材質だったため白い壁紙に眩しさすら感じるほどだ。燭台の後ろの壁は光が反射するように銀の飾りが所々に設られており、何より厳かさを感じてしまう燭台の数に圧倒された。
ふとテーブルにかけられているクロスに目がいく。ほんの少しの灯りにもかなり光り輝いて見える織り方は、この世界の夜のパーティーで主に使われている綺羅織だ。この織物は非常に高価で、よく貴族の者が夜会で見に纏うものとして使われることが多い。裏を返せば面倒でひどく手間のかかる織物であり、洗うこともかなり難しい。
これを惜しげもなくテーブルクロスに使うこの店は、確実にアショグルカ家の御用達の店だ。入った瞬間から敵地である場所、そしていくらそこそこの友情を育んだとはいえ敵であるクラウ。殺そうと思えば権力で全力をもってしても押し潰されるに違いない。
拵えのいいテーブルは出入り口の扉と同じように飴色に磨き上げられているが、所々螺鈿の細工や金に塗られたきらめきが目を打つ。財力そのもののような椅子に腰掛けているのは、エスティとはまるで違うキラキラと輝くような金髪の男だ。その顔自体はどことなく厳しい作りであるのに、目の形が垂れているせいでバランスが崩れて見える。体は割合に細いため、ろくろく訓練もされていないのであろう。それに対して周りの兵士はピリピリとした空気を発するようにしている。獲物は逃げるだろうと思われるほどの空気感だ。
そこまでを把握した段階で全員が入室を終えたために私は頭を下げる。ほぼ九十度に、膝を少し曲げて片方の足を斜めにし、つま先の甲側を床につけて姿勢を低くする。胸に手を当て、静かに言葉を待つ。
「遅い、遅いぞ。クラウローレン」
「申し訳ありません。随分お待たせしてしまったようで……」
「いや、いい。それよりも、使者だったか?片田舎から随分なことだな。どいつだ?」
偉そうな声がよく聞こえてくる。張りがあるが、若干虚勢めいた響きのある声だ。初めてあった時のクラウも間違いなくあんな感じだったな、と思いつつ私は一歩前に進み出た。
「……は?」
十分たっぷりと置いた後で、憮然とした声が響いた。その声には虚勢めいたものがまるでないあたり、先ほどまでの声は作ったものだったのだろう。怒気がこちらまで響いてくるほどで、逆に兵士たちはあーあ、とでも言わんばかりの呆れた雰囲気がある、気がする。
「……ロスティリ家だったか?アショグルカ家を舐めているのか?何か言え!」
罵声が響いたが、発言する許可が出た私は構わずに顔を上げ、蠱惑的に微笑んだ。その瞬間、部屋の全ての視線が釘付けになる。その瞬間を見逃さず、私は口を開いた。
「双華をいずれ担う御方とお見受けいたします」
丁寧に再度お辞儀をする。ゆっくりでいい。上流階級の人間は待つことに慣れている。礼をしている間は首を切られる事はないからだ。
「私が派遣されたのは、貴方様にお話ししたいことに直接関わっており、なおかつこの件を余人に話して回るわけにいかないと私の主人が判断したからでございます」
「……言え」
「本件は、信用のおける者にしか通達しておりません。末端の兵士に聞かせるようなことでは」
「人払いが必要ならさっさと言え。私は無駄が嫌いだ」
チリン、と金色の澄んだ音色が響き渡ると、リリンとクラウを除いた全ての人間が部屋から一斉に消えていく。扉が閉まり、クラウがそこに耳をつけて確かめる。
「問題ありません、クリフォード様」
「そうか。それでは、始めよう。お前は一体、ここへ何をしに来た?」
「アショグルカ家の家宝である剣の引き渡しに参りました」
一瞬のうちに空気が凍りつく。そのはしばみ色の目はエスティによく似ているが、その雰囲気は数倍刺々しいものだ。
「どこで、手に入れた?」
「シハーナ宗主国に近い、同じ種族の集落です。見ての通り、私は人間ではありません」
「クラウローレン?」
さっと確かめるように振り返ったクリフォードに、クラウがうなずいて答えた。
「ええ、間違いありません。その肌は氷ほどに冷たく、暑さにはとても弱い体です」
「そうか。で、なぜお前の集落に剣がある」
「チェンブロ・エスティ・クリステア。彼女は罪人と扱われていますが、今では集落から動くことのできない体になっています」
「動くことのできない、体?」
「はい。両足を失い、一人では戸外へ出ることもままなりません。私の種族では暑さに著しく弱いこともあり、集落の外に出る者はほとんどおりません。故に、手紙ひとつ書くことも送ることもできず、その集落にいたエスティ様には伝達の手段ひとつございませんでした」
故に、私が来たのは行幸だったのだ、と言いながらそれをリリンからクラウに手渡してもらう。
「この剣を預かり、どうかアショグルカ家に返還してほしいという願いを聞くため、私はここに来ました」
手紙はリリンの持つ包みの下にもっている。私はにこやかに笑い、それからそこで話を切る。
「クラウ、本物かどうかを確かめろ」
「……はい」
その瞬間、クリフォードの指先が意味深に動いた。クラウはギョッとしたが、リリンの持つ包みの下にある手紙に気づいてすぐさま唇を噛み締め、それから静かに包みを解いた。指先が丁寧に柄のひとつひとつに巻かれた革をなぞり、そして嵌め込まれた赤黒い石を蝋燭に近づけ、その色合いをみる。最後に剣を引き抜き、刀身をくまなく見つめる。ギラギラとした目でもう一度クリフォードを見るが、彼は気づいていてもまるで意に介さない様子で無視する。
とうとう疲れたような表情で、クラウはため息まじりに低い声でつぶやいた。
「……偽物、です」
まさか、と私は一瞬表情を崩す。しかし、リリンが背中を見えないようにギュッとつねったおかげで私は平静でいられた。背中の痛みを感じながら笑顔を作り直す。
「……そうですか。それでは集落にいたエスティという者もおそらく、偽物だったのでしょう。貴重なお時間まで頂いた上に徒労とは、大変申し訳ありません。偽物が出回ればお困りになるでしょうし、それはそちらで処分していただきたい」
「ああ、言われずともそのつもりだ。ここまで来るのに大変だったろう。宿をとっておいてやるからそこへ泊まれ」
いいな、という声に私は諾々とそれを受け入れ、ようやくその場から去ることができた。
宿を出る間際には、クラウが包みを抱えたまま送ってくれた。私が出口がわからないと言うと、案内を買って出たのである。無論、包みに隠されていた手紙はすでにどこかへ仕舞い込んだらしい。
「あ……」
疲れたような顔で言うべき言葉を迷うクラウの手をとり、それから私はちょっと笑った。
「良いのですよ。もともと引き渡すだけのつもりでしたから」
「しかし、それにしたってあれは……」
「構いません。貴方がそう言ってくれるだけで、非常に満足です」
むしろ、大変なのは今晩だろう。テブルテ大王国では他国人による殺人を全て斬首刑としている。それはすなわち私たちが襲われたからといって殺人を犯せば、まず間違いなく彼らはなすりつけてくる。加えて襲撃犯人が自害したり、死んでしまっても問題しかない。要するに、暗殺犯人を保護しつつ暗殺からは自分を守らなくてはならないのだ。
「リリン。今日は寝られませんよ?」
「ええ、元よりそのつもりです」
私たちは互いににっこりと笑いながら宿へと足を運んだ。宿はやはり素晴らしいものであったけれど、私たちの部屋では一睡もせずにようやく朝を迎えることになった。不思議なことに、まるで私たちの部屋には人さえ寄らなかった。不可解に思いながら朝日の差し込んでくるガラス窓からぼんやり外を見つめていると、階下からつんざくような悲鳴が聞こえてきた。
「何があったんですか!?」
リリンが走って階下に降りたのについていくと、どんっ、と彼の背中に当たる。ひどく優しい花の香りがふわっと漂ったが、私がよく嗅ぎ慣れた匂いがする。むわっと鼻をつくような、こもった生臭さと生き物特有の暗く濁った香り。
「ハイル様は、ご覧になる必要は……」
誰かが、死んでいる。
「リリン」
「ーーは、はい」
「退きなさい」
ぐっと目を細めると、リリンは俯いて階段から続く道を譲った。私は階下に倒れている男を見て、それから胃の中にドロドロと澱のような汚い感情が溜まっていくのを感じた。
マクシミリアンだ。
以前宿で話をした、あの男。鈍い色の目が光をただ反射し、呼吸音のひとつさえ聞こえない。上の階にいる私たちですらそれを気づくことができなかった。手練れの仕業で間違いない。喉元を悲鳴を上げないようにナイフでバッと掻き切り、そのあと心臓に背中から骨の隙間をぬって一突きにしている。これだけ血が飛び散っているのに足跡ひとつ残っていないということは、足のない種族の可能性すらある。
「きゅ」
「リッカ、寄ってはいけません」
話し合いの間は車の中で腹を見せて寝っ転がっていたし、怪物の子供と言っても血にまるで興味のないようだ。私はリッカを懐に入れると、マクシミリアンの目をスッと閉じる。
「帰る時は彼と一緒でも、問題ありませんか?」
「ええ……」
顔面が蒼白になっているリリンを尻目に、マクシミリアンの首元を綺麗にくっつけて凍らせ、それから抱き上げる。
「車はアショグルカ家からの貸し出しでしたよね?なら、一時的にでもいいのなら彼を乗せてもらいましょう」
しっかりと抱き上げているのを宿の人間がみてギョッとしている。しかし、私はその視線にも構わずに彼を抱き上げたまま車庫へと行った。
全身を凍らせるにはしばらくかかる。私はリッカに時折氷を与えつつ、彼の全身を凍らせていく。全ての濁った想いを塗りつけて固めるように、私は静かにその作業に没頭していく。気がつけば日はすっかり高くなっていて、マクシミリアンはすっかりと凍り付いていた。
「……この陽気なら、まだ数日で解けきることはないでしょう」
スッと立ち上がり、車を降りる。リリンはそばにずっと控えていたらしく、胸に手を当てたまま待っていた。
「リリン、私は未だ葬儀というものをはっきりと知るわけではありません。マクシミリアンをどのように葬れば良いのかーー」
「……人間の身体は、三つで構成されている、とシハーナ宗主国では語っています」
ひとつは肉の身体。
ひとつは髪。
ひとつは魂。
肉の体は魂を留めるための檻であり、髪は魂が溢れ出して生まれる光や闇との交信をするためのものである。故にシハーナ宗主国近辺に住まう人々は全て髪を大切にするし、その美しさを魂の美しさとつなげて美の基準ともしている。
「これはそれを拡大解釈した、単なる人間の願望かもしれません。葬儀を行うには、肉体ではなく髪があれば良いのです」
現にあの時亡くなった兵士の一人も、髪を回収しているという。
「肉体はただの檻に過ぎません。マクシミリアンのような平民であればほとんどが森に捨てられるだけです。もしお気に召さないのであれば埋めて地に返し、また循環の流れに乗せるのが良いでしょう」
「……それでも、故郷の地に埋めたいというのは、私のわがままになりましょうか?」
「いいえ。きっとマクシミリアンもそれを望んでいることでしょう。しかしながら、どう実行なされるのです?これは間違いなく警告です。早く逃げなければ」
分かってはいる。しかし、非常に気持ちが悪い殺人だ。私たちを殺すことができないとわかっていた?いや違う。まず間違いなく、これは威圧行為に過ぎない。クリフォードが私たちを殺すよりもそれを選んだのは、剣を渡したからだ。口封じにはいささか弱い。ならば、なぜそれを選択したのか。
わからない。しかし、クリフォードからしっかりと釘を刺された以上、これ以上ここにいても得られるものは一つもないだろう。
宿に戻り、私があちこちの検分を始めようと裏口から入る。すると、中からつんざくような悲鳴が聞こえてきた。
『ちょ、ちょっと!何何何っ、この血まみれの部屋は!!ふぇーーーん!』
フュシュフィ語の若い声だと思いながら弁明のために部屋の中へと入る。すると、ふわふわと浮いた何かが私の方へ滑るように近づいてきて、ボスン、とぶち当たった。
「あ、あのう?」
『あ』
首から下がない。いや、あるにはあるが、モヤのような、炎のような物体がゆらゆらと何かを形作っている。手が私の胸に押しつけられているが、手首から先、正確には腕がなく、そこからもモヤがふわふわと現れている。初めてみるが、間違いない。パム族だ。
口元をしっかりと覆い隠している彼女?はギョッとした顔で、私の顔を勢いよく叩いた。
『あ、あんた誰よ!!』
『ーーええ……』
心底意味がわからない。しかし、おそらく彼女がいたことで客室の安全をおいそれと脅かすような、部屋への侵入ができなくなったことが確かだ。マクシミリアンはおそらく、部屋から出たせいで襲われたに違いない。私が仮に襲撃者だとすれば、単独で部屋にいる人間を襲うには扉の外でギリギリ聞こえるくらいの物音を立てる。無視できない類の金属音であれば尚良い。階下でもう一度金属音を鳴らし、降りてきたところを一気に襲撃する。
そこまで考えて、私は彼女をベリッと胸元から引き剥がすと、その場で跪く。
『申し遅れました。私、デザアル共和国のロスティリ家から派遣されました特務派遣官、ハイル・クェンと申します。御尊名をお伺いすることをお許しください』
割合に身分の高い人間なのであろう。彼女はそれを聞いた瞬間につん、と顎を上げる。
『許す。ーー我が名はルフェト・ィアレス・シューヤ』
『姫様!!』
そこで絶叫じみた叫び声が聞こえる。私がそちらに振り向けば、ルフェトとはまた違う色合いのヴェールを纏った女性が現れる。パム族ではない、普通の格好の女性だ。
『姫様、と仰られましたか』
『何よ、わかってて言ったんじゃないの?私こそがシューヤの姫、ルフェトよ!』
どうやら、私はとんでもない貧乏くじを引き当ててしまったらしい。




