打算
遅くなってすみませんでした。ストックができたので、投稿していこうと思います。
ふっと意識が浮上するように目が覚める。周りを何かが歩いている音だ。一瞬で体が臨戦態勢に入るが、目に入ったのはリリンだった。
「おはようございます」
極々小声だったのは、まだあの使いの男が寝ているからだろう。
「……ああ、リリンでしたか」
私が今回の物品を全て寝台に持ち込んでいるのを見て、ここなら安心ですねとささやいてくるあたり分かっているなと思う。未だ寝息を立てている男を見ながら車から降りると、リリンは近くにいた兵士の肩をポンと叩く。
「水浴びがしたいのですが、近くに水場は?」
「ええ。それが目的で馬車を少し早めに止めましたので」
「ありがとうございます」
「いえ、こちらの主人が急いで出たことは重々承知です。それに、いつでも体を好きなだけ洗えるわけではありませんから。我々も、ね」
互いに苦笑しあっているところを見ると、どうやら苦労性であるらしい。私は二人が若干疲れた表情で通じ合っているのをみながら綺麗な緑に目を向ける。地元では全てが白銀に包まれていたから、ひどく新鮮な色だ。以前にプラスティアーゾへ来たときは冬であったし、あの小さな温室だけが綺麗な緑に溢れていたから。
すっきりとした朝の空気を浴びて、のびをする。しっかりといつでも眠れる体質であるので、寝不足という気はしない。道をよく知るテブルテの兵士に一人ついてきてもらって街道を逸れると、少し低い灌木はあれど、はっきりとした森というよりは密度の低い林の中に分け入る。すぐに水の匂いと音が聞こえ、綺麗な淵が現れた。
ただ、地形的にはありえないような形だ。私が少し首を捻っていると、兵士が軽く笑った。
「もう少し進むと、雨が上るようになるのですよ」
「うん?雨が、上るですか?」
「ええ。雨が地面から天に向かって上っていくのです」
とても綺麗な光景ですが、と彼は続けて言った。
「綺麗なばかりではありません。その後二ヶ月は、一切の雨が降らない日が続くようになります。川には全く水がありませんし、屋外に出していた水は全て消えるのです」
「……水が、全て?」
「ええ。それが落ちてくることで乾き切った大地が潤され、そしてまた一年経つと同じ循環が続きます。交渉が長引けばもしかすると見られるかもしれませんが」
まあ、それはないだろうな、と私は肩をすくめる。
「だからこんなに不可思議な地形なんですね」
「ええ。機会があれば、一度目にしてみるといいですよ。私はここでお待ちしておりますので、どうぞ存分に」
川がさらさらと流れて、ちょうど貯まっているところにちゃぷり、と指を浸ける。雪解けでちょうどいい温度の、まるでぬるめのお風呂といった具合だ。衣服を脱いで畳むと、岩の上に置いて勢いよく飛び込んだ。
「ごぶごぶっ……ぷあっ!!」
全身を濡らすために勢いよく潜り、それから一気に上がると全身をぬるめの湯で包まれたような具合になる。全身を軽く布で擦ると、ちょっと砂っぽくジャリジャリとした手触りがしてうっ、と身をこわばらせた。流石に匂いがあまりしないとはいえ、汚れているのを自覚するとちょっと嫌な気分になる。
髪もこの調子だとしっかりと洗い流さねばならないだろう。全身をこすり洗い終えた後、地肌から揉み解すように髪を洗っていく。よく絡まる髪質なので、うっかり強く引っ張らないようにしないと千切れたりして髪が痛んでしまう。丁寧に地肌から洗い流した後、軽く香油を掌にとり、塗り広げて髪に揉み込んでいく。濡れたうちにこうしておくと、乾かす際に痛まなくて済む、と口酸っぱく聞かされていたからだ。
「もう上がられますか、ハイル様?」
「ええ。どうかしましたか?」
「使者の方が目覚められまして。と言いますか、我々よく考えたらあの方々から名前すら聞かされていませんよね」
「我々も名乗っていないのですから、同じようなものではないでしょうか?それに、子どもっぽく振る舞ってくる相手方に合わせることもないでしょう?」
「それは、そうですね。では、身支度の方を終えてしまいましょう。本来であれば美しく装った姿こそを見て欲しいのですからね」
「……お手柔らかに」
腹にできている打撲やら色々に愚痴を挟まれはしたが、髪を梳かして綺麗に装ってくれる。伸びてきた髪を編み込み、ふんわりとした髪質を生かした髪型にすると旅装の中から軽い服を着付けてくれた。軽いとは言っても、やはりその装いはとても華やかである。鮮やかな萌黄に染め抜いた長衣は赤で刺繍が施されており、民族衣装のような雰囲気があって個人的にはとても好きなものだ。
「よくお似合いですよ。本当はもっと華やかなものの方が似合うのでしょうが」
「あ、はは……もっと、とはどのくらい?」
「衣装がお顔に負けないくらいでしょうか?」
にこやかにそう返されて、私はちょっとゲンナリしたもののとにかく早いところ戻った方がいいだろう、とリリンに預けていた荷物を再度確認し、それから丁寧に手元に抱え込む。
「私はその重要性を存じておりますが、それをお持ちになっていてよろしいのですか?」
「軽く見られるかもしれませんが、構いません。これはそもそも軽々しくそのへんの使者に触らせて良いものではないはずですからね、相手からみれば」
私はさておいてもとちょっと肩を竦めて見せればリリンは少し笑った。
「本当によろしいので?」
「ええ。これで私たちを悪様に罵るようであれば、致し方ありません。交渉決裂ということでこのままニーへに向かいましょう。彼女も、届かぬ手紙を届けてくれるだけでありがたいと言っていたのですから、どうせならばニーへに来ているシハーナのお偉いがたに剣を売りつけて、一生涯遊べる金でもむしり取って仕舞えばいいのではないでしょうか?」
「が、外交問題になりますよ」
それならそこまでである。正直、ただのお使いに過ぎない私からみれば手紙が優先順位の一位であるし、エスティも剣に関してはただの目印程度にしか口にしていなかった。なら、彼女から見ても優先順位はまず間違いなく手紙だ。
「そもそも三男のクリフォードにこの件が渡らなければ、我々もすんなりと要求をすることができたのです。それを簡易に試金石にするから、こうなる」
いきなり軽い田舎者の処理から家の屋台骨を揺るがす件に発展するとは思っていまい。剣だけに、と日本語のわかる私だけが内心で笑っていると、案内をしてくれた兵士がこちらを確認してはっと目を見開いた。
「あ、も、申し訳ありません。……お綺麗ですね」
「女性にかける言葉としては満点ですが、生憎」
「ええ、わかっておりますとも」
軽く微笑んだ兵士はどうやら道を丁寧に切り開いていたらしい。わざわざすまないと思いながら通ると、いきなり「遅い!」と罵声が飛んできた。どうやら朝食の準備が整ったらしく、それをイライラしながら待っていたようだ。
「ええ、申し訳ありません。せっかくそちらのご厚意で用意していただいているのですから」
上品さを心がけながら笑みを浮かべて謝罪すると、相手の男はぽかんとした顔のままこちらを見て、それから不可解な顔つきになった。
「なんだ、その子供は。というか、面識なぞあったか?」
「随分と物忘れが激しいようでいらっしゃいますが、私はロスティリ家の使いとして遣されたハイル・クェンです。昨晩顔合わせ自体は終えているはずですが?」
2、3度兵士に視線をやったのは本当かどうか確かめるためだろう。まあ、部屋の中のあれだけ暗い中応対すれば、外の篝火と月明かりまで合わさった明るさではきっと外の方が明るい。はっきりと私の顔も見えていただろう。
「……ま、まあいい。さっさと食え」
ふんぞり返りながら男はそう言ったが、横に控えていた侍従がこそこそと耳打ちをする。どうやら、何かを伝えるようだ。
「んっんん!私の名前はクラウローレン・フォーレ・エスファだ。クラウローレン様と呼ぶが良い」
「わかりましたクラウ様」
「くっ!?く、クラウローレ」
「わぁ、美味しそうですね。いただいてもよろしいですか?」
「公の場ではクラウローレンと呼べ」
キラキラとした眼差しで子供を装ってみれば、彼はあっけなくため息を吐いて静かに椅子にもたれかかった。組み立て式のものでよく考えられている。キャンプ用の椅子のようなものだが、より高級感漂う仕様になっているのはそれが木製のよく磨き上げられた材質でできているからというのも一つの理由だろう。クッションをしいた椅子に座らせてもらうと、以前に教えてもらったマナー通りに食べ進める。
メニューとしては簡易なもので、軽いスープと塩を振って焼いた川魚、それから煮てあるコルティーロだ。もっちりとしたその弾力に苦戦しながらもちもちと食べ進める。スープも本当に野趣溢れるといった様子で、干し肉のかけらと日持ちする野菜で作られている。
「久しぶりに口にしましたけれど、美味しいですね」
「ん?以前も食べたことがあるのか?」
「ええ。少しばかり地元での穀物の供給が滞った時期がありまして、その時に伝手で」
「そう、か……」
それから沈黙の中、食器がわずかに擦れる音と風が木々を揺らす音だけが響く。食後のお茶をいただくと、そのまま馬車に乗り込む。ガタゴトと揺れる中、私は寝台の上に座ったまま書物を取り出して読み始め、クラウは気まずそうにもじもじしているだけだ。
小一時間ほどして、「……あの」という細い声がかけられた。
「はい、なんでしょう?」
「昨日は、気が立っていたのだ。すまない」
「急ぐ用向きだったのでしょう?」
謝ることはないと思いますが、と続ければ、緩く首を横にふった。
「田舎者だの、あれこれと言ってしまったことだ。こんなあどけない少女に対して私は……」
自己嫌悪に陥っているところ心底申し訳ないのだが、性別に関しては異を唱えるべきだろうと口を挟む。
「あの、私は男ですが」
「……え?嘘であろう?え、え……?本当なのか?」
「ええ、本当です。生物学的に立派な男ですよ」
「なにぃ……!?」
全力でうろたえているクラウはあーだのうーだの唸り倒しながらゴロゴロと寝台の上に転がり、ようやく動きを止めて私をじっとりと指の隙間から睨みつけた。
「……謀ったな」
「謀っていませんよ。大体、あなたがいきなり女性だと決めつけてきたのではないですか。私が一度でも女性だと自称しましたか?」
「い、いや、その……」
「んきゅ?」
寝台で腹を出して寝っ転がっていたリッカが言い争いに目覚めたようで、空腹を訴えてきた。かりかりと指先を引っ掻く姿に氷を生み出してやりながら、私は再度説教を始めるべく向き直った。
「大体ですね、初めからあのような態度を取るというのはいかがなものかと思いますよ。威圧的にくれば相手が萎縮すると思っているのでしょうが、それは逆につけ込まれやすいものにもなります。相手にどのような印象を与えるかをしっかり考えて動かねばなりません」
「あ、ああ、いや、そのーーそれ、その魔物、しかも氷、どうやって……いや、も、申し訳ない……」
いや、私だって今の一連の流れで色々と突っ込みどころが満載なのはわかっている。ただ、今のタイミングを逃せばきっと言えないこともあるので、パパッと言ってしまおうと思っているだけなのだ。どうせ、いやでも二週間は彼と一緒の部屋で生活するのである。ならば、さっさとわだかまりはなくしておくに限る。
こんこんと説教をたれ終わると、ようやくクラウが「それで、そのへんな生き物と氷は一体なんなのだ」とじっとり睨みつけてきた。どうやら彼とは無事に、仲良くなれそうである。
ここまで色々とやってきたが、クラウと仲良くなろうと思ったのは別段難しい話ではない。彼と仲良くなっておくことで、手紙を確実に当主まで渡しに行けるようにする橋渡し、その足がかりとしてだ。万が一、いや、半々の確率でクリフォードが交渉の場で剣を『偽物』だと処断した場合には、まず間違いなく手紙を届けることは叶わなくなる。それではきた意味がない。
交渉が決裂した場合に彼の同情を引き、それから彼を使って当主のオフェルスに接触して、どうにか時間を作り出してもらう。手としてはいくつも考えておいた方が良いし、無駄になるならそれはそれでいい。私は静かにリッカを撫でながら、ぐちぐちと続く文句を笑顔であしらった。




